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訂正

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月18日(水)08時04分10秒
返信・引用
  タイトルの誤り
  上反園神社→上花園神社


      (使用中のブラウザでは修正が効きませんので)
  
 
 

上反園神社のスギ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月18日(水)07時59分53秒
返信・引用
  三大神社から高野山へと連なるのが国道480号線、板尾の集落から走る事しばし、二本の河川の合流地点へと到着した。花園中南の集落だ。民家が十数戸、かわいらしい集落である。此の地に存在するのが「上花園神社」。此処にスギの巨木が存在すると聞き及んでいた。駐車場は無いが通行車両の少ない道路、路肩に止めおかれても全く支障は無いだろう。地図上で確認するが、不思議と地形図に神社マークが見あたらない。立派な社殿もあるし、立地的にも見落とすはずは無いかと思えるのだが。構築物等は現地調査では無く航空写真での判定なんだろうか。若しもそうであれば、樹影等で見落とす可能性はあり得るかも。神社マークはともかく、坂道を登って境内へと入る。そう広くは無いが、赤く塗られた見事な社殿が鎮座されている。集落の十数戸のみでは維持管理が困難かと思えるような立派さだ。恐らく氏子集団はもう少し広い範囲なんだろう。

神社について事前調査も行ったが、ネット上でもほとんど情報が無い。世間的には余り知られていない神社のようだ。大半の神社ではマニアックな方々が訪問記を書かれているのだが、上花園神社には見あたらない。数少ない記事の中で気になったのがご祭神の話。何でも丹生都比売命神社(丹生神社の総本社)のご祭神と全く同一であるとか。名称は上花園神社で丹生神社ではないが、神社の離合集散はあり得る事、かっては丹生神社と呼ばれていたこともあったのかも。勝手な推測をお許し願えるなら、地形的にも河川の合流地点、丹生族が辰砂を求めて活動した拠点の一カ所との推定もあり得る話かも知れませんね。弘法大師空海が高野山を開いたのは、修行の場として最適な環境だったから・・・・・・・と伝えられていますが、鉱山技術にも堪能だったと思われる空海のこと、案外、紀伊半島の鉱脈に気付いて利権を密かに押さえ込んだ・・・・と考えられなくも無いかも、デスね。

弘法大師には失礼な話かも知れませんが、唐への留学費用など莫大な金銭の出所を勘案すると、当たらずとも遠からず・・・・では無いでしょうか。余談はともかくとして肝心のスギの木、かなりの巨木です。ザクッと目測すれば,幹周りが6メートル前後、樹高が30メートル位ありそうですね。樹齢は不明ですが高野山奥の院と同等程度はありそうです。数本あるようで社殿の背後に聳え立っています。地形的にもスギが成長しやすい環境なんでしょう。此処まで来たら高野山へと登らぬ手は無いですね。神社の前が道路の分岐点、どちらをとっても高野山へと至ります。右手が国道480号縁、左手が大門へと連なる県道か町道でしょうか。国道480号線は少々急峻、大門ルートの方が走りやすいでしょう。高野山は魅力的な宗教都市、最近は日本人よりも外人観光客それも欧米系に人気なようです。宿坊に泊まってスピリチュアルな体験をするのが大人気だとか。彼等は一神教の教義の下、覇権を握って世界を支配してきたものの、自分達の生き方は果たして正しかったのだろうか・・・・・・そんな迷いが生じているような気がしてなりませんが。
 

