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カテゴリ:[ 歴史 ] キーワード: 日本古代史 古代史 渡来人


7603件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。


[7990] サバ王国…「ラーの意志を永遠に実行する」…サバトとは、悪魔崇拝の集会のことである。

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月25日(火)10時30分23秒   通報   返信・引用

インド人,アラブ,フェニキア人は季節風(夏の南西風,冬の北東風)の利用法をすでに知っていた…
旧約聖書やコーランにサバ (シバ) の女王の名が現れ,その文化は北方のセム族との類似が著しい。前 115年からはヒムヤル王国がサバ王国から分離し,3世紀にはヒムヤル王国がサバ王国に代って南アラビアの覇者となる。
【歴史】
 イエメンとハドラマウトは南アラブの原住地で,彼らはここにサバ,ハドラマウト,カタバーン,マイーン,ヒムヤルなどの王国を建設した。これを総称して古代南アラビア王国というが,その絶対年代については定説がなく,最も古いサバ王国は,その王の名がアッシリアの碑文に現れる前8世紀末以前に建国されたとされるが異説もある。古代南アラビア王国は灌漑農業と,ハドラマウト特産の乳香のほか,インド,東南アジアからもたらされた香料を地中海世界に運ぶ遠隔地通商によって栄え,その豊かな香料のゆえに,古代ギリシア・ローマの著作家は南アラビアを〈幸福なアラビアArabia Felix〉と呼んだ。…
【インド洋】より
… 相互交流の始期は不明であるが,アフリカのサバンナ地帯の雑穀類のインドへの伝播や東南アジアからアフリカへの栽培種バナナの伝播は前2000年かそれ以前と考えられており,前2300年ころには,すでにメソポタミア,インダス文明間にペルシア湾経由の沿岸航路が発展していた。紅海沿岸では,前10世紀にイエメンのサバ王国がインドの香料貿易の仲介で繁栄し,さらにフェニキア人,そしてアレクサンドロス大王の遠征以後エジプトを基地としたギリシア人の進出もみた。インド人,アラブ,フェニキア人は季節風(夏の南西風,冬の北東風)の利用法をすでに知っていたと思われるが,1世紀中ごろの《エリュトラ海案内記》は,これを発見したのはギリシア人舵手ヒッパロスHippalosだとする。…
【マーリブ】より
…人口1万3000(1975)。サバ(シバ)の女王で知られるサバ王国(前1000ころ‐前115)の都が置かれたところで,巨大なマーリブ・ダムが築かれた。ダムは数次の修復を経て約1000年にわたって維持されたが,575年崩壊したと伝えられる。…https://kotobank.jp/word/サバ王国-69470#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8
巨大なマーリブ・ダムが築かれた。…

…ダムの水底に沈んだ土地に巣を作っていた蟻…
2600年前の王?巨像の一部発掘 カイロ郊外の住宅地
第26王朝のプサムテク1世とみられる像https://blogs.yahoo.co.jp/sunshine_sound_enterprises/55750574.html
顔がない…
顔がない故に千もの異なる顕現を持つため千の無貌と呼ばれるほか、エジプトで最初に信仰された神無貌の神であり、そのサバト に現れる黒い男であり、預言者であり、核兵器を開発した科学者としても姿を表す。https://dic.pixiv.net/a/ナイアルラトホテップ
 ダムの水底に沈んだ土地に巣を作っていた蟻に、なんの前触れもなく自分たちを滅ぼした膨大な水を流し込んだものの存在や、その意図を理解せよというのは酷なことである。
 宇宙規模で暗躍しているはずなので、他の星の知的生命体の文化にもちょっかいをかけていると思われる。
 大鹿の女神イホウンデーを妻としているほか、従姉妹に影の女悪魔と呼ばれる女神マイノグーラがいる。妻を娶っているが自ら子を産んだりもしている。
 配下にはシャンタク鳥と忌まわしき狩人がいる。また、どの奉仕種族も召喚することが出来る。…

紀元前7世紀前半には既にオリエント世界最大の勢力となっていたアッシリアは、紀元前671年にエサルハドン王の下でエジプトに侵入した。第25王朝の王タハルカ(英語版)は戦いに敗れ根拠地であるヌビアへと追われアッシリアのエジプト支配が始まった。ネコ1世(ネカウ1世)とその息子であるプサムテク1世はアッシリアによってエジプトの太守に任命され、それぞれ「サイスの王」、「アトリビスの王」という地位を承認された。
対して、第25王朝では死去したタハルカに代わって後継者のタヌトアメン(英語版)が体制を建て直し、紀元前664年に失地回復を目指して北上した。ネコ1世はアッシリアの従属王としてタヌトアメンと戦ったが敗死してしまう。ヘロドトスの『歴史』が伝えるところによれば、この時プサムテク1世もアッシリアへの亡命を余儀なくされたと言う。しかしアッシリア王アッシュールバニパルの再度の遠征で同年中にタヌトアメンが撃破されると、第25王朝はエジプトから完全に撤退し、以後再び侵攻してくることは無かった。プサムテク1世は再び王の地位を保証され、一般的にはこの時点をもって第26王朝の成立と見なされる。
オリエントにおけるアッシリアの勢力が縮小に転じると、紀元前653年頃までにはその宗主権下から離脱し、シリア方面への勢力拡大を図った。ヘロドトスの記録によれば、プサメティコス1世はアシュドドを29年間かけて陥落させた(Fall of Ashdod)[4]。一方でこの頃オリエントに侵入したスキタイ人がシリア地方に入ると、プサメティコス1世は「贈り物と泣き落としで」彼らの攻撃を回避したとも言う[5]。

アッシリアの滅亡
一方でアッシリアではアッシュールバニパル王の治世末期頃から急速に弱体化した。東方ではイラン高原を中心としたメディア[6] が勢力を増しつつあり、紀元前625年頃までにはバビロニア総督ナボポラッサルもアッシリアに反旗を翻して独自の王国を築いた(新バビロニア[7])。メディアと新バビロニアは同盟を結んでアッシリアを攻撃し、これを破って首都ニネヴェを始めとした中心地帯を制圧する勢いを見せた。
プサムテク1世はこの事態に対し、かつての支配者アッシリアを助ける道を選び、紀元前616年にはシリアへ出兵して新バビロニア軍と戦戈を交えた。しかし大勢は変わらず、間もなくメディアと新バビロニアの連合軍によってアッシリアの首都ニネヴェが陥落、アッシリア貴族であったアッシュール・ウバリト2世がハランへと逃れた。
その後、プサムテク1世は紀元前610年に没し、息子のネコ2世が王位を継承した。エジプトはその後もアッシリアへの支援を続け、シリアへの再度の出兵に踏み切った。しかし新バビロニア軍との戦いに敗れ、紀元前609年にアッシリアは滅亡することになる。

プサムテク1世(Psamtik I)はエジプト第26王朝の初代ファラオ(在位: 前664年 - 前610年)https://ja.wikipedia.org/wiki/プサムテク1世
土着のエジプト人による最後の繁栄の時代をもたらした。

即位名:ウアフエムイブラー
在位B.C.610~595。即位名の意味は「ラーの意志を永遠に実行する」。プサムテク1世の息子。アッシリア滅亡後もシリアではバビロニアとの攻防が続くが、結局ネカウ2世は兵を引き上げる。シリアでの戦争には敗れたネカウ2世だが、国内では積極的に新しい事業を行っている。その一つはエジプト初の海軍設立であった。ギリシャ人の傭兵を中心に結成、地中海や紅海に配備した。また、ナイル川と紅海をつなぐ運河の建設にも着手した。現在のスエズ運河を2500年も先取りしていたが、完成には至っていない。更にフェニキア人の船乗りにアフリカ大陸を一周させたという記録がある。エジプトはもともと海に関しては得意分野ではなかったが、ネカウ2世はこのような海に関する事業を積極的に展開した斬新なファラオであったと言える。

在位B.C.610~595。即位名の意味は「ラーの意志を永遠に実行する」。プサムテク1世の息子。アッシリア滅亡後もシリアではバビロニアとの攻防が続くが、結局ネカウ2世は兵を引き上げる。シリアでの戦争には敗れたネカウ2世だが、国内では積極的に新しい事業を行っている。その一つはエジプト初の海軍設立であった。ギリシャ人の傭兵を中心に結成、地中海や紅海に配備した。また、ナイル川と紅海をつなぐ運河の建設にも着手した。現在のスエズ運河を2500年も先取りしていたが、完成には至っていない。更にフェニキア人の船乗りにアフリカ大陸を一周させたという記録がある。エジプトはもともと海に関しては得意分野ではなかったが、ネカウ2世はこのような海に関する事業を積極的に展開した斬新なファラオであったと言える。
この戦争が2600年前に聖書にあらかじめ神が書いていたならば、あなたは信じますか?
ロシア トルコ イラン その他の大軍勢がイスラエルに攻め込むその日に、大地震などの超自然な力により、イスラエルは守られます。
アメリカがゴラン高原をイスラエルのものと宣言した今、本当に、このエゼキエル戦争への導火線に火が点いた歴史的な出来事です。




[7989] Re: 近親結婚をしたので…: テイ=サックス病、ニーマン=ピック病 、ゴーシェ病.....D1b1の不妊症・前立腺がん、低身長、ハゲ、妄想気質

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月25日(火)09時50分14秒   通報   返信・引用 > No.7981[元記事へ]

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

クルアーン…その教義はユダヤ教やミトラ教とも密接な関係を持つ
『アッラーフを敬い、クルアーンを敬えhttps://voenpesni.web.fc2.com/songs/Allakh_akbar.html
指輪がお前に、成功をもたらす
魂が宿るその指輪を
無上の贈り物として受け取れ
それには聖なる言葉が刻まれている:
「アッラーフ・アクバル、アッラーフ・アクバル」

マンダ教徒は洗礼儀礼を重視し、その教義はユダヤ教やミトラ教とも密接な関係を持つが、グノーシス的な世界観を持つ。
サービア教徒(サービアきょうと、アラビア語: ??????、英語:Sabians)とは、イスラームの聖典クルアーン(コーラン)のなかで啓典の民として言及されるもののひとつ。または本来のサービア教徒ではないが、諸事情によってサービア教徒を自称したマイノリティー集団。あるいは現在慣習的にサービア教と呼ばれるローカルな宗教に属する人々。https://wpedia.goo.ne.jp/wiki/サービア教徒
サービア教徒はクルアーン中の三箇所で、以下のように啓典の民のひとつとして名を挙げられているが、クルアーンのいうところの「サービア教徒」が、いかなる宗教に属する人々を指した(意図していた)のかは謎とされる。なお、引用文中ではサービア教徒は「サバ人」と表記されている。
まことに、信仰ある人々、ユダヤ教を奉ずる人々、キリスト教徒、それにサバ人など、誰であれアッラーを信仰し、最後の日を信じ、正しいことを行なう者、そのような者はやがて主から御褒美を頂戴するであろう。彼らには何も恐ろしいことは起りはせぬ。決して悲しい目にも逢うことはない。
??『クルアーン』カイロ版2章62節、フリューゲル版2章59節、井筒俊彦訳『コーラン』(上)、岩波書店、1957年、p.21。
まことに、信仰ある人々、ユダヤ教を奉ずる人々、サバ人、キリスト教徒、すべてアッラーと最後の日を信じて義しい行いをなす者、すべてこの人々は何の怖ろしい目にも遇いはせぬ、悲しい目にも遇いはせぬ。
??『クルアーン』カイロ版5章69節、フリューゲル版5章73節、井筒俊彦訳『コーラン』(上)、岩波書店、1957年、p.159。
信仰する人々、ユダヤ教を奉ずる人々、サバ人、キリスト教徒、拝火教徒、多神教徒――復活の日が来れば、アッラーが必ずこれらの間にはっきりした区別をつけ給う。アッラーはあらゆることに立ち会って一切をみそなわし給う。
??『クルアーン』カイロ版22章17節、フリューゲル版22章17節、井筒俊彦訳『コーラン』(中)、岩波書店、1958年、p.169。
古代南アラビアのサバア王国(Sheba)に関連づける説もあるが、より有力視されるのは、イスラーム成立当時のイラク南部に存在したと見られるグノーシス的なキリスト教の一分派、あるいはマンダ教徒をサービア教徒にあてる見解である。
いずれにせよ、アラビア語で「サービア教徒」(?????)という名詞を構成する?、?、? ( s - b - ' )という三つの語根の組み合わせが「水に漬ける」、「水に浸す」などの意味を持つため、クルアーンの指す「サービア教徒」は何らかの洗礼儀礼を持っていたと考えられる。古い文献にはサービア教徒を星辰崇拝者とする記述もあるが、これは後述するハッラーンの「偽サービア教徒」との混同によると思われる。
イラクの「サービア教徒」
マンダ教徒は洗礼儀礼を重視し、その教義はユダヤ教やミトラ教とも密接な関係を持つが、グノーシス的な世界観を持つ。地上や人間を創造したプタヒルは下等神であり、モーセ、イエス・キリストやムハンマドは偽預言者であるとされる。洗礼者ヨハネを崇敬するが、これはイスラーム支配下で啓典の民として信仰を認めてもらうために、ヨルダン川と洗礼との縁から付加されたものとされる。マンダ教徒は今日もイラク南部の大湿地帯からアラブ系住民の多いイランのフーゼスターン地方にかけて分布する。現在のイラク情勢に関する文脈で登場するサービア教徒は、おおむねマンダ教徒のことである。

現代アメリカを中心とするニューエイジ運動では、エイドリアン・ギルバートの著作などによってサービア教徒の信仰がヘルメス思想やミトラ教と結びつけて解釈され、独特の秘教的なイメージで人気を博している。ニューエイジのグループにはサービア教徒を名乗るものも多い。


クルアーン…その教義はユダヤ教やミトラ教とも密接な関係を持つ
『アッラーフを敬い、クルアーンを敬えhttps://voenpesni.web.fc2.com/songs/Allakh_akbar.html
指輪がお前に、成功をもたらす
魂が宿るその指輪を
無上の贈り物として受け取れ
それには聖なる言葉が刻まれている:
「アッラーフ・アクバル、アッラーフ・アクバル」

マンダ教徒は洗礼儀礼を重視し、その教義はユダヤ教やミトラ教とも密接な関係を持つが、グノーシス的な世界観を持つ。
サービア教徒(サービアきょうと、アラビア語: ??????、英語:Sabians)とは、イスラームの聖典クルアーン(コーラン)のなかで啓典の民として言及されるもののひとつ。または本来のサービア教徒ではないが、諸事情によってサービア教徒を自称したマイノリティー集団。あるいは現在慣習的にサービア教と呼ばれるローカルな宗教に属する人々。https://wpedia.goo.ne.jp/wiki/サービア教徒
サービア教徒はクルアーン中の三箇所で、以下のように啓典の民のひとつとして名を挙げられているが、クルアーンのいうところの「サービア教徒」が、いかなる宗教に属する人々を指した(意図していた)のかは謎とされる。なお、引用文中ではサービア教徒は「サバ人」と表記されている。
まことに、信仰ある人々、ユダヤ教を奉ずる人々、キリスト教徒、それにサバ人など、誰であれアッラーを信仰し、最後の日を信じ、正しいことを行なう者、そのような者はやがて主から御褒美を頂戴するであろう。彼らには何も恐ろしいことは起りはせぬ。決して悲しい目にも逢うことはない。
??『クルアーン』カイロ版2章62節、フリューゲル版2章59節、井筒俊彦訳『コーラン』(上)、岩波書店、1957年、p.21。
まことに、信仰ある人々、ユダヤ教を奉ずる人々、サバ人、キリスト教徒、すべてアッラーと最後の日を信じて義しい行いをなす者、すべてこの人々は何の怖ろしい目にも遇いはせぬ、悲しい目にも遇いはせぬ。
??『クルアーン』カイロ版5章69節、フリューゲル版5章73節、井筒俊彦訳『コーラン』(上)、岩波書店、1957年、p.159。
信仰する人々、ユダヤ教を奉ずる人々、サバ人、キリスト教徒、拝火教徒、多神教徒――復活の日が来れば、アッラーが必ずこれらの間にはっきりした区別をつけ給う。アッラーはあらゆることに立ち会って一切をみそなわし給う。
??『クルアーン』カイロ版22章17節、フリューゲル版22章17節、井筒俊彦訳『コーラン』(中)、岩波書店、1958年、p.169。
古代南アラビアのサバア王国(Sheba)に関連づける説もあるが、より有力視されるのは、イスラーム成立当時のイラク南部に存在したと見られるグノーシス的なキリスト教の一分派、あるいはマンダ教徒をサービア教徒にあてる見解である。
いずれにせよ、アラビア語で「サービア教徒」(?????)という名詞を構成する?、?、? ( s - b - ' )という三つの語根の組み合わせが「水に漬ける」、「水に浸す」などの意味を持つため、クルアーンの指す「サービア教徒」は何らかの洗礼儀礼を持っていたと考えられる。古い文献にはサービア教徒を星辰崇拝者とする記述もあるが、これは後述するハッラーンの「偽サービア教徒」との混同によると思われる。
イラクの「サービア教徒」
マンダ教徒は洗礼儀礼を重視し、その教義はユダヤ教やミトラ教とも密接な関係を持つが、グノーシス的な世界観を持つ。地上や人間を創造したプタヒルは下等神であり、モーセ、イエス・キリストやムハンマドは偽預言者であるとされる。洗礼者ヨハネを崇敬するが、これはイスラーム支配下で啓典の民として信仰を認めてもらうために、ヨルダン川と洗礼との縁から付加されたものとされる。マンダ教徒は今日もイラク南部の大湿地帯からアラブ系住民の多いイランのフーゼスターン地方にかけて分布する。現在のイラク情勢に関する文脈で登場するサービア教徒は、おおむねマンダ教徒のことである。

