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上花園神社のスギ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月24日(火)06時11分40秒
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  花園村は高野の山脈に囲まれた深山幽谷の地であった・・・・・・と書きたいところだが、何時のまにか「花園村」という行政体は無くなっていた。聞けば2005年に町村合併で「かつらぎ町」の一部となっていたそうな。ご存じのようにかつらぎ町は紀の川沿いに開けた町、対して旧花園村は山の中、直接結ぶ道路も無いようでいわば事実上の飛び地のような状態だ。合併のメリットはあるのだろうか、との疑問もあるが諸事情あったのだろう。旧花園村の中程に存在するのが「花園中南の集落」で今回の舞台でもある。国道480号線と高野龍神スカイラインへと登る道路との分岐点に所在するのが、「上花園神社」で今回の訪問先、此処にスギの巨木が存在するのだ。神社の主たるご祭神は丹生都比売大神で、彼の丹生都比売神社と同一である。この地も辰砂(水銀)を探索した丹生族の根拠地であった可能性が高いように思う。

少し高台に玉垣に囲まれた本殿が存在するが、本殿周囲に4~5本のスギの巨木が見える。本殿右手に所在するスギが最も大きいようで、ザクッと目測してみれば、幹周りが6メートル位、樹高が35メートル位だろうか。太さからも数百年は経過してるかと推測されるが、実際の樹齢は不明だ。高野の地は雨も多く渓流も多数あってスギは育ちやすいのだろう。奥の院のスギが林立する光景を眺めても、生育条件に恵まれているようだ。スギという樹木は何処にでも存在し、物珍しさは無いだろうが、加工しやすく実に用途の多い樹木である。一般に尾根筋にはヒノキを、谷筋にはスギを・・・・といった案配で栽培されるようで、山全体がスギやヒノキの畑のようだ。高野のスギがどうかは知らないが、最近は国産材の中国輸出が多いのだとか。彼の国は不動産バブルで資材が足りなく、近所の我が国木材に目を付けたようだ。戦後の拡大造林期に植え込まれたスギやヒノキが伐採適期でもあり、両者の思惑がマッチした模様だ。

スギやヒノキは花粉症の原因樹として嫌われる事が多いが、材としての効能は大きい。上述のように戦後に植え込まれた苗木が出荷時期に来ており、おおいに利用したいものである。スギやヒノキ等の木材に囲まれた住生活は快適かと思うが、問題は伐採・搬出のコスパとの兼ね合いであろう。吉野地方などは搬出にヘリコプターを利用している。末端価格が上昇せざるを得ないだろうし、採用されにくい原因かとも思う。欧州のように平原状の森であれば、機械化も可能だろうが、急峻な地形の我が国では人出に頼らざるを得ないのだろう。最後に旧花園村では恐竜ランドとかがあって、洞窟の中に恐竜のレプリカが存在するようだ。訪問した事が無いので詳細は不明だが、興味をお持ちであればお訪ねを。旧花園村にとっては、唯一とも言える観光資源であったような。
 
 

消防センターのセンダン

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月22日(日)06時29分42秒
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  九度山にセンダンの巨木があると聞き及んだ。実は幼少期の子狸の実家にもセンダンの樹があり、幼い頃はよく登って遊んでいた。大きな木に見えたが、せいぜい直径数十センチ、幹周りにして1メートルにも満たなかったかと思う。シーズンともなれば淡い黄色な実がなっていたかのように記憶している。肝心のセンダンだが、道の駅「柿の郷くどやま」付近ということだけの情報だった。詳細が不明なので、道の駅に駐車し、散策しながら探すしかないと覚悟を決めた。ナビに先導され無事に道の駅に到着、いざ駐車場へと思ったらガードマン氏に阻止された。満車との事、何でも現場で旧車の展示会か何かのイベントがあるようで、大入り満員の模様だ。別の駐車場を指定され、体育館の横に行けとのこと、到着して案内されたのが「消防センター」という地域の公用舎。全くの完全な偶然だったのだが、誘導された場所がセンダンの樹の真ん前だった。画像上段が現場の風景だが、右手の建物が消防センター、緑の樹木がセンダンの樹だ。センダンの背後に子狸の車が止まっている。