三大神社の大郞スギ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月16日(月)06時30分5秒
返信・引用
  三大神社とは大きな神社上位の三社という意味では無い。純然たる固有名詞なのだ。ご祭神が三柱だから、若しくはご祭神の頭文字を取ったとか、諸説あるようだが素直に固有名詞とだけしておこう。ちなみに神社のご祭神は次の三柱の方々である。御食津大神(ミケツノオオカミ)・大年神(オオトシノカミ)・三筒男神(ミツツオノカミ)。このうち御食津大神は彼の丹生都比売命神社のご祭神のお一人だから、ひょっとしたらの話だが丹生族と何らかの関連性があるのかも知れない。妄想はともかくとして、三大神社は有田川町の板尾地区に所在する。紀伊半島をザクッと思い浮かべて戴きたいが、有田市と高野山とを結ぶ直線の中間点位である。文字通りの山間部、国道480号線が走っているとはいえ、純然たる山村である。過疎化もかなり進行中かと思われる。ナビに誘導され十数戸の民家が点在する小集落に辿り着いた。近くにおられた古老に尋ねると、丘の上にある小学校に入り込み裏手に回ったその先に神社はあるとのこと、地元の方の証言が何よりだ。

幸いにして鳥居の前まで車で上がれた。駐車場は無いが、参拝客も少ない神社の事、路肩に留め置いて十分だろう。神社はかなり宏大で、立派な社殿が鎮座されていた。今でこそ静かなひなびた山村だが、かっては相当な経済力を持っていた集落かと推定される。聞くところによれば、秋祭りが盛大に実施されるようで、氏子の各集落から獅子舞の軍団が出演しその技を競い合うとか。恒例の餅まき等も実施されるようで、該当日に覗いてみたいものである。さて肝心のスギの木だが、太郎スギ・次郎スギと書かれた標柱が立てられていた。社殿の背後に立派なスギの木が数本立ち並んでいるが、どれが大郞スギか次郎スギかの特定は出来なかった。ザクッと目測すれば、幹周りが6メートル前後位、樹高は30メート以上はありそうだ。神社の創建は827年のようだから平安時代の初期だろうか、当時のものとすれば1200年余りの樹齢となるが、どうなんだろう。紀伊半島は水分の多い土地柄、スギにとっては成長しやすい環境かと思うが1200年の樹齢といくだろうか。

高野山の奥の院をしばしば訪ねるが、彼の地のスギも三大神社のスギと同程度かと思われる。奥の院も弘法大師お手植えとかの説もあるようだから、時代的には同程度の樹齢と推定しても良さげだが。何分、本殿の側のスギであり接近出来ないので遠目の妄想でお許しいただこう。帰りは再び小学校を抜けて480号線へと戻ったが、有田のICへと走るより高野山へ登った方が早そうだ。そう言えば、私宅の山の神がゴマ豆腐を食べたいとか常々言っていたのを思い出した。高野山の町内には三軒のゴマ豆腐店(製造販売)があるようだが、日頃立ち寄るのはメインストリートの森下商店、さて本日は月曜日だが確か休店日では無かったかな・・・・・・・・・・。
 

白岩丹生神社のネズの樹

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月14日(土)06時25分46秒
返信・引用
  白岩丹生神社への訪問は二度目である。最初の訪問記は7月2日付け記事をご参照戴きたいが、見事に失敗した。今回も前回同様、有田川町小川2628番地でナビをセットし阪和道に乗車、機嫌良く走って有田ICで高速を降り。街中を抜けて到着したのは前回と同じ鳥居の前であった。これで入力ミスで無かった事が判明、今回は地形図等も準備している。確認すると、現在地から1キロほど北西に神社マークが存在する。多分、これであろうと推測して歩き出す。南国(?)の故か結構暑い。汗だくになりながら程なく到着、推定どおり白岩丹生神社と記してあった。それにしても不思議な話、神社庁のデーターでも住所は間違いなし、到着は鳥居の前。両者共に同じ地番域ということだろうか。それにしては大きすぎるようだが。厳密には法務局を訪ね、明治期の字限図を閲覧しないと不明だが、1筆の土地とは考えにくい気がするのだが。