現代アメリカを中心とするニューエイジ運動では、エイドリアン・ギルバートの著作などによってサービア教徒の信仰がヘルメス思想やミトラ教と結びつけて解釈され、独特の秘教的なイメージで人気を博している。ニューエイジのグループにはサービア教徒を名乗るものも多い。
> アッラーフ・アクバル。



[7988] (無題)

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)08時12分26秒   通報   返信・引用

アジアのQなんて見込みないから、止めといた方が良いと思いますね。実は実らないから。時間と労力の無駄です。Qなんて日本にいないんだからツマラナイし。

それより、私が提示したBMACのJとG、K1とR2。
こっちを調べ合った方が絶対面白いって。

Living DNAの日本人10人の結果では、多かれ少なかれ、印欧系やアメリンドじゃなく、「中東系」のゲノムが入ってるんですよ。

1人でやるより複数人で調べ論議した方が良いに決まってる。
本来そういう場じゃないの?研究会って?
今やってるのは、自分の勉強の披露会でしょ。



[7987] Re: Q1aの流れ

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)07時50分50秒   通報   返信・引用 > No.7975[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


> なお、その兄弟系統はカフカスのアゼルバイジャン人が見え、妙なことになっています。フン族、匈奴の西遷と関係するか、あるいはそもそも、この系統の起源がカフカスだったかのどちらかですね。
>

うん、だからそういう「変なこと」に意味持たせても意味ないってことですよ。
起こりうるんですよ、例外は。もっと大局的に見ないとダメ。

Qは南米に行ってるし人類の拡散において重要なハプロですが、ユーラシアでは少ないんですよ。そういうハプロの詳しい移動経路とか推定するの難しいんです。
mtDNAでは私のGがそう。



[7986] トリビア : 黒河=黄河, 黄河=シラムレン=

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)07時20分37秒   通報   返信・引用   編集済

カラスク文化のカラスクとはカラ(黒)・スック(河)の意。
多くのテュルク語ではカラ・スーとなる。

この「黒河」という名称の河はアジアの至る所にある。
ギャロン語地域にも「クロチュ」がある。クロ(黒い)・チュ(河・水)。

黄河をモンゴル語では黒河「カラ・ムレン(現代発音ではハル・モロン)」と呼んだ。
ウィキ:
One of its older Mongolian names was the "Black River",[3] because the river runs clear before it enters the Loess Plateau, but the current name of the river among Inner Mongolians is ?atan Gol (Хатан гол, "Queen River").[4] In Mongolia itself, it is simply called the Šar Mörön (Шар м?р?н, "Yellow River").[5]

今日のモンゴル語では、黄河をシャル(黄色い)・ゴル(河)と呼び、シャル・モロンとは遼河水系の支流を指す。
ウイキ:
遼河には東西に二つの源流があるが、本流は河北省内に源泉を持つラオハ川(老哈河)である。ラオハ川は内蒙古自治区に入り、途中からシラムレン川(Xar Moron、西拉木倫河、モンゴル語: Šira Mören)と合流して西遼河を為し、吉林省方面から流れてくる東遼河と合流した後に遼河となる。




[7985] Re: 【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O-M134】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。 東アジア西方集団O-M134の「もうひとつの血脈」K1(LT)

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)06時43分22秒   通報   返信・引用 > No.7984[元記事へ]

図:東アジア・ゲノムの範囲(Living DNA)

東アジア人の3大クラスターは、チベット高原集団、アムール盆地集団、東南アジア集団(D .ライク『交雑する人類』)。

Family Tree DNAのにチベット高原集団を加え、アムール盆地集団を除いたものと解して良いだろう。

Family Tree DNAでもLiving DNAでも「北東アジア」「東アジア」に華南は含まれず。



[7984] Re: 【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O-M134】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。 東アジア西方集団O-M134の「もうひとつの血脈」K1(LT)

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)06時31分55秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7982[元記事へ]

図2:北東アジア人クラスターの範囲(Family Tree DNA)
図3:カラスク文化の冠称都市カラスック



[7982] Re: 【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O-M134】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。 東アジア西方集団O-M134の「もうひとつの血脈」K1(LT)①

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)04時48分17秒   通報   返信・引用 > No.7976[元記事へ]

まー、こういうこと。
BMAC、カラスク、甘青集団O-M134、羌族O-M117、テュルクO-F444、遼河集団

点線はO1とy-D



[7981] Re: 近親結婚をしたので…: テイ=サックス病、ニーマン=ピック病 、ゴーシェ病.....D1b1の不妊症・前立腺がん、低身長、ハゲ、妄想気質

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)02時39分24秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7978[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

そう。
D1b1の不妊症・前立腺がんも、D1bの移動経路シナ海ランドでの女不足・近親相姦によるものだと解される。
これらは、YAPそのものに起因するのではなく、そういう事情によるのではないかと見てる。


たぶん、D1b1の妄想気質とかも関係するんじゃないだろうか。
D1b1の前立腺がん、低身長、ハゲについては男性ホルモンが影響しているらしい。


インドでもカーストによる弊害が指摘されている。


「地中海病」というのがある。
これは中東に多発するが、日本にも極わずか見られるという。

この患者とネットのDNA人類学サイトで会話する機会があった。
医者は彼女に「シルクロードを通って来た集団由来」だと説明したそうだ。
しかし、彼女に西ユーラシア系ゲノムは1.4%のみ。中東ゲノムは0%。
西ユーラシアゲノム10.5%、中東ゲノム4.1%ある私が発病していないので何となく申し訳なかった。
アッラーフ・アクバル。



[7980] Re: 近親結婚をしたので…テイ=サックス病、ニーマン=ピック病 、ゴーシェ病

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月25日(火)02時30分29秒   通報   返信・引用 > No.7978[元記事へ]

『日本書紀』が書かれた時代、父と娘、兄妹などの近親間や女性の再婚https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3593
日本人やユダヤ人 などによく見られるが、これらの民族の間でも極度の近親婚は忌み嫌われる傾向にある 。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%8F%E5%86%85%E5%A9%9A

ユダヤ人がなぜ遺伝的に知能が高い民族であるかという説明の伏線にもなり ますから、難しいですがついてきてください。http://www.matsumotoclinic.com/column/column_26.html
ユダヤ人には2つの系統があります。それはアシュケナージ系ユダヤ人といわれるドイツやポーランドやロシア系のユダヤ人であります。アシュケナージ系ユダヤ人は混血が少ないといわれています。もうひとつは、セファルディ系ユダヤ人といわれるスペインやポルトガルや北アフリカ系のユダヤ人で混血が多いといわれています。アシュケナージ系ユダヤ人のIQは110~115もありますが、セファルディ系ユダヤ人は他の民族と同じIQであります。アシュケナージ系ユダヤ人のノーベル賞受賞者は世界中の民族の人口比で150倍も多いのです。あらゆる分野においてアシュケナージ系ユダヤ人の頭の良さは実証済みです。なぜ彼らが圧倒的な知的成功を占めたかは色々説明がありますが、私はやはり遺伝子が一番大きい決定的なファクターであると考えます。もちろん逆に有髄神経のミエリン鞘を作る遺伝子が少なければ、先天的な脳疾患になることもあるのです。まさに有髄神経のミエリン鞘の量が多いことが、アシュケナージ系ユダヤ人の知能の優秀さを証明しているのです。

アシュケナージ系ユダヤ人は神経細胞に蓄えられているミエリンスフィンゴ脂質という物質が関与する病気にかかりやすいということも分かっております。このミエリンスフィンゴ脂質は神経細胞軸索の絶縁性の髄鞘を形成していて、電気信号の伝達やシナプスを行う樹状突起の成長を可能にさせるのです。ミエリンを作るスフィンゴ脂質が多すぎると、テイサックス病やニーマンピック病やゴーシェ病などの遺伝的疾患になりやすいのです。ときにはミエリンを作るスフィンゴ脂質が多すぎると死に至るか、少なくとも生殖不可能な病気にかかってしまうのです。このスフィンゴ脂質過剰遺伝子は父親と母親の2人ともが持っているときには、その子供に今述べた深刻な病気や死をもたらす劣性遺伝病を引き起こしますが、父親と母親のどちらか1人だけが持っていると、スフィンゴ脂質の量は高くなりますが、致死的な状態にはならないのです。既に述べたように、このミエリンを作るスフィンゴ脂質の量が多いと、神経信号の伝達が容易になり樹状突起の成長も促され、神経伝達が高速になり、かつ神経突起の枝分かれが多いほど情報が大脳の神経細胞に行き渡り、学習や一般的な知能が高くなるのです。

なぜこのような病気がユダヤ人に多いかといいますと、彼らは民族発祥の昔から他民族と混合することを良しとしなかったからであります。いわばスフィンゴミエリンは多ければ多いほど神経伝達が素早く、しかも漏れることもなく伝えられ、かつシナプスの樹状突起が増えるものですから頭は良くなります。しかしながら、逆にスフィンゴミエリンを作る脂質が多すぎると神経細胞のみならず様々な細胞に脂質が蓄積し、頭は良くても体は悪くなるという遺伝子病を作り出してしまいます。このような遺伝子は染色体を通じて伝えられていきます。ユダヤ教に基づいて民族の純血を継承していくためには、近親結婚しかありません。つまり同じ染色体に乗っている遺伝子が、代々子孫に伝えられていかざるをえなかったのです。
 ユダヤ人がなぜ他民族と混血することを嫌ったのでしょうか?少しユダヤの歴史を勉強しながら考えてみましょう。ユダヤ人が崇拝した神はご存知でしょう。エホバであります。より正しいヘブライ語の発音に近いのはヤハウェであります。このエホバの意味は“万物の創造者”であり“宇宙の統一者”であります。日本語に訳すと、上帝とか天帝とも呼ばれるものであります。まるで中国の古代の皇帝のように聞こえますね。このエホバに選ばれた最も優れた選民が自分たちであると確信したユダヤ人が作り上げた民族宗教がユダヤ教であるのです。まさに差別宗教の典型といえます。いやみな宗教ですね。その起源は明確ではないのですが、皆さんご存知のように、あの有名なモーゼの指導により、ユダヤの民が紀元前13世紀前半にエジプトから脱出し、シナイ山において神エホバとシナイ契約といわれる契約を結んだのがユダヤ教の始まりといわれています。モーゼはこのシナイ山でエホバから十戒を授けられたこともご存知でしょう。モーゼによってここでヘブライ人といわれていた諸部族が初めてイスラエルという民族共同体を形成したのです。イスラエルという言葉は“神が支配する”という意味があります。つまりエホバが支配する国であり、その民族であるというわけです。ヘブライ人もイスラエル人もユダヤ人も同じ民族を示すと考えてください。

残念です。自由、平等、民主主義、資本主義の根幹には嫉妬の情熱が波打っています。


> ユダヤ人って何者なんでしょうか? 白人はアジア人よりも優れているとか、逆にアジア人のほうが白人よりも優れているとかいった言説はくだらないと思うのですが、ユダヤ人に関しては、民族そのものが他の人種より優れ
> ているというか、脳か何かの構造が違うとしか思えません
> https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10180359235
>
> スフィンゴ脂質が関与する病気には、テイ=サックス病、ニーマン=ピック病 、ゴーシェ病などがある。https://ja.wikipedia.org/wiki/アシュケナジム
> いくつかの顕著な遺伝的特徴が見られるが、これはユダヤ人全体ではなくアシュケナジムに限った特徴であり、セファルディムには見られない。[要出典]
> まれな遺伝病であるテイ=サックス病とゴーシェ病の罹患率が高く、一般的ヨーロッパ人の約100倍に達する。また、ニーマン=ピック病(特にA型)の罹患率も高い。
> 高い知能を示す傾向がある[30]。ノーベル賞など著名な科学賞の受賞者には人口比からは考えられないほどのアシュケナジムがいる[31][32] が、おそらくこれも要因の一つとされる。
> 文化人類学者のグレゴリー・コクラン、ジェイソン・ハーディー、ヘンリー・ハーペンディングは、次のような仮説を提唱している。アシュケナジムは神経細胞に蓄えられているスフィンゴ脂質という物質が関与する病気に罹りやすい。スフィンゴ脂質が関与する病気には、テイ=サックス病、ニーマン=ピック病、ゴーシェ病などがある。通常、スフィンゴ脂質が多すぎると、死に至るか、少なくとも生殖不可能な深刻な病気に罹る。ただし、ホモ接合型でスフィンゴ脂質過剰遺伝子を二つ持っていると深刻な病気や死に至るが、ヘテロ接合型で一つだけだとスフィンゴ脂質の量は高いものの、致死的なレベルには至らない。スフィンゴ脂質のレベルが高いと、神経信号の伝達が容易になり、樹状突起の成長も促される。神経突起の枝分かれが多いほど、学習や一般的な知能にとっては好ましいという。[33]
>
> テイ・サックス病が、アシュケナージ系ユダヤ人に多いのはなぜか? テイ・サックス病は、東欧系ユダヤ人(アシュケナージ系ユダヤ人)に好発する。
> 日本人の発症は稀だ。http://healthpress.jp/2016/11/19-2_3.html
> 日本ムコ多糖症患者家族の会
> 日本ニーマン・ピック病の会.https://www.facebook.com/JapanNPD/
> 日本ゴーシェ病の会 https://www.gaucherjapan.com/ゴーシェ病とは/
>



[7979] Re: Q1aの流れ>>>Qのサブグループと語族の対応、O-M134との比較:東アジアのQ1a1は基本的に意味をなさないと言って良い。少なくとも学問の対象ではなし。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)02時23分8秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7975[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> 先日、中国のQ系統について触れましたが、昨晩のQ1bの流れとともに、今回は特に中国に多いQ1aについて、すこし調べてみたいと思います。
>
>


前に投稿しましたが再掲。

(1) Q1a2a1(6桁)が「アメリンド超語族」、エニセイ=ナ・デネ語族に対応(Q-L54)。エニセイ=ナ・デネ語族は可能性は高いが未確定。
ーO2a2b1(O-M134、6桁)。「チベット・ビルマ(TB)=テュルク超語族」に対応。

(2) Q1a2a1c(7桁) がエニセイ語族(Q-L330)に対応。
ーTB語族O2a2b1a1(O-M117、8桁)。エニセイ語族、TB語族ともに確定している。O-M117(xO-M133)は「事実上消滅」という点でもQ-L330と同じ。

(3) Q1a2a1a1 (8桁)が米先住民最大で、チュクチ・カムチャッカ語族、エスキモー・アレウト語族(Q-M3)に対応
ー現代TB語族O2a2b1a1a(TBハプロO-M133、9桁)が、米先住民チュクチ、エスキモーレベルにあたる。
「最大」という点でもQ-M3と同じ。


O-M134「TB=テュルク超語族」はQ-L54「アメリンド超語族」みたいなもの。
つまり、言語接触による言語同盟(類似)の可能性が高いが「遺伝子系統言語論」的には全く有り得ないことではない。

O-M117はおよそ1万3000年に起源。
言語は比較言語学的に遡れてそのくらいが最大限度。印欧語族で1万年前と言われる。
しかし。エニセイ=ナ・デネ語族があり得るとしたら、TB=テュルク・アルタイ系も全く不可能ではあるまい。



再びQ1a2とQ1a1について。
Q1a2は、北匈奴にも通底する「真正な連関」または民族・言語集団との関係を議論できる余地のあるハプログループ。


一方、東アジアに広く見られるQ1a1は、言語との関係においては意味をなさない。Q1a1の言語は、中国では漢語、中央アジア・東南アジアではそれぞれの民族語集団の「不純物」としか言えない。

Q1a1とQ1a2の距離は、O2で言えばO2a1「シナ語集団」とO2a2「羌・テュルク系」ほどに大きく異なっている。
O2a2(O-P201)を羌族系としたのは、O-M188やO-M7がO-M134に近く、言語をTBからそれぞれAN、HMに転換した可能性があるから。

この点において、東アジアのQ1a1は基本的に意味をなさないと言って良い。
少なくとも学問の対象ではなし。





[7978] 近親結婚をしたので…テイ=サックス病、ニーマン=ピック病 、ゴーシェ病

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月25日(火)02時17分32秒   通報   返信・引用

ユダヤ人って何者なんでしょうか? 白人はアジア人よりも優れているとか、逆にアジア人のほうが白人よりも優れているとかいった言説はくだらないと思うのですが、ユダヤ人に関しては、民族そのものが他の人種より優れ
ているというか、脳か何かの構造が違うとしか思えません
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10180359235

スフィンゴ脂質が関与する病気には、テイ=サックス病、ニーマン=ピック病 、ゴーシェ病などがある。https://ja.wikipedia.org/wiki/アシュケナジム
いくつかの顕著な遺伝的特徴が見られるが、これはユダヤ人全体ではなくアシュケナジムに限った特徴であり、セファルディムには見られない。[要出典]
まれな遺伝病であるテイ=サックス病とゴーシェ病の罹患率が高く、一般的ヨーロッパ人の約100倍に達する。また、ニーマン=ピック病(特にA型)の罹患率も高い。
高い知能を示す傾向がある[30]。ノーベル賞など著名な科学賞の受賞者には人口比からは考えられないほどのアシュケナジムがいる[31][32] が、おそらくこれも要因の一つとされる。
文化人類学者のグレゴリー・コクラン、ジェイソン・ハーディー、ヘンリー・ハーペンディングは、次のような仮説を提唱している。アシュケナジムは神経細胞に蓄えられているスフィンゴ脂質という物質が関与する病気に罹りやすい。スフィンゴ脂質が関与する病気には、テイ=サックス病、ニーマン=ピック病、ゴーシェ病などがある。通常、スフィンゴ脂質が多すぎると、死に至るか、少なくとも生殖不可能な深刻な病気に罹る。ただし、ホモ接合型でスフィンゴ脂質過剰遺伝子を二つ持っていると深刻な病気や死に至るが、ヘテロ接合型で一つだけだとスフィンゴ脂質の量は高いものの、致死的なレベルには至らない。スフィンゴ脂質のレベルが高いと、神経信号の伝達が容易になり、樹状突起の成長も促される。神経突起の枝分かれが多いほど、学習や一般的な知能にとっては好ましいという。[33]

