teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


言語系統はどこまで遡るか?

 投稿者:日本人のルーツ  投稿日:2019年 2月17日(日)05時25分25秒
  >秦野は紀元前3000年頃の記録はシュメールぐらいかな、程度です。シュメール文字が読めない


印欧語でもおよそ1万年前が限界と見られています。

O2で見ると、O2の起源が3万年前。
O2のシナ語族O-JST002611とチベット・ビルマ語族(TB)・テュルク語族O-M134は3万年も開いています。

シナ語族に特徴的なO-JST002611のサブグループ
・O2a1c1b1-(F238)1万年前
・O2a1c1b2-(F1266)

TB語族・テュルク語族に特徴的なO-M134のサブグループ
・O2a2b1a1 (M117/Page23)1万年前=TB語族
・O2a2b1a2 (F444)=テュルク語族

・・・やはり、およそ1万年が限界のようです。
ただ、シナ語族とTB語族は、遺伝系統は異なるものの、相互に影響し合ったと見ています。
 
 

mt-Fについて

 投稿者:日本人のルーツ  投稿日:2019年 2月17日(日)02時47分8秒
  mt-Fについて

日本人に5%ですが、mt-Fは面白いハプログループです。
東南アジアよりもチベット・ビルマ語地域(とくに雲南・湖南)と南シベリアに多い。

このmt-Fの移動ルートと分布は、N1とO-M134に重なります。
実は、東アジアでN1が最も多いのは南東チベットのローバ人です(35%)。O-M117(34%)と併存しています。

南シベリアはFがとても多い地域です。N1もO-F444も南シベリアに多いです。O-M117も一部います(トゥヴァ人に5%)。

mt-Fはケット人にとても多いのですが、アメリカ大陸に行っていないのでy-Q1a2の配偶とは言えなさそうです。
mt-FはN1とO-M134の配偶と見て良いでしょう。

これがmt-Fを東南アジア・ハプロに含めない理由です。
 

本来の集団規模

 投稿者:日本人のルーツ  投稿日:2019年 2月17日(日)02時24分46秒
  yDNAハプロは言語で有効ですが、有力氏族が出るとそのハプロが過剰に出てしまうため、集団のルーツではミトコンドリアDNAハプロで見た方が良いです。

mtDNAで最優勢はmt-Dですが、yDNAのように政治的要因に左右されることが少ないので、文句なしに日本人を代表する集団です。東アジアを代表する集団と重なります。

ペアを組ませた場合、D1b1の配偶はmt-M7、O1b2のはBでしょう。mt-Fも東南アジア系と見られることもありますが、分布で見ると微妙です。むしろ東南アジアに少ない。

yDNAではD1b1とO1b2合わせて7割近いですが、mtDNAで見れば25%以下に落ちます。
この辺りが、本来の集団規模としては妥当な線だと思います。

逆に、N1とO2とC2は日本人の25%ですが、mtDNAで見れば8割近くになります。
yDNAだとO1b2とD1b1の影に隠れがちですが、N1とC2も重要です。

日本人の北方形質、全ゲノムの混ざり具合の割合(admixture)、言語から考えて、この8割は妥当だと思います。
 

東夷

 投稿者:日本人のルーツ  投稿日:2019年 2月17日(日)00時46分12秒
  >そのO1b2が淮水の淮夷と考えうるならば、先に予想した淮水→朝鮮半島西南部→九州へといった流れに対応してきそうです。
また、O1b1との分岐年代について考えていくと、O1b2a1aの年代に、朝鮮半島北部へ陸路で向かうものと、日本、おそらくは朝鮮半島南部へと海上を渡ったものとの二手に分かれたことが想定しうるでしょう。
この年代が、春秋時代末期から戦国時代初期と想定したのですから、紀元前400年前後としておきましょうか。


