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和歌山城大手門のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月28日(水)07時02分35秒
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  駐車場に車を止めたらまず向かうのは大手門だろう。家庭の正面玄関にあたる場所である。侍達の登城口は別かと思うが、公式の訪問者はここから城内へと入ったのだろう。入ってすぎ右側が二の丸で、いわゆる官庁街となってた模様だ。最初の区域が政務を司るゾーンで、その奥が藩主と部下達或いは外部からの訪問者との公式会場だった模様、一番奥は藩主の私生活の場だったようだ。城としては天守閣が有名だが、山の上の辺鄙な場所、日常的には使われなかったのだろう。この二の丸の隅、大手門を見下ろす位置にあるのが小さな社である。恐らく城を守る神社かと思うが、現場に解説板などは無かった。従って名称や由緒などは不明なままである。此の神社のご神体とも思えるのが巨大なクスノキ、城内で一番の巨木かと思われる。ネット情報によると、大きさは幹周りが8メートル位、樹高が25メートル位、樹齢が推定で大凡450年位あるようだ。

画像でもお解りかと思うが、実際に目視すると8メートル以上の大きさに感じてしまう。推測だが城の建築時から存在するクスノキではなかろうか。和歌山城の主と言っても過言ではないような存在だ。先人達もクスノキの巨木さに圧倒され、神々が宿るとの心象から社を設けたものと思われる。上述したように二の丸は官庁街として使われたようだが、無論現在は建物群は無く広場となっている。広場では50名前後の方々が草むしりを為さっていた。服装や物腰或いは会話の端々等から推察すると、地方公務員の一団かと思われる。推察が正しければ、恐らくは任命権者の発案による「ボランティア」という名の強制作業であろう。頻繁であれば問題だが、年に1~2回程度の頻度ならまあ良いのでは無いでしょうか。世情を知る良いチャンスだと理解し、作業を楽しんで戴ければと願っています。

大手門のクスノキは県の天然記念物となってるようだが、他にも幹周り1メートル超位のクスノキだけでも1000本以上はあるようだ。まさに城内はクスノキの森、空襲にもあったようだがよくぞ残ってくれたものだ。ちなみに城は空襲で焼け落ち、昭和30年代に再建された物のようだ。この点だけが一寸残念なところ、松本城のように当初の城郭がそのまま残ってくれてたら尚良かったのだが。城内に潜むという紀州忍者にはまだ出会ってないが、人前に出て来ないのが忍者の特徴、何処かの木陰に隠れて城内を見張っているのだろう。幸いにして歩き回るのには不自由無い存在、忍者達のお助けが必要ないのは有り難いのだが、出会いが無いのも少々寂しいところ、贅沢な話ではある。
 
 

和歌山城駐車場のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月26日(月)06時56分12秒
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  ここ十年ほどご無沙汰している和歌山城だが、どうも巨木が沢山あるらしいとの情報が入ってきた。久方ぶりに訪ねる事にし、橋本市から京奈和道・国道24号線と走って昼前に到着。当地からだと大凡2時間位の走行だろうか。まずはグルリと一周して全体像をつかむ。駐車スペースは無し、駐車場はと見ると民営のが平均して終日900円、城の駐車場は時間制、見学も兼ねて3時間もあれば十分かと判断し城の駐車場へと入れる。車を止めてビックリ、駐車場からして巨木の森であった。無数のクスノキが植え込まれており、さすが徳川御三家、重厚な城作りだ。目だったのが画像に挙げた2本、ザクッとみて幹周りが5~6メートル位と見受けられる。あらかじめ先人達の記録を調べてみたのだが、駐車場のクスノキに触れてる記事は無かった。注目されてはいないようだ。

最も大きそうなのがトイレ横に聳えていた(画像中段)少し傾いたクスノキ、ザッとした目測だが幹周りが6メートル位、樹高が25メートル位ありそうだ。2番目のが精算機近く(画像下段)にあったクスノキ、同じ位の樹高だが幹周りは少し小さめで5メートル位だろうか。他にも数メートルクラスのクスノキが群れている。まるでクスノキの森、管理が行き届いているのだろう。8代将軍吉宗公でお馴染みだが時代は徳川中期だから、多分彼が城主だった頃には現存するクスノキは存在したのではと思える。紀州忍者の面々がクスノキを利用して城内警護に当たっていたのではなかろうか。忍者と言えば現在も城内には忍者が潜んでいるようだ。城内で見かけた掲示だが、石段等で体の不自由な方は連絡して下さい、忍者達がお助け致します・・・・・との文言があった。各所から密かに観光客を見張っているのだろう。