仮に1筆地と仮定すると鳥居は参道の入り口と考えられる。しかしながら神社へと繋がる路も無く、途中は五名谷川で遮断され、橋も飛び石も無い。しかも神社側は深い谷となっており、人が通れるような状況では無い。鳥居は何のための存在なのだろうか。そしてナビは何故鳥居前を指定番地と判断したのだろうか。疑問詞だらけだが、まあ先に訪問する事としよう。森の中の鬱蒼たる神社、歴史も相当古い模様だ。石段を登って境内へ、正面が拝殿右手が社務所、どうやら神職のかたは在住のようだ。拝殿へと更に石段を登ると、目的とするネズの古木が見えてきた。拝殿の前を塞ぐような格好だ。ネズとは細い針のような葉からネズミ退治に用いられたようで、そこからネズの名称が付いたとか何とか。非常に成長の遅い樹種のようで、幹周り2メートルクラスだと大木の部類に相当するようだ。無論、対面するのは初めての経験である。樹齢は不明なようだが、幹周りは凡そ3メートル、樹高が10メートル位であろうか。上述のようにネズとしては巨木、それも全国区クラスだろう。当然ながら県指定の天然記念物となっている。

始めてみるネズの古木に興奮しながら数枚の画像を撮影した。鎮守の森ではなく、山の中に神社は存在する。周囲の樹木が鬱蒼たる雰囲気を醸しだし、神聖なる場所としては最高のロケーションの模様。しかも神職の方が常在のようだから、昔から相当深く崇められてきた神社なのであろう。丹生神社との名称からいわゆる丹生族との関連を推測したが、ご祭神は丹生都比売命では無く水の神である罔象女神(ミズハノメカミ)であった。丹生族とはどうやら別の模様だ。ネズは45度位に傾いており、一種独特な形状をしている。御神木として参拝者に深い影響を与えるような形だが、意図したものではなかろう。それにしても所在地番が気になって仕方が無い。神社庁のデーターを読み込んでいたら、「飛び地境内地」との文言を発見した。推測だが、これかも知れない。神社の領土を示すため鳥居を建立した・・・・・・そう考えれば不思議ではないが、地番が納得しかねる。法務局を訪ねる余裕は無いが、何方かご存じなかろうか。
 

糸我稲荷神社のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月12日(木)05時51分4秒
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  有田市は紀州の北西部に位置する漁港である。何でも太刀魚の漁獲高で有名らしいが、今回の話は海では無い。オカの熊野古道である。平安朝の時代、「蟻の熊野詣で」とも表現されるように熊野三山への参詣がブームとなったようだ。江戸時代のお伊勢参りと同様な現象だったのだろう。熊野への参拝路はいくつかのルートがあったようだが、著名なのが紀伊路と伊勢路である。紀伊路とは名前のとおりで、京都から海岸沿いに南下し現在の田辺市あたりから山間部へと分け入るコースである。天皇をリタイアされた上皇が熊野詣でに出かけられる事例が多く、通算では100回にも至るとか。興味のある方は別途お調べ戴くとして、その熊野古道沿いにあるのが「糸我稲荷神社」である。国道42号線から少し南に下がった位置にある。訪ねた折には何かの作業中のようで、地元の氏子の方々が沢山集まっておいでだった。人出に圧倒されたが、邪魔にならないよう留意しながら何枚かの画像を撮影した。

稲荷神社は京都の伏見稲荷大社が本社のようだが、この糸我稲荷神社は伏見大社よりも歴史が古いようだ。652年の創建のようで、伏見大社ではなく糸我稲荷神社が実はお稲荷さんの本社である・・・・・との説もあるようだ。本家争いはともかくとして、歴史を誇るだけあってか隣地には熊野古道資料館(訪問時には気付かなかった)まで建設されている。複数の道路が交差する交通の要衝でもあるようだから、参詣者は此の地で必ず休息された模様だ。上皇が駕籠を止めた場所との石碑までが存在した。さて肝心のクスノキなんだが、元々は境内の四隅に各1本づつ植栽されていたようだ。現存するのは3本、1本は枯れた模様。何れも幹周り6メートル前後で、一番大きめなのを撮影した。鳥居を潜って左手に聳えるクスノキである。幹周りが凡そ6メートル、樹高が25メートル位、樹齢は500年以上だそうな。