テイ・サックス病が、アシュケナージ系ユダヤ人に多いのはなぜか? テイ・サックス病は、東欧系ユダヤ人(アシュケナージ系ユダヤ人)に好発する。
日本人の発症は稀だ。http://healthpress.jp/2016/11/19-2_3.html
日本ムコ多糖症患者家族の会
日本ニーマン・ピック病の会.https://www.facebook.com/JapanNPD/
日本ゴーシェ病の会 https://www.gaucherjapan.com/ゴーシェ病とは/



[7977] 東アジア西方集団O-M134の「もうひとつの血脈」K1(LT)

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)01時46分49秒   通報   返信・引用   編集済

図:T: カラシュ人、フラニ人、ソマリ人


K1のT
ソマリア人:82ー100%
シチリア:18%
アルメニア人:12%
カザフ(バスムル):6%
シベ族:9%
ユグル族(甘粛・青海):6%
チベット族(東チベット):6%
吉林漢族:0.5%

K1のLとTはK2のNOとQRみたいな感じですね。
K1(LT)が、東アジア西方集団の「もうひとつの血脈」だということが分かるでしょう。



[7976] 【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O-M134】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。 東アジア西方集団O-M134の「もうひとつの血脈」K1(LT)①

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)01時19分39秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7973[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


> ブルジョー、エニセイ、デネ語、まったく想像もつきません・・・(笑)
>


図:ブルショー人

いちおう、「ブルショー」人です。Burusho。


K1のL
ブルショー人:48%
カラシュ人:23%
パミール人:16%
ハザラ人13%
ヤグノビ人:10%
パシュトゥーン人:9%
ドゥンガン人:8%
ウイグル人4%
韓国人:0.6%
トルコやシリアで最大50%以上の集団あり





[7975] Q1aの流れ

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 6月25日(火)01時14分56秒   通報   返信・引用   編集済

先日、中国のQ系統について触れましたが、昨晩のQ1bの流れとともに、今回は特に中国に多いQ1aについて、すこし調べてみたいと思います。

まずwiki引用の図1からQ-M120(Q1a1a1)の分岐位置をご確認ください。

図2、3はyfull(https://www.yfull.com/tree/Q/)におけるQ-M120(Q1a1a1)の分岐です。


こうみると、その初期系統のQ-M120*にはペルー人がみえ、その兄弟系統のQ-YP1500には、図にはみえないですが、カムチャッカ人がいます。これは、エスキモーなどに多いQ系統が、新大陸へと渡ったことを示す分布でしょう。

そこからQ-Y515になって、はじめて中国人がみえてきますね。北東ロシアからある時期に中国方面へと南下していったことがわかります。TMRCAが4400ybpになってますから、前2400年で、ちょうど遼河文明の紅山文化と夏家店下層文化の間の時期、縄文後期前半の時期ですね。

そこから分岐するQ-FGC14753*には、henan(河南省) , shaanxi(?西省), jiangxi(江西省)の中国人がみえます。前2者は中原、後者は呉に近い内陸ですね。

それで、先のQ-Y515から分岐したQ-Y558からその下層に中国人が多くみえてくるのですが、Q-Y558*はhunan(湖南省)で、長江沿いで楚のあった地域になります。

その年代TMRCAが4100ですから、先の4400から300年かかって、華南方面へと移住したようにもみえます。

ただ、その下層のQ-F4667Fのhebei (河北省)が1700となり、紀元後300年ごろまでには、北京から遼西方面へと北上したものがいたのかもしれません。

なお、その兄弟系統はカフカスのアゼルバイジャン人が見え、妙なことになっています。フン族、匈奴の西遷と関係するか、あるいはそもそも、この系統の起源がカフカスだったかのどちらかですね。

また、先のY558の兄弟系統のQ-F5088のQ-F5088*に、韓国人がみえてきます。年代は3600ybpですから、湖南省のY558の4100ybpの時代から、500年かかって、韓国へと移動したのでしょうか。あるいはもっと後の時代に中国から韓国へ渡った可能性もありますね。

そのF5508の兄弟系統Y521には、長江北部から山東半島南部のjiangsu(江蘇省)の中国人がみえます。

これが3300ybpですから、先の韓国人の件とあわせて考えると、山東半島付近にこれらの集団がいたように感じます。

そして、そのY521の下層分岐のY564*に、先の楚のhunan(湖南省)が見え、またその兄弟系統のQ-Y37165は、その湖南省の東のanfui(安徽省)の中国人が見えてきますから、これらの集団は、山東方面から南下したのではないでしょうか。

同じく、Y564の兄弟系統のQ-Y555* にも湖南省がみえ、その年代は2100ybpで前漢時代ですね。

またその下層のQ-Y529には、同年代2100のguangdong(広東省)が見え、同じくベトナム人が見えますから、この時期に湖南からさらに南下して中国南岸沿いからベトナムへと流れた集団がいたこともわかります。

こうみると、M120については、主に中国東北部から中原、東南、華南へとやや東寄りに南下していったようにみえます。

YfullのほとんどのQ系統の中国人は、このQ-M120(Q1a1a1)に属していますが、ただ先日お話した雲南、広西のQ系統についてはQ1a1には属しているものの、ウイグルから山西省に多いM25(Q1a1b) の可能性もあり、その辺の区別が課題ですね。

ただ、yfullには今のところ、このM25には中国人は見えてきてないようです。

あと、L940 (Q1a2b)にanhui(安徽省)の3200ybpが見えますが、その兄弟系統のQ-Y48703*はアラブ首長国連邦ですから、この940系統が主に中東インドメインであることを考えると特殊です。

やはり、もう少し雲南方面のQの詳細なデータが欲しいところですね!



[7974] 第1ラウンドR* vs C(xC2)とNO*。第2・3ラウンドR1a vs C2、N1、O-M134。第4ラウンドではロシアR1aによるシベリア征服。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月25日(火)00時32分2秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7971[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。


> つまり、本分症性変動の本化の本化の研究でテストされた1/9andronovo個体は、Y-DNAハプログログループc(xC3)および東アジアとのクラスター類群に属する(または何らかの理由他の理由を有Y-DNAアッセイが報告された)と東アジア人とのクラスター、および残りの7/9アンドロノボ個体は、以前にハプログループR1a1に属すると決定された2人の個体を含むヨーロッパ人と集まっている。これは正しいですか?
>


出典がないので、確かめられないですよ。
でも、大きな間違いは、「ヨーロッパ人」じゃなく、「イラン系アーリア人」ですよ。ヨーロッパ人がアーリアを名乗ったことは一度もないです。ロマン主義が行き過ぎたナチスのは、「自称アーリア人」です。

ウィキには、Extractions of Y-DNA from one individual was determined to belong to Y-DNA haplogroup C (but not C3), while the other two extractions were determined to belong to haplogroup R1a1a, which is thought to mark the eastward migration of the early Indo-Europeans. Of the individuals surveyed, only two (or 22%) were determined to be Mongoloid, while seven (or 78%) were determined to be Caucasoid, with the majority being light-skinned with predominantly light eyes and light hair.[19]とある。

アジア系では、C(xC2)。形質的にモンゴロイドは2割。
アンドロノヴォはそんな感じでしょうね。

C(xC2)はNO*(あるいはK2a*)とともにヨーロッパ狩猟民系です。
シベリアの古人骨では、面白いことに、C(xC2)とNO*とR*が東西入れ替わっています。

南アジアと中央アジアではアルタイ人とクルグズ人にR1aが多いですが、多様性が低いことから、始祖効果だと分かる。アーリア人に犯されたアジア系です。
ちなみに、アルタイ人とクルグズ人のサブグループは違います。アルタイの型はクルグズ人には8%のみ。クルグズ人のR1aはタジク人やパシュトゥーン人と共有。

その後、アジア系が再征服することになります。その時のアジア系とはC2とNOの北方群N1とO-M134です。

第4ラウンドはどうなるか?
中国はその巨大な人口を東シベリアに吐き出せばよいだけ。



[7973] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 6月24日(月)23時32分29秒   通報   返信・引用 > No.7961[元記事へ]

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> > バクトリア・マルギアナ文化というのは初耳ですね。R系統でも下記のwikiによれば、イランに近く、エラムと関わるならば、確かにインダス、シュメール文明ともかかわるでしょうね。エラム文字の話が出ているので、やはり遼河文明とか後の甲骨文字の発生ともかかわっていくでしょう。そして一部は縄文時代後期のそれにもかかわっていく・・・。
> >
>
> バクトリア・マルギアナ文化(通称BMAC)は、二十年前くらいだと一般的に耳にする文化ではなかったでしょうね。ソ連で発見され、ソ連人研究者が研究を進めていた経緯があります。
>
> 最近注目されています。最近と言っても随分と前ですけどね。
>
> シュメールやインダス文明、そこまで拡げる必要はないですよ。縄文人なんてもっての他。y-Dの移動ルートと時代に全然合わないでしょ?笑
>
>

そうでしたか、BMAC、なんとなく重要な気がしますね!しかし、そもそも、私など日本人の基礎知識として、北方遊牧民の世界は、匈奴、チンギスカン、モンゴル帝国、シュメール、ユダヤ、トルコ・・、少し知識を得て、クルガン墓、ゾグド、スキタイ、トカラ、タリム、月氏、敦煌・・くらいの知識しかないものですから、地理観も位置もわからないですし、その言語などまったく見聞きしたこともないですし、理解するのにいろいろ困難がつきまといますよ(汗)もっとうまく説明してくれる人が現れないといけませんね、特に日本古代史世界にては・・・。


> ロシア人は超語族が好きなので、BMACの言語を「シナ・コーカサス超語族」とする人もいます。
>
> BMACとカラスク文化の関係も言われています。ブルショー語とエニセイ語族を結びつけようというものですが、エニセイ語とナ・デネ語族間の音韻対応がブルショー語には見いだせないので頓挫したようです。BMACにもブルショー人にもQ1b2はいませんしね。
>


ブルジョー、エニセイ、デネ語、まったく想像もつきません・・・(笑)


> あ、Qってね、典型的な落人ハプロなんですよ。
> 中央アジアではパシュトゥーン人に結構見られる程度しかいません。
> 結局、他の集団の一部としてしか生き残れなかったのですよ。
> この点、ユダヤにしてもそうで、ディアスポラのユダヤ人は「来る者は拒めません」なんです。
> 落人のQと離散ユダヤ両者の生き残りの戦略が一致して、Qの一部のサブグループがユダヤ人に見られる。
> ただ、それだけのことですよ。
>



そう、その落ち人の世界こそ、まさに歴史ロマンですよ!それも好き嫌いあるとおもいますけど・・(汗)



[7972] Re: セルビア人/セルビア セルビア人は南スラヴ人の一系統。…

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 6月24日(月)23時21分19秒   通報   返信・引用 > No.7964[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

> 怠惰な快楽主義の旗印…「賎民(せんみん)」VS 「選民思想」…「嘆きの壁」…
> 怠…「よろこぶ」?
> 賢い怠け者は無駄な努力を省く方法を考える
> モンテネグロっていう国…「モンテネグロ人=怠惰」
> 「モンテネグロの十戒」…指導者階級?
> 1.人間は疲れて生まれてくる。そして休むために生きているのだ。
> 2.自分自身のように自分の布団を愛せ
> 3.夜よく眠れるよう日中は休息すべし
> 4.働くな。仕事はあなたを死に追いやるのだ
> 5.休息している人を見たなら、助けを差し伸べなさい
> 6.できるだけ少なく働きなさい。もしできるなら他の人にやらせなさい
> 7.木陰は救いである。そこで休むものは未だかつて死んだことがない
> 8.労働はあなたを病いへと導く。若いうちに死んではいけない
> 9.もし突然に働きたいという願いが沸き起こったなら、まず座り、冷静になれ。そのうちその願いは消えるだろう
> 10.飲み、食べている人たちを見つけたなら、彼らに加わりなさい。働いている人を見たなら、すぐさま遠ざかりなさい。彼らを邪魔してはいけないのだ


これ笑えますね!個人的には好きだなー、ガツガツしない生き方!



[7971] (無題)

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月24日(月)22時45分22秒   通報   返信・引用

アンドロノヴォ文化の埋葬から古代Y-DNAの2つのサンプルはR1a1に分類され、もう1つはC(xC3)に分類されていませんか?本研究で東アジア人とクラスター化することが判明したアンドロノボの2人の個人は、いずれもR1a1、R1a1、C(xC3)に属することが判明したアンドロノボ文化の3人の個人のサンプルに属しているのだろうか?もしそうなら、東アジア人とクラスター化するアンドロノボのC(xC3)個人、東アジア人とクラスター化するアンドロノボのR1a1個、東アジアクラスターとヨーロッパの中間体であるタガルのR1a1個の個人が1人いるべきです。クラスター。
東アジア人と一緒にクラスター化するC(xC3)が1人、東アジア人とクラスター化するR1a1、ヨーロッパ人とクラスタ化するR1a1が1つ、すべて同じ考古学的地平線、すなわちアンドロノボが存在するというのは奇妙ではないでしょうか?アンドロノヴォ埋葬における人間の骨格遺跡の現型は、特に異質ですか?
Y染色体の結果を持つ3つのアンドロノボ個体があった(2 R1a1および1 C(xC3)))。R1a1は「ヨーロッパ」、C(xC3)は「東アジア」として登場します。
常染色体の結果を持つ9人のアンドロノボの個人(この研究)、そのうちの2つは「東アジア」として出てくる、7つは「ヨーロッパ」として出てくる。
8人のタガー個体のうち1人が中間体であり、そのうちR1a1 Y染色体を持つ5/6は5/6であったが、6番目は判定されなかった。
つまり、本分症性変動の本化の本化の研究でテストされた1/9andronovo個体は、Y-DNAハプログログループc(xC3)および東アジアとのクラスター類群に属する(または何らかの理由他の理由を有Y-DNAアッセイが報告された)と東アジア人とのクラスター、および残りの7/9アンドロノボ個体は、以前にハプログループR1a1に属すると決定された2人の個体を含むヨーロッパ人と集まっている。これは正しいですか?



[7970] 西方遺跡データのY染色体ハプログループ2

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月24日(月)22時37分36秒   通報   返信・引用

ミトコンドリアの追及では、鉄器時代の始まりに西方でアジア要素が増えていた。
それは予想した匈奴&フン族でなく、それ以前のスキタイ(ヘロドトスの記述にもある東方起源伝承あり)のタイミングだった。
しかもユーラシア大陸の極北、スカンジナビア半島では、もっとずっと早い時点からミトコンドリアの東方要素が増えていた。ただし、現在であっても西方の極北にY染色体C2は存在しない。これはスカンジナビア半島だけでなく、もう少し東まで事情は同じだ。
C2の西方への登場も、スキタイのタイミングだったのか、違うタイミングなのか、それともやっぱりモンゴル帝国なのか?
Rの内訳をよく見ると、最初の頃は多くいたR1bが紀元前2500年あたりからいなくなり、R1aが急激に増えるのを確認できる。*3
特に増えているのは、赤字で表したR1a1a1b2(2016最新版でも同じラベル。変異マーカーだとZ93)以下の系統で、実はこれはインドなどアジア方面で多く、インドのアーリア人と関係するとされるのだ。*4
これはミトコンドリアで変化が観察できたスキタイよりもさらに前の時代であり、実際表にあるスルナ文化Srubnaya時点のミトコンドリアの側には、あまりわかるような変化が見られない。*5
なお、ミトコンドリアC1(アメリカ組)が早い時期から見えるが、これはこの北の地域に古くからいた東方要素だ。
クルガン仮説がインド・ヨーロッパ語族の原郷(Urheimat)と想定する、まさにその場所なのだ。だからヨーロッパの学者が熱心に調べてくれてるわけだよ。
そしてまさにこのR1aこそが、インド・ヨーロッパ語族と関係すると考えられているのだ。
若干東過ぎるサマラが、ヤムナ文化(YamnayaとJamnaは綴りの違い)・スルナ文化・そしてスキタイの範囲だとされ、以前のミトコンドリアのデータなど、いろいろな論文でこの区分として含まれている。
このサマラは、馬で渡れる場所も限られる、地理境界のヴォルガ川の東岸にあるため、むしろ川自体や、すぐ東のSintashta文化(表にあり)、北のウラル語族(トナカイ文化)地域などとの結びつき(ミトコンドリアC1など)を考えるべき、文化の境目となるような場所だと思われるのだが。*6
この地域のミトコンドリアは、最初の頃あまり東方要素が強くなく、紀元前1500年あたりから東方要素が増えてくるようだ。(アメリカ組ではないFも含めて)
しかしY染色体の側は、データが少ない上に時期も限られるが、Q1aが多めに見えるところにR1a(どうやらアジア系)やJ2とか、中央アジアの集団が強い。
そして、ミトコンドリア側に変化が見えても、この南シベリア地域まで来ても、いまだにY染色体C2(旧C3)は見えてこない。
どうもNはいるらしいが。(周囲では既に拡がってるはずなのだ。Nの分布図参照のこと)
データが少ないとはいえ、C2(旧C3)は全然遺跡データの西や北には現れてこない。
ここでバイカル地域が、さらに古い時代にマリタ遺跡のRがいた場所だということも思い出していただきたい。
なお、この地域のY染色体データ(時代は1800BC-100AD)はミトコンドリアで扱った論文にもあった。これは一つを除いて全部R1a1で(これ以上分析されず)、しかし最初の古めの年代のサンプルは唯一C(xC3)とされ、するとこれは現在のC1にあたり、これは注目にあたるかもしれない。
まあ、ロシアのKostenki遺跡からも出ていた、現在のインド西部に多いC1b系統のような気はするが。
C1b系統はオーストラリアにも相当に早い時期に到達していた。C1a系統もヨーロッパの西の端にいて日本にいて、実はアフリカのベルベル人でも見つかってる。二つ合わせたC1系統は、クロマニヨンより古い時代に、かなり世界に拡がってたようだ。
鉄器時代になって早速ハンガリーに現れるNが面白い。ハンガリー語もウラル語族で、マジャール人も元はウラル山脈あたりにいたと言います。サマラのことを思い出してください。名前もどこか似たフィンランドなんかはNが過半数を超える国ですが、ウラル語族の下にフィン・ウゴル語派(Finno-Ugric)があって、そこにフィンランド語もハンガリー語もあるでしょう?http://digx.hatenablog.com/entry/y-plus2