駐車場から大手門へと周り、最終的に天守閣へと登るのが城巡りだが、城内各所に巨木があるようでしかもクスノキが多いようだ。南国風土の紀州国、クスノキは風土に似合った樹木なのかも知れない。到着早々の想定外巨木だったが、クスノキならばの生存かも知れない。ご存じのようにクスノキには樟脳が
含まれており害虫防除の機能を持っている事と、樹木自体が耐湿・耐久性に優れている事が生存年数を高めているのだろう。樹齢数百年から1000年というようなクスノキも彼方此方に存在するようだ。和歌山城の歴史は詳しくないが、建築当初からのクスノキも存在するかも知れない。時間の許す限り、天守閣までの道中を巨木を捜しながら登るが、どんな樹木達と出会えるか楽しみでもある。
 

自然田のイチョウ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月24日(土)06時29分49秒
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  阪南市に自然田(じねんだ)と呼ばれる集落がある。此処に見事なイチョウがあると聞き、地福寺からの帰路に立ち寄った。最寄り駅はJRの和泉鳥取駅で北西の方角へと歩くこと15分位だろうか。静かな農村地帯といった雰囲気で、田畑の中に民家がポツリポツリといった状況で、田園風景豊かな環境だ。目的とするイチョウは道路沿いにあるので、直ぐ解るのだが、何と言うか神社というか民家というか不思議な建物の裏手にあった。イチョウの根元には祠が祀ってあったから、ただの民家では無さそうだ。かといって神社との形態でも無さそう。現場にあった解説板によると、鎌倉時代の遊行層であった自然居士(じねんこじ)という人物の生まれ在所であるそうな。まさか鎌倉時代の民家がそのまま残ってる訳でもなさそうだから、やはり後日に記念館か神社かとして建築された建物なんだろう。それにしても不思議な建物だ。

現地にあった解説板に頼ると、イチョウの大きさは幹周りが4メートル位、樹高が20メートル位、樹齢は推定で500年前後だそうな。室町時代の頃の植樹であろうか。存在は1本のみである。自然居士という不思議な名前、少し調べてみると、能の謡曲に自然居士という曲目があるそうな。推測だが人物の自然居士は芸名というか通称名というか、本名では無く遊行の折に名乗った名称であろう。そして能の謡曲である自然居士を演奏しつつ寄進を集めていたのではなかろうか。遊行僧という職種というか役割というか・・・・・良くわからないのだが、旅芸人の一種であろうか。どうも生活の糧としてのギャラを得るために、〇〇の建立という大義名分を掲げたような印象を受けるのだが。

地域の名称が自然田(じねんだ)とう事もあり、自然居士との謡曲も此の地に起源するのでは・・・・・そんな想像も働くが、どうだろうか。まあ素人が根拠の無い推測を展開しても始まらないので止めておきますが、名前には意外と不思議な因縁つまり言霊がありそうですね。それにしても見事なイチョウ、平野部の集落に聳え立っているのでイヤでも目立ちます。秋になって紅葉すれば、真っ黄色の絨毯が広がるのではないでしょうか。数台分の駐車スペースもありますので気軽に立ち寄れます。26号線を南下するのみなので訪問も楽でしょう。
 

地福寺のシダレザクラ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月22日(木)08時29分46秒
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  当地から見ると泉南地方というのは縁遠い存在なんだが、とりわけ和歌山との県境付近は土地勘が皆目無い。結局、ナビ頼りとなってしまうのだが、阪南市の地福寺を訪ねることにした。本来なら春先のサクラの季節に出向きたかったのだが、時間が取れなかった。ここのお寺さんには見事なシダレザクラがあると聞き及んでいたのだ。場所はJRの山中渓駅近く、付近は山中で直ぐに紀州との国境線だ。紀州へと入るには阪和道か京奈和道を使うので、山中渓を訪ねるのは無論初めてである。駅前の集落には紀州街道の看板があり、集落の中程には街道風情が復元されていた。地福寺は駅から歩いて10分程度、交通量も少ないので車は路駐させてもらった。静かな山間の宿場町といった雰囲気だ。往事には熊野詣での人々が沢山に往来された事だろう。