クスノキは500年以上もの間、熊野詣での人々を眺め続けた来たようだが、人は何故熊野詣でに出かけるのかナゾである。言われるのが浄土信仰のようだが、生きながらにして浄土に生まれ変わるとの信仰が何故に人々の心を捉えたのだろうか。推測されるのは、生きること自体が困難な社会状況だったからではなかろうか。現実生活が厳しくて来世に救いを求めざるを得なかったのでは・・・・・と想像しているのだが。それに旅の持つ開放感もありうるだろう。お伊勢参りが信仰よりも団体旅行に重きがあったように、今も昔も旅への誘いは未知なる世界への期待感がキーポイントの模様だ。上皇さんも面倒な政治の世界から引退して開放感を味わいたかったのではなかろうか。「信仰」は口実に使われたような気がしてならないのだが。
 

深専寺のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月10日(火)10時16分7秒
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  深専寺(じんせんじ)とは湯浅町のお寺さんである。駅から徒歩5分程度、市街地の中心部に存在する。西山浄土宗に所属されるようで、ご本尊は阿弥陀如来、開基は奈良時代末期の行基によるものらしい。相当歴史も古いようで、平安時代に流行った熊野詣でにおいては重要な役割を果たしたようだ。車で訪問したので進入に思案したが、細い路地ながら通行は可能だった。お寺の横に駐車場も有り、暫く拝借させてもらった。寺は工事中の模様で、建物では無く石材業の職人さんが数名作業中であった。墓石か通路か、そこらの改修工事かと思われる。目的とするクスノキは直ぐに判明した。山門を潜って正面が本堂、その左手が墓地となっており、クスノキは墓地の中央に鎮座されている。まるで主のような存在だ。職人さんの邪魔にならないよう留意しながら数枚の画像を撮影したが、かなり大きくて樹齢も古そうだ。ザクッと目測してみるが、大きさは幹周りが6メートル位、樹高が18メートル位だろうか。樹齢は不明なようだ。但し、幹の頂部は切断されたような形跡があり、何らかの事情で上部を伐採されたのかも知れない。職人さんに訊ねてみたが、残念ながら不明だった。

湯浅町は地震や津波とも関連が深いようで、境内には警告板が設置してあった。1854年というから幕末であろうか、大きな地震が発生し津波も押し寄せたようだ。防災教育等も無かった時代、浜辺や川岸へと逃げる住民も多く、多数の犠牲者を出した模様。当時のご住職が自戒を込めて、「浜や川辺には逃げるな、寺の前を東へ走り抜けて天神山に逃げろ・・・・・」といった趣旨の事を書き残されたようだ。複製かと思うが、板書した警告が今も掲示してあった。題して、大地震つなみ心得の記、と記された恵空和尚の書である。紀州は度々地震や津波が襲ったようで、現在も東南海地震の可能性が指摘されている。湯浅町も海岸縁の街、恵空和尚の警告や稲むらの火等を教訓に日々準備を怠らないようにお願いしたいもの、無論、南河内も同様だが。

お寺は駅前の市街地とあって樹木は存在できなかったようだ。件のクスノキが聳えるのみで他に見あたるような物は無かった。神社と同様で、鎮守の森的な物を期待したいのだが、市街地の寺社では困難なんだろう。墓地が取れるだけでもヨシとせざるを得ないようだ。次なる訪問地を目指して出立したのだが、街中を通り抜けていると、古風騒然たる民家が多いのに気付いた。解説板が設置して有るお宅も多いので、歴史的な遺産が数多く残されているようだ。そう言えば湯浅町は確か醤油発祥の地、千葉県でも盛んだが、彼の地は湯浅の船乗りが黒潮に乗って伝えたとも聞く。ミカン船の紀伊國屋文左衛門も同じルートを辿ったようだ。近々ではアメリカ村の存在も有り、紀州の民は正真正銘の海洋民族のようだ。古来、海に立ち向かって新天地を目指すのが伝統なんだろう。
 

