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カテゴリ:[ 歴史 ] キーワード: 日本古代史 古代史 渡来人


6129件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。


[6445] Re: Y-D系統

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月20日(土)13時49分13秒   通報   返信・引用 > No.6438[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

> 【?】「ユッド」です。
> 《数字》…10
> 《語源》…二の腕から指までの手【???】「ヤード」の形
> 《意味》…神の手?力。
> 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
>
> 「ユッド」の文字は「主(神)」を意味する。つまりこのお守りの飾りには「神が彼を保護される」という意味があるhttp://nihonjintoseisho.com/blog001/2018/07/19/japan-and-israel-41/

まあ、勾玉は縄文時代から造られていて、人が葬られた墓壙の底に一つ置かれていたりするそうです。
その人物はシャーマンだったのかも知れません。
その後、渡来したユダヤ人が勾玉を見て、数詞10を表す(ユッド)の形と似ていることから、ユダヤ教の神の標章とみなして扱ったということなのかも知れませんね。
また、八尺瓊(ヤサカニ)の(ヤサカ)は、(ヤ・シャク)の訛りということもあるかと。




[6444] Re: Y-D系統

投稿者: 秦野北斗 投稿日:2019年 4月20日(土)13時46分49秒   通報   返信・引用 > No.6442[元記事へ]

asiさんへのお返事です。


> 立派なお説と思いますが、ナレーションについては、文章を紙に書いておいて、それを読むほうが聞き取りやすいと思いますね。
> アップしてある動画では、中年男のだみ声が邪魔して、ナレーションに集中できまへん。
> なんとかしてほしい。

よき意見です。可愛い女がいいかな、と思います、予算と人材不足です。

>立派なお説と思いますが、・・・

説では有りません、原文の直訳です。小生はアホで、これだけの創造力はありません・・・


参考になるか不明ですが、中国の漢字に英語の痕跡がある。



[6443] Re: Y-D系統

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月20日(土)13時09分13秒   通報   返信・引用 > No.6433[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> あと、港川人など旧石器時代人については、骨格的に縄文人のそれと異なることで、デニソワ人の末裔などではないかと予想しましたが、どうなんでしょうね・・・。

確かに、旧石器人が何波にもわたって北上してきていたことは、沖縄の港川人などの存在によって分かりますね。
1万2000年前の南九州への上陸者も、その何波もの北上のうちの一つだったと連続的にとらえるのがいいのではないでしょうか。
沖縄の旧石器人の流れと縄文時代に南九州に上陸を果たした者を別個のものとしてとらえるのはまずいように思います。
継続的な流れだととらえるのがよいでしょうね。

デニソワ人については、ネアンデルタール、現代人類の祖先と交配していたとされていますね。
そして、その遺伝子を持った者たちは、いずれも南方へ移動しているようにみえます。
そして、その者たちが南へ行き着いた後に何らかの理由によって北上に転じたとする考えは、妥当だと思います。
その理由のうちの最大のものは、やはり気候ではないでしょうか。




[6442] Re: Y-D系統

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月20日(土)12時37分55秒   通報   返信・引用 > No.6439[元記事へ]

秦野北斗さんへのお返事です。

> また、笑い話ですが、古代の韓国は日本の一部だった、韓国の歴史は嘘が多い、・・・
>
> 地中海ゲノム1割君の日本人のルーツ(フさん、韓国びいきで、YouTube視て、立腹していたな、完全に洗脳されてる。

1割君は、あいつはアホですよ。

> 卑弥呼さんは凄いぞ
> YouTubeの魏誌倭人伝をアップロード動画の一覧を送ります。

立派なお説と思いますが、ナレーションについては、文章を紙に書いておいて、それを読むほうが聞き取りやすいと思いますね。
アップしてある動画では、中年男のだみ声が邪魔して、ナレーションに集中できまへん。
なんとかしてほしい。



[6441] ~「せしむ」という意味も…!

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月20日(土)08時41分55秒   通報   返信・引用

「令尹(レイイン)(楚(ソ)の 宰相)」「県令」 {名詞}遊びごとのきまり。「酒令(作詩・なぞあてで、はずれた者に罰杯を命ずるきまり)」 .http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html
~「せしむ」という意味も…!
漢和辞典で「令」を調べた。http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html
①のり、おきて。法律。
なるほど、法令、とかね。
②おおせ、おしえ、いましめ
③いいつけ
命令の令だ。

のおさ(長)
県令
あと、~「せしむ」という意味もあるそうだ。使役ということだ。
「せしむ」…
…巡狩(じゅんしゅ)せしむ…
権力を誇示し国土統一をはかることを目的とし,定期的に国内を巡行することが行われ,これを巡狩(守)といった。《書経》の〈禹貢〉は伝承上の天子禹が,治水のために全国を巡行した記録とされるが,中原の漢民族の文化が,さまざまの旅行者によって各地へ広められ,国土が統一されていく過程を示したものであろう。…https://kotobank.jp/word/巡狩-78610

巡狩 東国巡狩(測量?) 北緯35度 景行天皇の東国巡狩(測量?)
「帝禹東巡狩。至於会稽而崩。…https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3994
ちょっこもん【直弧文】 スサノオは、狩(測量も服務)が好きhttp://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2316
狩(測量も服務)http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2465
北緯35度 景行天皇の東国巡狩(測量?) http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/684
巡狩 風后 アンコール「真臘」・・・南蛮 久米?http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1908
東夷(とうい、拼音:Dōng yí)は、古代中国東方の異民族の総称で、四夷の一つである。夷(い)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%B7
「夷」という漢字は「大」な「弓」と書いて、好戦的な民族として、蔑んだ意味合いを込めている。
本来は古代中国が東に位置する山東省あたりの人々に対する呼び名であったが、秦以降は朝鮮半島、日本列島などに住む異民族を指すようになった。後に日本でも異民族を意味する「エビス」という語と一体化し、朝廷(京)から見て東国や蝦夷の人々のことを「東夷(あずまえびす・とうい)」「夷(い・えびす)」と呼んだ。
黄河流域では、ほかの地域に先んじて文明が発達した。黄河文明の担い手であった漢民族は、周辺の諸民族を文化的に劣ったものとして見下した。漢民族は、自らを「華夏」と呼び、周辺の諸民族を「東夷」「北狄」「西戎」「南蛮」と呼んでいた。

東夷
昔、堯が羲仲(ぎちゅう)に命じて嵎夷(ぐうい)に住まわせた。そこを暘谷(ようこく)といい、日の出る所とされた。夏后氏(夏王朝)の太康が徳(天命)を失うと、夷人は初めて叛乱を起こした。
少康(在位:前2118年 - 前2058年)以後、東夷は代々夏王朝の王化に服していた。やがて王化がいきわたり、東夷たちは王門まで招かれるようになったため、そこで彼らの音楽や舞踊を披露した。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%B7
後漢末期の動乱により、遼東地域には公孫氏が三代にわたって割拠していた。中国の天子はこの地域を絶域とし、その一切を公孫氏に委任していた。そのため中国と東夷諸国との国交が断絶してしまった。魏の景初年間(237年 - 240年)、明帝(曹叡)は司馬懿に命じて公孫淵討伐を行い、楽浪郡や帯方郡までを支配することに成功した(238年)。これによって東夷諸国は魏に屈服し、以前のように国交が回復された。
これ以後も歴代の中国王朝と東夷諸国との交わりは行われ、その歴史は二十四史の各『東夷伝』に記されることとなる。

巡狩  アンコール「真臘」・・・南蛮  久米?
巤 ( りょう ) 声。巤は獣の たてがみのある形。狩猟は祭祀のために行われることも多く、古くは「うけひ狩り 獲物で 吉凶を占う」などが行われた。(字通): #4犬+音符巤 毛深い、数多いの意。
かり(獵)http://jigen.net/kanji/29557
放獵するなり、禽きんを逐ふなり、犬に従ひ、巤りょうを聲とす。
かりす。狩猟。春夏秋冬に狩猟の名が異なり、獵はその総名。なお、狩は冬猟をいう。#2声符は巤(説文解字)#3巤りょう声。巤は獣のたてがみのある形。狩猟は祭祀のために行われることも多く、古くは「うけひ狩り獲物で吉凶を占う」などが行われた。(字通)#4犬+音符巤毛深い、数多いの意。犬を伴うのは、狩猟に犬を使用したからであろう。(漢字源)

東国巡狩(測量?)http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/684
・・・




[6440] 「令尹(レイイン)楚(ソ)の県令」

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月20日(土)08時24分41秒   通報   返信・引用

伊都國 …【伊】 考https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?
ツワという竜神は、4500年以上前の北極星である。矢岳の呼び名は、古ヘブライ語の神の山の意味であるから、それを世界へ広めたのはダビデの子ソロモン王の時代で3000年前を想像できる。http://power-spot22.com/yatake-kyosekigun/
矢岳巨石群の中のドルメンの説明文です。

「令尹(レイイン)(楚(ソ)の 宰相)」「県令」 {名詞}遊びごとのきまり。「酒令(作詩・なぞあてで、はずれた者に罰杯を命ずるきまり)」 .http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html



[6439] Re: Y-D系統

投稿者: 秦野北斗 投稿日:2019年 4月20日(土)07時57分8秒   通報   返信・引用   編集済 > No.6437[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

> ところで、古事記に卑弥呼が出てるんですか。
> 大発見ですね。
> 阿波には、@阿波というお方がいるそうですが、ご存知ですか。

秦野は知りません、全国では2100人いるとか、

https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E9%98%BF%E6%B3%A2

古事記に、伊豫國(伊予、愛媛)讚岐國(讃岐、香川)粟國(阿波、?徳島)土左國(土佐、高知)
なんです。人名ではない模様。史記によると2600年前からなんです。

内緒ですよ、

現在の説は、大化の改新の後に「粟国」に統一され、・・・令制国では阿波国と呼ばれていました。
http://www.kakeisi.com/survey/survey_tokusima.html

しかし、中国史籍、万葉集の記録では、大化の改新は存在していない、日本書紀の捏造なんです。

また、笑い話ですが、古代の韓国は日本の一部だった、韓国の歴史は嘘が多い、・・・

地中海ゲノム1割君の日本人のルーツ(フさん、韓国びいきで、YouTube視て、立腹していたな、完全に洗脳されてる。

卑弥呼さんは凄いぞ
YouTubeの魏誌倭人伝をアップロード動画の一覧を送ります。
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw



[6438] Re: Y-D系統

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月20日(土)07時01分14秒   通報   返信・引用 > No.6437[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

【?】「ユッド」です。
《数字》…10
《語源》…二の腕から指までの手【???】「ヤード」の形
《意味》…神の手?力。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」

「ユッド」の文字は「主(神)」を意味する。つまりこのお守りの飾りには「神が彼を保護される」という意味があるhttp://nihonjintoseisho.com/blog001/2018/07/19/japan-and-israel-41/

ヘブライ文字(ヘブライもじ、ヘブル文字とも)とは、ヘブライ語やイディッシュ語を表記するための文字である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘブライ文字
現代のヘブライ文字は、アラム文字より派生したアブジャドの一種で、右書き(右から左に)で書く。ヘブライ語の話者はヘブライ文字をアレフベートと呼ぶ。22文字の子音文字からなる表音文字で、うち k、m、n、p、? の5つの文字に非語末形と語末形(ソフェート)の区別がある。
音素文字の歴史
青銅器時代中期 前19?15世紀
ウガリット 前15世紀
原カナン-フェニキア 前14世紀
古ヘブライ 前10世紀
サマリア 前6世紀
アラム 前9世紀
ブラーフミー(およびインド系) 前6世紀
チベット 7世紀
クメール 7世紀
ジャワ 9世紀
他多数・・・



> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> > > 彼が乗っている馬には、鼻と胸の部分に勾玉とみられる青い色の装飾物が描かれています。
> >
> > 勾玉は気ずきませんでした。勾玉(玉)は日本独自のものです、古事記に太安万侶は玉は王のしるし
> > と言っている。古事記に卑弥呼は勾玉を付けると・・・、前1世紀前半、弥生時代のようです。
>
> このパジリクの勾玉は、ミハイル大皇帝という人物が指摘したものです。
> まったく、驚きですね。
> 一方、このマフラー男をバイクに乗せたら、現代でも通用しそうな伊達者ではないでしょうか。
> いや、こんな男、確かにおりますよ。
>
> ところで、古事記に卑弥呼が出てるんですか。
> 大発見ですね。
> 阿波には、@阿波というお方がいるそうですが、ご存知ですか。
>
>



[6437] Re: Y-D系統

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月20日(土)01時53分2秒   通報   返信・引用 > No.6436[元記事へ]

秦野北斗さんへのお返事です。

> > 彼が乗っている馬には、鼻と胸の部分に勾玉とみられる青い色の装飾物が描かれています。
>
> 勾玉は気ずきませんでした。勾玉(玉)は日本独自のものです、古事記に太安万侶は玉は王のしるし
> と言っている。古事記に卑弥呼は勾玉を付けると・・・、前1世紀前半、弥生時代のようです。

このパジリクの勾玉は、ミハイル大皇帝という人物が指摘したものです。
まったく、驚きですね。
一方、このマフラー男をバイクに乗せたら、現代でも通用しそうな伊達者ではないでしょうか。
いや、こんな男、確かにおりますよ。

ところで、古事記に卑弥呼が出てるんですか。
大発見ですね。
阿波には、@阿波というお方がいるそうですが、ご存知ですか。



[6436] Re: Y-D系統

投稿者: 秦野北斗 投稿日:2019年 4月20日(土)01時11分38秒   通報   返信・引用   編集済 > No.6434[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

> 彼が乗っている馬には、鼻と胸の部分に勾玉とみられる青い色の装飾物が描かれています。

勾玉は気ずきませんでした。勾玉(玉)は日本独自のものです、古事記に太安万侶は玉は王のしるし
と言っている。古事記に卑弥呼は勾玉を付けると・・・、前1世紀前半、弥生時代のようです。