かなり大きなセンダンで、中央部が裂けて洞のようになっている。数百年の樹齢かと思いきや、現場の掲示板では130年ほどの樹齢とのこと。例によってザクッと目測してみれば、大きさは幹周りが5メートル程度、樹高が10メートル程度であろうか。樹高は普通だが、幹周りがやたらと大きい。通常見るようなセンダンは、せいぜい1メートルから2メートル位の幹周りであろう。天然記念物級ではあるまいかと想像したが、そんな指定は無さそうだ。センダンの樹は漢方薬の原料として利用されるようで、樹皮が虫下しなどに使われるとか。但し、実を食用すれば死に至る事もあるとかの記述があったから、使用に際しては専門家の判断が必要だろう。樹木自体は建築材として使用されるようで、特殊な事例としては数珠玉への採用があるようだ。上述の我が家のように庭木としてや公園樹としても見かける模様。

九度山町は高野山への登山口、道の駅にも時折立ち寄るが、センダンの樹木に気づくことは無かった。最もセンダンの所在位置は道の駅構内では無く、数百メートル離れた地元の体育館の横であったので、見かけるチャンスも無かったのだろう。先人のHPで偶然遭遇し、柿の状況見聞をも兼ねて訪問した次第。ちなみに九度山町は柿の名産地、地元の自称では「日本一の柿の里」だそうな。確かに美味しい柿が実る場所で、秋ともなれば購入へとしばしば訪れる。9月は渋柿を渋抜きしたヒラタネがメイン、10月下旬頃から本目の富有柿がシーズンだ。直売所等を覗いてみたが、訪問日が中旬だった故かまだヒラタネも最盛期となっておらず、1玉250円程度で販売されていた。最盛期ともなれば、大きなビニール袋にはいったものが200円~300円程度で販売されるので、しばし待たれた方が望ましいかと。最後に故事来歴の話だが、「センダンは双葉より芳し」との言葉が存在する。優れた人物は幼少期からその能力が垣間見られる・・・・・・といったニュアンスのようだが、ただの一度も言われた事が無い。まあ、凡人中の凡人である事は自覚しており、せめて老醜の芳しさだけは避けたいものと願っている。
 

学文路天満宮のネズの木

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月20日(金)05時50分13秒
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  「学文路(かむろ)天満宮」に面白い樹木があると聞き及んだ。ねじれまくった樹木なそうで、ある意味イブキとそっくりさんなのかも、そんな気がして興味半分に訪ねる事に。南海高野線の学文路駅或いは紀伊清水駅が最寄りだろうか。天満宮までは徒歩で概ね20分から30分程度、無論、車で参拝可能だが道は細く曲がりくねっており、運転に自信が無ければお勧めしがたい。天満宮だから、ご祭神は菅原道真公である事は自明のこと、京都の「北野天満宮」が本家筋にあたるようだ。天満宮を造営されるとき、時の村上天皇は勅令を発し、全国の郡毎に天満宮を一カ所造営しろと命じられたとか。全国津々浦々に天満宮が存在するのはそうした事由があった故の模様。ちなみに当地にも「道明寺天満宮」に代表されるように、天満宮は存在します。ご祭神からも推察されるように、神社のご利益は、「合格祈願」・「学業成就」にあるようだ。従って受験生の参拝が多く、シーズンともなれば学生服の生徒達でごった返すようだ。

目的とするネズの木は鳥居と拝殿との中間点位に存在した。参拝路の道筋なので一目で分別できます。小さな社が存在するので、目印にされたら良いでしょう。巨木という程の大きさは無く、例によってザクッと目測してみれば、幹周りが1.5メートル位、樹高が10メートル位、樹齢は残念ながら不明なようです。この樹木の面白さは大きさでは無く、幹が曲がりくねってねじれている事。画像をご覧いただいた方が早いでしょうが、イブキとは又違ったネジレ現象です。ネズは分類上、ヒノキ科ビャクシン属に所属するようで、ヒノキの仲間なんですね。イメージ上まっすぐな樹木を想像しますが、そうでは無かったようです。樹木の性質上腐りにくいという特質から、仏像制作などの用途に主として利用されるようです。ネズという樹木はあまり見かけませんが、庭木や公園樹として結構活用されてるようで、判別がつかないだけなのかも知れませんね。