浄土寺のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月 8日(日)06時13分49秒
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  標高614メートル、高野山へと連なる山脈の一角に名も知れぬピークがある。その山の中腹に存在するのが「西ゲ峯」の集落である。集落の中程にあるのが、中心的存在の浄土寺、お寺が先か集落が先かは不明だが、戸数数十戸のこじんまりとした集落である。聞くところに寄れば、山頂付近の沢から水路を開削し棚田を作って水田稲作を試みられたようだが、うまく行かなかったようだ。現在は環境を利用して、柑橘類の果樹栽培で生計を立てられている模様。お寺も集落もかなりの高台で、眺望が素晴らしい。但し、生活条件は厳しいようで、買物・通学・医療・娯楽等々の何れをとっても大きな負担となるようだ。山村集落特有の厳しさかも知れない。お寺は浄土宗の宗派のようで、ご本尊は阿弥陀如来、創建は平安朝末期のようだ。訪問時は丁度本堂の改築中であった。そう大きくは無いお堂だが、募金目標額が1億数千万と記載されていた。工事中ということは、目標額が集まったのだろうか。

お寺の東側、側壁に食い込むような形で聳えているのが、目的とするクスノキである。根元にあった行政の解説板によると、大きさは幹周りが8.8メートル、樹高が17メートル、樹齢は少なくみても600年以上だそうな。ということは創建時頃に植栽されたクスノキかと思われる。年数を経た古木だけあって幹は空洞化しおており、中程に聖徳太子の石像が祀られていた。伝承によると1600年頃寺は火災にあわれたようだが、ご本尊の阿弥陀入来はこの空洞に避難され難を逃れられたとか。石像はその後に祀られたものかも知れない。そう言えば幹の下部は焼けただれたような印象で、火災の痕跡かも知れませんね。消防車も消火器具も無かった時代、どうすることも出来なかったのでしょう。現在も条件は似たようなもので、非常時には麓の街から走らざるを得ないようですが、時間の経過が気になります。

西ゲ峯の集落は五名谷川の右岸、国道424号線から農道に分け入り急傾斜の坂道を登った高台にあります。車は通れますので極端な不自由はないでしょうが、降雪時等には難儀するかも知れませんね。上述のように眺望は抜群、子狸ならずとも、ログハウスを立てて山村生活も悪くは無いか・・・・との思いが彷彿とするかも知れませんね。戸数数十戸の集落ですが、山を下りられる方も少なく無いのでしょう。画像上段をご覧戴きたいのですが、寺の境内にあった無縁仏の墓石のようです。参拝される方が無くなって、寺ともご縁の切れた墓石を一カ所に集められたようですね。寂しくて厳しいですが、これが現実を現した一面のようです。仙人のように霞を食らって生活する訳にもいかず、食料と程々の現金とを獲得しなければならないのが人間の掟、なかなか辛いものですね。
 

薬王寺のホルトノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月 6日(金)06時45分56秒
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  ホルトノキ、全くもって始めて耳にする名称である。彼方此方の樹木を訪ね歩いているが、これまでは遭遇する機会が無かった。樹木図鑑等も調べてみたが、資料が少ない。僅かな画像を眺めてみると、少々肉厚のヤマモモに似たような葉を持った常緑樹のようだ。照葉樹林の中に生存するようで、関西から九州、沖縄、インドシナ半島あたりが主な分布域なようだ。有田川町の薬王寺に存在すると聞き及んでいたので楽しみにしていた。肝心の薬王寺だが、近くまでは接近したものの集落の中の生活道路に阻まれ、なかなか到着しない。ご存じかと思うが、農村集落の生活道路や農道等は狭小で離合どころかヘタすると脱輪の可能性すら存在する。知らない道にうかうか進入出来ないのだ。近くにおられたお婆さんに道を尋ね、どうやら小型車以下であればお寺まで登れることを伺った。集落の中を通り抜け、農道を辿ってお墓が見える高台に出た。車は登れそうだが、Uターンが可能かとの不安も有り、少し広めの場所に留め置いた。歩いた方が無難だ。