パジリク古墳群(パジリクこふんぐん)
男子のうち2号墳で発見された1体には、両手と胸背部及び右足に四足獣や怪獣、魚などを表現した黒色の刺青がある。副葬品には、現存最古と考えられる西アジア産のコリアンダーの種子、西アジアの中でもペルシャ産の精巧な毛織物や絨毯、エジプトからの宝飾品やビーズ、インド洋岸産の子安貝、中国産の青銅鏡、絹織物が、西方のスキタイ文化の系譜に連なる動物文様で飾った遺物に加えて出土し、当時の東西交流の盛んな実態を示す貴重な資料となっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%AF%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4







[6435] 旧約聖書とY-Q系統

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月20日(土)00時32分59秒   通報   返信・引用   編集済

また、昨晩に続きですが、昨晩はアシュケナージ・セファラディ系ユダヤ人のハプロタイプとY-Q系統の比較から、最終的にアブラハムをQ1bの祖であるQ-L245と比定しましたが、なぜアブラハムがQ系統に属していたのかについては触れていませんでした。(Q系統の分岐については、こちらのYfullサイト(https://www.yfull.com/tree/Q/) をご参照ください)

そこで、そのアブラハムについて調べていくと、まず、彼は記録によると、ウルに住んでいたことが記されています。詳しい移動の経緯は下記のとおりです。


詳細は旧約聖書冒頭の創世記の12章から25章にかけて、大洪水やノアの箱舟の物語とバベルの塔の話のあとに描かれている。アブラハムは伝説と歴史の間に生きている[5]。この項では、元の名のアブラムを基本に、記述を進める。

テラの子アブラムは、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウルにおいて裕福な遊牧民の家に生まれたと学者らによって考えられている。カルデアのウル(w:en:Ur_Kaśdim)はメソポタミア北部と南部の説があり、どちらなのかは確定していない。

テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たるロト、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。しかし、途中のハランにテラ一行は住み着いた。

アブラムは、父テラの死後、ヤハウェ神(????)から啓示を受け、それに従って、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに約束の地カナン(パレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時のことである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0


最終的にアブラハムはイスラエルの地に入るのですが、まずメソポタミア南部のウルから、シリア北部のハランを経由して、イスラエルに向かっています。

図1はwikiからの引用図ですが、こうみると、ウルからチグリス川沿いに北上し、シリアを経由して、イスラエル方面へと南下したことがわかります。

ここでウルですが、アブラハムの時代は前2,000~1800年とされますから、シュメール文明のウル第3王朝が滅亡する前2004年前後の人物だったと考えうるでしょう。

シュメール人のウル第3王朝は、その後セム系のアッカド人に滅ぼされますが、アブラハムがシュメール人だったならば、その時期に北上して逃亡したかもしれないし、アッカド人だったならば、その後の移住になるでしょう。

仮にシュメール人だったとすると、まずシュメール語については考える必要があります。下記のとおりです。


シュメール語と同系統と考えられる言語はこれまでのところ発見されていない。一般には系統不明とされる。 シュメール語圏にはセム語を話す人々が混住していたが、セム語との系統関係は認められない。近年エラム語とシュメール語の系統関係の存在を主張する者もいるが、立証されていない。母音調和が存在する膠着語という点ではウラル語族、アルタイ語族とも類似するが、シュメール語は能格言語、ウラル・アルタイ諸語は対格言語という根本的相違がある。能格言語で膠着語の言語はバスク語やカフカス諸語があり、シュメール語はこれらに近縁かも知れない。これを支持する説としてデネ・コーカサス大語族がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%AA%9E


そのシュメール語が、デネ・コーカサス大語族だとすると、QR系統の親となるP系統との関わりがみえてきます。下記のとおりです。


デネ・コーカサス語族が仮に成立するとすれば、このグループはハプログループQ (Y染色体)(デネ・エニセイ語族話者に高頻度)とハプログループR (Y染色体)(バスク語、コーカサス諸語話者に高頻度)の共通祖先ハプログループP (Y染色体)の子孫の系統の言語ということになる可能性がある。予察の域を出ないが、全球規模の大スケールで遺伝子と語族が相関している可能性がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B9%E5%A4%A7%E8%AA%9E%E6%97%8F


特にP1系統については、アルタイ・トゥバ方面でQR系統に分岐したことを先日お話したところですが、Q系統の初期系統、特にQ*はここから南下して、イラン北部・コーカサス南部に移動したことを述べたとおりです。一部はアフガンのユダヤ的な風習をもつパシュトーン人に見えてきます。

さらにそのQ*はレバノン、トルコ、さらに一部はアラビア半島にまで南下していきます。詳しくは下記の英語版wikiの分布をご参照ください。

https://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_Q-M242

ここでQ*は、Q1の兄弟系統となりますが、ごく初期系統であることは間違いないでしょう。

また、Q1* もイランにみえてきます。こちらのwiki参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97Q_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)

具体的にはwiki引用のこちらのサイトに、アッシリア人とペルシャ人、ゾロアスタリアンにみえてきますね。分布表も図2として引用します。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0041252

このQ1はイラン東部からイラク北部に主な分布があったことがわかりますが、そこから、北方に向かうQ1aと、中東のQ1bが分岐したのでしょう。

以上のことから、Q系統の流れとしては、まずQ1とQ*はアルタイ方面から南下して、コーカサス南部を経て、イラク北部・イラン東部へと移動、ここからQ1bが生じて、シリア経由でイスラエル方面へと流れていったはずです。

なお、シュメール語を継承したフルリ人がウラルトゥ方面に見えることがあり、そのウラルトゥを通過して、コーカサス南部からイラク北部へと移動するルートがあったことも先日お話したところです。

そして、そのウラルトゥの語源が、つまりアララト山にあり、このアララト山に、アブラハムの祖先のノアが、到達したことになっています。

そこで、そのQ1bをアブラハムとすると、その親系統のQ1はアララト山にたどり着いたノアからアブラハムまでの200年+α年の集団と考えうるかもしれません。系譜は下記のとおりです。

ノア・セム・アルパクシャド ? シェラ ? エベル ? ペレグ ? レウ ? セルグ ? ナホル ? テラ ? アブラハム

ただ、出エジプト以後のイスラエル人のヘブライ語はアフロ・アジア語族のセム語となっており、これは、エジプト時代の影響が大きいのではないでしょうか。

実際、先日みたように、離散ユダヤ人の遺伝子には、アラブ人に多いJの他エジプトに多いEも見えてきます。

ただ、それ以前のイスラエル人は、逆に先のようにアララト(ウラルトゥ)からイラク北部のQRJ系統メインだった可能性も感じます。

先日分析したように、ノアからアブラハムに至るまでに、スキタイ人などQR系統と考えうる系統も多くみえますからね。

あと、ノアの洪水の年代ですが、下記のwikiにあるように、アララト山にノアの箱船伝承に対応する巨大船の残骸が残っており、そのC14年代などから、4800年前で一致しているので、前2800年前後に洪水があったと考えるのが自然でしょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F#%E6%AE%8B%E9%AA%B8%E7%99%BA%E8%A6%8B

それで、その時期をノアの時代とすると、先のセムからアブラハムまでは200年しかないので、実際のアブラハムの時代が前2000~1800と考えられていることからみて、600年前後足りない計算です。

ただ、ノアがセムを産んだのが502歳で、ノアが600歳のとき、つまりセムが100歳ごろに洪水にあったことになるので、100年プラスできるでしょう。

それでも500年足りないのですが、これをノアが産まれたときに直すと、ちょうど前2800年前となり辻褄があいそうです。

いずれにせよ、前2800年ごろには、世界各地で洪水伝承が残っており、インダス文明の滅亡などもあるので、隕石落下などによる巨大津波があったのではないかと考えてきた次第ですが、その件については、過去に論じたので割愛しますが、またご意見・情報などございましたら、宜しくお願いします!

あと、ノア以前のアダムからの人類の歴史についても、Y-DNAから考えてみたいとおもいましが、また明日あたりにお知らせいたします・・・。



[6434] Re: Y-D系統

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月19日(金)23時18分18秒   通報   返信・引用 > No.6426[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> 3万年前の温暖期に、脱アフリカして、アジアへ東遷した一派が、その台湾から南西諸島あたりにいて、その後の極限的な寒冷化の時代をその辺ですごしたのち、1万2000年ごろから北上を開始して、一部はアルタイ方面まで向かったものがいたのかもしれません。

前3世紀前半とみられるアルタイのパジリク古墳群出土の壁掛けの絵がらに、馬に乗ったマフラー男があります。
彼が乗っている馬には、鼻と胸の部分に勾玉とみられる青い色の装飾物が描かれています。
前3世紀前半は、弥生時代中期前半頃に当たります。
ちょうど青銅器、鉄器がもたらされた時期です。
我々は、大陸から朝鮮半島を経て交易品が一方的に流入したような先入観がありますが、パジリクのマフラー男の馬に勾玉が飾られていることからすると、交易は必ずしも一方通交だったのではないことが分かります。
そして、その交易路は、朝鮮半島から瀋陽、ゴビ砂漠を北上してウランバートル、それからハンガイ山脈南縁、アルタイ山脈南縁を伝ってウルムチに出るルートだったのではないでしょうか。
このルートは、おそらく縄文時代にも存在したと想像することは可能でしょう。
縄文人は、早期には少なくとも満州の遼河地方までは北上していた形跡があるようです。
そのルートを通ってアルタイあたりまで進出していたとすれば、ロマンがありますね。



[6433] Re: Y-D系統

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月19日(金)22時40分17秒   通報   返信・引用 > No.6430[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

> 時期的なものを考えますと、この1万2000年前頃には九州にはすでに先住縄文人がいたことが分かっています。
> そこへ南方から舟で南九州に上陸した者たちがいたということになります。
> その後、縄文早期末までにこの南方系渡来人たちは北上して明石付近にまで達したことが分かっていますし、無人の朝鮮半島へも進出したようです。
> 土器などからみて、どうも満州の遼河あたりにまで進出していたふしがあるとされます。
> 以下に述べておられる通りではないでしょうか。
>

まったくおっしゃるとおりですね。と、縄文人のメインとされるC系統の北上の件を忘れてましたね。D系統はHLAパプロタイプやミトコンドリアのそれとあわせて、先日はC系統より後に日本へやってきたことを考えていたのですが、どちらも南方から北上したことになるでしょうか。

あと、港川人など旧石器時代人については、骨格的に縄文人のそれと異なることで、デニソワ人の末裔などではないかと予想しましたが、どうなんでしょうね・・・。


>
> チベットなどのD1aが、おっしゃるように東遷してきた者たちであるとすれば、北回り期待者としてはD1bもその範疇に入れるのが妥当なように思いますね。

そうですね!



[6432] Re: MT理論は10年古いですね

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月19日(金)22時33分44秒   通報   返信・引用 > No.6428[元記事へ]

Kawakatuさんへのお返事です。

> 篠田氏が描いたミトコンドリア遺伝子分析は、もう10年前の考え方でした。ぼくは当時すでに、三世代も経てば消えてしまう母方遺伝子や、わずか次世代で消えてしまうY染色体遺伝子からでは真実はわかるはずがないと民族学伝承ひろいあげ辞典に書きました。そのとおり、篠田氏も研鑽し、ゲノム遺伝子(核DNA)での分析を即座に開始し、結論としてTVで、すでにさまざまの論を展開し始めています。素直に、彼は自説を間違いと破棄したのは素晴らしいことです。そんな学者は少ない。
>

そうですね、ミトコンドリア分析は、他のハプロ集団と交雑する環境がないなど、特定の条件を限定しないと使えませんね。

核DNAなど、新手法がどんどん開発されてきているようですし、楽しみになってきました。古い手法のみにしがみつくのは良くないと思います。ただまた古い手法での、その長所を見直していくことも重要です。骨格分析など、まだまだ面白いところもありますよ・・・。特に縄文人と其れ以前の人種との相違などには・・・。



[6431] 離散ユダヤ人とY-Q系統

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月18日(木)22時32分12秒   通報   返信・引用   編集済

昨晩、アシュケナージ系ユダヤ人とセファラディ系ユダヤ人にみえるY染色体Q系統の種類の比較をしましたが、その結果として、前者がすべてQ1bの中でもQ-L245-Y2200のみであるのに対して、後者は同じQ1b系統でもその種類がばらけており、なぜその相違があるのかが未解明でした。

具体的には後者は、Q-L245-BZ3900、Q-L245-YP745 Q-L245-YP1237 Q-L245-BZ15
に見えてくるのですが、特に前三者は、昨晩も指摘したように、L245 (Q1b1a1)のから別れ出る4つの子系統のうち、それぞれQ-BZ310、Q-BZ3896、Q-YP745の3つの系統に属します。
昨晩もご紹介したYfullサイトから引用する図1、2を参照ください。

Yfull
https://yfull.com/tree/Q-L245/

なお、その4つ目の子系統Q-Y2998から、Q-Y2209を経由して、Q-Y2225(Q-Y2200)が出てきて、これが先のアシュケナージ系ユダヤ人の属する集団となるので、このQ-Y2225をイスラエル12支族のうち南ユダ王国(後のユダヤ)にいたユダ族とみなし、その親系統にあたるQ-Y2209を12支族の始祖ヤコブと見なした経緯がありました。図3をご参照ください。

実際、そのQ-Y2209から別れ出る4系統には、ヨルダン、トルコ、中国(日本?)と、離散した北イスラエル王国の10支族らしき集団が見えてくることがあり、その年代推定も、ちょうど北イスラエル王国が崩壊した前700年代を示す結果となっていましたね。

それで、その論理から類推して、そのヤコブとみなしたQ-Y2209の親のQ-Y2998をヤコブの父・イサクとし、そのイサクから別れ出る二系統のうちの一つQ-ZS7712を、ヤコブの兄弟エサウの子孫のエドム人(イラク人がみえます)と見なしたことがありました。

その論理でいくと、そのイサクの兄弟系統が、先のセファラディ系ユダヤ人にみえる3つの系統となるわけですから、そうすると、アブラハム(つまりQ-L245=Q1bの始祖)の子・イサクの兄弟としてしられるイシュマエル人やミディアン人が、本来はそのセファラディ系ユダヤ人の一部?の祖先となるはずです。