さてこの学文路天満宮、2年ほど前に1回訪ねているのですが、当時は拝殿が再建中でした。宮大工さん達が熱心に作業中で、真新しい材木がまぶしかったのを記憶しています。新品ピカピカだった拝殿も相応にくすんできて、結構な重みを感じさせます。やはり寺社は森の存在と年数を重ねた社殿の存在が必要なようですね。学文路天満宮は北向きの斜面に、北側を向いて建立されています。向かいは紀泉アルプス、眺望の素晴らしい立地です。背後は森となっており、ロケーションは抜群なようです。高野山へと登る町石道も近く、志を立てた修行僧の若者達も学文路天満宮に参拝して学業成就を祈念してから高野へと登ったのかも知れませんね。合格祈願は必要ないかも知れませんが、学業成就は年齢に関係なし、志を立てて参拝されてみては如何でしょうか。
 

秋ジャガの植え込み

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月18日(水)06時51分40秒
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  お彼岸も近づいてきました。真夏のムッとした倦怠感も消え去ったようで、心なしか作業も楽になったように思われます。確実に秋にはいった模様で、気温も少しづつ下がってるようですね。仲間達の姿もまだあまり見えませんが、日程はつまってきております。カレンダーとにらめっこで冬野菜の準備、種蒔きや定植等の作業が目白押しなんです。本日はジャガイモの植え込みを行うことに。ご存じかとは思いますが、ジャガイモは二期作が可能です。春と秋の年に2回収穫が可能で、非常に優れた農産物です。南米のペルー辺りが原産地だと聞きましたが、スペイン人やポルトガル人等によって世界に広まったのでしょう。ジャガイモの存在によって飢餓から救われた人々も少なく無いでしょうね。欧米人が主食とするはずです。我が国でもサツマイモと並ぶ双璧で、米作りが困難な山間部の農地でも栽培が可能です。ちなみに上述のペルー付近では高地の故か、標高差を利用して通年で栽培しているとか。賢い利用法ですね。

我が国へは江戸時代に伝来した模様で、サツマイモとどちらが早いのかは不明なようです。ジャワ島(インドネシア)の芋といった意味合いでジャガイモと呼ばれた印象で、南方系の由来なんでしょう。教科書的には靑木昆陽さんのサツマイモの話で、ジャガイモの伝来は記載されて無かったような記憶が。品種的には様々なものが開発されており、春作と秋作とでは若干異なるようです。当地では春にはダンシャクやメークイン、秋にはキタアカリやアンデスレッド等が主流となっています。今回はデジマという品種を選びました。長崎の愛野町で開発されたようで、30年程前に愛野町のジャガイモ農場付近を走った事があります。大量のトラックが農土を運んでいました。連作障害等を防止するために土を定期的に入れ替えるようです。大変な手間暇を掛けて栽培を行っているのですね。

栽培法はいたって簡単、購入した種芋を準備した畝に元肥と共に埋設していくだけ、後は放置状態でも不可能ではありません。元肥は人それぞれですが、子狸的には鶏糞を使用。種芋と元肥とを交互に埋設します。追肥はほとんど行わず、ほぼ3ヶ月で収穫が可能です。今時分植え込んで年末に収穫でしょうか、秋作は春作に比べ収量はやや少なめな模様です。購入した種芋ですが、画像のように既に「芽出し作業」が実施されていました。非常に有り難い処置です。通常は個人で行うのですが、作業が早まりますね。画像のように種芋と元肥とを交互に埋設して少し土を被せ、あとは時間の経過を待つだけですね。非常に楽な栽培法で、植え込み後は手間いらず、有り難い農産物です。長期保存も可能ですし、主食の代用ともなります。ジャガイモはもっと高く評価されてもしかるべきかと。
 