[7969] Re: 東アジアの防波堤

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)21時59分28秒   通報   返信・引用 > No.7968[元記事へ]

防波堤を破って出てきた彼らを迎え撃ったのが、戎族・羌族の方々である。



[7968] 東アジアの防波堤

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)21時50分5秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7967[元記事へ]

防波堤:C(xC2)、O-M134、N1、G、J、K1(LT)、R2

侵略者:イラン系騎馬遊牧民R1a、牧畜民R1b


それをワザワザ来て欲しかったと願う人もいるからなぁ。
何と言うか・・・



[7967] Re: アンドロノヴォ文化はカラスク文化(紀元前1500-800年頃)に引き継がれる。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)21時34分1秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7965[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

ウィキ日本語版:
バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)こそが原インド・イラン民族の文化であるとする主張もある(サリアニディSarianidiら)。
サリアニディは「考古学的データから、アンドロノヴォ文化のBMACへの侵入はごくわずかであった」[3]という。

ーーーBMACもカラスクもイラン系アーリア人ではないね。アンBMACにはR1aは皆無。カラスクはR1aが半数を占めるが、侵入と解される。
英語ウィキ:Other studies confirm that during Bronze Age in areas to the north of present-day China, the boundary between Caucasoid and Mongoloid populations was on the eastern slopes of the Altai, in Western Mongolia.[33][34]
Extractions of Y-DNA from one individual was determined to belong to Y-DNA haplogroup C (but not C3), while the other two extractions were determined to belong to haplogroup R1a1a, which is thought to mark the eastward migration of the early Indo-Europeans. Of the individuals surveyed, only two (or 22%) were determined to be Mongoloid, while seven (or 78%) were determined to be Caucasoid, with the majority being light-skinned with predominantly light eyes and light hair.[19]

In June 2015, another genetic study[38] surveyed one additional male and three female individuals of Andronovo culture. Extraction of Y-DNA from this individual was determined to belong to R1a1a1b2a2 (Z93, clade Z2121).[39] Extractions of mtDNA were determined to represent two samples of U4 and two samples of U2e.



「南シベリアとカザフスタンではアンドロノヴォ文化はカラスク文化(紀元前1500-800年頃)に引き継がれる。この文化の担い手は非印欧民族といわれる一方で、原イラン民族との推定もある」。

ーーーとウィキ日本語版にあるが、出典不明。一方、ウィキ日本語版の「カラスク文化」では、これをモンゴロイドの文化としているが、出典が一切ない。

ウィキ日本語版の限界だね。
せめて英語版読め。読めないのか?


Karasuk Culture

The Karasuk culture describes a group of Bronze Age societies who ranged from the Aral Sea to the upper Yenisei in the east and south to the Altai Mountains and the Tian Shan in ca. 1500?800 BC.[1]

The Karasuk period persisted down to c. 700 BC. From c. 700 to c. 200 BC, culture developed along similar lines. Vital trade contact is traced from northern China and the Baikal region to the Black Sea and the Urals, influencing the uniformity of the culture.[3] The Karasuk was succeeded by the Tagar culture.[2][4].


Extractions of Y-DNA from two individuals were both determined to be of Y-chromosome haplogroup R1a1, which is thought to mark the eastward migration of the early Indo-Europeans.[2]



[7966] スキタイ人の女神アルテミス

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月24日(月)14時15分30秒   通報   返信・引用

バルバロイのサイトによると、アルテミスは「偉大なる雌イヌ」という呼び名ももっていたという。そしてアルテミスが狩をする時に同行した巫女たちが「聖なる雌イヌ」とされ、アラン(Alani)と呼ばれていた。同様に、アルテミスを信仰しているスキタイ人たちも、ギリシア人にすればこの猟犬と同じであり、スキタイ人をさすギリシア語として「アラン」と呼んできたこともあるそうだ。
スキタイの血を継承していると言われるオセット人の男のシャーマンが、神霊の象徴力をあらわすために“神の妻”となるための女の衣裳をまとったり、“女の声”を発することがあると書いた。
勇猛たる騎馬民族のスキタイが巫女のように振る舞うと考えると、ちょっとイメージが崩れてしまうが、ここには彼らのアルテミス信仰の名残があるのかもしれない。
金細工で有名なスキタイ美術においては、鹿などの野生の動物をモチーフとしたものが多いが、アルテミスは、その中で唯一モチーフにされた女神だ。紀元前7世紀頃のものと推定されるシュルツ4号墳出土の銀鏡には、豹やライオン、スフィンクスや熊などの野生動物のともに、有翼の女神が両手に豹をぶら下げている形で表現されている。
野獣を従える女神としては、大地母神キュベレーなどを思い浮かべるが、遊牧騎馬民族のスキタイの所有物であり、シャーマニズムの大事なアイテムの一つである鏡であることを考えると、狩と森の女神であるアルテミスである可能が高いだろう。
アマゾーンとアルテミス
アマゾーンは馬を飼い慣らし弓術を得意とする狩猟民族で、狩猟の女神アルテミスを信仰していた。
神話上では軍神アレースとニュンペーのハルモニアーを祖とする部族で、当時のギリシア人にとっては北方の未開の地カウカソス、スキュティア、トラーキア北方などの黒海沿岸に住んでいた。ちなみに軍神アレース自身も実際はトラキア地方出身の神である。
スキタイの由来として下半身が蛇女であるエキドナとヘラクレスの子とする説…

エキドナは、下半身が蛇の女性です。 背に翼が生えた姿で描かれることもありますが、そちらは他と混同された結果かもしれません。https://replita.com/monster/echidna
エキドナは、元々スキタイ(イラン系の遊牧民)の女神だったという説もあります。
ヘラクレスがゲリュオンの牛を追っていたときのこと。
無人の辺境スキュティアの地で、エキドナとヘラクレスが出会って3人の子供をつくり、末子がスキタイ人の王になったという伝承も残っているのです。
【閑話】迷子のヘラクレス
エキドナとヘラクレスが出会ったとされるスキュティアは、黒海の北、ロシアに近いウクライナ辺りですが、他にもゲリュオン探しの途中に立ち寄ったとされる場所があります。
それはスペインの南、アフリカとの間にあるジブラルタル海峡です。
伝説によると、昔々スペインとアフリカは山脈で陸続きでした。
しかし、山登りが面倒だとヘラクレスが殴りつけ、山を崩くずしてしまったのです。
このとき、山はもちろん地面まで削れてへこみ、海水が流れ込んで大西洋と地中海がつながってしまいました。
この海峡を挟んで別れた2つの山は、合わせて「ヘラクレスの柱」と呼ばれています。
ヨーロッパの北からアフリカまでも駆け回ったヘラクレスは、大洋の島国(スペインが有力)でようやくゲリュオンを見つけたのです。

スキュティアの用語解説 - 西はカルパチ山脈から東はドン川にいたる黒海北方の草原地帯,ギリシア人のいうスキュティアSkytia地方に居住した騎馬遊牧民族。https://kotobank.jp/word/スキュティア-1346398
…ローマ帝国のもとでスキタイ王国は崩壊した。…
ローマ帝国の奴隷にされた…
英語の奴隷(スレイブ、slave)http://efli.hatenablog.com/entry/2016/07/30/112157
ロシア、ポーランド、チェコスロヴァキア、クロアチアなどの人々を総称してスラブ人(slav)といいますが、これを最初知ったとき、何だか英語の奴隷(スレイブ、slave)と似た言葉だなと一瞬、思いました。いやいやいや、偶然の一致だから、スラブのみなさま失礼しましたと内心で訂正しましたが、その後、辞書で調べたら、なんとslaveの語源は本当にスラブ人でした。
英単語SLAVEという言葉の語源は、中世ラテン語SCLAVUS(スクラヴス)で、この単語はズバリ、スラブ人を指しています。中世初期に多くのスラヴ人がローマ帝国の奴隷にされたことから、この言葉ができあがったようです(※プログレッシブ英和辞典)。
ローマ羅馬…新羅…
鉄と騎馬文化~スキタイから日本への伝播経路https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11998474744.html
「スキタイ」は古代ギリシア人によってこの地域の諸部族をまとめて指す際に使われた呼称でもあり、スキタイが滅んだ後も遊牧騎馬民族の代名詞として「スキタイ」の名は使われ続けた。
スキタイは、紀元前7世紀ごろ、史上初の騎馬民族軍団を組織してギリシアの植民都市と交易し、周辺諸国家を支配した。スキタイ文化の影響はユーラシアの草原地帯に広がり、東は中央アジアのサカ、烏孫、月氏、モンゴル高原の匈奴などの騎馬遊牧民の国家を出現させる原動力となった。
伽那人は、倭人と共に日本列島に渡来・移住…
紀元前2世紀末から4世紀にかけて朝鮮半島南部に存在した。後の任那・加羅と重なる場所にあった地域。三世紀には12カ国に分かれていて「十二国また王あり」という。その12国の中で狗邪国・安邪国・半跛国・弥馬邪国が強国だった。大雑把にのちの任那、現在の慶尚北道・慶尚南道のうち、ほぼ洛東江より西・南の地域である。言語は馬韓と異なり辰韓と類同していた。鉄の産地であり、韓、濊、倭などが採掘していた。倭人とも習俗が似ており、男女とも入れ墨をしていたとある。武器は馬韓と同じであった。6世紀代に百済と新羅の激しい侵攻を受け滅亡。伽那人は、倭人と共に日本列島に渡来・移住した。
3世紀までの日本と5世紀以降の日本とでは、文化が劇的に変わった。3世紀までの日本は小さな国単位の農耕文化だったが、5世紀以降の日本は中央集権的な古墳文化へと姿を変え巨大墳墓からは黄金の装飾品、王冠、首飾り、腕輪、指輪などのきらびやかな品が多く出土している。また、馬具、鉄製の鎧、矢尻が多数出土している。そのため4世紀を「謎の4世紀」と呼ぶ。https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11998474744.html

「スキタイ考古学」進展に大きな業績をあげたソ連の研究者たちは、竪穴(たてあな)古墳文化から地下横穴古墳および後期木槨墳(もっかくふん)文化への過程を経てスキタイ文化が出現したと主張している。スキタイ文化圏は、スキタイ型古墳(クルガン)の分布する範囲とほぼ一致し、その範囲は古代の著述家がスキティアScythiaとよんだカルパティア山脈とドン川の中間域にあたる。

…日本神話が,《古事記》と《日本書紀》に見られるような皇室の王権神話の体系に形成されつつあった時期に,日本がもっとも密接な交渉を持った地域は朝鮮半島だった。当時の朝鮮半島では,イラン系の遊牧民スキタイ人のあいだで発生してユーラシアのステップ地帯の全域に広まったいわゆる〈騎馬民族〉の文化が受容され,とくに支配層に強い影響を及ぼしていた。そのスキタイ人は,彼らの居住地だった黒海の沿岸に建設された多くのギリシアの植民市を介して,ギリシア人と盛んに交易し,ギリシア文化の影響を受けていたことが知られている。…https://kotobank.jp/word/スキタイ-83516

「スラヴ人は、古代の人々がスキタイ人、サルマチア人、ゲルマン人と呼んでいた人々が混じり合うことにより形作られた」

スラブ人 (スラヴ人:Slavs) とは、インド・ヨーロッパ語族バルト・スラヴ語派の中でも、スラヴ語派に属する言語を話す人々のこと。https://world-note.com/slavs/



[7965] アンドロノヴォ文化はカラスク文化(紀元前1500-800年頃)に引き継がれる。

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月24日(月)11時31分23秒   通報   返信・引用

アンドロノヴォ文化(アンドロノヴォぶんか、Andronovo culture)とは、紀元前2300年から1000年頃の青銅器時代に、中央アジアステップ地帯からシベリア南部の広い範囲に見られた、類似する複数の文化をまとめた名称である。単一の文化ではなく、文化複合またはホライズンと呼ぶ方が適切である。インド・イラン語派の言語を話すアーリア人との関係が有力視されるが、インド・イラン方面の古文化と直接結び付かないとする批判もある。
アンドロノヴォは1914年に墳墓の発掘調査が行われ、屈葬された人骨や装飾土器が発見されたエニセイ川流域に属するアチンスク付近の村の名である。
その後
シンタシュタ・ペトロフカ文化は東方のフェドロヴォ文化と南方のアレクセーエフカ文化に引き継がれ、これらもアンドロノヴォ・ホライズンの一部と見なされている。
南シベリアとカザフスタンではアンドロノヴォ文化はカラスク文化(紀元前1500-800年頃)に引き継がれる。この文化の担い手は非印欧民族といわれる一方で、原イラン民族との推定もある。
西端部ではスルブナヤ文化に引き継がれるが、これは部分的にはアファナシェヴォ文化にも由来する。この地域で初めて歴史に登場する民族はキンメリア人とサカまたはスキタイ人で、アレクセーエフカ文化の後、アッシリアの記録に現れる。彼らは紀元前9世紀頃ウクライナに、また紀元前8世紀頃カフカス山脈を越えてアナトリアとアッシリアに現れた。また西ではヨーロッパに移動してトラキア人やシギュンナイ人Sigynnae[5]となった可能性がある。

ハプログループR1b (Y染色体)が91.5%の高頻度で検出
ヤムナ文化(ヤムナぶんか、英語:Yamna culture、もしくはヤームナヤ文化、竪穴墓文化、黄土墓文化とも)は、紀元前3600年ごろから紀元前2200年ごろにかけてドナウ川とウラル山脈の間の広大な地域にわたって存在した、銅器時代の文化圏。中心地はウクライナhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ヤムナ文化。
ヤムナ文化の起源は、ヴォルガ川中流域のクヴァリンスク文化と、ドニエプル川中流域のスレドニ・ストグ文化にあるとみられている。乗馬用の馬と、家族移動用の牛車とから、移動は大変容易であったと推測され、広大な地域にヤムナ文化が広まったのはこのためであると考えられている。ヤムナ文化の様式の墓地は、東方においてはウラル山脈の東麓でも発見されることから、アルタイ山脈やエニセイ川の地域に存在したアファナシェヴォ文化の由来がヤムナ文化やその周辺のヨーロッパ・ステップ地帯の諸文化にある可能性も否定できない。また西方においては、ルーマニア、ブルガリア、セルビア、ハンガリーにまたがるドナウ川河口地域の一帯に広がっている。

クルガン仮説に否定的な研究者は、ヤムナ文化はインド・イラン語派の起源であると考えている。しかし、ヤムナ文化は西方では横穴墓文化(英語版)(英語:Catacomb culture)、東方ではポルタフカ文化(英語版)(英語:Poltavka culture)およびそれに次いでスルプナ文化(英語版)(英語:Srubna culture)に受け継がれ、これらの文化はおそらく東方のシンタシタ文化やアバシェヴォ文化(英語版)などからの影響を強く受けながら西方の横穴墓文化に取って代わって、縄目文土器文化や球状アンフォラ文化との接触地帯で、その地におけるこれら2つの文化の担い手に文化的・言語的影響を及ぼし、そのあたりでベログルードフ文化(ロシア語版)(英語:Belogrudov culture)が発生、トシュチニェツ文化を経て、いわゆる農耕スキタイとして有名なチェルノレス文化へと発展していく。
このことは、本来はケントゥム語で、かつ縄目文土器文化や球状アンフォラ文化を基層[1]としていたと推測されるスラヴ語派やバルト語派の祖語[2]が東方のインド・イラン語派の言語的影響を受けてサテム語へと変化していった経緯を示唆している。ここではヤムナ文化はインド・イラン語派の文化ではあるがその語派の起源ということではなく、中央アジアのステップ地帯で政治的な力をつけたインド・イラン語派の担い手の集団が次々と西方へ進出して落ち着いた先である東ヨーロッパのステップ地帯に広く発展したステップ文化であるということになる。ここではクルガン仮説の問題点とされていたものは解消され、球状アンフォラ文化とともにヤムナ文化が後期インド・ヨーロッパ祖語時代の、ヨーロッパにおける中核的文化[3]であったという広く定着している認識に矛盾は生じない。
ヤムナ文化の人骨からは印欧語族系民族に高頻度なハプログループR1b (Y染色体)が91.5%の高頻度で検出されている[4]。
おそらくヤムナ文化はイラン語派の系統の遊牧民が優勢な文化であったろうと推測される。