しかし、昨晩もお知らせしたこちらのサイト(https://jewishdna.net/Jewishtable.html)にみえるセファラディ、アシュケナージのYハプロ比較においても、ほとんど同じ種類と割合でY-J、G、T、E、Rなどが見えることからして、両者は中東のパレスチナ周辺で極めて近い地域に住んでいたことが予想され、かつ習俗もユダヤ教で一緒なのですから、アラブ人の祖とされるイシュマエル人とは考えにくいことがあります。

だから、どちらもユダヤ自治州がローマによって滅ぼされるまでそこに一緒にいたと考えるべきで、つまりユダ族だったことになるのですが、特に先のアシュケナージ系ユダヤ人にみえるQ-Y2200については、すでに中東由来であることは共通認識がもたれているところです。

ただ、正確にはユダ王国には、ユダ族とは別にシメオン族がいたことが知られています。

そこで、このシメオン族の由来を調べていくと、ヤコブの息子のユダの兄弟シメオンを始祖とするのですが、先のイシュマエル人との関係性について下記のようにwikiには記されています。


トーラーのテキストでは、シメオンの名前は、レアがヤコブに(ラケルほど好かれていないという意味において)嫌われているのを神が耳にしたために神が授けてくれた子であるとのレアの確信により付けられた。ヘブライ語で「彼は私の苦労を耳にした」という意味の言葉である「shama on」の語源ともなっており、トーラーがテオフォリックネーム (en)を与えたイシュマエル(神があなたの苦しみを聞いた)と類似した語源である。これは、シメオン族が当初イシュマエル族のグループであった可能性を示唆している。古典的なラビ文学 (Rabbinic literature)において、この言葉は時々「神の言葉を聞くもの」を意味すると解釈される。そしてそれは「罪」という意味である「sham 'in」に由来していると考えられる。それはシメオン族の司であるジムリがミデヤン人の女性と交わった事への預言的な言及であることを示している(ラビの教義では他民族との交配は罪深いことであると考えられている)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E5%AD%90)


そのシメオンの領地は、下記のwikiのイスラエルの地図をみていただきたいのですが、南ユダ王国の中でも、特に南に位置しています。またそのシメオン族の由来については下記のとおりです。ちょっと長いですが、部分的に引用します。


トーラーによると、シメオン族はヤコブとレアの第2子であるシメオンの直系の子孫によって構成されており、シメオンの名よりシメオン族と呼ばれる。しかし、一部の聖書学者はこれをポストディクションであり、イスラエル連合における他の部族との関連性を説明するための起源論的なエポニム、メタファーであると見ている[4]。聖書学者は、シメオン族が原初のイスラエル連合の部族の中の一つであると聖書の著者は見ていたと信じている。しかし、シメオン族は古代のデボラの歌(士師記第5章)では言及されておらず、一部の学者はシメオン族が当初は独立した部族として考えられていなかったのではないかと考えている[5]。イスラエル・フィンケルシュタインによると、デボラの歌の書かれた時代にはシメオン族のいたカナンの南方地域は他の部族から離れた場所に位置する取るに足らない辺境だったとしている[6]。

歴代誌から得られる情報としては、シメオン族が一つの場所に固定されていないことが分かる。歴代誌上の第4章ではシメオン族の一部のメンバーが南方へ移住し、ゲドルにおいてよい牧草地を見つけたとされる[7]。また、ヒゼキヤの支配の間にシメオン族の一部がメウニム人の土地へ行き、彼らを虐殺して土地を奪ったされる[8]。シメオン人の内500人はセイル山 (en)へ移住し、そこに定住していたアマレク人を虐殺したともされている[9]。十数個の町と、ベエル・シェバを含める、シメオン族の領地は、ユダ族によって保持されており[10]、シメオン族はかなり早い段階でユダ族に吸収されていたものと考えられている[11]。

シメオン族に与えられた町はヨシュア記において指定されている[12]。しかし、同書の別の記述ではこれらの町のいくつかはユダ族のものとされている[5][13]。一部の本文批評学者は、ヨシュア記がいくつかの原文から繋ぎ合わされたものであると見ており、町のリストが重複するこの特定のケースは、それぞれ時期の異なる文献がつなぎ合わされたために生じたと考えている[4][5]。

シメオンの部族はレビの部族のように、シュケムでの虐殺の罰としてイスラエルの部族の中に散らされると定められた。レビ族は司祭として全イスラエル中に散らされたのに対し、シメオン族はユダ族の中に散らされた。民数記に記述される2回の人口調査において、シメオン族は出エジプトの際には、軍務につくことのできる成人男子は59,300人であり、その数は12部族のうち第3番目だったが、第2回目の人口調査では22,200人と半減して最下位となり、シメオン族の規模は劇的に減少した。聖書では一回目の人口調査を出エジプト時に配置するが、本文批評学者は、この記述がおよそ紀元前700から600年の期間の司祭資料に由来するものだと見ている[5][14]。シメオン族の名前は申命記に記されたモーセの祝福には一切出て来ないため、本文批評学者は、申命記文書作者の時代はこれらの人口調査が行われるよりも後の時代であると考えている[14]。

シメオン族はユダ王国の一部として、最終的にバビロン捕囚を受けた。バビロン捕囚が終わった時には、シメオン族とユダ王国の他の部族との区別を失い、ユダヤ人と共通のアイデンティティを持つようになった。にもかかわらず、ミドラーシュの外典によると、シメオン族はバビロニアから (現在のエチオピア)のthe dark mountainsの背後に追放されたと主張している[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%97%8F


このようにシメオン族については、初期の時点ではイスラエルの中にいなかった可能性があり、またバビロン捕囚後にユダ族とシメオン族の区別があまりなくなった後でも、アクスム王国(紀元前5世紀頃から紀元後1世紀)関連記載にみえるように、ユダヤ人内で両者間で、後代までなんらかの区別が意識されていたことがあり、それが、最終的にローマ帝国へとユダヤ人が離散するにおよんで、アシュケナージとは異なるセファラディ集団として別々な行動をするに至ったのではないでしょうか。

あと、先のイサクとイシュマエル(人)と兄弟系統のミディアン人についても、後代、ユダヤ人に吸収されているので、その遺伝子もユダヤ人の中にみえてくることも考慮すべきでしょう。

ミディアン人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%87%E3%83%A4%E3%83%B3%E4%BA%BA

このように、先のQ1b系統の系譜をみていくと、イスラエル人の歴史記録に見事に対応する結果が見えてくることがあり、単なる偶然では片付けれないはずです。残りのQ1系統についても、旧約聖書のアブラハム以前の系譜と結びつけうるように考えてますが、また何かご意見などございましたら、よろしく分かち合い下さい!



[6430] Re: Y-D系統

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月18日(木)20時55分7秒   通報   返信・引用 > No.6426[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> asiさんへのお返事です。

> 縄文人が日本へ渡ってくる1万2000年前は、ちょうど氷河期が終わって、暖かくなりはじめるとともに、100m以上海退していた大陸棚が、一気に洪水で埋もれていく時代ですから、その際に南方から住処を追われて北上したのが縄文人だったのではないかと感じますが、その住処は赤道から北回帰線以南の地域、石垣島より南だったのだろうと予想します。

時期的なものを考えますと、この1万2000年前頃には九州にはすでに先住縄文人がいたことが分かっています。
そこへ南方から舟で南九州に上陸した者たちがいたということになります。
その後、縄文早期末までにこの南方系渡来人たちは北上して明石付近にまで達したことが分かっていますし、無人の朝鮮半島へも進出したようです。
土器などからみて、どうも満州の遼河あたりにまで進出していたふしがあるとされます。
以下に述べておられる通りではないでしょうか。

> 3万年前の温暖期に、脱アフリカして、アジアへ東遷した一派が、その台湾から南西諸島あたりにいて、その後の極限的な寒冷化の時代をその辺ですごしたのち、1万2000年ごろから北上を開始して、一部はアルタイ方面まで向かったものがいたのかもしれません。


チベットなどのD1aが、おっしゃるように東遷してきた者たちであるとすれば、北回り期待者としてはD1bもその範疇に入れるのが妥当なように思いますね。



[6429] きついことを

投稿者: Kawakatu 投稿日:2019年 4月18日(木)20時51分42秒   通報   返信・引用

ちょっときついこを言いました。すみません。

それにつけても茨の紀氏さんの饒舌は、あの当時からぶれていませんね。すごいなと改めて寒心しています。^^:)

核心。
核心を語らねばならないのです。主観性は徹底的に排除するしかないです。

答えは客観にある、ぼくは客観しか信じません。そうでない理論なら、聞いても時間の無駄だということなんです。

そのためには、徹底的に本を読まなくちゃ。新しい論説を。少なくとも研究会ならそうあるべきです。



とはいいながら、ぼくも妄想を繰り返している部分はありますけどね~~~

楽しむだけならそれがいいわけですがねえ。

とりあえず、こういうふうに、はたから口だけははさむうるさいおっさんだということね。




[6428] MT理論は10年古いですね

投稿者: Kawakatu 投稿日:2019年 4月18日(木)20時38分45秒   通報   返信・引用

そうか、ここではいまだに篠田のMT遺伝子が語られているのですか・・・。
篠田謙一自身がNHKで語ったように今はもうゲノム分析の時代になっています。

篠田氏が描いたミトコンドリア遺伝子分析は、もう10年前の考え方でした。ぼくは当時すでに、三世代も経てば消えてしまう母方遺伝子や、わずか次世代で消えてしまうY染色体遺伝子からでは真実はわかるはずがないと民族学伝承ひろいあげ辞典に書きました。そのとおり、篠田氏も研鑽し、ゲノム遺伝子(核DNA)での分析を即座に開始し、結論としてTVで、すでにさまざまの論を展開し始めています。素直に、彼は自説を間違いと破棄したのは素晴らしいことです。そんな学者は少ない。

MTはもはや古いと言うことをちゃんとご理解していただきたいですね。

当然、ハプログループなんたら、などはもはやなんの意味もなくなっているのですよ?


ゲノムで語らなくては、人類起源論は無意味です。ちょっと遅いですよ。

ちゃんと本を読んでるとは思えません。悪いけど。








[6427] Re: デニソワ人

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月18日(木)17時52分57秒   通報   返信・引用 > No.6421[元記事へ]

Kawakatuさんへのお返事です。

> ヤフー人類学ニュースで、デニソワ人に三種類の遺伝子保持者があったと伝えられていますね。デニソワ人は現生アジア人と混血しているらしい。つまりわれわれの先祖のひとつですな。ネアンデルタールとは違う、もうひとつの原人となります。
>

そう、デニソワ人、アジアのD系統と交雑しているのではないかと考えてます。それが、先の投稿に記したチベットにいったD系統だたっとするとさらに面白くなりますね・・。


> ブログの方では予告どおり、飛鳥のペルシア人について書きました。斉明女帝とであったトカラ婦人の歌が、どうもペルシア語で解読できるらしい。昔エンタシスのことが盛り上がったけれど、どうもペルシア建築を蘇我氏は取り入れて飛鳥寺などを作ったのかも知れないですなあ。
>


先ほど、かわかつさんのブログのほう、拝読させていただきました。トカラ語で意味不明だった歌が解読できたというのが新鮮ですね。そして、斉明、トカラ人、蘇我氏・・・、かわかつさんの推理、鋭いところついているように感じます!



[6426] Re: Y-D系統

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月18日(木)17時49分12秒   通報   返信・引用 > No.6417[元記事へ]

asiさんへのお返事です。


> D*は中国南部などにもみられ、南の風にのっているようにもみえますね。
> ただ、東南アジアが空白域になっているのが、微妙な点でしょうか。
> 北回り期待者としては、モンゴルの砂の下を掘ってみたいですね。
>
>

そうですね、意外にもスンダランドのあった東南アジアが出てこないんですよね。

東遷についてはなんともいえませんが、北上と南下については、氷河期・間氷期といった気候の影響を考えてます。

それによって植生も異なってくるでしょうし、住みやすく食べ物のあるほうに移動するのが自然です・・・。

縄文人が日本へ渡ってくる1万2000年前は、ちょうど氷河期が終わって、暖かくなりはじめるとともに、100m以上海退していた大陸棚が、一気に洪水で埋もれていく時代ですから、その際に南方から住処を追われて北上したのが縄文人だったのではないかと感じますが、その住処は赤道から北回帰線以南の地域、石垣島より南だったのだろうと予想します。

フィリピンにはD2が見えて、明らかにD1と分岐してますから、フィリピンと日本列島への流れはまったく反対だったはずで、また広東、雲南への流れも、それらと異なるベクトルを向いてますね。

3万年前の温暖期に、脱アフリカして、アジアへ東遷した一派が、その台湾から南西諸島あたりにいて、その後の極限的な寒冷化の時代をその辺ですごしたのち、1万2000年ごろから北上を開始して、一部はアルタイ方面まで向かったものがいたのかもしれません。

ただチベットについては、3万年前の時点でそこにいたとすると、それなりの遺跡がチベットから出てきてもよいように感じます。こんな記事もあるようです。チベットから4万年前の遺跡が出ているようです。


驚いたのは、チベット人特有のDNA塩基配列の古さです。6万2000年前から3万8000 年前の祖先にさかのぼることができ、チベット高原 ... この最初の移住の後に氷河期が厳しさを増し、チベット人とそれ以外の人々との遺伝子混合は数万年にわたって停止した。
https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v14/n4/%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BA%BA/84330

https://spc.jst.go.jp/news/181201/topic_1_04.html



チベットがD1の初期系統であることを考えると、4万年前の時点で、すでに東遷してそこまできていた、そんな推理も可能かもしれませんね・・。



[6425] 大明呪=大いなる智慧の呪文

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月18日(木)14時56分54秒   通報   返信・引用