円光寺のムクノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月16日(月)05時49分6秒
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  「円光寺」は3年半程前に訪問したことがある。あまり強い印象は無く、小さなお堂のみだったような記憶がある。所在は橋本市の隅田地区、最近は国道24号線界隈の訪問先が多いが、円光寺もそうだ。「あやの台」と呼ばれる丘陵地のニュータウンが存在するが、その麓あたりといったら良いだろうか。国道沿いにココイチのカレー屋さんがあるので、目印にされたらいいだろう。3年半ぶりの訪問で某かの変化が・・・・・と期待したが、殆ど変わっていなかった。農村集落と思える街並みで、田圃の一角に円光寺は存在する。駐車場も無いので、道路際に路駐し、半分は車に気を配りながら撮影に入る。画像上段が現場のお堂だが、無論、お堂のみの存在で、円光寺と言う名称は残っているものの寺としての機能は無いように思える。綺麗に清掃され、手入れが行き届いているので、某かの信者の方は存在するのだろう。背後に回ると墓地があったが、多くの墓石が集められ、無縁墓のような印象だった。

円光寺を訪問したのはムクノキの巨木が存在するからだ。寺の南西の隅にそのムクはあり、寺を彩る唯一の樹木のようだ。かなりの樹齢と思われるが、確証を取れるような掲示板もネット情報も無い。幹周りは目測だが大凡5メートル位、樹高が15メートル位だろうか。老齢かと思えるが、樹勢は元気良さそうだ。見守るような方も少ないかと思うが、健気に生き抜いている模様。今後も注目される事も無いだろうが、ひっそりと集落の片隅で生き残っていくのかも知れない。最近はこうしたお堂のみというか、宗教施設としてはどうかな・・・・と思える場所に良く遭遇する。信仰が無くなったのか、宗教者が消え去ったのか、理由の程はよく解らないが地方の衰退と無関係では無さそうだ。集落が存在し、人々が生計を成り立たせて日々穏やかに暮らせていける・・・そうした環境というか状況が存在して、始めて寺や神社も成立し存続しうるのだろう。

紀伊半島の山間部を訪ねる事が多いのだが、山地を切り開いて作られた集落が今にも消滅しそうな現況を垣間見ることもマレでは無い。元々が山地で、獣や鳥たちの住処であった場所、あり得べき姿に戻っていくだけ・・・・・と言えなくも無いが。円光寺が存在する隅田地区はまだまだ大丈夫かとは思う。平野部で国道に近く商店街等も遠くはない、人々の生活も十分に成り立っている模様だ。応其上人が開かれた橋本の地、紀の川と共に末永く繁盛して欲しいものなのだが。
 

浄土寺のカヤの木

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月14日(土)05時55分13秒
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  今回は奈良県の西部にある五條市を訪ねてみようかと思う。この地にカヤの木の古木があると聞き及んだのだ。国道24号線を走って橋本市から五條市へと入り込んだあたり、行政区は相谷町というそうだ。24号線と吉野川との中間点位に存在する模様で、地元の公民館的な施設の駐車場を拝借すれば、車も邪魔にならないようだ。ナビがうまく案内してくれて駐車場に入庫、見渡してもお寺さんは存在しない。はてはて、と不思議に思いつつも近辺を散策、昔の大地主の邸宅を思わせるような豪邸に出会った。そのお隣に、何やら小さなお堂らしき建物が存在した。近寄って確認すると、間違いなくお寺のお堂だ。お堂のみで他には何も無い。全くの無しで、山門も庫裏も本堂も手水舎等も皆目存在しない。無論、付近は雑草のみで、手入れは為されているのかヤブといった印象では無い。お堂の横にカヤの古木が聳えていたので、ここが目的とする浄土寺のようだ。否、浄土寺の跡と言うべきか。

ネットでも情報検索してみたが、浄土寺に関する資料は皆目存在しなかった。浄土寺そのものは多いのだが、他市町村の浄土寺ばかりだ。どうやら忘れられた存在の模様。近隣は豊かな水田地帯で、豪邸らしき建物も存在する程。お寺の維持管理が不可能な程困窮してるようには見えない。事情は不明だが、何らかの事由があってお寺さんが衰退したのだろうか。さて肝心のカヤの木だが、かなりの古木のようだ。幹の中央部が洞のようになっていて、高い位置に存在するのならフクロウの住居に打って付けのような雰囲気だ。樹齢は不明だが、カヤは成長が遅いと聞くから、数百年は経過してるのだろう。例によってザクッと目測してみれば、幹周りが5メートル位、樹高が16メートル位だろうか。カヤは雌雄異株で概ね幹周りが3メートル、樹高が20メートル程度が一般的なようなので、かなり大きめな存在のようだ。