[7964] セルビア人/セルビア セルビア人は南スラヴ人の一系統。…

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月24日(月)10時04分27秒   通報   返信・引用

怠惰な快楽主義の旗印…「賎民(せんみん)」VS 「選民思想」…「嘆きの壁」…
怠…「よろこぶ」?
「台ダイ」 <スキで大地を起こし始める>
「ムシ(スキ)+口サイ」の会意。ムは大地を耕すスキ、口は神に祈る言葉を入れる器。台はスキを祓い清めて豊作を祈る儀礼。生産を始めるときの儀礼である[字統]。台を音符に含む字は、スキで生産を始める意から、「行動をはじめる・きざす」また、スキで大地を掘り起こして柔らかくする意から「やわらかい」イメージを持つ。https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/40334e1d50763cb0661e877626a8b32b
高の変形の上部(高い)+至(いたる)」…天国?
「怡」 解字:形声。意符の心(こころ)と音符の台(よろこぶ意)とから成る。「よろこぶ」意。 http://shoukei.blog65.fc2.com/?mode=m&no=81
惰…
「?ダ」 <くずれる> と 「隋ズイ」 <だらりとした祭肉>
解字 「阝(はしご)+左左(工具を持つ多くの手)」の会意。梯子(はしご)で城壁に登った兵士が、工具を持つ多くの手によって城壁をこわすこと。城壁が破られて落城した形と考えられる。
意味 (1)くずれた城壁。 (2)壊す。破壊する。
イメージ  「くずれる」
「?ダの略体(くずれる)+月(にく)」の会意。祭礼に供えた肉がだらりとくずれるさま。祭礼がおわったあとの残り肉の意。元の意味でなく中国の王朝名として使われる。隋を含む音符は「くずれる」「だらりとする」イメージを持つ。
意味 (1)中国の王朝名。「隋ズイ」(分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した王朝。581-618年。日本と国交を結んだ)「遣隋使ケンズイシ」 (2)祭りの肉の余り。 (3)おちる(=堕)。 (4)おこたる(=惰)
イメージ  「中国の王朝名」 (隋)
       ?ダの意味である 「くずれる」 (堕)
       供えた肉が 「だらりとする」 (惰・随・髄・楕)
随  ズイ・したがう  之部
解字 旧字は隨で、「之(ゆく)+隋(だらりとする)」 の会意形声。相手にだらりとよりかかるようにして行くこと。主となる人にしたがって行く意となる。また、相手に頼りきるので、その保護の範囲で自由にすること。親に頼り切った子が自由にしているのと同じ。新字体は工が取れた随になる。
意味 (1)したがう(随う)。ともにする。「随行ズイコウ」「随員ズイイン」「随一ずいいち」(随う者のなかで一番、転じて多くの者のなかの第一位) (2)思いのまま。「随想ズイソウ」「随筆ズイヒツ」「随意ズイイ」(心のまま)
主となる人にしたがって行く…奴隷…

奴隷の用語解説 - 人格としての権利と自由をもたず,主人の支配下で強制・無償労働を行い,また商品として売買,譲渡の対象とされる「もの言う道具」としての人間のこと。https://kotobank.jp/word/奴隷-106778
「もの言う道具」としての人間…

賢い怠け者は無駄な努力を省く方法を考える
「怠惰」は不労所得を手に入れるために必要な美徳https://20sinvest.com/unearned-income-and-laziness
三大美徳のうちのひとつ、「怠惰:Laziness」がプログラマーに必要な理由が、不労所得生活者になるということにもつながるところがあるな~。
怠け者でも本を読む理由。 「知識は人を自由にする」ということ

日本から遠く離れた国に日本を大好きな人たちがいた|「セルビア共和国」で物価安に驚く!https://courrier.jp/news/archives/76896/
なんと、セルビアはヨーロッパでも有名な美食の国だったのだ。

モンテネグロ社会主義共和国https://ja.wikipedia.org/wiki/モンテネグロ社会主義共和国
国名からも「社会主義」の語が外された。1992年にこの国名変更は発効し、モンテネグロ共和国となった。

セルビア人/セルビア セルビア人は南スラヴ人の一系統。7世紀頃バルカン半島西部に国家を建設した。https://www.y-history.net/appendix/wh0602-063.html
東方教会の中のセルビア正教会を国教とし、ロシアとは親密な関係が続くが、オスマン帝国の支配を長く受け、またオーストリア・ブルガリア・トルコなどの近隣勢力とは長く抗争を続けた。

シオニズムによって建てられたイスラエルの指導者階級は、ロシア、ポーランドを中心とする東欧系ユダヤ人(アシュケナジーム)とその子孫である。
イスラエルの指導者階級は、ロシア、ポーランドを中心とする東欧系ユダヤ人(アシュケナジーム)

モンテネグロっていう国…「モンテネグロ人=怠惰」
「本当にモンテネグロ人は怠け者。というよりを怠惰を愛する人たちなのかもしれない。」という気がしてきます。
旧ユーゴスラビア連邦の一部であり、2006年にセルビア・モンテネグロ共和国から独立した人口62万人(2013年)ほどの小さな国です。アドリア海沿いの風光明媚な景色が自慢で世界遺産もあり、お金持ちのロシア人がこぞって別荘を持つ観光地でもあります。https://ruuski.net/life/montenegro-10-commandments-lazy-people/
モンテネグロ人の国民性…それが怠惰。
怠惰であることは、度合いによっては勤勉や努力家なタイプの人間には必要な要素であるとも言えます。怠惰な側面を活かしつつも活躍できることも十分にありえます。
たいだ【怠惰】とは。意味や解説、類語。[名・形動]なまけてだらしないこと。また、そのさま。「怠惰な人」https://uranaru.jp/topic/10188 https://uranaru.jp/topic/10188
怠惰な人というのはときめく事が少ない分、現状にはそこまで不満がありません。なので、怠惰な人と付き合うということは将来のことや高い目標をあてがうのでは無く、刹那的に今を評価すると付き合いやすくなると思われます。長い間ニートのような生活をしていて、やっと就職面接に挑もうとしたり、ヒゲを剃って身なりを整えたりと「実行」したことを評価するのが良いでしょう。
ですが、普段から行動的で怠惰な所が部分的にある場合の人には、実行では無く頑張っている時の度合いを評価してバランスを保てるような付き合い方をするのも付き合い方の一つです。
怠惰そのものの言葉や意味に対しては、ネガティブなものではありますが、時と場合によっては必要なものでもあります。怠惰と思う人は、実は完璧主義者であったり、目標設定が高過ぎるが故の場合もあります。勤勉で努力家な人の方が尊敬できるし、素晴らしいとは思いますが、怠惰な面を持ちつつもそれ以上に素晴らしく活躍している人もいます。

「食っちゃ寝」を繰り返す姿に、お世辞にもスマートとは言えない見た目も加わって、非常に不浄・不潔で怠惰な生き物に映ったのだろう。
豚を食べると豚になってしまう・・・
こうしたいやしい習性や醜い見た目、不浄・不潔な豚の生活スタイルそのものが、ムハンマドから禁忌の烙印を押される直接的な原因になったとみる学者は非常に多い。
家畜としての価値http://world-news.beauty-box.tokyo/entry/2015/08/31/193000
古代エジプトの影響
豚の飼育者は卑しき身分の「賎民(せんみん)」…
ユダヤ教では旧約聖書レビ記において、「(四足の獣の中で)反芻しない動物」という理由から、豚は不浄な動物(食することはタブー)とされている。(馬・ロバ・ウサギなども同様の理由から
※「ハラール(ハラル)」とはアラビア語で「合法の/許された」の意だが、ハラール(ハラル)フード認定機関には世界的な統一基準がない為、国や機関によって審査内容に差があるという問題もある。
「モンテネグロの十戒」…指導者階級?
1.人間は疲れて生まれてくる。そして休むために生きているのだ。
2.自分自身のように自分の布団を愛せ
3.夜よく眠れるよう日中は休息すべし
4.働くな。仕事はあなたを死に追いやるのだ
5.休息している人を見たなら、助けを差し伸べなさい
6.できるだけ少なく働きなさい。もしできるなら他の人にやらせなさい
7.木陰は救いである。そこで休むものは未だかつて死んだことがない
8.労働はあなたを病いへと導く。若いうちに死んではいけない
9.もし突然に働きたいという願いが沸き起こったなら、まず座り、冷静になれ。そのうちその願いは消えるだろう
10.飲み、食べている人たちを見つけたなら、彼らに加わりなさい。働いている人を見たなら、すぐさま遠ざかりなさい。彼らを邪魔してはいけないのだ
セルビア人も「働きすぎは奴隷みたいでよくない」というのがメンタリティに染みついている、という話は聞いたことがあるので、どうもこのバルカン半島の人たちには 「ガツガツ働かずに暮らしている=豊か」 みたいな構図があるのかもしれません。

ユダヤ人は、ユダヤ教を作った民族で、ユダヤ教はおそらく人類の文明史の中で初のはっきりした一神教と言えます。当時はユダヤ人の多くがエジプトのファラオの元で奴隷となっていた時代だと言われています。紀元前13世紀くらいのことです。当時のエジプトは世界の最先進国ですから、ピラミッドを作ったり、大変な技術を持って、国力を有し、繁栄を享受していました。大エジプトには巨大なナイル川があって、1年に一回大氾濫をしました。氾濫をしたあとナイル川流域は沃野になり、いろいろな栄養分を含んだ土が残るので、作物が豊かに生育する。ですからエジプトにはある意味ではそれほど働かなくても大きな民族が生きていける有利性がありました。エジプトは大先進文明国であったわけです。
 そのエジプトでパレスチナから逃れてきたユダヤ人たちが、囚われの身になって奴隷として苦しい生活を送っていました。その中でユダヤ人たちはこの苦境から救い出されないものかと考えたようですが、大変頭のいい民族ですから、やがて「宇宙をおつくりになった全知全能の神、唯一神が救世主を遣わしてくれるのだ」というメサイア(救世主)信仰に至ります。メサイアがわれわれユダヤ民族を、特にユダヤ民族だけをこの苦境から救い出してくれるという信仰を発展させたのです。この「ユダヤ民族は他のどの民族よりも優れている。だから救世主はユダヤ民族を救い出してくれるのだ」という考え方を「選民思想」といい、これは後に世界の他の民族から排他的な考え方だと忌み嫌われ、憎まれるもとになりましたが、そのような考え方を生み出すわけです。
ユダヤ人の誇り~古代イスラエルの栄華https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=274
せっかくソロモン王の下で建国したユダヤ人も、バビロンという非常に強力な国に襲われ捕えられて、1世紀近くバビロンの奴隷になってしまいます。そこから何とかその苦境を切り抜けてパレスチナに戻り、今度はソロモン王とは血は繋がっていないのですが、ヘロデ王がユダヤ人の国を支えて発展させていくことになり、エルサレムに第二神殿という巨大な神殿を作ります。これは基礎になった建築物が今でも残っています。エルサレムの西日を浴びる側に「嘆きの壁」という神殿の外壁が残っていて、多く...
「嘆きの壁」…
嘆きの壁という呼び方はユダヤ人が付けたものでは有りません! 外国人などがユダヤ人の嘆く姿を見てそう呼んでいるだけで、ユダヤ人は西の壁と呼んでいますよ!
この西の壁に入る為にはイスラエル兵による厳重な監視の元、ユダヤ独特の小さな帽子を被らなければ中に入れません。外国人でもこのルールに従う限り中に入れます。
中に入るとユダヤ人たちが小さなタルムードの書物を詠みながら、泣きながら壁の前で読経をあげています。
まさに現代ユダヤ人にとっての聖地そのものです。
ユダヤ人は何を嘆いているかというと,以前その壁の向こうにあった自分たちのヤハウェーの神殿が今はないためで、皮肉なことに現在,その神殿があった場所には岩のドームがあるからだそうです。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311691033
西の壁…ニシ…ニキ?爾支…
「禰宜(ねぎ)」の語源は「祈る」という意味の「ねぐ」からきているらしい。でも、「祈(ね)ぐ」は動詞だ。とすると、「ね」はどういう意味なのかってことになる。これって、「凪ぐ」と似てると思う。「和む」とも似ている。この「ナ」「ネ」っていう音そのものが、穏やかな状態を表現しているんだろうか?? でも、私は禰宜は爾支(にき)からきてるんじゃないかという考えが捨て切れないなあ。 ところがこの「爾」は http://gownagownaguinkujira.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-04e1.html
一支(現代の壱岐)国は普通「イキコク」と読むけれど、ほんとは違う。「岐」の略字なのかな。「岐」の方は「キ」と読んでも差し支えないみたい。Wictionaryでも「支」は「えだわかれするの意で「岐」等と同系。」とある。「一支」を「イキ」と読むのなら「爾支」の「支」も「キ」と読むべきだ。
問題は「爾」なんだよな。
ところで韓国語では「日本」のことを「イルボン」と言いますよね。要するに「日」が「イル」なんだろう。爾の読み方と似てるね。でもまあ、関係ないな。
でもまあ、爾支という当て字は当時の帯方郡の役人が書いたものだろうからな。
そういうことを考えてたら、爾支ってのはほんとは「イキ」と読むのが正しいんじゃないのかなと思えてきた。でもまだ保留だな。あまりにも「一支」と違いすぎるもんなー。やっぱ、瓊瓊杵や饒速日の「ニキ」のことを考えると「爾支=ニキ」は捨て切れないもんな。
あと、考えたのは、「アニ、アネ」につく「ニ、ネ」だ。この場合は「根っこ」の「ネ」と同じような意味だとしていいと思う。ということは、瓊瓊杵や饒速日は「長男」という意味になるなあ…。爾支の場合も「伊都国の長男」という意味で、王子のような意味合いにもとれるな。うーん。考えれば考えるほどわからなくなるな…。
蛇足ですが、上記の「イル」で思ったんだけど、馬韓の諸国の中の国名に含まれる「卑離」と似てるよな。天照大神の別名「「大日孁貴」(おおひるめむち)」では「日」を「ヒル」と読ませるね。現代の韓国語では「h」の部分が落ちていて、古代は「ヒル」あるいは「ヒリュ」みたいな音だったのかしらね。
<後日つけたし>
「爾」は「邇」の略字なのかもとも思いました。それなら「ニキ」でもいいってことになる。
「爾」
「 邇」は生命の樹を見立てる暗喩 https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1550
「 邇」は「 」の初文なので、原初の丘に上位世界の生命の樹を見立てることを 暗喩します。 ... 儀礼のときの彝器(いき)鼎実(鼎の中実)の備わることを具といった。』とありま す。http://members3.jcom.home.ne.jp/hurukoto/357taniguku.html
『邇』は説文ではと記されます。『字通』では『形声。声符は爾(じ)。が邇のもとの字、邇はのちの形声字である。
は土主の上に木を植え、犬牲を供えて祀る形で、ときには女が跪(ひざまず)いて拝する
形を加えている例もあり、産土神(うぶすながみ)のような観念を示す字であろう。その本貫の地を示し、
ゆえに邇近の意となったものと思われる。』とあります。
『爾』は金文ではと記されます。『字通』では『象形。人の正面形の上半部と、その胸部に(り)形の文様を加えた形。
はその文身の模様。両乳を中心として加えるもので、爽(そう)・奭(せき)などは女子の文身を示す。爽の上半身の形が爾にあたる。』とあります。
    『美』の魂を軸とした生命の樹に変えたのです。
生命の樹に見立てれば、「邇」は「」の初文なので、原初の丘に上位世界の生命の樹を見立てることを暗喩します。
また「之+爾」と解釈した場合、文身を上位世界の生命の樹に見立てて纏い上位世界へ旅 立つことを暗喩します。
彝・彜
【彝】 18画 廾(15) 1級. 姿形書換字【彜】 ... 【彝器】いき. 宗廟 ( そうびょう ) (先祖のみ たまや)に供える重厚な器の総称。 【彝倫】いりん. 人としてつねに守るべき道理・倫理。 「 彝訓」「彝憲」. 【秉彝】へいい. 天から与えられた正しい道を守ること。http://www.geocities.jp/growth_dic/honbun/zoukan-5733.html
彝 とは - コトバンク
デジタル大辞泉 彝の用語解説 - 1 昔、中国で、常に宗廟(そうびょう)に供え置いた器。 2 人の常に守るべき道。常道。 ...http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/9090/m0u/

人のふみ行うべき道…「禰宜(ねぎ)」の語源は「祈る」…「モンテネグロの十戒」…「怠惰な人」

掲示板 ... 弥、禰 爾、璽、儞、你、邇、彌、弥、禰、祢などがこの漢字の『単語 家族』で、崇高で良い意味の漢字が多いです。
叙勲 夷(エビス)https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3770

俘囚(ふじゅう/奴婢身分・ぬひみぶん)https://jiyodan.exblog.jp/13278620/

常識はずれな「俘囚料」の解釈 ラテン語の格言にHomo homini lupus.人間が人間にとってオオカミであるというのがある。人類はリクリエーションとして人類を殺害していた(マン・ハンティング)。アフリカで奴隷を買い付けたり奴隷狩り ...http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-31.html
 ラテン語の格言にHomo homini lupus.人間が人間にとってオオカミであるというのがある。人類はリクリエーションとして人類を殺害していた(マン・ハンティング)。アフリカで奴隷を買い付けたり奴隷狩りを行ったりしていたヨーロッパ人たちは当然のように黒人を人間などとは思っていなかった。殷王朝が生け贄や奴隷を獲得するために周辺諸族を対象に「狩り」をおこなったように、言葉も通じない異民族を人間と見なさないのは古代における常識である。我が国の古代において、弥生人は縄文人を人間以外の下等な存在とみなしていた。そして、大和朝廷にとって蝦夷は絶対に人間などではなかった。そのことは「蝦夷」という字そのものに現れている。蝦夷の「蝦」とはエビあるいはガマガエルのことである。蝦夷は大和政権側の人々にとっては「虫けら」に過ぎなかったのである。http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-31.html