春秋・戦国時代にはO1b2は既に中国にほとんどいなかったでしょう。

殷末の山東方面には、まず後に紀を建てる羌族がいて、その南東に禹系統の杞がいました。そして紀の東方、杞の北にライがいたのですが、このライはO1b1かO1b2の生き残りかもしれません。

で、私の考えでは、東夷はO-JST002611が主要です。
O-M134に比べて余りO-JST002611について研究されていませんでしたが、最近良く分かってきました。論文を紹介します:
Improved phylogenetic resolution for Y-chromosome Haplogroup O2a1c-002611
Scientific Reports volume 7, Article number: 1146 (2017)

この論文も指摘するように、O-JST002611はチベット・ビルマ語集団には関与しないが、シナ語形成の中核集団と考えられるため重要です。
分布の中心は中国東部にあり、江蘇地区では3人に1人がO-JST002611に属します。いわゆる「劉邦ハプロ」とも言われています。

北部系統と東部・南部系統に分かれます。O-JST002611のO2a1c1b1-F238とO2a1c1b2-F1266の分布が北部に偏っており、東部・南部では1%以下であることが重要です。

このサブグループがシナ語・殷の中核と見ています。
また、遼河集団(N1, O-M134, C2)の南下の前にO1b2集団を北方モンゴロイドがした集団ではないでしょうか。

O-JST002611は日本に5%います。

 

卬が種人

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2019年 2月16日(土)23時47分51秒
  参狼羌は無弋爰剣の後代です。爰剣の孫 ・ 卬が種人 (族人) を連れて南に向かい、賜支河曲の西数千里の地域に移りました。その子孫が分かれてそれぞれの種 (族) を形成しました。https://blogs.yahoo.co.jp/sanokuangxian/37141600.html
『資治通鑑』胡三省注によると、参狼羌は無弋爰剣の後代です。爰剣の孫・卬が種人(族人)を連れて南に向かい、賜支河曲の西数千里の地域に移りました。その子孫が分かれてそれぞれの種(族)を形成しました。例えば、ある者は氂牛種になりました。越?羌がそれです。ある者は白馬種になりました。広漢羌です。ある者は参狼種になりました。武都羌です。
爰剣の曾孫・忍と弟の舞は湟中に留まり、湟中の諸種羌になりました。
参狼羌

参宿は西方を守る霊獣白虎の胸に当たり、十二宮の中では、「夫妻宮」に4足とも属しています。 順応性があり楽天主義、知的好奇心の旺盛な「夫妻宮」の影響を最も強く受ける宿です。https://www.kosei-do.jp/sukuyo/gaiyou.php?yado_no=4
人体の中では、顔の右側の目、耳、頬に当たります。
「参宿」の参とはオリオン座の3つ星から来ていて、この星は華やかに飾られる冬の夜空でひときわ明るい光を放っています。