カヤの木は雌雄異株と書いたが、雌樹は実を付けるようで食用となるとか、あいにく食べた経験は無いが、山村等では非常食扱いを為された模様だ。煎って食べるのが通常らしい。樹木そのものは利用価値も高いようで、将棋盤・碁盤・算盤等の素材として活用されているとか。確か、山形県の天童市が将棋盤等の産地だったかと思うが、カヤの木が使われてるのかも知れませんね。ちなみにカヤの木は、東北以南の各地に見られるそうな。いわば東北地帯がカヤが生存できる北限の模様、天童市で利用されてるとすれば、自然環境をうまく活用した事例でしょう。当地では岩湧寺や長野神社等でカヤの巨木が見られます。高野山周辺では民家付近に植え込む事例も多いようです。やはり非常時への備えの意味合いが高いのでしょうか。
 

応其太神社のナギの木

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月12日(木)05時52分22秒
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  まずもって「応其太神社」の名称から記述しなければならないだろう。応其太(おうごたい)という不思議な名称、はてなと疑問に思われる事だろう。子狸も読み方すら解らなかった。調べていくうちに、「応其上人」という坊様に出会った。元々は武士だった人物のようだが、1573年頃思うところあって出家され、高野山に登って修行された模様。橋本の地を拠点とされたようで、橋の建設やため池の築造それに各種の建築物の建立など幅広い活躍をされた模様だ。橋本市史によれば、橋本市を開いた人物として紹介されている。蒼茫たる原野に近い橋本の地だったかと思うが、上人の活躍と高野山詣での人々によって次第に賑やかな街へと変貌したようだ。応其太神社もそうした上人にあやかって名称を取ったのであろう。

神社そのものは、天照大神を主祭神として平安朝時代から存在したようで、途中での名称変更かと思われます。さて肝心のナギの木ですが、これまた馴染みの薄い樹木のようです。元々が熊野の御神木とされた樹木のようで、和歌山県下には彼方此方に見られるようです。雌雄異株のようで、ワンセットペアで植栽するのが慣例だとか。応其太神社にも鳥居を挟んで左右に2本植え込まれていました。例によってザクッと目測しますと、幹周りが3.2メートル位、樹高が16メートル位、樹齢は凡そ600年位だそうです。樹齢からみても、応其上人が出現される以前の植栽でしょう。地域そのものは古くから開けていた模様ですね。ナギの樹木は分類上マキ科ナギ属に所属するようで、マキの木の仲間のようです。ナギは語音が凪につながるようで、船乗りの信仰があつかったようです。又凪状態とは平穏無事をも現し、人生を健やかに生き抜いていけるといった意味合いもあったのでしょう。

境内には、蓮花寺と呼ばれる真言宗のお堂も存在しており、神仏習合の名残かと思われます。恐らくですが、応其上人によって開かれた神宮寺ではないでしょうか。お堂のみの存在のようで庫裏等の施設は見当たらず、僧職の存在も無しのようです。神社が主体でお堂は補足的なものなんでしょう。周辺は農村的な雰囲気を保った住宅街と申しますか、徐々に変化した街並みのようです。元々あった農村集落にいつの間にかポツポツと住宅が新築され、気づいたら住宅街となっていた・・・・・・そんな趣のようです。従って街路は細く曲がりくねっていますので、車訪問にはご注意下さい。まあ、ナギの木に興味を持たれるような物好きな方も少ないかとは思いますが。
 