主人の命令だけを忠実に実行する召し使い
ゴーレム(ヘブライ語: ?????, 英語: golem)は、ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形。「ゴーレム」とはヘブライ語で「胎児」の意味。 作った主人の命令だけを忠実に実行する召し使いかロボットのような存在。
ラビ(律法学者)が断食や祈祷などの神聖な儀式を行った後、土をこねて人形を作る。呪文を唱え、「???」(emeth、真理)という文字を書いた羊皮紙を人形の額に貼り付けることで完成する。ゴーレムを壊す時には、「???」(emeth)の「?」( e )の一文字を消し、「??」(meth、死んだ)にすれば良いとされる。
『旧約聖書』「創世記」の天地創造において、アダムもヤハウェによって土(ヘブライ語:アダマー)に鼻からルーアハを吹き込まれた事から、アダムもまたゴーレムであったのではないかと言われている[誰によって?]。これが正しい説だとすれば、アダムこそが世界で最初に生まれたゴーレム(それも自我を持った)という事になる。
・・・



[7963] なんでやねんw

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)09時13分53秒   通報   返信・引用

わたしゃ、自分の宗教を学問に持ち込まないけどね…



[7962] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)08時43分5秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7961[元記事へ]

石?遺跡(陝西省神木県、紀元前2300ー紀元前1800)


陝西省から遼河への移動のタイムラグを考慮すると、遼河文明夏家店下層文化(BC2000-BC1500)、三関遺跡(張家口、BC1800-BC1400)に重なる。それぞれ、O2=40%、O2=100%。三関遺跡については殷代の鬼方の活動範囲と一致している。


三関文化は夏家店文化よりかなり西方に位置するから、遼河地域への移動の途上にあったO-M134集団と見て間違いはない。夏家店上層文化の赤峰ではサブグループもO-M134(O-M117)と特定されている。


甘青地域では、斉家文化の前の馬家窯文化(新石器時代末期、紀元前3100年頃から紀元前2700年頃)から羊が増えるのが分かるし、内モンゴルの朱開溝遺跡(新石器時代終末期~殷代早期)でも同様。


朱開溝遺跡の方が馬家窯文化より年代が新しく、ちょうど甘青地域から遼河地域への途上に位置するのですから、甘青地域集団の通り道と考えるのが普通だ。
羊の飼育や卜骨については甘青地域から長城ルートを辿って各地に拡散したというのは通説だ。


金属加工技術は、中国で独自で発生した可能性もある。ただ、私も技術そのものは西方から齎されたのだと思う。


しかし、なにも「金属加工=スキタイ」と捉える必要などない。意味が分からない。
実際、長城地域の古人骨でR1aやQ1a1は出ていない。また、Q1a1はスキタイ由来ではない。


何の証拠もないスキタイよりも、遼河で出るG, J, LT, R2の方がずっと重要だ。
これらはBMACの古人骨と一致している。
甘粛・青海から遼河げの長城地域の古人骨で出るのはO2、O-M134ばかりだが、甘青・遼河集団とBMACやカラスクの非印欧系集団との交流は確かにあった。


もっとも、中国の青銅器の由来については確定することができない。
中国の青銅器の方がカラスクに影響を与えたとする説もある。


したがって、今のところは、BMACの青銅器文化がカラスクと中国北辺に別々のルートから伝播し、 その後間もなく南北 の交流が生じたというのが妥当な見方であろう。



[7961] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)07時01分39秒   通報   返信・引用 > No.7955[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


> > 遼河・満洲方面のJ, Gも同様です。RについてはR1aでないことがとっても重要です。
> > R1aはバクトリア・マルギアナ文化人において皆無です。

> バクトリア・マルギアナ文化というのは初耳ですね。R系統でも下記のwikiによれば、イランに近く、エラムと関わるならば、確かにインダス、シュメール文明ともかかわるでしょうね。エラム文字の話が出ているので、やはり遼河文明とか後の甲骨文字の発生ともかかわっていくでしょう。そして一部は縄文時代後期のそれにもかかわっていく・・・。
>



そうですか?
かなり有名なのですけど。

バクトリア・マルギアナ文化(通称BMAC)は、二十年前くらいだと一般的に耳にする文化ではなかったでしょうね。ソ連で発見され、ソ連人研究者が研究を進めていた経緯があります。

最近注目されています。最近と言っても随分と前ですけどね。

シュメールやインダス文明、そこまで拡げる必要はないですよ。縄文人なんてもっての他。y-Dの移動ルートと時代に全然合わないでしょ?笑


ロシア人は超語族が好きなので、BMACの言語を「シナ・コーカサス超語族」とする人もいます。

BMACとカラスク文化の関係も言われています。ブルショー語とエニセイ語族を結びつけようというものですが、エニセイ語とナ・デネ語族間の音韻対応がブルショー語には見いだせないので頓挫したようです。BMACにもブルショー人にもQ1b2はいませんしね。

あ、Qってね、典型的な落人ハプロなんですよ。
中央アジアではパシュトゥーン人に結構見られる程度しかいません。
結局、他の集団の一部としてしか生き残れなかったのですよ。
この点、ユダヤにしてもそうで、ディアスポラのユダヤ人は「来る者は拒めません」なんです。
落人のQと離散ユダヤ両者の生き残りの戦略が一致して、Qの一部のサブグループがユダヤ人に見られる。
ただ、それだけのことですよ。




[7960] Re: Y-Q系統の分析

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)04時57分49秒   通報   返信・引用 > No.7957[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


> ここで、以前も紹介したように、Q-Y2200に、すべてのアシュケナージユダヤ人が入ることから、この Y2200およびその親系統のY2225ブランチを、ユダ王国の集団とし、その兄弟系統の4分岐を、北イスラエル王国の10支族の集団と考えた経緯がありました。
>
> 図2の
> 特に、モンテネグロのそれが最新情報らしいのですが、逆にこのモンテネグロに、イスラエル的な要素がみられれば、それが立証しうるでしょう。
>
> それでモンテネグロについて調べていくと、特に下記のようにあります。
>
> 民族
>
>
> モンテネグロに、アラブ・エジプト起源の伝承があるということは、エジプトに近いイスラエルを想起させるものです。
>
> もっとも、
> しかしながら、
>
> まずユダ族ですが、ユダ族の旗じるしはライオン、獅子でした。





そうなんですよ。
管理人さんは、「最初にユダヤありき」で、どうにかしてユダヤ人と日本人の接点を探そうとしてる。これが動機でしょ?

だから、幻影のようなぼやーっとしたものしか見えない。



[7959] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)04時43分17秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7958[元記事へ]

> なお、この内陸アジア山脈回廊は、何も西方から一方的にモノやヒトの移動のために使われたのではない。ヤク放牧を生み出した羌族によって、パミール、アルタイ・サヤン方面にヤク放牧が齎された
>
> 最後に、私のLiving DNAのadmixtureを見て欲しい。
> 古墳時代に日本海沿岸に辿り着いた私に西ユーラシア系ゲノムが1割混入していることが、甘粛・青海と中央アジアとの交流を物語っている。吉林漢族に3%のところ、甘粛・青海10.5%である。
>
> ブルショー人に5%いるO-M134*は当時の交流を物語っていると言えるだろう。
>



O-M134集団の中央アジアへの動きについては、ブルショー人のO-M134*とともに、パミール系のadmixtureにおける「北東アジア10%」に見出すことができるだろう。



[7958] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月24日(月)03時45分40秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7941[元記事へ]

図1:紀元前2000年頃の世界とLiving DNAの私のadmixture
図2:紀元前1000年頃の世界とLiving DNAの私のadmixture
図3:東アジア西方集団のゲノム(灰色)

______________________________________________________


図1でチベット・ビルマ系(TB)が西域にまで拡がり、中央アジアのジェイトゥン・BMAC文化の人たちと接触し得ることが分かるだろう。
また、モンゴル高原には、古シベリア諸語系の狩猟採集民がいる。


***********************
西域の先住は「TB・テュルクO-M134集団」だった。
**************
タリム盆地の古人骨がR1aとmt-C4であった事実もこれを裏付ける。



さて、図2では、TB系が移牧に移行したことが分かるが、
西北方面に、同じ移牧系のカラスク文化が見られる。


このカラスク文化の担い手について、英語ウィキでは、大部分がコーカソイド的形質であり、
半数がR1a系だったという古人骨DNA検査の結果を引いている。
ただし、これは西方からのR1a集団による進出を物語っているとしている。


カラスク文化はBMAC=ブルショー系の人たちが担い手だったと言われているので、
まあ、そんな感じだと思う。


BMAC系の人々とTB・テュルク系の交流によって、小麦や羊が甘粛・青海に齎された。
そして、ヒプシサーマル期が終わり、牧畜がTB・テュルク系で広まる。

次に、移牧が、BMACとおそらく同系のカラスク文化人の影響でTB・テュルク系で成立。
その頃は、古シベリア系のモンゴル高原は、未だ狩猟採集に留まっている。
彼らに牧畜が広がるのはTB・テュルクから遅れた。
図2によると、TBが移牧のときにモンゴル高原では牧畜が成立する。


******************
モンゴル高原に牧畜・移牧を齎したのはTB・テュルク集団O-M134である。
*************************



図3を見てほしい。東アジア西方集団、つまり羌族・東チベット人・モンゴル人のadmixtureがほぼ同一であることが分かる。モンゴル高原へ進出する甘粛・青海系O-M134の動きを見て取れる。


遼河方面で見られる西ユーラシア系yDNAは、G, J, LT, R2であり、BMACの古人骨と一致する。BMACの古人骨にもR1aは存在しない。


カラスク文化の西にいたR1aに遊牧が成立し、イラン系アーリア人騎馬民族が現れるのが、図2の紀元前1000頃だ。このR1aは遼河方面の古人骨に皆無である。彼らは直接来てはいないことが分かる。



結論。
*****************************
小麦・羊・移牧・青銅器は、BMACやカラスク文化人と古羌人と交流によって甘粛・青海地域に持ち込まれ、O-M134の北東への動き(長城ルート)によって遼河はじめ中国本土に齎されたのである。
(青銅器については中国南部から齎されたものもあった)
**********



なお、この内陸アジア山脈回廊は、何も西方から一方的にモノやヒトの移動のために使われたのではない。ヤク放牧を生み出した羌族によって、パミール、アルタイ・サヤン方面にヤク放牧が齎された

最後に、私のLiving DNAのadmixtureを見て欲しい。
古墳時代に日本海沿岸に辿り着いた私に西ユーラシア系ゲノムが1割混入していることが、甘粛・青海と中央アジアとの交流を物語っている。吉林漢族に3%のところ、10.5%である。

ブルショー人に5%いるO-M134*は当時の交流を物語っていると言えるだろう。



[7957] Y-Q系統の分析

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 6月24日(月)00時38分38秒   通報   返信・引用   編集済

昨晩も中国諸地域のY系統の分布詳細について報告しましたが、やはりその系統分岐の詳細がQ1a1ぐらいまでしかわからなく、いささか不満の残る結果でした。

それで、もう少し詳細な分岐と流れを知りたかったので、下記のフォーラムに登録してみました。ログインすると、各遺伝子系統のフォーラムに参加できます。
https://anthrogenica.com/

図1は、そのフォーラムグループ集のサンプルです。


それで、下記のサイトにQについての関連サイトがあるのですが、wikiよりは詳しく解説してくれてます。特にQ1bについては下記のようにありますね。


Central Asian & Indo-Iranian Q1b1

While Q1a is more Mongolian, Siberian and Native American, Q1b1 (F1213) appears to have originated in Central Asia and migrated early to South Asia and the Middle East. The highest frequency of Q1b1 in Europe is found among Ashkenazi Jews (5%) and Sephardic Jews (2%), suggesting that Q1b was present in the Levant before the Jewish disapora 2,000 years ago. In fact, Jewish Q1b all belong to the Y2200 subclade, which was formed some 2,600 years ago. Other subclades of Q1b1 are found throughout the Middle East, including, Armenia, Turkey, Iraq, Lebanon (2%), and in isolated places settled by the Phoenicians in southern Europe (Crete, Sicily, south-west Iberia). This means that Q1b must have been present in the Levant at latest around 1200 BCE, a very long time before the Hunnic migrations. One hypothesis is that Q1b reached the Middle East alongside haplogroup R1a-Z93 with the Indo-Iranian migrations from Central Asia during the Late Bronze Age. The age estimate for the Middle Eastern Q1b1a (L245) branch is 4,500 years, which corresponds roughly to the beginning of the Proto-Indo-Iranian expansion to Central Asia. The other branch, Q1b1b (Y2265) is found in Central Asia, Iran, Pakistan and India, a distribution that also agrees with an Indo-Iranian dispersal.

https://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_Q_Y-DNA.shtml#Q1b1


ここで、以前も紹介したように、Q-Y2200に、すべてのアシュケナージユダヤ人が入ることから、この Y2200およびその親系統のY2225ブランチを、ユダ王国の集団とし、その兄弟系統の4分岐を、北イスラエル王国の10支族の集団と考えた経緯がありました。

図2の( https://www.yfull.com/tree/Q/ )の系統図をご参照ください。


この10支族は、前722年のアッシリア捕囚で各地に離散したとされるので、現在はイスラエルにはいないはずであり、実際図をみても、ヨルダン、トルコ、モンテネグロ、中国へと離散していった様子が伺えます。

特に、モンテネグロのそれが最新情報らしいのですが、逆にこのモンテネグロに、イスラエル的な要素がみられれば、それが立証しうるでしょう。

それでモンテネグロについて調べていくと、特に下記のようにあります。

民族

2011年の国勢調査によると、民族構成はモンテネグロ人が45%、セルビア人が29%、ボシュニャク人が9%、アルバニア人が5%他が12%だった[9]。

なおここでの「エジプト人」とは自らのルーツがかつてのエジプトにあると言う概念から、エジプト人であると主張するユーゴスラビア固有の民族集団のひとつである。現在のエジプトにはエジプト人と言う民族集団はなく、エジプトを構成する最多の民族集団はアラブ人である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AD


モンテネグロに、アラブ・エジプト起源の伝承があるということは、エジプトに近いイスラエルを想起させるものです。

もっとも、モンテネグロ人の祖先は、バルカン半島の先住民族であるイリュリア人であると考えられているそうですが、その一部として、ダウニ人というのが挙げられています。

しかしながら、イリュリア人の名称は古代ギリシャ人たちが自分たちの北方近隣に住む人々を言及して使っていたもので、今日この人々の居住範囲や言語、文化的な均質性は不明確である。イタリアに古代住んでいたアピゲス族 (en) やダウニ族 (en) 、メッサーピ族 (en) などのいくつかの部族は地理的な「イリュリア」からイタリア半島に渡ったと考えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA

そのダウニ人の英語wikiサイトはこちらです。

The Dauni were similar to but also different from the Peucetii and Messapii, who settled in central and southern Puglia.[3] Having been also less influenced by the Campanian civilization, it had thus a more peculiar culture, featuring in particular the Daunian steles, a series of funerary monuments sculpted in the 7th-6th centuries BC in the plain south of Siponto, and now mostly housed in the National Archeological Museum of Manfredonia. Particularly striking is the Daunian pottery (as yet little studied) which begins with geometric patterns but which eventually includes crude human, bird and plant figures.

https://en.wikipedia.org/wiki/Daunians


前8世紀末~7世紀ごろにポットとかプレートとかが見え始めるようですが、ちょうどそのころにイスラエル王国の離散があったので、気になるところです。

ダウ二が、ダン族のそれと関わるなら面白いのですが、ダンは鷲、獅子、蛇を象徴としていたようですから、ダウニのオオカミトーテムと関わるかどうか・・。下記参照。


まずユダ族ですが、ユダ族の旗じるしはライオン、獅子でした。それからルペン族は人間です。またエフライム族は雄牛です。そしてダン族は鷲ですね。聖書の他の箇所で、この四つの動物が出てくる箇所があります。それはエゼキエル1章と黙示録4章です。エゼキエル1章10節には、人間の顔、獅子の顔、牛の顔、鷲の顔をもった生き物が当時用します。
https://otawara-church.com/?p=1949


モーセの祝福
主よ、ユダの声に耳を傾け、その民のもとに彼(イエス)を来させて下さい。
レビの為に彼は言った。
あなたのトンミムとウリムを、あなたの慈しみに生きる者に授けて下さい。
ダンの為に彼は言った。
ダンは獅子の子(イエスの子の意味ですが、正確にはネフシュタンの青銅の蛇の子)、バシァンの野から踊り出る。
(申命記・33章)
https://ameblo.jp/hhsbible/entry-11589924486.html


先のwikiにダウニのグリフォン像の写真がありますね。図3として引用します。グリフォンは鷲の上半身に獅子に下半身を持つそうです。

グリフォン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3


このイラン系であろうグリフォンが、バルカンからギリシャに導入される契機が、先のダウ二人だったとするとおもしろいですね。

あと、モンテネグロの国章がちょうど鷲と獅子ですね。

ともあれ、中国のQ1a1,2,3,1b系統を調べるにあたっては、もっと細かい分岐からその流れを調べる必要があります。その辺で、いい情報ありましたら、お知らせください。



[7956] フェニキア人の日本渡来説

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月23日(日)22時56分15秒   通報   返信・引用