【天 × 狼星 】 大犬座のα(アルファ)星、シリウスの中国名。https://ja.wikipedia.org/wiki/シリウス
シリウスはまた、おおいぬ座にあることから、Dog Starとも呼ばれている[6]。なお、古代エジプトでは、ナイル川の氾濫時期を知らせてくれる星として、非常に重要な働きをしていた(エジプト神話・ナイル川およびソプデトも参照)[30]。また、南半球のポリネシア人は太平洋上の航海において、冬の到来を示す重要な役目を果たした。
ヘルツシュプルングは、天球上でのシリウス星系の固有運動の観測から、シリウスがおおぐま座運動星団の一員であるとした。おおぐま座運動星団は固有運動を同じくする220の恒星からなり、かつては散開星団であったが現在は互いの重力に束縛されていないグループである[86]。しかしながら、2003年と2005年にかけての研究では、シリウスがこの集団の一員である可能性は疑問視されている。おおぐま座運動星団は5±1億歳程度と見積もられているが、シリウスはこの半分程度の年齢でしかなく、この集団の一員としては若過ぎるためである[5][87][88]。これとは別にオリン・エッゲンによって、ぎょしゃ座β星、かんむり座α星、コップ座β星、エリダヌス座β星、へび座β星からなる Sirius Supercluster の一員であるという説が提唱されている[89]。この星団は太陽系から500光年以内に位置する3つの大きな星団のうちの1つである。他の2つはヒアデス星団とプレアデス星団で、いずれも数百の恒星により構成されている[90]。
シリウスは、ギリシャ語で「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」を意味する「セイリオス(Σείριος, Seirios)」に由来する[23]が、ギリシャ語自体が、古代以前に他の場所から伝来した可能性がある[91]。古代エジプトの神オシリスとの関連も示唆されている[92]。
和名は大星(おおぼし)や青星(あおぼし)、英語では別名Dog Star、中国語では天狼(星) (Tiānláng (xīng)) と呼ばれる。
シリウスには、知られているだけで50以上の名称がある[63]。ジェフリー・チョーサーのエッセイ、A Treatise on the Astrolabe(英語版)に、シリウスは猟犬の頭とされ、Alhadorと記載されている。この名前は西欧のアストロラーベによく使用されている[9]。サンスクリット語では、Mrgavyadha(鹿の狩人)、またはLubdhaka(狩人)と呼ばれた。Mrgavyadhaは、ルドラあるいはシヴァを表しているとしている[94][95]。マラヤーラム語では、Makarajyotiと呼ばれた[96]。
明るい恒星は、太平洋の多くの島や環礁間を移動する古代ポリネシア人にとってはとても重要な存在だった。古代ポリネシア人は地平線の近くにある、高度が低い恒星を、目的地への航路を決めるコンパス代わりにしていた。また、そのような恒星は目印としても役立たれた。シリウスの場合、赤緯は約-17度であり、これはフィジーの緯度とほぼ同じである。したがって、シリウスは毎晩、島の上を通過していく[97]。シリウスは「大きな鳥」を意味するManuと呼ばれる星座の体を構成している。ちなみに、プロキオンは北側の翼端、カノープスは南側の翼端を成しており、ポリネシアの夜空を2つの半球に分けている[98]。古代ギリシアで朝空のシリウスが夏の到来を示すように、ニュージーランドの先住民族マオリはシリウスを「冬」を意味する Takuruaと呼んで冬の到来を告げる恒星とした。ハワイでは、シリウスは「天国の女王」、Ka'uluaとされ、冬至の日に祝いの対象とされた。他のポリネシア人の間でも、シリウスはいくつかの名称で呼ばれてきた。

紫微斗数の「貪狼星」というと、どんなイメージが浮かびますか?
「紫」(英語のバイオレット)の色はモーセの幕屋の中では垂れ幕の刺繍の糸 として、また、大祭司の胸当てのエポデに、金、青、緋色と共に使われている色であり、 その「紫」色は ...
紫 カナンの子孫 フェニキヤ人 ヒッタイトhttps://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3713
ヒッタイト 羌
羌(キョウ=タングート、蔵人)が384年後秦を建国し、わずか33年後に後秦が滅亡(417年)したが、その新羅へ逃亡した民の末裔が秦氏一族であるという説がある。
タジク族もヒッタイト系民族の末裔https://8628.teacup.com/toraijin/bbs/3163
 主は、イスラエルの民に、「アシェラ像、石の柱、バアルなどとは何の契約も結んではならない」、と語っている。しかし、後の時代、王朝が分裂した後のイスラエルでは、モレク崇拝で姦淫と 自分たちの子どもを火で焼いて捧げるという邪悪な風習が蔓延していた。アハブの妻イゼベルは、シドン(カナンの子孫)の王の娘であった。この捧げる場所は、エルサレムでは”ベン・ヒノムの谷”であり、これが「ゲヘナ」の語源となった。「聖絶」は、イエス様が十字架で私たちの身代わりに体験されたものであり、また、「第二の死」(黙20:6)が最終的なそれである。http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000sekaiidennsi3.htm
御柱祭”という、柱(=アシェラ)に子どもをくくりつけて生贄とし、神に捧げるというものである。この御柱祭は、AD804年に桓武天皇の頃から、信濃国の総力を上げて奉仕したそうであり、ネパールの”インドラ・ジャトラ”という”柱立て祭り”が起源であるとされている。これは、① カナンの地のフルリ人 → ② 古代インド(ゲルマン系) → ③ ネパールのインドラジャトラ(柱立て祭) → ④ 日本(諏訪)のように伝わった。
  これらの風習は、旧約聖書とカナンの偶像崇拝が習合しており、古い時代に陸のシルクロードを通って、初め出雲にやって来たのが追放され諏訪の地に来た人々、あるいは、伊勢方面から渥美半島を通って信州へ登っていった人々によるものであり、カナンの偶像崇拝の影響を受けたイスラエル系の人々がもたらしたものであると考えられる。
  長野県諏訪の地には、鉄鐸、鉄剣などの製鉄技術が古くから伝わり、ペリシテ人に滅ぼされるまでアナトリア(トルコ)にいた、ヒッタイト人の文化(BC1450-1200)がこの地に及んでいたことを物語っている。ヒッタイト人の末裔がアブラハムの時代のヘテ人である。
 