汗をかきながら登りお寺に辿り着く。なかなか見晴らしの良い高台の寺である。観音堂と呼ばれる本堂と庫裏とが並立した小規模のお寺さん、どうやら浄土宗の宗派のようだ。ご本尊は阿弥陀如来座像で創建は1347年の模様だ。足利尊氏が幕府を開いたのが1338年だったと思うから、室町初期の頃だろう。当時には既に集落が存在し、寺が存続出来る基盤も整っていたようだ。さて肝心のホルトノキだが、境内の南面、鐘楼の手前に聳えていた。独立樹ではなく樹林帯の中の1本なので少々解りづらい。ザクッと目測すれば、大きさは幹周りが5メートル位、樹高が10メートル位であろうか。結構痛んでいるようで、内部が空洞化している。3メートル位まではズングリムックリで、それ以上は数本に枝分れしているようだ。クスノキによく見られるような形状だが、樹皮は完全に異なっており、表現が難しいが独特な表情をしている。独立樹であれば、参拝者にも解りやすかったと思うが、ヤブの中なのが残念だ。ご住職一家は在住のようで、愛車も留め置かれていた。彼の狭小な農道を日々上り下りしておられるのだろう、流石は地元精通者、子狸だと通行を控えるような道路だ。

ネットでブログを拝見してると、薬王寺の訪問記を書かれた方も何人か存在する。彼の樹木をクスノキと表現しておられる方もあり、見分けが難しいのだろう。現場には解説板も設置してあったかと思うが、朽ち果ててしまったようだ。残骸のみが残っていた。事前情報がなければ、ホルトノキなどと判別出来ないのが通常であろう。小規模な自治体の故、なかなか樹木の解説板にまでは手も財政も行き届かないのであろう。残念だが致し方無いとも思われる。有田川町にとっても、少子高齢化や過疎の問題など緊急課題に忙殺されておいでなんだろう。
 

半歩の差

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月 4日(水)05時54分39秒
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  「99パーセントの汗と1パーセントの閃きが運命を決定する」とは、彼のエジソン翁が語ったとか語らなかったとかの言葉のようだ。真意は日々努力を重ねよ、さすれば新たな運命が開かれる・・・・・といった意味合いかと勝手に理解している。森の中での生活を続けていると、狩猟採取的な行動を取ることが多いが、99パーセントの汗よりも1パーセントの方にウエイトを置くべきでは・・・・と思えることもある。森の住人達の生活の知恵とも言うべき行動に感心させられるのだ。今回もそうした事例に遭遇してしまった。彼等は基本的に栽培活動を行わない、否、出来ない。全てが狩猟であり採取である。従って捜し回ることで汗をかくかも知れないが、要は閃き若しくは偶然による該当物との出合いであろう。

ややこしい表現をしてしまったが、彼等森の住人達の直感的な行動に感心させられることが屡々発生するのだ。具体的な話にはいろう。我々が管理する森は果樹園をも兼ねているのだが、スモモの大きな樹木が存在する。ご存じのように6月が完熟期、我々の樹は基本的に6月25日頃が完熟の最盛期なのだ。画像でご覧戴きたいが、先月の活動日である6月3日には青々としたスモモの実が沢山実っていた。それが7月の1日の活動日に訪問すると、1個だに存在しないのだ。無論、地上に落下した痕跡も無い。全てが綺麗に消えてしまっているのだ。考えられる事はイノシシの活躍、実はスモモは彼等の大好物でもある。推定されるのは、先月25日頃にスモモが完熟、その事実を知った彼等は背伸びして小枝を掴み、スモモにかぶりついた。そして落下した完熟の実は拾い集め食べてしまった・・・・との事態ではなかろうか。小枝が折れている箇所が多いのと、地上に落下物が全く存在しないことが事実であろう事を物語っているようだ。