作家の有吉佐和子(1931年-1984年)はフェニキア人の日本渡来説を主張している。
フェニキア人のY染色体DNAハプログループはE1b1b1a3、一般のユダヤ人はJ2aが多いがフェニキア人との交配でE系統も多い。日本にはJ系統もE系統も見当たらないが、日本に多いD系統(縄文人)はE系統と同系で、分派してDとEに分かれた。
 ユダヤ人言語学者のヨセフ・アイデルバーグ(1916年-1985年)によると、日本語とヘブル語の類似した単語が3,000語を超えると紹介している。
 ユダヤ人のラビ・マーヴィン・トケイヤー(ニューヨーク在住、1936年出生)は、京都の祇園祭を見たユダヤ人はイスラエルの祭りを連想すると云っている。トケイヤーは1967年に東京広尾の「日本ユダヤ教団」の初代ラビで、早稲田大学で古代ヘブライ文化を教えたこともある。
 トケイヤーは「ユダヤ人は長い歴史の中で何回も敗北を味わってきたのに、自らの歴史に誇りを持って生きてきた。それに対して日本の民族はたった一回の敗戦によって、自国の歴史に誇りを亡くしてしまった。」と述べている。
日本人とフェニキア人 https://enkieden.exblog.jp/23742661/
日本人のmtDNA(ミトコンドリアDNA)の約67%はアジア系と言われる「M」系列、約33%は西欧系と言われるmtDNA「N」系列です。ミトコンドリアDNAは母親から引き継ぎます。
 人類の出アフリカにより、アジア系と言われるmtDNA「M」(母親由来)は、縄文系のY-DNA(父親由来)の「D」と「C」と共に、紅海、アラビア海からインド洋沿岸部を航海して日本列島にやってきた。
 mtDNA「M」系列の中で最も古い「M」が日本列島で見つかっているので、出アフリカ後のmtDNA「L3」が中東でネアンデルタール人と交配して分化した「M」と「N」の最も古い亜型がそのまま日本列島に移動してきたことになる。2015年1月13日投稿の「ネアンデルタール人との混血」をご参照ください。
  人類の出アフリカは10万年前から6万年前ぐらいですが、フェニキアがローマとの3回にわたるポエニ戦争に敗れ、紀元前146年に壊滅したので、戦争に敗れて列島に来た人がいるのなら紀元前2世紀頃になるでしょう。それともフェニキアが活躍していた紀元前4世紀頃に列島まで航海して来たのか・・・
 2016年2月7日投稿の「貝紫色(フェニキアの紫)」をご参照ください。
 紀元前4世紀から紀元前3世紀頃にフェニキア人とユダヤ人が航海により、日本列島まで来た可能性はあります。2015年4月27日投稿の「ユダヤ人のY遺伝子」をご参照ください。
 日本人とチベット人に多いY染色体D系統は出アフリカ間もない時期のDNAをそのままチベットと日本に移動しています。他のDNAからの変化を受けていない希少な例です。D系統は日本、チベット、中東にしか存在しません。
 D遺伝子を持つ縄文人の言葉(縄文語)の文法がS(subject、主語)・O(object、目的語)・V(verb、動詞)の順のSOV型になっています。
 縄文人の後に列島に渡来した江南人(揚子江周辺の倭人)の文法はSVO型ですから、江南人は先住民の縄文人の言葉に同化し、交配し、弥生人になったと考えられます。
 古い型の遺伝子を持つ縄文人の文法がSOV型であることは、人類の初期の文法がSOV型であったことを物語ります。その後の人類の分岐・拡散によりSVO型が派生したと考えられます。
 同じ文章をSOV型とSVO型に置き換えて話してみてください。SOV型の方が優しく曖昧な感じがしませんか? SVO型はきつく聞こえませんか?
 縄文人は優しいのです。国内で縄文系の比率の高い人々はアイヌと沖縄で、次に関東と東北が高いのです。
 古代の日本の中心であった奈良と京都の人々のDNAはどんな形だったのでしょうか。両地区のDNAのサンプルが少なすぎて判断できません。天皇家のDNAも分かりません。



[7955] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 6月23日(日)22時48分56秒   通報   返信・引用 > No.7941[元記事へ]

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> > そのR2については、吉林にも見えるとあるので、やはり先日指摘したその朝鮮東北部にみえる地域のRの薄い分布でしょう。
> > こちらはR2について
> >
>
>
> これですね。
> ウィキ R2
> East Asia
> In a 2014 paper, R-M124 has been detected in 0.9% (1/110) of Han Chinese samples from China. The sample belonged to an individual from Jilin province.[17]
>
>
> これはお手柄!
> 吉林とあるので、例のヒートマップのRはR2ということで間違いないでしょう。
>
> R2は、バクトリア・マルギアナ文化(BMAC)人に10%、ブルショー人で最高比率(14%)のサブグループです。
>
>
> 羌族と混交したジェイトゥン文化やBMAC系統の人たちが、羌族の遼河への移動に伴ってやって来たということになります。
>
> これで、BMACの要であるJ(BMACで39%)、G(11%)、R2(11%)が揃いました。
>
>
> BMACにおいてK1=LTも重要ですが、L(11%)は、韓国(サンプル数506)に0.6%、T(11%)も吉林漢族(196)に0.5%見られます。R2と重なっているという点が重要です。
> 雲南漢族(306)には0.6%。
>
>
> 遼河・満洲方面のJ, Gも同様です。RについてはR1aでないことがとっても重要です。
> R1aはバクトリア・マルギアナ文化人において皆無です。
>
>
バクトリア・マルギアナ文化というのは初耳ですね。R系統でも下記のwikiによれば、イランに近く、エラムと関わるならば、確かにインダス、シュメール文明ともかかわるでしょうね。エラム文字の話が出ているので、やはり遼河文明とか後の甲骨文字の発生ともかかわっていくでしょう。そして一部は縄文時代後期のそれにもかかわっていく・・・。


バクトリア・マルギアナ文化

バクトリア(アフガニスタン北部)、マルギアナ(トルクメニスタン)はいずれも遺跡が集中する地域のギリシア語名である。乾燥地帯であるが、川とオアシスを利用して古くから農業が行われた。バクトリア、マルギアナは現在のメルヴを中心とし、アケメネス朝ペルシア以降栄えた。

都市や城塞の遺構のほかに、優れた金属器や、土器、宝石類、石の印章など様々な遺物が知られる。印章に見られる図柄はイラン南東部から出土した陶器や銀器によく似ている。マルグッシュ遺跡(英語版)(ゴヌール・テペ)からはエラム文字と見られる銘文を彫った陶片が見つかっている。これらの遺跡の上下限年代は、放射性炭素年代測定によって紀元前2200年から1500年頃という数字が提示されている。この発展と没落の過程はまだよくわかっていない。

インド・イラン語派には印欧祖語やドラヴィダ語と異なる基層言語があるとの考えもあり、それがBMACの言語(単一ではなかったかもしれないが)ではないかと考える人もいる。現在ガンダーラ地方の近く(カシミール)に残っているブルシャスキー語も関係があるかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E8%A4%87%E5%90%88


> Qはバクトリア・マルギアナ文化人にもブルショー人にも見られないので直接の関係は持ちません。これも山西のQ1a1が羌族に吸収されて遼河方面に顔を出したと解釈できます。吸収されなかったQが南下して、一部の東南アジア人に出ているのです。
>
>
この件は、後で別記します。


> N1はローバ人にN1*が35%と高頻度なので羌族の一部にもいたでしょうが、遼河先住民ですね。
>
>
なるほどですね・・・。


> 結論として、
> 中国東北部に見えるy-J, G, LT, R2は、ジェイトゥン文化やバクトリア・マルギアナ文化人由来で、羌族の一部として移動したと言うことができます。
>

> ***********************************************************************
> しかし、彼ら東アジアのJ, G, LT, R2は決して「O-M134の不純物」ではなく、小麦や羊などを羌族と中国に齎した点で、東アジア人にとって、とっても重要です。
> *****************************************
>
>
> 中国文明への寄与がない点において、「中国のQ」は「O-M134の不純物」と言うことができます。
>
> y-Dも、古東南アジア狩猟採集民の残滓でしかなく、やはり「諸民族中の不純物」です。
> これは「非歴史的集団」であって次元が違いすぎます。
>
> Nは、中国文明にも深く関わるので重要です。
>
> C2に関しては、中国南方のものの方が古いので、東南アジアから中国を北上しアムール盆地に溜まったということです。最近のルート・マップではすべて中国北上になっています。
> もちろん、彼らの一部も遼河文明に参加します。
>
>
> ***************************************************************************
> J, G, LT, R2は残念ながら日本には渡来してませんが、O-M134羌族・テュルクを介して彼らとの繋がりを感じることができるということは、日本人にとっても幸いなことですね!!!
> ******************************************************************
>


ま、少し考え方を変える必要はあるかと感じ始めてます。

文化の発展と、人種の移動・交雑の量は、分けて考える必要があるとのことでしょう。

たとえば、日本の中国風建築の導入・発展は、中国系の弥生人なり渡来人が大量に移住したから起ったわけではなく、中国から少数の技術者が招かれてその技術を伝えたからそうなったわけです。民衆レベルでは、そういう建築知識がないですからね。

製鉄とかもそうでしょうし、技術(祭祀)者の渡来と、一般民衆の渡来、そして、支配層の渡来ですね、この3者を区別したいところです。

それで、それが特定遺伝子の増加に寄与する条件は、長く支配層にあり続けるとか、一定の条件が揃わないと増殖しないはずです。

仮にQ系統が、その技術(祭祀者)、つまり日本の物部氏みたいな集団だったとすると、文化発展には絶大な影響を及ぼすものの、遺伝子系統としては極僅かしか見られないといった結果に終わるかもしれません。

量より質といったところでしょうか・・・。その観点から、今後は分析を進めたいと思います(笑)



[7954] Re: 中国のY-Q、N、J、C、D系統

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 6月23日(日)22時24分37秒   通報   返信・引用 > No.7940[元記事へ]

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> > またD系統をざっとみていくと、案外、中国各地に散らばってみえてますね。
>  > チベットはもとより、ミャオとヤオは30~40%と相当多いものもいますが、同族のイ族も多い。
>
>
>
> > またD系統をざっとみていくと、案外、中国各地に散らばってみえてますね。
>  > チベットはもとより、ミャオとヤオは30~40%と相当多いものもいますが、同族のイ族も多い。
>
> すべてD1a系統ですが、D1aは大陸に低頻度であれ広く拡がっています。
>
> Family Tree DNAでは新大陸でも見つかるケースがあり、ラオスのモンミェン系と同じ型だと言います。O-M7も中南米で見つかっているので、O-M7の動きの中で付随して行ったことが分かります。
>
> また、おそらく御存知のように、デニソワ人がD1aと交雑したことは明らかで、一方、D1bの縄文人(?)とアンダマン人はデニソワ遺伝子を欠いています。
>
> このことはD1aとD1bは異なるルートを通ったことを示しています。
> D1bにはデニソワの代わりに「シナ海ランド」の「未知の人類」は含まれている可能性があります。
>


そうですか、新大陸でというのはおどろきですね!東南アジア経由でイースター島??とかでアメリカへわたったんでしょうね。

なるほど、Dの初期系統の時点ではデニソワとは交雑せず、D1aの時代になってから、チベットかどこかにいたデニソワ人と交雑したということですね。縄文系にデニソワ遺伝子がないとすると、双方、形質的にはかなり異なる可能性がありますね。





[7953] チベット・ビルマ・・・約三千百年前、国東半島重藤の製鉄基地が発展して殷の東表国となった。

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月23日(日)10時23分12秒   通報   返信・引用

約三千百年前  :2019年 6月23日(日)10時20分31秒 https://8906.teacup.com/toraijin/bbs?
約三千百年前、国東半島重藤の製鉄基地が発展して殷の東表国となった。彼ら殷文化圏のエブス人ら七福人は、豊前京都郡宇佐八幡宮(現在は大分県)を都とし、タルシシ船の船長.工ブス人王家のクルタシロス一世を初代王として東表国を建てた。これがわが国第一王朝の始まり(『記紀』には記されていない)で、この王名は世襲されていった(鹿島日舛著『契丹北倭記』人『邪馬壱国興亡史』新国民社参照)。ちなみに、東表国の「トウビョウ」はシュメール人王家ナーガ族の"蛇トーテム〃を表し、宇佐八幡宮の"原.語源〃はトルコのアナトリア高原にあったヒッタイトの首都「ハットウサ」を表現したものである。
・・・
937~1254 大理国  都:大理
民族:シナ?チベット語族チベット?ビルマ語系白蛮
大理国
・・・・



[7952] 日本人と契丹人…日の出ずる処の天子…ミトラ:アーリア人の光明の神

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月23日(日)08時58分35秒   通報   返信・引用

日本語の起源と契丹古伝https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12353713394.html
契丹は西夏や唐の支配者の鮮卑など同族とされる。中国のことを國泰(キャセイ、Cathay)と呼ぶこともあるが、契丹のことである。
大陸最古の王朝と言われる「夏」、その夏を滅ぼしたと言われる「殷」、 また中国史では蔑称で記される「東胡」「匈奴」も、同祖・同族という。
大陸の先住民である「殷」の末裔と「漢」との対立こそ、ユーラシア大陸の古代史の真相であるというのが、この『契丹古伝』の核心部分のようだ。
浜名によれば、『契丹古伝』はスサノオ尊と同定しうる神祖がコマカケとよばれる天の使いである鶏に乗って、聖地・白頭山に降臨したという神話を核心とし、シウカラ(東大神族)とよばれたその末裔たちが韓・満洲・日本の3大民族の祖として大陸に雄飛したことを伝える。
古代中国の尭・舜・殷はこのシウカラ系の国家であったが、「海漠象変」と表現される天変地異とともにシウカラ族は没落し、西族(漢民族)によって中原を追われる。
『契丹古伝』によれば、のちに東夷とよばれるようになる日・韓・満民族こそが中国大陸に超古代王朝を築いた先住民であり、契丹王朝もその末裔であった。また『契丹古伝』は、本州と九州がかつては陸続きであったが人工的に開削されて海峡となったことや、ゴビ砂漠にはニレワタとよばれる幻の湖があったことなど、超古代の地形の変遷についても特異な伝承を伝える。
さらに満洲にオロチ族とよばれる呪術をよくする異民族がいたことを伝えるが、これは『上津文』に登場するオルシ族ではないかと思われる。また鳥人・熊襲族が沖縄・南韓へ侵入したという記述や、匈奴・扶余・高句麗などの騎馬民族国家の成立、倭国と古韓国との交流、馬韓にあった邪馬台国の伝説など、環日本海文明の存在を伝えるきわめて貴重な伝承の宝庫として、今後の再評価が大いに待たれる異色の超古代文献である。
契丹(wikiより)
契丹(きったん、キタン、キタイ、拼音: Qìdān)は、4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中国の北部に帝国を建国し、国号を遼と号した。しかし12世紀に入り次第に勢力を強める女真が宋と結び南下し、挟撃された遼は1125年に滅ぼされた。契丹人の多くは女真に取り込まれ、一部は中央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建てた。
⑥ 中国大陸の新石器時代は縄文文化だった(参考)
12000年前頃から始まった日本の縄文時代は、日本列島が大陸から分離してもなお海を越えて自由に東アジア全域と交流していた。
現在の漢民族のルーツの周が中原に侵入する紀元前1000年頃以前の中国大陸(新石器時代、紀元前7500から1500年前)には、縄文人達の同族のほか、河姆渡文化(呉・越系の稲作農民)、そして沿岸部の漁労民が居住していた。
そして、以下の新石器時代の遺跡から縄文土器が出土している。
契丹古伝(東族古伝)
・・・、日祖という女神から生まれた御子(なぜ「孫」なのかは別途考察する) が鶏に乗って降臨するさまが語られている。
「鳥にのって神が降臨する」というのは東アジアの非漢民族にはよく見られる観念であり、鳥越憲三郎氏は「倭族」の特徴としているほどである。
「(東天に昇る)太陽」を意味するもの
本古伝の解釈者の中には、生誕地は東方の実在の場所(日本の海岸もしくは島)であると解するものもいる(この場合は、神祖は高天使鶏という船で降臨したということになろう)。
御子

「太霊」と解するが、「廟」の記述が「廷」
「産霊」
むすび



神祖が「閼覆禄」という名を与えたことが 浥 婁 の名の由来であるという説話風の内容が続く。
ソシモリは、ソシ(牛頭)+モリ(山)
長白山(白頭山)(檀君の父の降臨地で檀君の出生地とされる)・・・太白山→竹島の延長線上に百済の都・公州(コンジュ)、武寧王陵がありました。
「東夷」
「鬼として祀る」
狛族
高令の一族