大明呪=大いなる智慧の呪文
鳩摩羅什はインド名門の貴族出身で350年に誕生し6歳にて出家して仏教の経典を翻訳した訳経僧としても知られています。
摩訶般若波羅蜜大明呪経
『般若心経』といえば、日本では三蔵法師玄奘の訳した経典が有名ですが、般若心経の訳は、玄奘のものだけではありません。いくつかの訳があります。
サ-リ-プッタ"Sāriputta"のプッタとは、「子」という意味です。サーリーという女性の子なので、パーリ語ではサ-リ-プッタ、サンスクリット語ではシャーリプトラ"Śāriputra"といいます。これを鳩摩羅什は「舎利弗」と音写し、玄奘は「舎利子」と意訳しています。
鳩摩羅什は「舎利弗」…この言葉はある特定の鳥を意味し、「鶖鷺」などと漢訳 ...
玄奘は「舎利子」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1073711300

鳩摩羅什(くらまじゅう)・・・鞍馬 ジュー 什(ユダヤ)  https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4532
羌 鳩摩羅什 弥勒 https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1787
鳩摩羅什は、ホータンの大乗仏教の影響下にあったカシュガルの地方で大乗仏教に出会ったのだろうか。https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/41419727.html
鳩摩羅什がここで大乗仏教に出会うことがなければ、中国の仏教はいまとはまったく違うものになっていただろう。
大乗論
5章大乗と小乗(仏教) - アットメール【携帯用メール配信システム】
... キリスト教だと知れると唯一神を信仰するユダヤ教同様迫害を受けるので、大乗仏教とし、天国を極楽とし、 ... 大乗仏教経典は鳩摩羅什(344~413)と言う亀茲国(現東トルキスタン)生まれの高僧が「サン・スクリット(梵字)」から漢訳したものである。 ...
http://www.just.st/index.php?tn=index&in=307743&pan=79
歴史研究・日本属国史研究https://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2508
2柱の神々の合体 聖牛神を崇める秘密結社  https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/634
3.紀元前2世紀頃以降から、日本には秦さん達を含め、多くの渡来人がやって来た。その中に、偽ユダヤ人(悪のフリーメーソン)も混じっていた模様。
  (※ またまた余談ですが、「秦さん」には3種族ありまして、”善と悪となりすまし”の3種のうち、”善”は、各地方に今も健在している「秦さん集落」の人達です(^^)v)
http://tsukioto2011.blog65.fc2.com/category1-5.html
聖書の民、イスラエル民族には、12
の部族がありますが、その中で、ある意味、もっとも活躍するのは、ユダ族です。
聖書の有名な人物、ダビデ、ソロモン、そして、イエスキリストもユダ族の出身です。
このユダ族について聖書、黙示録7章は不思議なことを述べています。
すなわち、終末の日に「日の上る方」すなわち、アジアでユダ族を含むイスラエル12部族が回復、聖霊の印を受けると述べているのです。
東、すなわち、アジアでユダ族が回復するというなら、現在もう既に、真のユダ族はアジアにいる可能性があります。それはどの国か?

般若波羅蜜は大明呪であり、無上明呪であり、無等等呪であると知りなさい。 一切の苦悩を完全に取り除いてくれるのだ。これは真実であって嘘ではない。 では般若波羅蜜の呪文を教えよう。
観世音(=観自在)菩薩、元はヒンズー教のシバ神にあると言われており(仏教者の信仰を否定するつもりはありませんが)、釈迦とは関係ないものです。https://blog.goo.ne.jp/kibinoseizan/e/f06f392a5fcd5a3bbcb6ac2432265ed3
舎利弗よ。(般若波羅蜜の三昧中)色は空であるから崩壊すると苦悩することが無い。受も空だから(快・不快を)感受することが無い。想も空だから(声香味触法を)表彰することが無い。行も空だから(色声香味触法を)欲求することが無い。識が空だから(顕在意識に於いて)知覚・分別することが無い。
舎利弗よ。何故なら(般若波羅蜜に於いて)諸法の相(姿・概念)が空(=知覚されない)であるからだ。だから(彼にとっては)何も生じないし消滅しない。汚いものも浄いものも無く、増えたり減ったりするものが無い(つまり何も無い)のだ。これが空の真理だ。(空には)過去が無く、未来が無く、現在も無いのだ。



[6424] Re: 小学校漢字(形容詞)64 個のソックリさん結果

投稿者: 秦野北斗 投稿日:2019年 4月18日(木)14時18分44秒   通報   返信・引用   編集済 > No.6419[元記事へ]

鳩摩羅童子さんへのお返事です。

凄いですな、早速ですが、小生、般若心経を現代語に翻訳した、般若心経はサンスクリット語を玄奘三蔵が訳とのことだが、翻訳できた、内容に多く矛盾がある。

般若心経を現代語に翻訳した結果は、菩薩の意味は菩と薩は親子になる。
般若心経の文中に「菩つれる薩婆(さつばば)」なんです。

菩薩(ぼさつ)とは、梵名ボーディ・サットヴァ(梵: ??????????, bodhisattva, 巴: bodhisatta) の音写であり・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9

また、玄奘三蔵は600年代の人、般若心経と同一内容が300年代にある。

小生は推測するに、宗教は一般の人はサンスクリット語が読めないので玄奘三蔵の訳と言い騙し、嘘八百を言っている模様?。

般若心経の内容を知られると、宗教は崩壊するぞ・・・あとは・・・


> 小学校の教育漢字の「形容詞」に関し、調査が終わったので、結果を報告します。
>
> ■小学校漢字(形容詞) 64 個
> 右 左 小 正 早 大 遠 楽 強 近 広 高 細 弱 少 新 多 太 長 明 悪 安 暗 温 寒 軽 幸 重 暑 深 速 短 等 悲 美 平 固 健 好 清 静 浅 低 徒 勇 良 冷 永 快 久 均 潔 険 厚 貧 豊 危 激 厳 若 専 暖 著 痛 難 密 幼 朗 貴
>
> ■結果、比率、棒グラフ
>  【賛∪民】100%, ++++++++++++++++++++
>  【賛】91%,++++++++++++++++++
>  【吐】65%,+++++++++++++
>  【民】61%,++++++++++++
>  【41%,++++++++
>  【羌】39%,++++++++
>  【有】36%,+++++++
>  【蛇】33%,+++++++
>  【箍】27%,+++++
>  【尼】27%,+++++
>  【趣】23%,++++
>
> 略字は、【趣】シュメール、【】アッカド、【有】アルバニア、【蛇】ヘブライ、【賛】サンスクリット、【民】タミル、【吐】吐蕃(チベット)、【羌】チャン、【尼】インドネシア印度尼西亜、【箍】タガログ
>
> c. 教育漢字(動詞 [450 語彙])の棒グラフの結果は、下記だった。
>  (【賛∪民】100%,【賛】87%, 【民】66%,【吐】61%,【38%,【有】34%,【箍】31%,【趣】30%,【蛇】27%,【羌】26%,【尼】22%
>



[6423] Re: 再登録

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月18日(木)07時50分45秒   通報   返信・引用 > No.6420[元記事へ]

Kawakatuさんへのお返事です。

> 再登録、入会しました。みなさん、どうぞよろしく。
> なお知人のたつやさんも登録していますので、そちらもよろしく。
>
> メーリングリストが見当たりませんね。
> もっぱら記入はこちらでいいの?

会員登録の件、承りました!メーリングリストのほうに登録させていただきますね。

あと、みなさんのほうでも、会員登録なされたい方がおりましたら、こちらの問い合わせフォームから、連絡先などごご記入してお知らせください。(キシさんのメルアドが不通になっておりますので、再度お知らせください)

http://www.asahi-net.or.jp/%7Erg1h-smed/contact.htm

もっともメーリングリストのほうは、主にイベント情報や近況などの交換用ですので、研究論議のほうは、引き続き、こちらで宜しくお願いします。



[6421] デニソワ人

投稿者: Kawakatu 投稿日:2019年 4月18日(木)07時30分20秒   通報   返信・引用

ヤフー人類学ニュースで、デニソワ人に三種類の遺伝子保持者があったと伝えられていますね。デニソワ人は現生アジア人と混血しているらしい。つまりわれわれの先祖のひとつですな。ネアンデルタールとは違う、もうひとつの原人となります。

ブログの方では予告どおり、飛鳥のペルシア人について書きました。斉明女帝とであったトカラ婦人の歌が、どうもペルシア語で解読できるらしい。昔エンタシスのことが盛り上がったけれど、どうもペルシア建築を蘇我氏は取り入れて飛鳥寺などを作ったのかも知れないですなあ。

あまり意見は書かずに、のんびりとみなさんの諸意見を覗かせてもらいますので、末永く。

http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/



[6420] 再登録

投稿者: Kawakatu 投稿日:2019年 4月18日(木)07時22分5秒   通報   返信・引用

再登録、入会しました。みなさん、どうぞよろしく。
なお知人のたつやさんも登録していますので、そちらもよろしく。

メーリングリストが見当たりませんね。
もっぱら記入はこちらでいいの?

http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/



[6419] 小学校漢字(形容詞)64 個のソックリさん結果

投稿者: 鳩摩羅童子 投稿日:2019年 4月18日(木)01時43分2秒   通報   返信・引用

小学校の教育漢字の「形容詞」に関し、調査が終わったので、結果を報告します。

■小学校漢字(形容詞) 64 個
右 左 小 正 早 大 遠 楽 強 近 広 高 細 弱 少 新 多 太 長 明 悪 安 暗 温 寒 軽 幸 重 暑 深 速 短 等 悲 美 平 固 健 好 清 静 浅 低 徒 勇 良 冷 永 快 久 均 潔 険 厚 貧 豊 危 激 厳 若 専 暖 著 痛 難 密 幼 朗 貴

■結果、比率、棒グラフ
 【賛∪民】100%, ++++++++++++++++++++
 【賛】91%,++++++++++++++++++
 【吐】65%,+++++++++++++
 【民】61%,++++++++++++
 【41%,++++++++
 【羌】39%,++++++++
 【有】36%,+++++++
 【蛇】33%,+++++++
 【箍】27%,+++++
 【尼】27%,+++++
 【趣】23%,++++

略字は、【趣】シュメール、【】アッカド、【有】アルバニア、【蛇】ヘブライ、【賛】サンスクリット、【民】タミル、【吐】吐蕃(チベット)、【羌】チャン、【尼】インドネシア印度尼西亜、【箍】タガログ

c. 教育漢字(動詞 [450 語彙])の棒グラフの結果は、下記だった。
 (【賛∪民】100%,【賛】87%, 【民】66%,【吐】61%,【38%,【有】34%,【箍】31%,【趣】30%,【蛇】27%,【羌】26%,【尼】22%

c. 形容詞の結果は、傾向は動詞と同じだが、【吐(= チベ)】が【民】の順位を抜いた。
 また、【羌】の順位が上昇し、【】と競争の形となった。

c. ヘブライ語は、動詞、形容詞、共に、約 30%  が関与の目安。

★詳細は下記。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_17.html#adjective

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



[6418] 捕囚イスラエル人とY-Q系統5

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月18日(木)00時08分4秒   通報   返信・引用   編集済

一昨日、キシさんからの情報にございましたアシュケナージ系ユダヤ人について少し考えています。

アシュケナージについては、8~9世紀にユダヤ教に改宗したハザール・カガン国の人民に由来するとの見方がありますが、ただまた支配者層をメインとした改宗であるともあります。

こちら参照ください。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sephardi_Jews
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fgene.2015.00012/full


そこで、そのアシュケナージ系ユダヤ人ではなくセファラディ系ユダヤ人の次のY染色体ハプロタイプ分布表(図1)をみると、やはりQが見えることがあり、さらにここ数日紹介してきた下記サイト(Yfullを引用したユダヤ人のY染色体を列記したサイト)でもやはりQ1bがセファラディが少ないながらも見えます。

https://jewishdna.net/Jewishtable.html

Q1bの系統図はこちら参照ください。
https://yfull.com/tree/Q-L245/

そのサイトにみえるセフェラディ系ユダヤ人にみえるQ系統の具体的なサンプルは下記のとおりです。 Sはセファラディ。数字は人数です。

AB-138 Q-L245-BZ3900 2 S
AB-212 Q-L245-YP745 1 S
AB-213 Q-L245-B 1 S
AB-424 Q-L245-YP1237 1 S
AB-432 Q-L245-BZ15 1 S
AB-449 Q-C 1 S

また、昨晩紹介したアシュケナージの系統は下記のとおりですね。144人です。
AB-065 Q-L245-Y2200 144  A
https://yfull.com/tree/Q-Y2200/

あと、The Romaniote Jews にも1人みえます。紀元前300年ごろからギリシャ方面にいたユダヤ人の末裔ですね。もっとも古いユダヤ人のようです。
AB-126 Q-L53-291218 1  R

The Romaniote Jewsについて
https://en.wikipedia.org/wiki/Romaniote_Jews


上記のサンプルを見ていくと、まずアシュケナージのQ1b系統は、すべてQ-Y2200に属するのに対して、セファラディはばらつきがあり、具体的には図1のようにBZ15は、Q1bの初期系統のM378(Q1b1) を親とするBZ386と結びつけられており、formed 6400 ybp, TMRCA 300 ybp、BZ3900は、図2のようにL245 (Q1b1a1)を親とする系統で formed 3100 ybp, TMRCA 2300 ybp、YP745は隣の兄弟系統で、formed 4000 ybp, TMRCA 4000 ybp、YP1237は その隣の兄弟系統YP745 の最下層の系統になり、formed 4000 ybp, TMRCA 1100 ybpで、図3のとおりです。

あと、先のRomaniote Jewsは、 Q - L274 - L472 - L56 - L53となり、 Q1bではなくQ1a2aの系統となります。

下記のwikiの分岐図をご参照ください。
https://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_Q-M242

これらのアシュケナージ、セファラディ、RomanioteにおけるQ系統内での相違が何を意味するのかについては、もう少し考える必要がありそうですが、これらの集団については、エジプト方面に多いE系統や中東に多いJ系統をメインとしており、彼らが東欧に移住する以前に、すでにパレスチナに出自を有していたことは明らかでしょう。

またセファラディには、ほかの欧州系集団にはみられないR2系統も見られ、この系統がマダガスカル島に見えることは、中東南部からエチオピア東岸経由で向かったと考えうるでしょう。