チベット高原のD1a

 投稿者:日本人のルーツ  投稿日:2019年 2月16日(土)22時36分44秒
  Reconstruction of Y-chromosome phylogeny reveals two neolithic expansions of Tibeto-Burman populations by Wang et al. Mol Genet Genomics (2018)の図では、青海にD1aがいて「?」と書かれていて、チベット・ビルマ集団に討たれてチベット高原に入るとなっている。

これは違うと思う。
前2000以前の羌族遺跡(甘粛・磨溝遺跡)にD1aもM9aも皆無だから。

D1aは四川からチベット高原に入ったか、あるいはこういうシナリオだと思う:
秦の西方進出に圧されて西部・南部に移動した集団のうち、
例えば青海に移った部族のリーダーが偶然D1aで始祖効果で増えた。

無弋爰剣(むよくえんけん)かもしれない。ただ、M9aの説明がつかないので、やはり、四川からチベット高原に入った先住民先住民ということで良いだろう。または、両方。

なぜ、チベット高原だけにD1aが最大4ー5割と高頻度なのか?

まず、D1aはチベット高原のTBと隣接する集団にしか出ない。
その他のTBでD1aは極低頻度か皆無。従って、D1aは、TB本来のハプログループからは外れる。

では、いつからD1aがチベット高原に拡散したか?

TBを特徴づけるO-M117は6000ー2500年前に出現した。一方、D1a2は、チベット高原に拡がったのは2500年前にしか遡らないので、丁度、無弋爰剣の頃と言って良さそうだ。

無弋爰剣がたまたまD1aで、それが始祖効果となって拡散した。
Based on Y-chromosome analysis in this study, many unique lineages of Tibeto-Burman populations emerged between 6000 years ago and 2500 years ago (Additional files 3: Table S2). The most recent common age of D1a2-PH116, a sub-lineage that spread throughout the Tibetan Plateau, is only 2500 years ago.
(Reconstruction of Y-chromosome phylogeny reveals two neolithic expansions of Tibeto-Burman populations by Wang et al. Mol Genet Genomics, 2018)
 

「羌」の音2

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2019年 2月16日(土)22時15分46秒
  >それとユダヤうんぬん。
「あなた方の部族はユダヤ失われた支族だ、だからキリスト教に改宗しなさい」というのはキリスト教宣教者の常套文句です。現代羌族への布教でも同じことをしてますが、成功しませんでした。

卑弥呼は古代キリスト教の可能性がある、神社(あまつかみ、くみあう)の意味で戦争になる。杜(もり)は卑弥呼(匈奴)の出身地になる。たしか、キリスト教のマクヤは神社の祭殿に似ている。
小生はユーラシアをフン族(匈奴)が席巻した際にユダヤ人を使い統治した。と考えます。その後に終焉し、ユダヤ人は各地で生きる事になる。ユダヤ人の分布が古代のユーラシア帝国になる。

日本人はお宮参りをします、古代キリスト教の洗礼のなごりですか?
 