最初は頭の黒いイノシシ(窃盗犯)かとも思ったが、人間の犯行だと何らかの痕跡が残る。落下した全ての実を拾い集める事など不可能なのだ。犯人像は恐らく正真正銘のイノシシであろう。おかげで全く収穫出来なかった。実はスモモでジャムを作ろうと期待して出向いたのだが。我が家の山の神がガックリする姿が思い浮かぶようだ。6月25日頃と完熟日が解っているなら、何故にその日に森へ行かないの・・・・との陰の声が聞こえそうだが、普段は農作業に追われている。梅雨時は雑草の繁茂期、そうそう森の中へと出かけられないのだ。冒頭のエジソン翁の言葉、前半よりも後半に重きを置くべしとも考えられる事態との遭遇だ。しかしながら彼等イノシシがご馳走に遭遇出来たのは、我々の管理活動という99パーセントの汗のおかげであろう。表現は無いが、彼等も我々の活動に感謝していることだろう・・・・・・と理解しておこう。
 

神社が消えた日

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 7月 2日(月)06時09分57秒
返信・引用
  神社が消える・・・・そんなバカな、と思うのが通常であろう。そんな不思議な現象に遭遇してしまった。訪問先の寺社は、子狸の場合、ブログ記事やホームページ等を参考に選択している。基本は巨木があるところ若しくはありそうな所である。当然ながら住所や電話番号等が基本ソースとなり、電話番号よりも住所を優先している。そしてナビに登録し、誘導をお願いするのが通例である。今回の目的地は有田川町の小川集落の2628番地に所在する白岩丹生神社である。そう何時もの丹生神社なのだ。文明の利器は有田ICから国道・県道等を走行し指定番地で案内を終了した。路肩に車を止め、大きな鳥居を確認する。鳥居横には、「白岩丹生神社」と書かれた石柱が立っていたが、それだけなのだ。鳥居の背後は森の中で社殿等が皆目見あたらない。ひょっとしたら火災でも発生し、神社が消滅したのか・・・・とも思ったが痕跡は無い。立地は川縁の橋の袂で、丹生神社の立地パターンにも叶っている。何とも摩訶不思議な現象に、地元の方に尋ねようとしたが通行人が見あたらない。

画像でご確認戴きたいが、鳥居と石柱は確かに存在する。背後の境内地と思われる場所は見事に森の中、建造物は何も存在しないのだ。此の地にネズの巨木が存在すると聞き及んでいた。今まで遭遇したことの無い樹種である。何でも成長が極めて遅く、幹周りが2メートルともなれば全国的な巨木だそうな。白岩丹生神社には3メートル近いネズの巨木が存在するようだが・・・・・・・・。付近を歩き回ってみたが、手がかりとなるような物は何も発見出来なかった。周囲は畑と人気の無い民家が数軒、何ともお手上げだ。事前の資料調査の折に、一寸気になる存在の場合は地形図等を準備する。今回の白岩丹生神社の場合は住所も明確で何の不安も無かったのでナビ頼りで訪問した。他の資料等も準備して無かったので、正直お手上げの状態。

こういった事態はマレに遭遇する。やむを得ないので今回は撤退し、再度調査し直しして再訪としたい。幸いにして有田川町は阪和道を利用すれば、当地から1時間半程度の行程だ。さほどの距離でもないので、他の訪問箇所とも抱き合わせて再訪問としよう。残念だが致し方無い。
 

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