伯族…太白(たいはく)は、以下の物を指す。 古代中国での金星 宵の明星 - 中国では、古くは、宵の明星と暁の明星とを別々の星と考えており、明けの明星を「啓明」(けいめい)、宵の明星を「長庚」(ちょうこう)、と呼び分けていた。
李白 - 唐の詩人。字は「太白」。李白が生まれた時に、母が懐に長庚星が入る夢を見たために、名づけられたとされる。
太伯 - 呉(中国春秋時代)の祖。別表記「太白」。https://ja.wikipedia.org/wiki/太白
太白山は「巫俗の聖地」
白山信仰の謎②~「殺牛祭祀」を行う白頭山(韓国での呼称は太白山)の濊族~https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11861997099.html
「殺午祭祀」の両碑が発見された場所は、ともに古代高句麗の政治圏、文化圏に属し500年前後にようやく新羅の政治影響圏に入った境界領域で、まさにそこは穢族(わいぞく)の南端の居住地であり穢族の活動が活発に展開された地域でもあった。穢族が高句麗と新羅の領域にまたがるこの地域に活動していたからこそ、両碑に記された「殺午祭祀」の祭祀がこのような境界領域で挙行されたのではあるまいか。と述べている
【濊族(わいぞく)】
紀元前二世紀位以来、約千年にわたって朝鮮半島の咸鏡道から江原道の沿岸地帯や中国の松花江流域に実在した事が確認されるツングース系の部族。
彼らが天空信仰を有し、「殺午祭祀」を行っていた。
よく並び称されるのは濊族は漁撈民で、貊族は牧畜民で神社の狛犬の狛はこれにゆらいする。最近では同じ部族とみる説が有力であるらしい。
中国白山部から江陵を経て、朝鮮半島を南岸を南下した濊族とともに、白山(ペクサン)信仰=原シラヤマ信仰も南下し、倭と接する事となったと推測している。
この秦氏と関係がある地で濊族の血が秦氏に混入したとすれば前田速夫自身説得力が増すと記されてある。
韓国でも殺午を執行したのは、白丁 広大 揚水尺と呼ばれた被差別者たちだった。
日照りが続いたので雨乞いのため、村々の祝部の教えにしたがって、牛馬を殺して諸社の神を祀りあるいは、しばしば市を移したり、河伯(河の神)に祈ったりしたがまったく効果がなかったと群臣が語り合ったのに対し、蘇我大臣蝦夷は、諸寺で大乗経典を転読悔過し、雨を祈ろうと提案した、という記事である。
日本古代の殺牛祭祀については、『日本霊異記』の殺牛記事に関して「斑牛」の記述がみえ、これを飼育していた人物が渡来系であることから、中国古代に発する殺牛祭祀の直接の系譜を引くのではなく、斑牛を殺して天に誓う新羅の祭儀の要素の一部を受け継ぎながらも、牛の肉を溝口に置いて蝗の害を防ぐこと祈雨のために牛馬を殺して諸社の神を祀ることに示されるように在来の信仰習俗として取り込まれたと考えた。
前田速夫が言うように、天空信仰の濊族、または濊族の影響を受けた人たちが秦氏と一緒に日本に渡来し、神社のもとのような天空信仰も渡来してきたなら、白山のみならず日本各地で牛を殺す祭儀「殺牛祭祀」も行われその名残が「牛」の文字に刻まれているのなら、私が「牛」にこだわった答えがみつかったとも言えるだろう。
「牛」にこだわった答え…猛牛を屠る英雄神…
ミトラは、度々自ら猛牛を屠る英雄神として形象される。ミトラは猛犬とカラスを連れ馬に乗った荒々しい狩人として表現されることがある。
古代知恵と「賢者の石」の秘儀! https://phenix2772.exblog.jp/i43/
ヴォータン神話は小アジアのヒッタイトから、鉄器生産技術とともにヨーロッパにもたらされたと言われる。ヴォータン神がミトラの戦う神の性質を引き継いでいたとしても、不思議ではないのである。
沙漠の遊牧民の神ミトラが、なぜ水の神の性質を帯びるようになったのか。その理由を知るには、イラン系遊牧民ペルシャ人のチグリス・ユーフラテス河流域征服について語らなければならない。つまり、アケネメス朝ペルシャ、ペルシャ帝国の建国である。
ペルシャではミトラ神が水瓶座とイメージを重複するようになる。…水瓶座…
宇宙・秩序の神と崇めて建立されたミトラ寺院には、蛇(蠍)が牛の息や性器に迫り、ミトラ神が聖刀で牛を裁く図象が上段の獅子と共に必ず見られる。これは、宇宙を牡牛座(時代)から御羊座にシフトさせるミトラ神力を定義し、水瓶座と同じ不動宮に属する御牛座、獅子座、蠍座の4宮を宇宙軸とした天文術星図の見解から描写されたモチーフである。
アーリア人の神ミスラ
 元々、ミトラス神は、アーリア人の古い神話に登場する光明の神であり、イランの『アヴェスター』においても、インドの『リグ・ヴェーダ』においても登場する有力な神であった。ゾロアスター教でも、ミトラは中世ペルシア語でミフルヤズドと呼ばれ、重要な役割を持ち、多数の神々のなかでも特殊な位置付けであった。

狛犬
宝物殿の中にユニコーンの狛犬(高麗犬)=天皇の紋章=イギリス王家紋章!広隆寺の弥勒菩薩(ミトラ教 ... 北朝鮮に徳川という地名ー家康と朝鮮 https://ameblo.jp/shima …  https://www.youtube.com/watch?v=dMTPLyPTF90

「東の大いなるもの」の国の皇)・・・ミトラ神
殷朝を滅ぼした周とは、実は西族の王朝であり、殷は東族の王朝である。 この王朝交代が、大きな文化的変動をもたらしたこと、周が西方に起源を有することは、中国でも認められつつある。
羗蛮とは、チベット系の羌族で、周の勝利に大いに貢献した部族である。

ミトラ教 西アジアにあった原始的な密儀宗教。ローマにも入り大きな影響を与えた。 もとはアーリヤ人の太陽神(光明神)であるミトラ神(ミスラ神)をまつる密儀宗教であり、西アジアではイラン高原でゾロアスター教が成立する ...http://www.y-history.net/appendix/wh0101-118.html



[7951] Re: 民族・言語集団の形成時期とyDNAハプログループ起源時期を一緒にして、妄想捏ねているy-D1bおよびそのシンパの諸君!笑

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)08時01分21秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7949[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

> 紀元前3000年頃
> 農耕に富を基盤とした文明の萌芽があった
>
> 現在のトルコ、シリアなど、青銅器文明に入る(紀元前3000年頃) 紀元前2320 年に古代バビロニアで彗星の観測記録がある 時代
> 完新世の気候最温暖期が終わりを迎え、以降気温低下が始まる。
> シュメール文明の勃興。メソポタミアのウル、黄金期を迎える (紀元前25世紀頃)
> インダス文明の形成(紀元前2600年頃)
> 中国、黄河流域で龍山文化、その後二里頭文化、長江流域で石家河文化が栄える。
> 日本、縄文時代中期~後期。集落が大型化し三内丸山遺跡のような巨大集落が現れた。植林農法の種類もドングリより食べやすいクリに変わり大規模化する。
> できごと
> 紀元前29世紀 - 都市マリの創建(シリア地方)
> エラム諸王国の隆盛(イラン)
> イガゴヨウマツ「メトシェラ」発芽:現在地上に生育する最古の木 (紀元前2700頃)
> 古代エジプト - エジプト初期王朝時代、エジプト古王国
> 紀元前26世紀 - ギザの大ピラミッド完成
> 紀元前23世紀 - インド・ヨーロッパ系民族、最初のギリシア侵攻
> イングランドで第1期ストーンヘンジ完成
> 中央サハラから西アフリカへ大規模な移住
> 夏創建?(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)
>
>


そうそう。列島でもドングリから栗に変わったwその辺りからでしょ。

中東・中央アジア・東アジアが、BMACとチベット・ビルマ系を介して繋がってるのが良く分かるだろう。





[7950] Re: ザ!甘青・遼河系日本人5系統

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)07時57分4秒   通報   返信・引用 > No.7948[元記事へ]

甘青・遼河系日本人5系統
(1) 羌・テュルク系O-M134=9%
(2) 夏家店上層文化系O-M188=5%
(3) バクトリア・マルギニア系G,J,K1(LT),R2=2%(F*, K*)
(4) 遼河先住系N1=1%
(5) アムール盆地系C2=6%

日本人男性の23%。ざっと日本人男性1400万人。
そんなものじゃないかな、「本流」ってのは。

シナ系統O-JST002611=5%を加えれば、28%。
1700万人。十分でしょ。



[7949] Re: 民族・言語集団の形成時期とyDNAハプログループ起源時期を一緒にして、妄想捏ねているy-D1bおよびそのシンパの諸君!笑

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 6月23日(日)07時44分49秒   通報   返信・引用 > No.7942[元記事へ]

お返事 有難うございました感謝申し上げます。

> 例えば、O2(旧O3)なら、羌族O-M117やテュルクO-F444、シナO-JST002611の特定のサブグループが他のサブグループを押さえて生き残ったのが、起点じゃあないか?
> 紀元前3000年頃。

紀元前3000年…
紀元前3000年シュメール人が…突如あらわれた  :2019年 6月23日(日)07時36分37秒 https://8906.teacup.com/toraijin/bbs?
紀元前3000年頃
農耕に富を基盤とした文明の萌芽があった

現在のトルコ、シリアなど、青銅器文明に入る(紀元前3000年頃) 紀元前2320 年に古代バビロニアで彗星の観測記録があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/紀元前3千年紀
時代
完新世の気候最温暖期が終わりを迎え、以降気温低下が始まる。
シュメール文明の勃興。メソポタミアのウル、黄金期を迎える (紀元前25世紀頃)
インダス文明の形成(紀元前2600年頃)
中国、黄河流域で龍山文化、その後二里頭文化、長江流域で石家河文化が栄える。
日本、縄文時代中期~後期。集落が大型化し三内丸山遺跡のような巨大集落が現れた。植林農法の種類もドングリより食べやすいクリに変わり大規模化する。
できごと
紀元前29世紀 - 都市マリの創建(シリア地方)
エラム諸王国の隆盛(イラン)
イガゴヨウマツ「メトシェラ」発芽:現在地上に生育する最古の木 (紀元前2700頃)
古代エジプト - エジプト初期王朝時代、エジプト古王国
紀元前26世紀 - ギザの大ピラミッド完成
紀元前23世紀 - インド・ヨーロッパ系民族、最初のギリシア侵攻
イングランドで第1期ストーンヘンジ完成
中央サハラから西アフリカへ大規模な移住
夏創建?(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)



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> うん、やっぱ、0がひとつ多いw
> ***************
>
> 例えば、O2(旧O3)なら、羌族O-M117やテュルクO-F444、シナO-JST002611の特定のサブグループが他のサブグループを押さえて生き残ったのが、起点じゃあないか?
> 紀元前3000年頃。
>
> 広域での「我々意識」が形成されるってのもその頃からだろ。曖昧だけど「華夏族」とか「三苗」とか。
> それ以前に遡ろうとするのは、はっきり言って妄想だね。
>
> しかし、4万年・・・プッ。
>  



[7948] Re: ザ!日本人マイナスD1b1・O1b2⇒O2+G,J,LT,R2+N1+C2

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)07時09分7秒   通報   返信・引用 > No.7947[元記事へ]

ザ!コラージュ
「日本人のルーツ」【O-M134+G,J,LT,R2+N1+C2】



[7947] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)05時49分39秒   通報   返信・引用 > No.7946[元記事へ]

これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。

> 「甘青・遼河系O-M134」、
> 「BMAC系J, G, R2, LT」のヒートマップ、
> O-M134の移動経路、
> 私のadmixture地図(Living DNA)のコラージュ



[7946] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)05時47分51秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7945[元記事へ]

「甘青・遼河系O-M134」、
「BMAC系J, G, R2, LT」のヒートマップ、
O-M134の移動経路、
私のadmixture地図(Living DNA)のコラージュ



[7945] Re: こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)04時08分59秒   通報   返信・引用 > No.7941[元記事へ]

このF*=0.2%とK*=1.5%の中にBMAC系G, J, K1(LT), R2がいるのでは?!



[7944] Re: 民族・言語集団の形成時期とyDNAハプログループ起源時期を一緒にして、妄想捏ねているy-D1bおよびそのシンパの諸君!笑

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)03時22分48秒   通報   返信・引用 > No.7935[元記事へ]

普通なら!



[7943] Re: ミャオ

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)03時20分3秒   通報   返信・引用 > No.7939[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


> 結局、研究も最初と最後は、直感と識別能力がものを言うように感じてます!
>

アタマが相当良ければ、ですね。笑
あまりに年いってても記憶力や柔軟性が衰えて駄目だろうし。
研究って、ただ言いたいこと言うだけではないですからね。



[7942] Re: 民族・言語集団の形成時期とyDNAハプログループ起源時期を一緒にして、妄想捏ねているy-D1bおよびそのシンパの諸君!笑

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)02時58分47秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7936[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

> これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
>
> これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)にお尋ねします ?
> ↓ 差…
> D1a1a1a-Z27338
> 日本人1人*50
> D1a1a1a1-PH344
> カザフスタン1人、ロシア1人、中国にも見られる。*51
>
> ↑ どの様な 流れが考えられるでしょうか?
>




集団の「流れ」が見えない。
例外をただ結んでも何も見えてこない。

でも、日本に0.1%いるD1aの人は、「チベット人を構成するD1a」と遠い祖先を共有する、
そのくらい思いを馳せても良いだろうか?

でも、D1aの起源って4万年も前なんだよなァ。
「同じ祖先」ってのも変な気するね。
日本人のD1aのサブグループによるだろう。チベット人のD1aは歴史時代と新しいが、日本人のD1aはずっと古い気がする。

4万年つーたらさ、NO~O2(旧O3)の誕生のときでしょ?
「我々意識」なんてないだろ。そんな古くなったら、とくに言語集団と重なりはせんよ。

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うん、やっぱ、0がひとつ多いw
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例えば、O2(旧O3)なら、羌族O-M117やテュルクO-F444、シナO-JST002611の特定のサブグループが他のサブグループを押さえて生き残ったのが、起点じゃあないか?
紀元前3000年頃。

広域での「我々意識」が形成されるってのもその頃からだろ。曖昧だけど「華夏族」とか「三苗」とか。
それ以前に遡ろうとするのは、はっきり言って妄想だね。

しかし、4万年・・・プッ。



[7941] こういうことでしょう!【東アジアのJ, G, LT, R2】+【東アジア文明の主役O2(旧O3)】+【遼河先住民N1】+【遼河後発組C2】=日本人の中核。日本語集団O-F438。

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)02時25分30秒   通報   返信・引用   編集済 > No.7938[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> そのR2については、吉林にも見えるとあるので、やはり先日指摘したその朝鮮東北部にみえる地域のRの薄い分布でしょう。
> こちらはR2について
>


これですね。
ウィキ R2
East Asia
In a 2014 paper, R-M124 has been detected in 0.9% (1/110) of Han Chinese samples from China. The sample belonged to an individual from Jilin province.[17]


これはお手柄!
吉林とあるので、例のヒートマップのRはR2ということで間違いないでしょう。

R2は、バクトリア・マルギアナ文化(BMAC)人に10%、ブルショー人で最高比率(14%)のサブグループです。


羌族と混交したジェイトゥン文化やBMAC系統の人たちが、羌族の遼河への移動に伴ってやって来たということになります。

これで、BMACの要であるJ(BMACで39%)、G(11%)、R2(11%)が揃いました。


BMACにおいてK1=LTも重要ですが、L(11%)は、韓国(サンプル数506)に0.6%、T(11%)も吉林漢族(196)に0.5%見られます。R2と重なっているという点が重要です。
雲南漢族(306)には0.6%。


遼河・満洲方面のJ, Gも同様です。RについてはR1aでないことがとっても重要です。
R1aはバクトリア・マルギアナ文化人において皆無です。


Qはバクトリア・マルギアナ文化人にもブルショー人にも見られないので直接の関係は持ちません。これも山西のQ1a1が羌族に吸収されて遼河方面に顔を出したと解釈できます。吸収されなかったQが南下して、一部の東南アジア人に出ているのです。


N1はローバ人にN1*が35%と高頻度なので羌族の一部にもいたでしょうが、遼河先住民ですね。


結論として、
中国東北部に見えるy-J, G, LT, R2は、ジェイトゥン文化やバクトリア・マルギアナ文化人由来で、羌族の一部として移動したと言うことができます。

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しかし、彼ら東アジアのJ, G, LT, R2は決して「O-M134の不純物」ではなく、小麦や羊などを羌族と中国に齎した点で、東アジア人にとって、とっても重要です。
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中国文明への寄与がない点において、「中国のQ」は「O-M134の不純物」と言うことができます。

y-Dも、古東南アジア狩猟採集民の残滓でしかなく、やはり「諸民族中の不純物」です。
これは「非歴史的集団」であって次元が違いすぎます。

Nは、中国文明にも深く関わるので重要です。

C2に関しては、中国南方のものの方が古いので、東南アジアから中国を北上しアムール盆地に溜まったということです。最近のルート・マップではすべて中国北上になっています。
もちろん、彼らの一部も遼河文明に参加します。


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J, G, LT, R2は残念ながら日本には渡来してませんが、O-M134羌族・テュルクを介して彼らとの繋がりを感じることができるということは、日本人にとっても幸いなことですね!!!
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[7940] Re: 中国のY-Q、N、J、C、D系統

投稿者: これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ) 投稿日:2019年 6月23日(日)01時32分54秒   通報   返信・引用 > No.7938[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> またD系統をざっとみていくと、案外、中国各地に散らばってみえてますね。
> チベットはもとより、ミャオとヤオは30~40%と相当多いものもいますが、同族のイ族も多い。



> またD系統をざっとみていくと、案外、中国各地に散らばってみえてますね。
> チベットはもとより、ミャオとヤオは30~40%と相当多いものもいますが、同族のイ族も多い。

すべてD1a系統ですが、D1aは大陸に低頻度であれ広く拡がっています。

Family Tree DNAでは新大陸でも見つかるケースがあり、ラオスのモンミェン系と同じ型だと言います。O-M7も中南米で見つかっているので、O-M7の動きの中で付随して行ったことが分かります。

また、おそらく御存知のように、デニソワ人がD1aと交雑したことは明らかで、一方、D1bの縄文人(?)とアンダマン人はデニソワ遺伝子を欠いています。

このことはD1aとD1bは異なるルートを通ったことを示しています。
D1bにはデニソワの代わりに「シナ海ランド」の「未知の人類」は含まれている可能性があります。


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