どでかい柳の樹

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月10日(火)07時09分46秒
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  柳と幽霊は昔からつきもののようで、幽霊話には必ず登場する舞台背景のようだ。ゆらゆらする細身の幹と、しなるような枝振りが特徴なので、うってつけの素材なんだろう。とりわけ、薄暗い川縁の人通りが少ない場所となれば、最高の環境ではなかろうか。そんな固定したイメージが存在したものだから、どでかい柳の樹木と遭遇したときにはビックリしてしまった。世の中に存在しない物を発見してしまった・・・・・そんな印象だった。橿原市の郊外を走っている時だった。藤原宮を探してウロウロしていたのだが、とあるため池の縁で1本だけ聳えていたのだ。思わず車を止め、撮影体勢にはいってしまった。上述したように、柳は細身の枝、ゆらゆらしなる枝振り、そんなイメージだったから面食らってしまったのだ。画像をご覧いただいた方が解りやすいかと思うが、かなり太めの幹である。ザクッと目測すれば、幹周りが3メートル位、樹高が8メートル位だろうか、無論、樹齢は不明だ。

根本付近には市教委によって万葉歌碑が設置されていた。ご紹介すると、「藤原の古りにし郷の秋萩は 咲きて散りにき君待ちかねて」詠み人知らずの和歌のようだ。意味合いは、旧都となった藤原の秋萩は虚しく咲いて散ってしまった。あなたを待ちかねて・・・・・・といった趣旨のようだ。それにしても1000年以上もの昔に「万葉集」が編纂され、社会階層にかかわらず優れた和歌と評価されたものが4500首余りも収録されている。天皇、皇族のみならず、末端の農民や辺境の地で国境の守備についた防人の歌なども収録されている。基準は和歌が優れているか否か、の1点のみであった模様だ。民主主義は欧米社会で始まった・・・・・等々の御託をウダウダ並べる白人学者が多いが、実社会の中で制度化されたのは我が国の方が早かったのでは、そんな思いも抱かせるような編纂システムである。大伴家持が関わったのでは、との推測があるようだが、優れた見識の持ち主であったようだ。

さて肝心の柳の樹、走行中の遭遇だったので、所在位置が不明だ。微かな記憶では、国道169号線から奈良文化財研究所へ向かってる最中の道路際であったように思う。上記の和歌でも理解できるように、藤原宮の一角であったのだろうと思われる。ちなみに藤原宮とは明日香に置かれた大和朝廷から奈良へと都が移る合間に20年弱位の期間、都が置かれた場所のようで持統天皇の頃だった模様です。現在で言う皇居と国会議事堂それに霞ヶ関の官庁街を合わせたような機能だった模様で、数キロ四方の規模だったようです。現在はだだっ広い平原状となっています。近隣には各種の史跡や文化財を保存した施設等もあり、明日香にも近いのでレンタサイクルで回られるのがお勧めかも知れませんね。レンタサイクルは1日借用して1000円程度、各地の駅前等に存在するようです。
 

ホタテアオイを訪ねて

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月 8日(日)05時20分47秒
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  ホタテアオイが満開だとの情報がはいった。早速、訪ねる必要がある。其処までは良かったのだが、資料を斜め読みしたせいか、藤原京跡=本薬師寺跡、と誤認識してしまった。ランドマークとして入力したのが藤原京資料室、施設の駐車場に車を止め、だだっ広い藤原京跡の平原を探し回る。なんぼ歩き回ってもホタテアオイが見つからない。思いあまって平原で模型飛行機を飛ばしていたオジ様に尋ねると、もっと南だとのお話。つまり藤原京跡と本薬師寺跡とは少し離れた場所だそうな。一端国道に出て明日香方面へと走り、レストラン王将横を左折、東に300メートル程入ると道筋に咲いており駐車場もあるとのお話だった。指示通りに走ると、車で満車の駐車場が、周囲はホタテアオイで満杯、人混みも半端ない状態だった。満車なので第二駐車場を指定され、バックして車を止める。中華レストラン王将さんのお隣だ。