紀州街道を辿って細い路地を登ったところが地福寺であった。観光寺院では無さそうなので進入するのに一寸躊躇したが、拒んでもおられないようので境内へとはいりこんだ。左手に本堂がありその前に件のシダレザクラがあった。訪問時期は6月の初旬だったので、当然ながら開花は無い。青々とした若葉が生い茂り、小ぶりながら緑陰を作っている。本堂脇に若いお坊さんがおられたので、挨拶を交わし訪問の趣旨を告げた。諸々の歴史などを語ってもらえたのだが、サクラは先代住職のお手植えだそうで樹齢70年前後だとか。多分、エド彼岸系かと思われる。幹周りが1メートル弱位、樹高は15メートル位だろうか。巨木という程でもないが、サクラとしては大きい方だろう。山中渓地区は地元の方がサクラに造詣が深く、昭和の時代から植樹に励んでこられたようだ。今では数百本の桜並木となっており、春先には桜見物の人々で賑わうようで、ネット上でもサクラと列車のコラボ写真などをよく見かける。

今回は時間の都合もあり、地福寺のみを訪ねたが、機会を改め山中川の河川敷にあると聞く桜並木も開花の折りに訪ねたいものだ。春先はサクラの季節、シーズンが1週間位しか無いので訪問の調整が難しい。それほどサクラの名所が多いという事でもあるのだが。サクラはつとにソメイヨシノが有名だが、個人的にはシダレザクラに心惹かれる。別件だが、山中渓には昔の小学校跡も残っていた。明治5年、学制の発布と共に寺小屋を廃し小学校を設立したようだ。山中で街中の学校まで通学できない子ども達を憂慮し、分校の設置を嘆願し続けた模様。結果、堺県立第51番小学校として此の地に設けられたようだ。初等教育に懸けた村人達の情熱の賜物だろう。
 

サツマイモの定植

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月20日(火)10時04分20秒
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  他の地域では既に完了してるかと思うが、当地では今頃がサツマイモの定植期、仲間たちも植え込み始めたようだ。サツマイモも品種が多く選択に迷う程だが、そこはそれ各位の好みが反映してくる。かっては「ナルトキントキ」が集中的に選択されていた。その後「ベニアズマ」へと変更になり、最近は「安納芋」が主流であった。現在は「ベニハルカ」に関心を持つ者が多いようだ。子狸もここ数年は安納芋を植え込んでいたが、苗は九州の知人から入手していた。ところが連絡がはいり、高齢のため農作業を断念したいとの事。芋農家は結構なハード作業、体力の衰えと共に困難となるのは致し方ない事であろう。長い間お疲れさまでした。安納芋もかっては島外への門外不出扱いだったようだが、最近は通販でも販売されている。その手の入手法法もあるが、今回は品種を替えてみようかと思う。先祖返りでナルトキントキとの選択もあるが、ホクホク感が強く水気無しでは食べにくい。そこでホクホク感とシットリ感を併せ持つベニアズマを選択する事にした。

例によって例の如く、和泉市の大型種苗店へと走る。芋ツルのコーナーを訪ねると、安納芋・ベニハルカ・ベニアズマの3種が売られていた。価格は10本で300円~400円程度、上述のとおりベニアズマをチョイス、80本を購入した。我が家の分とご近所のマダム衆の分だ。大阪マダムの好物は、芋・タコ・ナンキン・・・・・・・とりわけ芋は大好物のようで、人知れず心待ちにしておられる。マダム衆の乙女心を無碍にも出来ないだろう。早速農園へと運び、準備していた畝に植栽した。日差しがきついので、太陽光線除けに稲藁を被せている。出来ればしばらく雨が降ってくれればいいのだが。天気予報では明日と明後日が雨模様だから、これで根を出してくれるかも。