遺伝子分布2

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2019年 2月16日(土)21時45分0秒
  歴史の流れと遺伝子分布が一致しない、たかが2600年なのに。O1b1、O1b2の理解できず、
3万年、4万年の話しを真面目にするのが学者ですな、関心する所はかける金が違う。
 

遺伝子分布

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月16日(土)21時09分16秒
  みなさん、こんばんは。遺伝子の話で盛り上がっておられるようですね。

昨年、こちらに山海経の国名の分析に関連させて、下記のように遺伝子分布との関係を記載したことがありました。また、その件でご意見あれば、わかちあいいただけると助かります!

(引用)

まずは、先に分析した日本・朝鮮半島、そして中国の淮水周辺のY染色体ハプログループに考えてみると、O1b2が弥生人の遺伝子と考えられているようですが、wikiから引用した図1のように、長江中流域から長江河口、そこから朝鮮南西部、あるいはダイレクトに九州方面へと移動したルートが想定されているようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97#/media/File:Migration_map_of_Y-DNA_haplogroups_in_East_Asia.png

そこで、そのO1b2が淮水の淮夷と考えうるならば、先に予想した淮水→朝鮮半島西南部→九州へといった流れに対応してきそうです。


また、O1b1との分岐年代について考えていくと、O1b2a1aの年代に、朝鮮半島北部へ陸路で向かうものと、日本、おそらくは朝鮮半島南部へと海上を渡ったものとの二手に分かれたことが想定しうるでしょう。

この年代が、春秋時代末期から戦国時代初期と想定したのですから、紀元前400年前後としておきましょうか。

そこで、図によると、その祖先にあたるNOがいた地点は、チベット方面となっており、そこから北方に向かったものがN1で、遼河文明と関連づけられてます。その文明の年代が紀元前6500年前とされます。こちら参照。

日本と遼河文明
ハプログループN、Oに関連する東アジアの民族移動

ハプログループNは日本人全体では1-6%ほどと低頻度であるが、青森県ではN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が7.7%(26人中2人)観察された例がある。遼河文明の遺跡人骨からもN1(N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)を高頻度に含む)が60%以上の高頻度で見つかっており、かつ三内丸山遺跡と遼河文明の関連性が指摘されていることから、遼河人の一部は日本列島にまで進出していた可能性も考えられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97N_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
 

「羌」の音

 投稿者:日本人のルーツ  投稿日:2019年 2月16日(土)19時01分19秒
  >羌族および氐族はチベット系(チベット・ビルマ語派)に分類される。 一方、羌族の言語はインド・ヨーロッパ語の系統(特にトカラ語)であるという説もある。

トカラ語klank(戦車)が「羌」の音に近いからです。
欧米研究者、とくにベックウィズは、なんでも印欧語に語呂合わせして、印欧出自にしたい傾向があるので注意が必要です。
トカラ人と羌族は接触しましたが、即印欧語化されたなんて単純すぎます。

羌の上古音は*qangです。意味は不明ですが、
羌(qang>kiyang、klang、チベット語kyung、kyu、ギャロンk?jo=羊)からかもしれません。羊です。

「羊」は、「アルタイ諸語」と羌語(ギャロン語)で似ています:
・羌語(ギャロン語):k?jo
・テュルク語:qon’>qoy、koy
・モンゴル語:qoni, hon
・満洲語:honi

それとユダヤうんぬん。
「あなた方の部族はユダヤ失われた支族だ、だからキリスト教に改宗しなさい」というのはキリスト教宣教者の常套文句です。現代羌族への布教でも同じことをしてますが、成功しませんでした。


 

レンタル掲示板
/507