確かにQ1b系統のうち、アシュケナージ系ユダヤ人とダイレクトに結びつくY2200の年代がybp1550・紀元後550年となり、それまでこの集団の多くが一箇所に集住しながら移動していたことが予想されますが、その親・祖系統がやはりヨルダン・イラクとおった中東方面におり、ここ数日お話してきたように、それらの分岐の様態と年代とが、旧約聖書の記載に対応してくるように見えることからみて、このQ1b系統も、もともと中東パレスチナ方面にいたユダヤ人がもたらしたものと考えるべきように感じますが、まだ十分には確証できない感じですね。

またご意見などございましたら、宜しくお願いします。



[6417] Re: Y-D系統

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月17日(水)23時04分16秒   通報   返信・引用 > No.6416[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

返信、ありがとうございます。


> 全体的にD*は南方系のようにみえますね。
>
> それで、D1a(Z27276)の流れも、YDtreeでみていくと、特にその分岐のD1a2(P99)の初期系統では、雲南がみえてます。その下層分岐のY14761から、ウクライナやカザフスタンがみえてくるので、この系統は南方から北上したのでしょう。
>
> またD1a1についても、D1a1a1 (N1) のひとつ上のD-F901に広東・雲南がみえてますね。その下層にいくほど、台湾から中国、ウズベキスタンと北上・東遷していってます。
>
> ただ、そのwikiにあるように、その分岐の初期のD1a1 (M15)にチベットがみえることですね。
>
> このチベットのそれは、また羌族にも多く、ビルマ・チベット語族に見えるようですが、チベットからビルマへの流れは、西周から春秋・戦国時代にもあった流れでしょうから、比較的新しい時代のもので、やはり元は南にいた集団からチベットへと抜け出した集団が、スキタイ系の集団と混合して、再度南下するという繰り返しの中で生じていったのではないでしょうか・・・。

D*は中国南部などにもみられ、南の風にのっているようにもみえますね。
ただ、東南アジアが空白域になっているのが、微妙な点でしょうか。
北回り期待者としては、モンゴルの砂の下を掘ってみたいですね。



[6416] Re: Y-D系統

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月17日(水)19時53分11秒   通報   返信・引用   編集済 > No.6411[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

> YDNAのことはほとんど分からないのですが、上記の(インド南部にいたと考えられるD*)と同じD*がアルタイ人にもみられるそうです。
> 2%~17%の頻度だそうです。(ウィキ・ハプログループDより)
> このアルタイD*の存在についての説明をどのようにするか、注目されるところです。
> Dの北回り説者がおおいに自慢したいデータなのですが、どうなのでしょうか。

asiさん、こんばんは。さっそく鋭いご指摘ありがとうございました!

なるほど、D*は、アルタイにも見えているのですね。

昨晩も紹介した下記のでみていくと、D*にフィリピン人がいますね。

https://www.yfull.com/tree/D/


同じくwiki日本語版には、またグアム人もアンダマン人とともにみえてます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_%28Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%29


全体的にD*は南方系のようにみえますね。

それで、D1a(Z27276)の流れも、YDtreeでみていくと、特にその分岐のD1a2(P99)の初期系統では、雲南がみえてます。その下層分岐のY14761から、ウクライナやカザフスタンがみえてくるので、この系統は南方から北上したのでしょう。

またD1a1についても、D1a1a1 (N1) のひとつ上のD-F901に広東・雲南がみえてますね。その下層にいくほど、台湾から中国、ウズベキスタンと北上・東遷していってます。

ただ、そのwikiにあるように、その分岐の初期のD1a1 (M15)にチベットがみえることですね。

このチベットのそれは、また羌族にも多く、ビルマ・チベット語族に見えるようですが、チベットからビルマへの流れは、西周から春秋・戦国時代にもあった流れでしょうから、比較的新しい時代のもので、やはり元は南にいた集団からチベットへと抜け出した集団が、スキタイ系の集団と混合して、再度南下するという繰り返しの中で生じていったのではないでしょうか・・・。

しかし、確かに DE* が、シリア・チベットに見えるそうですから、シリアからチベットへという北方遊牧民ルートを想定した気持ちもわからなくはないです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_DE


もう少し、データが揃ってくれば、移動経路も明らかになりそうですが、今の段階でははっきりと断定できる要素はないのでしょうね・・・、どなたかわかる手段を知ってる人いればお教えください・・。



[6415] 人類の起源は東アジアか?

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月17日(水)12時43分21秒   通報   返信・引用

 問題の論文を発表したのは、中国科学院の考古学者・吴新智(Xinzhi Wu)氏と米国・テキサスA&M大学人類学部のシーラ・アスレヤ(Sheela Athreya)氏である。今回彼らが注目したのは1978年に中国陝西省大茘(ダーリー)県で発見されたおよそ26万年前のものとされる初期人類の頭蓋骨(ダーリー・スカル)だ。今回ダーリー・スカルの顔面部や神経の形状を、これまでに世界各地で発見された様々な初期人類も併せて詳細に分析し、比較したところ、今年6月にモロッコで発見されたおよそ30万年前のホモサピエンス最古の化石と非常に似ていることが判明したというのである。https://tocana.jp/2017/12/post_15204_entry.html
論文によると、ユーラシアやアジアにいち早く進出していた初期人類の一部がアフリカに戻り、交雑の末に現生人類が生まれたというのである。この大胆な仮説は英「Daily Mail」ほか、様々なニュースサイトで取り上げられた。

東アジアはホモサピエンスの進化に大きな役割を果たしたのか?https://tocana.jp/2017/12/post_15204_entry_2.html
この仮説はあくまで化石の形状だけを根拠にしており、遺伝子の解析は行われていない。現代人や化石から抽出された初期人類の遺伝子研究では、人類のアフリカ単一起源説を支持している。また、問題のダーリー・スカルに見られる特徴はホモサピエンスの進化とは関係なく起こった別の進化の結果であるという指摘もなされている。
 以前より中国では、人類の進化では東アジア(要するに中国)が大きな役割を果たしたという研究がたびたび発表されており、今回の発表もその一環といえるだろう。とはいえ、ホモサピエンスの進化には謎が多く、最近では我々が考えているよりはるか昔からアフリカ大陸や西アジア(中東あたり)の広い地域に分布していた可能性も指摘されている。果たして東アジアに生きたダーリー人はホモサピエンスの進化に貢献したのだろうか? 吴氏は今後もダーリー・スカルの研究を進めるという。



[6414] サピエンスもユーラシアで誕生した…

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月17日(水)12時30分13秒   通報   返信・引用

デイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)は、サピエンスとネアンデルタール人の交雑を証明したマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボとともに、この「古代DNA革命」を牽引する現役の遺伝学者が学問の最先端を一般向けに紹介した刺激的な本だ。
今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など 人類史の常識が次々と覆されている1http://blog.livedoor.jp/gensenkeijiban-jinrui/archives/2018-11.html
その後、サピエンスの解剖学的特徴をもつ最古の化石が発見され、その年代が約33万~30万年前とされたことで、従来のアフリカ起源説は大きく動揺することになる。“最古のサピエンス”はジェベル・イルード遺跡で見つかったのだが、その場所は北アフリカのモロッコだったのだ(正確には石器や頭蓋の破片が発見されたのは1960年代で、近年の再鑑定で約30万年前のものと評価された)。
 アフリカ起源説では、サピエンスはサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡って「出アフリカ」を果たしたとされていた。だが30万年前に北アフリカにサピエンスが暮らしていたとなると、この通説は覆されてしまうのだ。
遺伝学的には「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」がある
 遺伝学的には、サピエンスは「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の大きく2つの系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年ほど前にアフリカを出て世界じゅうに広がっていき、アフリカ系統はそのまま元の大陸に残った。
 この2つの系統は、ネアンデルタール人のDNAを保有しているかどうかで明確に分かれる。ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったため、アフリカにいるサピエンスとは交雑せず、そのためアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。
 従来の説では、ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多く発見されたため、出アフリカ後に北に向かったサピエンスが交雑したとされていた。だが現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5~2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。
 分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万~38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万~55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。
 ここでライクは、きわめて大胆な説を唱える。サピエンスもユーラシアで誕生したというのだ。

さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。
 ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万~55万年前)よりもさらに古い140万~90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したと考えられる。
 約5万年前にサピエンスが「出アフリカ」を遂げたとき、ユーラシアにはすくなくともネアンデルタール人とデニソワ人(アウストラロ・デニソワ人)という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇した。交雑というのは性交によって子どもをつくることで、動物の交配(品種改良)を見ればわかるように、きわめて近い血統でなければこうしたことは起こらない。
 分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万~38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万~55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。
 ここでライクは、きわめて大胆な説を唱える。サピエンスもユーラシアで誕生したというのだ。https://diamond.jp/articles/-/182802



[6413] ヨーロッパ人の遺伝子構造

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月17日(水)12時12分39秒   通報   返信・引用

古代の骨から採取したDNAを調べた結果、現代ヨーロッパ人の遺伝子構造は6500年前、新石器時代の中期にあたる紀元前4500年頃に定着したことがわかった。約7500年前にやって来た最初の農耕民や、さらに古い時代の狩猟採集民がもたらしたものではなかった。
ヨーロッパ人の遺伝学的な起源が判明https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7884/
ハプログループHの変異は、何千年も前からヨーロッパ人の遺伝子構造に存在した可能性が過去の研究によって示されている。
 この集団がヨーロッパで優勢になった経緯はわかっていない。最後の氷河期が終了した約1万2000年前から人口が急増し、ヨーロッパ大陸に広がったのではないかという説もある。
 しかし、クーパー氏らによる最新のデータは、現代ヨーロッパの遺伝的な基盤について異なる姿を描き出している。1度や2度の移動ではなく、複数の集団が異なる方向からさまざまなタイミングで波のように押し寄せ、ヨーロッパの人種構成は数度にわたって一変したというのだ。
 最初の現生人類は3万5000~4万年前、アフリカからヨーロッパにやって来た。3万年前ごろまでにはヨーロッパ全域に広がり、一方、近縁種のネアンデルタール人は消失。これら狩猟採集民のDNAが、ハプログループHだった可能性は低い。
 約7500年前の新石器時代前期、今度は中東からヨーロッパに次の波が押し寄せた。作物の栽培方法とともに、ハプログループHの変異型が持ち込まれた。
 考古学者たちは、中欧にやって来た最初の農耕民が形成した文化を線形陶器文化(LBK)と呼んでいる。線形の装飾を施した陶器が多く見つかっているためだ。
 遺伝的な証拠によって、LBKの農耕民と彼ら固有のハプログループHの到来が、ハプログループUの激減と一致することが示されている。当時、ヨーロッパの狩猟採集民の間では、ハプログループUが優勢だった。
ところが研究チームの遺伝子解析結果は、常識を覆すような事実を示している。約6500年前の新石器時代中期、LBKの文化が衰退。そして突然、このグループ固有のハプログループH変異型が希少な存在となり、同グループの異なる変異型を持つ人々に取って代わられてしまうのだ。

ヨーロッパ人の起源となるDNAの解析
DNA研究では、スラブ民族と非スラブ民族は大きな違いが無いhttps://遺伝子検査キット.com/europian/
さらにアフ リ カでも,原人から旧人への進化がなされたことも判明した  ?
自分の祖先のルーツを調べる遺伝子検査を行うと、アジア人でもアフリカ系のDNAを確認することが出来る、また東アジア人と異なり、ヨーロッパ人に近いのはインド人やパキスタン人、ギリシャ、トルコ等中東方面で、アフリカ人、 ヨーロッパ人、 アジア人の集団間による差は、現代人ホモ ・サピエンスの起源がカギとなる7万から5万年前にアフリカから外へ移住して、結局ヨーロッパとアジアに於いて進化し既存のヒトになったと考えることが出来る。



[6412] 12万年前 ネアンデルタール人?

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月17日(水)11時29分0秒   通報   返信・引用

日本列島での人類の足跡も12万年前(島根県出雲市多伎町砂原 砂原遺跡)に遡る[† 1]。この時代に属する遺跡は、列島全体で数千ヵ所と推定されている。https://ja.wikipedia.org/wiki/日本列島の旧石器時代
従来の学説では氷河期に日本列島は大陸と陸続きになり日本人の祖先は獲物を追って日本列島にやってきた[1]とされてきたが、近年の研究では氷河期の最寒期でも津軽海峡、対馬海峡には海が残り陸続きにならなかったことが分かってきた。また舟を使わないと往来できない伊豆諸島・神津島産の黒曜石が関東地方の後期旧石器時代の遺跡で発見されていることなどから、「日本人の祖先は舟に乗って日本列島にやってきた」という研究者の発言[2]も新聞で報道されている。しかし、この時期には船の遺物は発見されていないため少数の意見である。
一方、約4万年前の後期旧石器時代早期より黒曜石の採掘が続けられた栃木県高原山黒曜石原産地遺跡群では知的で効率的な作業の痕跡も確認されている。
また、4万年~3万年前には世界最古の磨製石器が製作されており、すでに日本では独自の文化が形成されていたことがうかがえる。
岩手県遠野市の金取遺跡(9~8万年前)から中期旧石器が、島根県出雲市の砂原遺跡(約12万年前)では前期旧石器などの遺物が発見されている。