それにしても水が無い。水路には通常だと水が溢れているのだが、6月の頃は空水路状態だ。当地では6月の第一日曜日に田植えを行う農家が多い。その前の代掻きの時期から水が止まりがちとなり、田植えが済んだ後は完全に止まってしまう。同じ水利組合であるのだが、水系の末端に属する我々の農園に来る前に水は消費されてしまうようだ。幸い畑仕様なので田圃ほど水は要求され無いのだが・・・・・・・・。江戸時代の頃、水争いで頻繁に騒動が持ち上がったというのも解るような気がする。当地でも金剛山の水を水越峠で大和へ引くか河内へ引くかで争いとなり、結果河内組が負けてしまった歴史があるようだ。仲間内では水瓶として古い風呂桶などを準備してる者もあるが、肝心の水が無ければ同じ事。貯まった水も数日で使い果たして終う。雨よ来い。
 

トマト畑の鳥害対策

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月18日(日)06時44分15秒
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  夏野菜が成長して来た。巨木巡りで出かけることが多いため、とかく対応が遅れがちだが、それでも何とか育ってくれている。6月ともなると、田圃の稲作開始で水の取り合いとなり、水路に水が来ないのが難点なんだが、枯れるまでには至ってないようだ。空梅雨なのか雨も降らず、お天気が続くのはいいが少々湿り気が欲しいところだ。子狸の場合、トマト中心で夏野菜を展開してるのだが、トマトは好天に強く元気に育ってくれて胸高位の大きさとなってきた。既に一段目の実は付いてるようで、丸く緑の玉が彼方此方に見えている。色づいてくるのも間もなくであろう。こうなってくると野鳥達の襲来が気がかりとなってくる。連中は賢い。普段は素知らぬ顔でしらんふり、いざ食べ頃とみたら一斉に集団で襲ってくる。とりわけ悪質なのがムクドリとヒヨドリだ。

ムクドリなど数十羽の集団活動だから襲撃されたらたまったものでは無い。防御対策を行う事にした。基本はネット張り、連中は垂直離着陸機と異なり上下に着陸や離陸は出来ない。滑空する空間を防げば良いのだ。長老から戴いたネットが何枚か収納している。ゴルフ練習場が店仕舞いした際に周囲に巡らしてあったネットを頂戴したものだ。ゴルフボールの打撃に耐えうるものだから、ムクドリなど朝飯前。彼等がつついても噛みついてもビクともしない。トマト苗は全部で31本植栽した。子狸宅の使用分としては十分過ぎる数量だが、ご近所のマダム衆を考慮しての対応なのだ。古人曰く、遠くの親戚より近くの何とか・・・・・・と聞くが、ご近所衆には常日頃お世話になっている。せめて農産物の提供位は、との思いから少々多めに作るようにしている。マダム衆の喜ぶ笑顔は良いものだ。

縦2メートル弱、横15メートル強位のネットを数枚繋いで周囲に張り巡らした。民家の生け垣みたいな状態だ。滑空出来ないから集団攻撃は不可能だろう。気がかりなのは裾の隙間、此処から数匹単位で侵入する可能性はあり得る。竹を切り出してネットの裾に据え置く予定だ。かくして出来上がったのが画像の状況、見栄えはともかく、防鳥対策としては十分かと納得している。これで野鳥達を心配する事無く、収穫に勤しめるはずなんだが・・・・・・・・。
今年は今のところアライグマの襲撃も見あたらない。上空からの攻撃には対処できても、地上からの攻撃は又別物。とりわけアライグマは木登り名人とあってネットでも対応不可能だ。此方の方は、長老お得意の捕獲器作戦に頼るしか無いかな。アライグマが跋扈しない事を願ってるのだが。
 

西堤神社のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月16日(金)07時58分35秒
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  東大阪市内最後の訪問地は西堤神社である。地下鉄中央線の高井田駅が最寄りで、東南の方角に10分弱の歩きとなる。子狸は車訪問だったのでナビ頼りで到着したのだが、従前の三社と異なり前面道路が広いのが有り難かった。ザクッと目測すれば4車線以上の幅員があるようで、しかも通行量もそう多くは無い。端に路駐していても走行車両に迷惑は掛けなさそうだ。支障の無いような場所を選び止めさせてもらって、カメラ1台をお供に参拝する。鬱蒼たる鎮守の森に囲まれた神社で、都市部とは思えないような静寂な雰囲気、やはり神社仏閣はかくあるべしと思う。鳥居を潜り森の中を奥の方に進むと拝殿が見えた。拝殿の右側に小さな社があり、どうやらその裏手が目的とするクスノキのようだ。失礼ながら社の背後へと回ると、巨大な幹が出迎えてくれた。どうやら幹周りは6メートル前後はありそうな気配、念のためネット情報で調べてみると、やはり6メートル弱あるようだ。樹高は25メートル位、樹齢は大凡400年前後だとか。柵で囲われて御神木扱いなんだろう。巨木特有の、何と言うか歴史の重みみたいな荘厳な雰囲気を漂わせている。