元々が水田だったのか、浅い池沼のような水面が広がっており、その大半をホタテアオイが埋めている。何万本もあるのだろう、見渡す限りがホタテアオイの群落で、丁度満開の頃合いだ。次から次へと開花するようで、今月一杯ぐらいは鑑賞可能だとか。ほぼ全部の訪問者がカメラを構えており撮影中、人の姿を入れないで写すのに四苦八苦する。保存地区のようで、周囲に民家が無いのが好ましい。バックに山々を見ながら、しばし撮影に熱中する。ホタテアオイは南アメリカ原産の植物で、明治の頃に持ち帰られたとか何とか。繁殖力が激しくて、沼やため池などに密集していたのを覚えている。メダカや金魚の飼育をする際に、集めに回ったものだった。冬場は枯れるようだが、多少でも生き残ってると翌年も大量に繁殖するようで、正直持てあましてるのが現状かも知れない。橿原市などは観光資源としてうまく活用されてる方だろう。

本薬師寺は西暦680年頃、時の天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って建立されたのだとか。現在存在する薬師寺と区別するため、頭に本を付けたのだそうな。所在地は橿原市城殿町、ナビに入力するのなら王将橿原店が便利かも知れません。本薬師寺跡と表示されるように、寺の施設は何も残っていません。見回った範囲では礎石が一カ所残ってるだけでした。時間の都合もあって訪問したのはホタテアオイの群落のみ、他には当たりませんでしたが、周囲は史跡が多数残る歴史地区の模様です。車は止めたまま、徒歩で散策する姿が望ましいかも知れませんね。駐車場の長時間借用は好ましく無いかも知れませんが、ホタテアオイをメインに周囲の史跡群もついでに・・・・・・といった利用法なら許されるかも。まだまだ暑いですが、素敵な青空が広がり始めました。散策には快適な環境となりつつあるようです。
 

夏よさらば

 投稿者:森の子狸  投稿日:2019年 9月 6日(金)06時27分24秒
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  百姓仕事とは、草刈りに始まって草刈りに終わる・・・・そんな迷言を何時しか記述したかと思うが、夏場には特に実感する。雑草の成長が半端では無く、メートルを超えるような事例も屡々なのだ。折々に対処すれば、と気軽に発言されるかも知れないが、作業量と肉体能力とはバランスが取れないのが通常、なかなかおいそれとは参りません。という事で、今年の夏も例年の如く、草ぼうぼうの畑と相成りました。冬野菜の種蒔きシーズンも到来し、遅ればせながら対処していましたが、かろうじて程々の対応が出来たようです。野焼きの場面と相成りました。気軽に燃え上がるかと思いきや、時々のにわか雨により湿っているのか、上がる煙の薄いこと。カンカン照りの光景とは似つかわしくありませんね。暑い時に熱い事例はイヤですが、元気よく燃え上がって欲しいものです。

画像の現場はカボチャ畑だった場所で、今もカボチャの残骸がゴロゴロしています。全部を撤収出来て無くて、炎の熱で溶かそうかと安易な発想をしているのですが、さてさて。冬野菜の種蒔きと上述しましたが、ダイコンなどは8月の下旬がシーズンです。気温にして25度から30度ぐらいが適温、既に蒔いていなければならないのですが・・・・・・。とりあえず今回の作業で、おおまかな雑草処理は終えました。後は耕耘機をかけて畝作り、石灰の散布、元肥の散布といった工程の後に種蒔きとなります。かなりの遅れですね。ダイコンの種蒔きに始まって、終わりが11月中旬のタマネギの植栽やエンドウの種蒔きあたりでしょう。冬野菜から春野菜への対応を終え、秋ジャガの収穫などを行って年内の作業終了、といった案配でしょうか。

お天気はいいのに、雑草の燃え上がりが中途半端で本日中の対処は無理っぽいですね。雑草の残骸が残ったままでは、耕耘機の爪にからみつき、作業が遅ればせとなってしまいます。全部を焼却したいところですが、数日掛かりそうな模様。本日は仲間達の姿も見えません。暑さが厳しいので自宅待機の最中でしょうか。年齢も嵩んで体力的にも厳しい状態、無理はしない方が賢明でしょう。ボチボチと頑張って欲しいものです。人様の心配もさることながら、我が身も暑さに耐えかねています。昨年9月の台風21号による倒壊木により日陰が無くなってしまったのが原因のようです。昨年までは逃げ込める緑陰があって助かっていたのですが。新たな木陰が出来上がるには少なくとも十数年は掛かるでしょう。間に合いそうにもありませんね。
 

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