砂原遺跡(すなばらいせき)は、出雲市多伎町砂原に立地する中期旧石器時代の遺跡である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/砂原遺跡
高原山黒曜石原産地遺跡群、岩宿遺跡や野尻湖遺跡やはさみ山遺跡で発見された遺産には、その当時の人々の影が見えます。現在の日本人のY染色体のハプログループD1b(D-M64.1)は約35%にみられ、アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー博士は、「縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1bが誕生した」とする説を唱えておられます。とすると。高原山黒曜石原産地遺跡群、岩宿遺跡や野尻湖遺跡やはさみ山遺跡で生活していた人達は、ハプログループD1b(D-M64.1)をもった縄文人の祖先となりますね。また、ミトコンドリアDNAハプログループで日本人に多いのはハプログループM7aで、約4万年以上前に誕生したアジア最大の母系グループ「M」型から分岐したM7より分岐したグループで、約2万5,000年前に「スンダランド」で誕生し北上して日本列島に到達した系統、あるいは、シベリア南部~極東あたりで発生した系統があります。
 では、砂原遺跡や金取遺跡で生活していた人達はどのような人類だったのでしょうか。Y染色体で人類の移動を説明している学者の人達は、ハプログループDの親グループのハプログループDEが約6万年前にホモ・サピエンスとしては初めて紅海を渡って、アフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至ったと主張しています。では、12万年にいた日本人はホモ・サピエンスではないのでしょうか。ホモ・サピエンスは20万年前から10万年前にかけてアフリカで現生人類に進化し、約6万年前にアジアにやって来た。とすると12万年にいた日本人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していたネアンデルタール人だったのか。ネアンデルタール人は、約20万年前から生存し、ホモ・サピエンスが新人として世界に散らばった2万年前には絶滅していた。とすると、やはり12万年前にいた日本人は北京原人やジャワ原人のホモ・エレクトスではなく、ネアンデルタール人だと思う。その日本にいたネアンデルタール人とY染色体のハプログループDのホモ・サピエンスが約3万年前に混血して、現在の日本人がもつハプログループD1b(D-M64.1)と変わっていき、日本人だけがもつハプログループを形成されたのではないでしょうか。そのハプログループD1b(D-M64.1)が縄文人に受け継がれた。
 1880年に創刊され、現在アメリカ科学振興協会 (AAAS)によって発行されている学術雑誌『サイエンス』の2010年5月7日に発刊された記事によると、ホモ・サピエンスのゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数%混入しているとの説を発表している。



[6411] Re: Y-D系統

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月17日(水)10時57分40秒   通報   返信・引用 > No.6410[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> また、キシさん、asiさん、秦野さん、わかちあいありがとうございます。

> 関連して、フィリピン(D2)にもみえるD系統の件があります。
> 中国の雲南・広東・浙江省や台湾にみえるD1aより、インド・アンダマンのD*のほうが、縄文人のメインタイプと思われるD1bが近いということですね。
>
> インド南部にいたであろうD*が、縄文人のそれに近いとなると、インド南部方言と縄文系の日本語との親近性にも関係してきそうな気がしますが、ただ、その縄文人をあらわすであろうD-Z1516が、formed 21200 ybp, TMRCA 15400 ybpと、概ね縄文人渡来の年代に近いのに比して、アンダマン人の中でも一番古い数値をだしているD-Y34670Yでも、formed 4300 ybp, TMRCA 1050 ybpで、ひどく新しいことがあります。
>
> ここで、中東からの東遷ルートだと整合性がとれないわけですが、強いて考えるとすると、スンダランドにいた縄文人の祖先から、日本列島へと北上したもの、広東、雲南、チベットへとむかったもの、インドアンダマン方面へと向かったものがいたということになるでしょうか。

YDNAのことはほとんど分からないのですが、上記の(インド南部にいたと考えられるD*)と同じD*がアルタイ人にもみられるそうです。
2%~17%の頻度だそうです。(ウィキ・ハプログループDより)
このアルタイD*の存在についての説明をどのようにするか、注目されるところです。
Dの北回り説者がおおいに自慢したいデータなのですが、どうなのでしょうか。



[6410] Y-D系統

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月16日(火)22時46分48秒   通報   返信・引用   編集済

また、キシさん、asiさん、秦野さん、わかちあいありがとうございます。

中東言語の光の意味が、中国語にも関係してくるとすると面白いですね。

またタガログ語と日本語との関係も、興味深いです。

関連して、フィリピン(D2)にもみえるD系統の件があります。

先日ご紹介した下記のサイトのD系統の部分は、もうみなさんは、ご覧になられたでしょうか?
https://www.yfull.com/tree/D/


また下記のwikiサイトのD系統の分岐図(図1)と、そのDYtreeの分岐図(図2、3)とが異なっていることに気づかれるはずです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)



つまり、インド・アンダマン人のD* の兄弟系統とされるD1からD1bが分岐して、その下層に日本人が見えてくるのですが、DYtreeをみると、そのD*とD1bは兄弟系統になっているのです。

中国の雲南・広東・浙江省や台湾にみえるD1aより、インド・アンダマンのD*のほうが、縄文人のメインタイプと思われるD1bが近いということですね。

インド南部にいたであろうD*が、縄文人のそれに近いとなると、インド南部方言と縄文系の日本語との親近性にも関係してきそうな気がしますが、ただ、その縄文人をあらわすであろうD-Z1516が、formed 21200 ybp, TMRCA 15400 ybpと、概ね縄文人渡来の年代に近いのに比して、アンダマン人の中でも一番古い数値をだしているD-Y34670Yでも、formed 4300 ybp, TMRCA 1050 ybpで、ひどく新しいことがあります。

ここで、中東からの東遷ルートだと整合性がとれないわけですが、強いて考えるとすると、スンダランドにいた縄文人の祖先から、日本列島へと北上したもの、広東、雲南、チベットへとむかったもの、インドアンダマン方面へと向かったものがいたということになるでしょうか。

この辺について、また何かひらめくものがあれば、お気軽に分かち合い頂ければと感じます!



[6409] Re: 交易の元締め

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月16日(火)22時38分14秒   通報   返信・引用 > No.6408[元記事へ]

秦野北斗さんへのお返事です。

> > かがやく(輝く)は(まぶしい光をはなつ)ことだそうです。
> > 古くは(かかやく)と発音したそうです。
> > この(か)も「カン」と関連するでしょうか。
>
>
> (輝)(かかやく)は比較的あたらしい、(てる)が古いらしい。
> (かかやく)は ひかり、ひか-る、から派生したものだろう。
> 言える事は古代は単語が少なかった模様です。

なるほど。
(てる)のほうが古そうですか。
返信、ありがとうございます。



[6408] Re: 交易の元締め

投稿者: 秦野北斗 投稿日:2019年 4月16日(火)22時21分10秒   通報   返信・引用 > No.6405[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

> かがやく(輝く)は(まぶしい光をはなつ)ことだそうです。
> 古くは(かかやく)と発音したそうです。
> この(か)も「カン」と関連するでしょうか。


(輝)(かかやく)は比較的あたらしい、(てる)が古いらしい。
(かかやく)は ひかり、ひか-る、から派生したものだろう。
言える事は古代は単語が少なかった模様です。

素人なので、この程度の理解です。



[6407] Re: kisi sann

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月16日(火)21時48分45秒   通報   返信・引用 > No.6406[元記事へ]

Kawakatuさんへのお返事です。


> またこちらに戻ったりしていいのかどうか、戸惑いますが。
>
> しもちゃん、
>
>
> めんこいお姐さんたちに会えるんなら、また戻ろうかしら~~~!?
>

ぜひぜひ、姫さんもきっと首を長くして、かわかつさんのことお待ちしてるはず??ですよ(^^)


>
> 道東千島海溝に不穏な動きがあるかもしれません。
> 紀伊半島や日向灘にもです。紀氏さん、生きていてね。
> あなたに会いたくなるとは思わんかったがなあ。
>

道東から岩手沖は、ここ数日も荒れてますね。こちらもちょくちょく揺れてますが、いよいよのときに備えてガソリン満杯にしてますよ!東南海はもうギリギリでしょう・・、九州のかわかつさんのところもご注意くださいね!

斉明天皇の話も楽しみにしてます!



[6406] kisi sann

投稿者: Kawakatu 投稿日:2019年 4月16日(火)21時25分59秒   通報   返信・引用

明日か明後日になるでしょうが、斉明女帝のペルシア語のほにゃららについて書くので、読んでいただけたら幸いです。

イバラの紀氏先生、あいからわらずの饒舌、舌を巻きますよ。^^;

深く静謐の中で分析するぼくなどが、




またこちらに戻ったりしていいのかどうか、戸惑いますが。

しもちゃん、


めんこいお姐さんたちに会えるんなら、また戻ろうかしら~~~!?


^^)


紀氏さん、おおきにね。しもちゃん、ありがとさんです。




道東千島海溝に不穏な動きがあるかもしれません。
紀伊半島や日向灘にもです。紀氏さん、生きていてね。
あなたに会いたくなるとは思わんかったがなあ。

あはは・・・

しもちゃん、うちにコメントありがとう。



http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/



[6405] Re: 交易の元締め

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月16日(火)17時26分52秒   通報   返信・引用 > No.6404[元記事へ]

秦野北斗さんへのお返事です。

> asiさんへのお返事です。
>
> 秦野です、古代の言語に興味あります。
>
> > 古代ヘブライ語で「カン」の発音は光を意味するとのことですね。
> > 現代のアラビア語で「心に光がともる」と言う場合の光は、kafit(カフィフ)だそうです。
> > カ音に光の意味があったのでしょう。
> > 漢語の光(コウ)とも関連するのかもしれませんね。
> >
>
> 光(コウ (クヮゥ)≒カン)関連しますね。古代の言語はつながっています。

かがやく(輝く)は(まぶしい光をはなつ)ことだそうです。
古くは(かかやく)と発音したそうです。
この(か)も「カン」と関連するでしょうか。



[6404] Re: 交易の元締め

投稿者: 秦野北斗 投稿日:2019年 4月16日(火)16時59分13秒   通報   返信・引用 > No.6403[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

秦野です、古代の言語に興味あります。

> 古代ヘブライ語で「カン」の発音は光を意味するとのことですね。
> 現代のアラビア語で「心に光がともる」と言う場合の光は、kafit(カフィフ)だそうです。
> カ音に光の意味があったのでしょう。
> 漢語の光(コウ)とも関連するのかもしれませんね。
>

光(コウ (クヮゥ)≒カン)関連しますね。古代の言語はつながっています。



[6403] Re: 交易の元締め

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月16日(火)11時46分22秒   通報   返信・引用 > No.6399[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

> 紙の発明

> 古代ヘブライ語では、
> 「射して来る光」のことも意味し、「光線」「光束」
> 「ビーム beam」というのは、普通の言葉で、語源的にはドイツ語の Baum(樹木)と同じで、木で造った建物の「梁」などのことを言いますが、「射して来る光」のことも意味し、「光線」「光束」とも言います。
> 元々、光線とか、家を造る天井の「梁」などの意味しかないのですが、こういう風に、レーザー・ビーム、電子ビームなどと呼ぶと、特別な意味になって来ます。
> 「梁(はり)」
> 「梁リョウ」<両側をわたす>
> 両側に刃がある両刃の剣の意。ここでは、両側の意。梁は川の両側から木を架け渡した橋をいう。転じて、家の柱の上に架かる「はり」をいう。

古代ヘブライ語で「カン」の発音は光を意味するとのことですね。
現代のアラビア語で「心に光がともる」と言う場合の光は、kafit(カフィフ)だそうです。
カ音に光の意味があったのでしょう。
漢語の光(コウ)とも関連するのかもしれませんね。

梁(はり)について、面白い語彙があります。
タガログ語でhaligi(ハリジ)は、柱の意味です。
日本語の梁(はり)と同系のようにみえますね。



[6402] ユダヤ人がDNA鑑定を実施

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月16日(火)10時27分13秒   通報   返信・引用

イエスは胎中聖別されたユダの血統から生まれた?(3)
『ツロの王フラムの父はティルス人で青銅工芸の職人であり、母はダン族(イスラエル人)である。ダン族について、創世記にヤコブの記載がある、ヤコブはダン族についてこう言っている。「ダンは、道端の蛇。小道のほとりに潜む蝮(まむし)。馬のかかとをかむと、乗り手はあおむけに落ちる。主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む」(創世記49・17)。ティルスについては、エゼキエル書やイザヤ書に、はっきりとサタンであることが記されている。さらに、「フラム」という名は、彼がイスラエルの初代の王サウルと同じベニヤミン族に属する者でもあることを示している(歴代誌上8・5)。https://ameblo.jp/chanu1/entry-10864951486.html

興味深い記事がありました。↓(重要部分のみ抜粋)
http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2010/06/no_806.html
世界で最も狡猾で(注;ここが日本人やドイツ人と違う所。見事にヤコブの劣性遺伝子を継承しております)優秀でありながら、歴史的に常に虐げられ、悲惨な体験を積んで来たユダヤ人とは、一体何者なのかということが、これまで何度と無く世界中で関心を持たれてきた。
 こうした「ユダヤ人とは何か?」という大きな疑問に対する関心に加え、最近「ヨーロッパ系ユダヤ人はユダヤ人ではない?」という説が台頭してきていた。この説を採る人たちは、ヨーロッパ系ユダヤ人(アシケナージ)の起源は、ハザール帝国だという立場を採っている。(注;このことは、我がブログで何度となく取り上げてきたのでおわかりかと。)
~中略~
何故このような説が出てきたのかということも、考えてみる必要があろう。その裏には、親ユダヤ派の人たちの思惑と、反ユダヤ派の人たちの思惑が、絡んでいるのではないか(注;これは否定できないでしょう)。
 最近、この説が発端であろうか。DNA鑑定を試みることによって、誰がユダヤ人であり、誰が偽物のユダヤ人なのかを、確認する作業が行われた。その結果は、ヨーロッパのユダヤ人(アシケナージ)と東洋系ユダヤ人(セファルディ)との間には、近似性が他と比べて、高いという結論が出た。
つまり、分かりやすく言えば、近所に住む非ユダヤ人とユダヤ人との間のDNAの類似性よりも、遠くに離れて居住しているユダヤ人のDNAの方が、近いというのだ。
加えて、アシケージとセファルディとの近似性も、他と比べると高い、ということのようだ。この場合、一つだけ付け加えておかなければならないのは、東洋系ユダヤ人セファルディは、スペインやポルトガルから追放され、一部はオランダに渡り、他はトルコに渡っているのであり、コーカサス・ハザールの地域から、ヨーロッパに入ったユダヤ人とは、異なるということだ。しかし、この二種類の起源の異なるユダヤ人のDNAも、他と比べると近い、という報告が出ている。