神社は、ご祭神が天照大御神と豊受大神の二柱のようだ。天照大御神はご存じのように日本国民全体の氏神のようなお方、伊勢神宮のご祭神でもある。豊受大神は生産の神で衣食住の守護神だそうな。此の地はかって大阪湾に繋がる河内湖の底だったと思われ、何時の頃陸地となったのか不明だが、干拓や埋め立てが行われたのだろう。河内湖と生駒山に囲まれた地域、多分だが食料にも恵まれた豊かな大地だった可能性が高い。豊受大神をご祭神としたのは、恵みへの感謝があったのではなかろうか。現在の東大阪は中小企業の街としてつとに有名で、農産物栽培や魚介類の採取は余り見られなくなったが、かっては豊饒の大地として多くの人々を支えてくれたのだろう。古代社会の豪族である物部氏が当地を拠点としたのも、豊かな食料生産が背景にあったからではなかろうか。
 

稲田八幡宮のイチョウ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月14日(水)07時00分9秒
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  御厨天神社から更に西へと走る。目的地は稲田本町2丁目に所在する稲田八幡宮である。ランドマークとなるのは市立楠根中学校、但し高層ビルのような視認性は無い。基本、ナビ頼りで進むのだが、この界隈もご多分に漏れず住宅密集地、細い路地が入り組んでいてスンナリとは到達しない。神社らしき森が遠くに見えるのだが、路地が邪魔をして接近出来ないのだ。諦めて少し広めの場所に路駐した。徒歩での接近だ。神社に到着して徒歩参拝が正解だった事に気付く。前面道路は狭く駐車どころか停車もままならない、無論駐車場の設備は無い。参拝される方はご注意の程を。

鳥居を潜り境内へと進入すると奥まった位置に拝殿が見えた。目的とするイチョウは拝殿の手前、右手の方に聳えている。新緑の季節ともあって青々とした枝葉が繁り、格好の緑陰を提供してくれる。暑い日中なので木陰でしばらく休息させてもらった。どうやら近隣住民専用の神社らしく、部外者と思われる参拝者は子狸以外に無い。市の解説板によると、昔は稲田村と呼ばれており18戸程の民家があったとか。何時の時代かは不明だが、寂れた農村地帯だったのだろう。近代にはってからは桃の産地として栄え、稲田桃のブランドで一世を風靡したそうだが、無論現在は桃の畑など皆目見あたらない。住宅開発が進む中で消滅していったのだろう。さて肝心のイチョウだが結構大きい。ネット情報によると、大きさは幹周りが6メートル位、樹高が35メートル位、樹齢は大凡500年前後だそうな。多分、イチョウに聞けば18戸前後の稲田村の事を存じあげているかも知れない。

神社は当地の羽曳野市にある誉田八幡宮から勧請したそうな。従ってご祭神は誉田八幡宮と同じく、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の親子三柱なようだ。誉田村と稲田村との関係性は不明だが、距離があるとは言え何らかの親交があったのかも知れない。ともあれ「いしきりさん」から都合三カ所の神社を訪ねたが、共通するのは駐車に難儀する事、移動には車は便利だがいざ参拝となれば持てあまします。出来れば訪問ルートを再検討して電車・バスをうまく利用される方が望ましいかも。東大阪市の名誉のために付け加えますと、この密集度がロケットまで打ち上げる中小企業の街並みを作り上げているのかも知れません。最近は高校生の修学旅行地としても人気なようで、日本版マイスターの存在が街の魅力を輝かせているのでしょう。
 