Amishavが海外で行っているDNA調査その後 2015.4月の記事(英語)
http://www.e-pao.net/epSubPageExtractor.asp?src=leisure.essays.Isaac_Hmar.The_lost_and_found_Jews_in_Manipur_and_Mizoram
全部英語ですがちょっとずつ翻訳していけば正しい最新の情報に出会えると思います。



[6401] 捕囚イスラエル人とY-Q系統4

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月16日(火)00時00分27秒   通報   返信・引用   編集済

また昨晩の続きで、捕囚イスラエル人とY染色体Q系統との関係を調べています。

昨晩は、仮説として、前3000年ごろと予想するQ系統の始祖を、その当時発生した洪水後の生き残り集団=ノアとし、同じく前2000年頃の数値が出ている離散ユダヤ人に多くみえるQ1bの始祖を、同時代にいきたアブラハムと比定しながら推論をしました。

その延長線上で、さらに細かくノアからはじまるイスラエル人系譜と、Y-Q系統との分岐について比較をしていくと、興味深いことがいくらか出てきましたので、下記に報告します。

なお、その比較については、昨晩も紹介した下記のサイトを参照にし、その分岐図も引用いたしますので、よろしくご参照ください。サンプルを提供する被験者が偏りないので、比較的公正なデータが出ている点で興味深いサイトです。Q系統以外の調査にも役立つでしょう。
https://www.yfull.com/tree/Q/

それで、そのQ系統の分岐については、まずwikiから引用する図1でみていくと、始祖にあたるQ-M242が、昨晩紹介した英語版wikiではBC2800年代と推定されており、これを洪水後の生き残りの人類の始祖・ノアとすると、旧約聖書の伝承上では、そのノアから、セム・ハム・ヤフェトという3つの集団が別れでたことになっています。

こちらはノアについて。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A2_(%E8%81%96%E6%9B%B8)

セムはユダヤ人などのカナン系集団、ハムはエジプト人との説もありますが、双方中東系集団でしょう。ヤフェトは、主にスキタイ・トルコ方面へ移住した集団を示すようですね。

こちらはヤフェトの子孫について。

   ゴメル→ガラテア
    マゴグ→スキタイ
    マダイ→メードイ
    ヤワン→イオニア・ギリシャ
    メシェク→カッパドキア(ここの町にマザカというものがありヨセフスはこれをメシェクが訛ったものとしている)
    ?ティラス→トラキア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9A%E3%83%86

これを、Qの始祖から分岐するQ1aとQ1bの2つの系統とみなして、前者をヤフェト、後者をセムとすると、どうでしょうか。

ここでまずQ1a (MEH2, L472, L474 y L528) から、スキタイ(つまりマゴグ)に多くみえ、東アジアへ向かうQ1a1 (F1096, F1215, F1251, F3243)と、中東に向かうQ1a2 (M346, L56, L57) が現れます。

特にQ1a1b (M25, M143) は、トルコにも見られ、その件は先日も注目したところですが、これがヤフェトの子孫のゴメルやヤワンなどのトルコ・バルカン半島方面のそれに対応しそうです。

またQ1bをセム系とすると、その子は下記のように記されています。

    エラム→エラム(イラン南部)
    アシュル→アシュル(アッシリア・ユーフラテス西岸)
    アルパクシャド→カルデア他(ユーフラテス東岸)
    ルド→リュディア(トルコ西部)
    アラム?→アラム(シリア)

これらのうち、アラムとアルパクシャドの息子はさらに植民を広げたとされ、アラムの息子たちはさらに以下の様に分かれます。

    ウツ→トラコニティス(ガリラヤ湖東方)とダマスカス
    フル→アルメニア
    ゲテル→バクトリア
    マシュ→スパシヌー・カラックス(メソポタミアの河口付近の地名)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%A0


ここで、先のサイトQYtreeをみると、Q1b (L275) から、イラク・イラン人に多いQ-BZ310(エラムか)、アルメニア人に多いQ-BZ3896(アラムか)、サウジアラビア、ヨルダン、イラクにみえるQ-YP1226(カルデアか)、イラク、トルコ、ヨルダン、中国、ユダヤ人などにみえるQ-Y2998(アルパクシャドか)の4系統に分岐しています。()内は先のセムの子系統の推定です。

その最後のQ-Y2998(アルパクシャドか)の子系統から、昨晩もお話したアシュケナジ・ユダヤ人が属するQ-Y2200が出てくるのですが、それまでの分岐の流れが図2です。

このQ-Y2998は、formed 4000 ybp, TMRCA 3500 ybpとなってますので、前2000~1500年ごろの分岐と考えうるでしょう。

アブラハムの年代が前1800年前後とされますから、それに近い祖先の年代です。

それで、そのセムの子・アルパクシャドをQ-Y2998として、アルパクシャド 、 シェラ 、エベル 、 ペレグ ?、レウ 、セルグ、ナホル、 テラ 、 アブラハム に至る系譜が記されています。

そのアルパクシャドは洪水の二年後、セム100歳のときに生まれ、アルパクシャド35歳のときにシェラが生まれ、シェラが30歳のときにエベルが生まれ、エベルが34歳のときにベレグを、ペレグが30歳のときにレウを、レウが32歳のときにセレグを、セレグが30歳のときにナホルを、ナホルが29歳のときにテラを、テラがアブラハムを産むことになります。

ここでアルパクシャドからアブラハムまでは、210歳+30年くらい?で240年前後すぎていることになりますね。

それで、このアルパクシャドとみなすQ-Y2998から、子系統のQ-Y2209が出てきますが、このQ-Y2209の子系統のQ-Y2225を実質的なユダヤ人アシュケナジの祖先と昨晩の分析で見なしたことがありました。

図をみていただくとわかるのですがQ-Y2998は2つの子系統を持ち、そのひとつQ-ZS7712にはイラクと中国人にみえます。

また、同じくそのQ-Y2998の子系統であるQ-Y2209には、5つの子系統があり、これをヤコブの子の12人、つまりイスラエルの12支族の祖とすると、Q-Y2209あたりをイサクあるいはその子・ヤコブと見なしうるでしょうか。

その5系統については具体的には、Q-Y2209*にヨルダン人がみえ、Q-BZ1に1人、Q-FGC2020にトルコ人、Q-YP730に中国人、Q-Y2225とその子系統のQ-Y2200にはイタリア人他、ユダヤ人アシュケナジーがみえてきます。

そのQ-Y2225・Q-Y2200が離散ユダヤ人の祖となるユダ王国の集団ですから、そうすると、残りの4系統は、北イスラエル王国の10支族となるでしょう。

そして、この北イスラエル王国は前722年にアッシリアによって滅ぼされ、一部が捕囚としてニネベ方面へとつれられたことは先日お話したとおりです。

したがって、その4系統は離散しているはずなので、北イスラエル王国周辺に残ったのは、Q-Y2209*のヨルダンのそれだけで、また一部(Q-FGC2020)はトルコに、さらに一部(Q-YP730)は中国にまで向かったものがいることを示しています。その延長線上に日本人のQ1bが見えてくるのかもしれません。

その中国にむかったQ-YP730は、大きな集団だったようで、3つ(Q-YP730*、Q-ACT296、Q-YP740)に分岐してますね。

その年代は、中国にむかったQ-YP740の年代が、formed 2900 ybp, TMRCA 2700 ybpで、前900年ごろに形成、700年ごろにメイン集団から分離したとなるので、北イスラエル王国の滅亡・離散時期の前722年と一致してくることは、昨晩も指摘したとおりです。

他の二系統もformはybp2900で同時期なので、それほど、その年代推定に狂いはないでしょう。

この3つの系統のうち1つは親系統の流れのメインなので、実質的には2つに分岐していた集団とみなしうるでしょうか。

そうすると、北イスラエル王国の中で最も勢力の大きかったエフライムとマナセで、これはヨセフの息子となりますね。

こちらは、イエスラエルの12支族について
https://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE12%E9%83%A8%E6%97%8F

ヤコブの子等について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96_(%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8)

あと、図3のように、アブラハム、イサク、ヤコブの系譜には、いくらか兄弟系統が知られています。

まずイサクの兄弟系統としては、イシュマエル人などがみえますが、前者はアラブ人の祖と考えられているようです。

イシュマエル人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%AB

先のYQtreeからいくと、Q-Y2998の2つの子系統にみえたQ-ZS7712Zにイラク人と中国人が見えるので、イラクにアラブ人が多いことからみて、これをイシュマエル の系統と見なしうるかもしれません。

また、ヤコブの兄弟系統として、エサウを始祖とするエドム人がおり、これもどこかに見えてくるかもしれませんね。

こうみていくと、イスラエル諸族の分岐について、アシュケナジーのQ系統から、比較的正確にその歴史を推測できることがわかってきます。

そして、イスラエル人が、比較的正確に祖先の系譜と年代を記録していたことも明らかになるのですが、その記録媒体がどういうものだったのかは、先ほど、みなさんのほうで論議されていた紙媒体なのか、あるいは石板だったなど調べていくことも重要です。

もちろん、同じくアシュケナジに多いJ系統やE系統などからも、同様な分岐が見いだしうるならば、いよいよ確実になると思いますが、またお時間有る方は、先のYtreeなど参考にしながらぜひ試してみてくださいね。またご意見などございましたら、宜しくお願いします。



[6400] Re: 交易の元締め

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月15日(月)23時58分4秒   通報   返信・引用 > No.6399[元記事へ]

asiさんへのお返事です。
> 題 ダイ  頁部
> 解字 「頁(=顔。かお)+是(シ)」の形声。シは識シ・シキ(識別する)に通じ、顔(=頁)のひたいに入れ墨をして奴隷の所属が一目で分かるようにすること(古代中国では奴隷のひたいに入れ墨をして管理した)。転じて、巻物の内容がすぐ分かるように巻頭に記す文字や、書物の名、さらに詩歌や文章の内容を一言で表す題名などの意となる
>

紙を織る… 〉識シ・シキ…織る
薄い紙を漉くときには、簀の目の跡を残さないように、簀桁の上に絹紗(きぬしゃ)を折って上の載せておきます。そのための専用の機械「絹紗織機」もありますが、今は織る人はいません。https://www.shakaika.jp/blog/5827/tosawashi_ino/

和紙づくりの写真や映像でよくみるこのマシーンは紙漉きの時に使います。
道具の名前は「桁(けた)」といいます。この和紙の原料を流し込む部分「簀」には竹ひごや萱ひごが使われています。
水分を含んだ原料はとても重いので、桁は上から吊るされています。
バランスをとりながら、エイッエイッて紙を漉いていきます。



[6399] Re: 交易の元締め

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月15日(月)23時39分5秒   通報   返信・引用 > No.6396[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

紙の発明
 生活の至る所にある紙ですが、その歴史は古く、中国の「後漢書」に105年に蔡倫という人物が、樹皮・麻繊維・魚網などを用いて紙を作り、後漢の和帝に献じたという記載があり、これがルーツとされています。
 この紙の作り方が現在定義されている紙に適合するものの中で 最古の記録であるとして蔡倫が発明者とされています。
ちなみに、紀元前3000年頃にエジプトには“パピルス”という紙のような物が有りましたが紙とは(植物繊維であるパルプやその他の繊維を中で叩き、 ばらばらにほぐして、水で漉き上げて薄く平らに伸ばしたもの)と定義されていて、紙とは繊維を強く絡み合わせて作られているものです。
 しかし、パピルスはパピルス草の茎を細かく裂いて縦横に並べ、シート状にしたものであり、パピルスは「漉く」という工程がないため紙とはいえません。
 ですが英語の「paper」を始めとして、ヨーロッパ諸国の「紙」の語源になっています
 英語-paper:ドイツ語-papier:フランス語-papier:スペイン語-papel
 本の「紙」が「カミ」と発音され始めたのは奈良時代で、その語源は紙以前の 書写材料であった木簡の簡日(かん、かぬ)が変化したものといわれています。
 他にも原料としていた楮の樹皮の「皮」から音韻が変化したものとの説など いくつかありますが本当のところはよくわかっていません。

和紙の歴史。…Baum(樹木)「梁」やな(簗)漉き舟(すきぶね)
漢音「カン」古代ヘブライ語では、「カン」は「光」
>(氏)は薄く平らなさじ(匙)
タイラは、古代ヘブライ語では、「鳥」という意味をもち、トリは、トーラーが転じて「虎の巻」の語源になったと考えられてもいて、地名で探ると、チグリス川のチグリスに辿りついた。
古代ヘブライ語では、「カン」は「光」を意味し、「カンプ」だと、「闘争」を意味するという。https://plaza.rakuten.co.jp/5dolphin/diary/201202220000/
古代ヘブライ語では、「カシ」は、「貸し」や「足枷」、「不自由」、「束縛」や「呪い」を意味し、「ハラ」は、「払う」、「適う」、「達する」などを意味し、桓武天皇の業績をみると、平城京から長岡京に遷都した挙句、更に平安京に遷都するなど、旧体制の足枷などの束縛を打破し、新体制を築いた人生などが思い浮かび、なんとも意味深い呼称であることがわかる。

「射して来る光」のことも意味し、「光線」「光束」
「ビーム beam」というのは、普通の言葉で、語源的にはドイツ語の Baum(樹木)と同じで、木で造った建物の「梁」などのことを言いますが、「射して来る光」のことも意味し、「光線」「光束」とも言います。
元々、光線とか、家を造る天井の「梁」などの意味しかないのですが、こういう風に、レーザー・ビーム、電子ビームなどと呼ぶと、特別な意味になって来ます。
「梁(はり)」
「梁リョウ」<両側をわたす>
両側に刃がある両刃の剣の意。ここでは、両側の意。梁は川の両側から木を架け渡した橋をいう。転じて、家の柱の上に架かる「はり」をいう。https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/3d47150b820d4da461a567664fbb17c2
。川に柵など設置して魚を誘導し、途中に開けた口に導いて簀(す)でとらえる装置。「簗漁やなリョウ」「下り簗やな」(川を下ってくる魚を捕える簗)
兪 ユ  入部
「逾ユ」と「踰ユ」を追加しました。兪ユ入部解字金文は、「舟(容器)+手術刀+|印(患部からでた膿)」の会意。舟は容器の意。患部を手術刀で切り、出た膿(うみ)を容器でうける形https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/7203d07b4249634c872653e87484b522
舟(容器)…簀(す)でとらえる…
と簀桁(すけた)から成ります。http://furukawashoten.jp/blog/2014/10/20/漉き舟%EF%BC%88すきぶね%EF%BC%89/

「光線」「光束」…「束(たば)」
1束1本と呼ばれ、紙の束と扇を一緒に送る慣習がありました。http://uru-washi.com/feature/1297
束 ソク <木をたばねる>https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/7a012e2f8df741735b80cac6cf054915
解字 甲骨文字から現代字まで、木の枝と根本のあいだに〇や口を描き、(複数の)木を縄などでたばねるさま。甲骨文字では2か所をたばねるものもある。木以外にも、糸や髪などを紐などでたばねる意となる。
策 サク ・むち・ふだ・はかりごと  竹部
解字 「竹(たけ)+朿(サク)」 の形声。サクは、A 責(サク・セキ)、B 冊(サク・サツ)に通じる。
A「竹+サク(責サク・セキ:せめる)」で、竹で馬を責める。むちの意。また、竹のむちが転じて、つえの意ともなる。
B「竹+サク(冊サク・サツ:ふだ)」で、竹のふだ、竹簡・文書の意。

細かい雲母(きら)
古代紙 印刷適性を重視した和紙です。色合いは伝統的な本鳥の子色とし、 細かい雲母(きら)をちりばめ、古典的な表情のなかに、現代の使いやすさを合わせ持つ和紙です。
越前和紙の古典的な技法である雲母(キラ、ギラ)揉みです。
雲母は花崗岩などに多く含まれる鉱物で、この結晶を挽いて粉にします。
はがれやすく、耐火性が強く、電気の絶縁にも用いられるようです。
きら。きらら。マイカ。うんぼ。などとも呼ばれます。

紙垂(しで)紙四手(かみしで)
標縄,七五三縄とも書く。
紙四手は、雲間から光る「雷光」。https://plaza.rakuten.co.jp/kotoha/diary/200605070000/
ジグザグの形は「稲妻」を表現している。

「是ゼ」 <さじ> 是 ゼ・シ・これ  日部
匙(さじ)のすくう部分が「日」の形で独立し、残りが止と合体して正と同じ形となった。現代字は、これを引き継ぎ「日+正」の是となった。 音符「正セイ」 を参照。
 [説文解字](後漢)は、この「日+正」の部分を、「天下の物、日より正しきはなし」と解釈して是非ゼヒの是ゼ(ただしい)とした。しかし、もとがサジの形から変化した字なので、この解釈は無理がともなう。
さじ
提 テイ・チョウ・さげる  扌部
解字 「扌(手)+是(さじ)」の会意形声。サジをもった手を、すくう物にまっすぐのばすこと。手をさしだす意。転じて、手にさげて持つ意ともなる。
題 ダイ  頁部
解字 「頁(=顔。かお)+是(シ)」の形声。シは識シ・シキ(識別する)に通じ、顔(=頁)のひたいに入れ墨をして奴隷の所属が一目で分かるようにすること(古代中国では奴隷のひたいに入れ墨をして管理した)。転じて、巻物の内容がすぐ分かるように巻頭に記す文字や、書物の名、さらに詩歌や文章の内容を一言で表す題名などの意となる




[6398] Re: 交易の元締め

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月15日(月)21時59分12秒   通報   返信・引用 > No.6395[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

> asiさんへのお返事です。

なるほど、紙の漢字の件は興味深いですね!竹簡もあったはずですが、それとは別に紙もあったとすると、焚書坑儒なんかもそうですし、春秋戦国時代はもとより、もっと前から紙があったのかもしれませんね!



[6397] Re: ひさしぶりだね

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 4月15日(月)21時53分24秒   通報   返信・引用 > No.6393[元記事へ]

Kawakatuさんへのお返事です。


> ブログを引っ越しました。
> まだリンクがしてあるのなら、URLを変更していただければ幸いです。
>
> http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/
>
>

かわかつさん、ご無沙汰?してます!引っ越しの件了解しました。つい最近もかわかつさんのブログ、女性たちに紹介したら、ぜひ紹介して、あいたい!! とのことだったので、また機会があれば、九州に出向いたおりには、宜しくお願いします。たまにこちらにも書き込みしていただければうれしいです。ではでは!



[6396] Re: 交易の元締め

投稿者: asi 投稿日:2019年 4月15日(月)21時47分12秒   通報   返信・引用 > No.6395[元記事へ]

荊の紀氏さんへのお返事です。

返信ありがとうございます。

> 「氏シ」 <前かがみになった人>
> 解字 上段・昏コンの甲骨文字第1字は、「人が前かがみになった形+日(太陽)」で、太陽が人のかがんだ形よりも低い位置にあり、日暮れの頃を表す。第2字は人の腕の先に横線(手)をつけた形で、これが後の氏にあたる[甲骨文字辞典]。篆文から第2字が変化した「氏+日」の昏になった。音符「昏コン」を参照。
>  一方、下段の氏シは甲骨文字では単独の形はない[甲骨文字辞典]。カッコ内は昏から日を省いた形を参考のため掲載した。金文で人の腕の手が肥点になり、篆文で肥点⇒横線になり、現代字で氏となった。氏は人が前屈みになった状態であり、金文に「示(祭壇=神)+氏(前屈みになった人)」 の祇ギ(祭祀の意)があることから、祭祀の執行者である代表者の呼称⇒氏族全体の意味、という形で「うじ(氏)」の意が成立したものと思われる。
> 意味 (1)うじ(氏)。みょう字。姓。同じ血族の集団。「氏族シゾク」「氏名シメイ」 (2)神社の共同体の仲間。「氏子うじこ」 (3)姓名の下に添える敬称。「山田氏やまだシ」
> イメージ   「前かがみの人」 (氏・祇)
>         「同音代替」 (紙・舐)
> 前かがみの人

藤堂明保編の「学研大漢和字典」よりますと、(氏)は薄く平らなさじ(匙)を表した形象文字だそうです。
これに糸編をつけたのが(紙)ですが、この紙の字は(繊維をすいて薄く平らにのばしたかみ)の意味だとしています。

>  本の「紙」が「カミ」と発音され始めたのは奈良時代で、その語源は紙以前の 書写材料であった木簡の簡日(かん、かぬ)が変化したものといわれています。
>  他にも原料としていた楮の樹皮の「皮」から音韻が変化したものとの説など いくつかありますが本当のところはよくわかっていません。

紙のカミの発音は、金田一京助、大槻文彦の説では簡の漢音「カン」が転じたものとし、これが通説とされているということですが、音変化として不自然な面があるとの異論もあるそうです。
それに、木簡のことを(簡=カン)と一般的に呼んでいたかどうか判然としません。
カンは漢音ですから、馴染まないかもしれませんね。
一般的な口語としては、(いた=板)とか(きがた=木形)とかそんな和語が呼び名だったのではないでしょうか。
つまり、(カン=簡)→(カミ=紙)の変化は、微妙な感じですね。



[6395] Re: 交易の元締め

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2019年 4月15日(月)19時22分0秒   通報   返信・引用 > No.6392[元記事へ]

asiさんへのお返事です。

中国の歴史書によれば、紙を発明したのは蔡倫(さいりん)という人で、彼が紙を発明して、初めて皇帝に献上したのは紀元105年のことだとされています。
蔡倫が作った紙は、木の皮や、麻、さらには使い古した網などを用いて作られていたと記録にあります。つまり、現在のようにパルプという木を原材料にして紙を作っていたわけではないのです。そこで、「紙」の「糸」へんは、糸くずのような繊維質のもの一般を表しているのだと考えるのがよいでしょう。http://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0282/
「紙」という漢字は、中国最古の字書といわれる『説文解字(せつもんかいじ)』にも収録されています。この字書が出来上がったのは、ちょうど紀元100年のこと。蔡倫が紙を発明したのは、先ほど申し上げたとおり紀元105年のこと。あれあれ、ちょっと待ってください。紙の発明より前から、「紙」という漢字は存在していることになるじゃないですか!
そこで、「紙」という漢字には「かみ」以外にも古くから使われている意味があるのかとも思いましたが、『大漢和辞典』を調べても、そんな意味はありません。これはいったい、どういうことなのでしょうか。
実は、現在では、考古学的な発見によって、蔡倫より前から紙が存在していたことがわかっているのです。蔡倫は、紙の発明者であるというよりは、その改良者であったとするのが定説なのです。
そんなことは知ってるよ、とおっしゃる方もいるでしょう。でも、私が言いたかったのは、ちょっと別のことです。つまり、考古学的な発見がなくても、「紙」という漢字そのものが、蔡倫より前から紙が存在したことを示していたのではないでしょうか。
だとすると、ちょっとおもしろいお話でしょう?
糸言糸 ラン・レン・バン  言部
解字 金文から現代字まで「糸+言+糸」の会意。言(神にちかう言葉)の両側に糸飾りを垂れた形。神への言葉を飾る意で、「神に伝える」イメージを持つ。しかし、この字は乱ラン(みだれる)の意に通じ、「みだれる」イメージで使われることが多い。新字体の一部になるとき「亦」に変化する。  ※亦エキ(同じものが両方にある)とは別字。https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/d72315cbeb3156998bc0e18d0d43420f
意味 みだれる。おさめる。
イメージ
 「みだれる」(恋・変・蛮・攣)
 「神に伝える」(鸞)
 「同音代替」(湾・欒)

「氏シ」 <前かがみになった人>
解字 上段・昏コンの甲骨文字第1字は、「人が前かがみになった形+日(太陽)」で、太陽が人のかがんだ形よりも低い位置にあり、日暮れの頃を表す。第2字は人の腕の先に横線(手)をつけた形で、これが後の氏にあたる[甲骨文字辞典]。篆文から第2字が変化した「氏+日」の昏になった。音符「昏コン」を参照。
 一方、下段の氏シは甲骨文字では単独の形はない[甲骨文字辞典]。カッコ内は昏から日を省いた形を参考のため掲載した。金文で人の腕の手が肥点になり、篆文で肥点⇒横線になり、現代字で氏となった。氏は人が前屈みになった状態であり、金文に「示(祭壇=神)+氏(前屈みになった人)」 の祇ギ(祭祀の意)があることから、祭祀の執行者である代表者の呼称⇒氏族全体の意味、という形で「うじ(氏)」の意が成立したものと思われる。
意味 (1)うじ(氏)。みょう字。姓。同じ血族の集団。「氏族シゾク」「氏名シメイ」 (2)神社の共同体の仲間。「氏子うじこ」 (3)姓名の下に添える敬称。「山田氏やまだシ」
イメージ   「前かがみの人」 (氏・祇)
        「同音代替」 (紙・舐)
前かがみの人
祇 ギ  示部
解字 「示(祭壇=神)+氏(前かがみの人)」 の会意形声。前かがみになって神にいのること。土地の神、さらに天の神に対して国つ神の意となる。
意味 (1)くにつかみ。土地の神。「天神地祇テンジンチギ」(天つ神と国つ神。すべての神=神祇ジンギ) (2)梵語の音訳字。「祇園ギオン」(①昔、釈迦の為に建てられた寺。②京都の八坂神社及びその付近)「祇園祭ギオンまつり」(京都・八坂神社の祭礼)
同音代替
紙 シ・かみ  糸部
解字 「糸(いと状のもの)+氏(シ)」 の形声。音符の氏(シ)はどの字音の代替か、いろいろ調べたがぴったり合う字が見つからない。後漢末の字典である[釋名シャクミョウ]に、「紙シは砥シ也。平滑なこと砥石の如し。後漢蔡倫、漁網木皮を以て紙と為す」とある。とりあえず、この説に従うと、氏(シ)は砥シ(平滑・砥石)に通じ、繊維を漉いて作った平らで滑らかな「かみ(紙)」をいう。
 紙の字は篆文にあることから、BC200年前から存在する。ところが蔡倫が紙を書写可能で実用的なものにしたのは、後漢時代のAD100年頃とされており、約300年の開きがある。紙が書写材料となる以前は包装紙だったとされ、前漢時代のBC50年頃の遺物が見つかっている。それは紙質が厚く麻の繊維の筋が確認されたという。後に見つかった紙は墓の中で鏡を包むのに使われていたという。以前の紙は字を書く紙でなく、包み紙だったとすれば音符「氏シ」は、どんなイメージをもって同音代替されたのか、興味深いテーマである。
意味 かみ(紙)。「和紙ワシ」「洋紙ヨウシ」「紙幣シヘイ」「紙背シハイ」(紙のうら)「紙幅シフク」(紙のはば。定められた原稿用紙の分量)

紙の発明
 生活の至る所にある紙ですが、その歴史は古く、中国の「後漢書」に105年に蔡倫という人物が、樹皮・麻繊維・魚網などを用いて紙を作り、後漢の和帝に献じたという記載があり、これがルーツとされています。
 この紙の作り方が現在定義されている紙に適合するものの中で 最古の記録であるとして蔡倫が発明者とされています。
ちなみに、紀元前3000年頃にエジプトには“パピルス”という紙のような物が有りましたが紙とは(植物繊維であるパルプやその他の繊維を中で叩き、 ばらばらにほぐして、水で漉き上げて薄く平らに伸ばしたもの)と定義されていて、紙とは繊維を強く絡み合わせて作られているものです。
 しかし、パピルスはパピルス草の茎を細かく裂いて縦横に並べ、シート状にしたものであり、パピルスは「漉く」という工程がないため紙とはいえません。
 ですが英語の「paper」を始めとして、ヨーロッパ諸国の「紙」の語源になっています
 英語-paper:ドイツ語-papier:フランス語-papier:スペイン語-papel
 本の「紙」が「カミ」と発音され始めたのは奈良時代で、その語源は紙以前の 書写材料であった木簡の簡日(かん、かぬ)が変化したものといわれています。
 他にも原料としていた楮の樹皮の「皮」から音韻が変化したものとの説など いくつかありますが本当のところはよくわかっていません。




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