御厨天神社のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月12日(月)06時50分10秒
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  「いしきりさん」の次に訪ねたのは御厨の天神社である。近鉄けいはんな線の長田駅と大阪商大との丁度中間位だろうか。ここもご多分にもれず住宅街の中程にあって、どこをどう走ったのか記憶に定かで無い。右に左にと狭い道路を走り抜け、駐車場に困って路駐したのだけを覚えている。御厨という地名だが、何でも朝廷に献上する魚介類を採取する場所・・・・・・との意味合いだそうな。地名からもわかるように、かってはこの近辺は大阪湾の沿岸部で有り海と山に囲まれた豊かな地域であったのだろう。古代社会の豪族である物部氏が拠点としたはずである。現在の街並みからは皆目想像も出来ない姿であるのだが。路駐していたこともあって、此処もゆっくり見学する事は出来なかった。短時間で撮影のみ済ませ早々に引き上げたので、神社の由緒などは確認出来なかった。

唯一解ったのは主たるご祭神が大名持命(オオナモチノミコト)という事位である。さて肝心のクスノキなんだが拝殿の手前の左手に聳えていた。ザクッと目測すれば、大きさは幹周りが6メートル位、樹高が20メートル位ありそう。樹齢は伝承では900年位になるそうだ。東大阪市内でも最も老齢な樹木のようだが、樹勢は元気よく青々とした枝振りを広げていた。まだまだ大きくなりそうな気配だ。クスノキの探訪が続くのだが、各地に残る巨木の樹種はクスノキというパターンが実に多い。それだけ元気の良い樹種とも言えるのだが、実はクスノキには大量の樟脳が含まれており、これが防虫効果の働きをして害虫に襲われにくいのだとか。以前、テレビ番組でレポートしていたが、中国から渡来したクビアカツヤカミキリムシによって桜並木が次々と倒壊しているとか。カミキリムシが桜を好んで樹にタマゴを産み付け、成長する過程で食害するようだ。幸い、クスノキには近寄らないようで、とりあえず一安心。それにしても桜が消滅といった非常事態だけは避けたいのだが。
 

石切神社のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 6月10日(土)06時35分39秒
返信・引用 編集済
  石切神社は厳密には「石切劔箭(つるぎや)神社」というのが正式な名称だそうな。それより「いしきりさん」といった愛称の方が有名だろう。大阪人にはつとに馴染深いお宮さんである。腫れ物の神様としても有名で、その種の悩みを抱える方には絶大な信仰を集めるようで、毎日願いを込めたお百度参りを欠かさぬ方々が多い。画像上段もそれだが、訪問時にも大勢の方々が神前でグルグルとお百度参りを為さっていた。所在地の東大阪市は当地から車で1時間程度なので車利用で訪問したのだが、後で後悔する事となる。何せ住宅や商店が密集して接近が困難なのだ。当然ながら駐車場の設備なども見あたらない。国道170号線(外環)を北上し、第二阪奈道路とぶつかるあたりで右折、少し北上したところが神社だ。近くをグルグル回ったが駐車場は無い、道路は狭い。どうしようか悩んだが、覚悟を決め少し広めの場所に路駐し神社へと走った。短時間で撮影のみ終了し車へと戻ったのだが、ヒヤヒヤものだった。ご近所の方ごめんなさい。

時間が無く神社をゆっくり堪能する事は出来なかったが、著名な神社という印象だけは深かった。何せ参拝客の多さが尋常では無いのだ。それこそお百度参りをする方々でごった返しといった印象。今まで訪問した神社の中で一番の賑わいのようだ(観光寺院を除く)。肝心のクスノキなんだが、社殿の左手に門番のように聳えていた。当然ながら注連縄を巻いた御神木扱いである。ネット情報によると、大きさは幹周りが6メートル位、樹高が15メートル位、樹齢は推定で500年前後だそうな。由緒書などを拝見する時間は無かったのだが、相当古い神社のようだ。神社のHPによると、当地の豪族だった木積氏が祭祀権を持っていたようで、木積氏は物部氏の一族だったとか。そう言えば主たるご祭神のニギハヤヒノミコトは物部氏の創始者つまり首長だった人物の模様だ。地域は生駒山の麓で眼前には大阪湾(当時は海だった模様)が広がり景観と食料に恵まれた豊かな土地であったのだろう。物部氏が勢力を誇ったのも豊かな産物が多くの人口を養いうる状況だったから・・・・・と思える。

上述したように、石切神社には車参拝は困難だ。電車の利用をお勧めしたい。最寄りとなるのは、従来から使われてきた近鉄奈良線の石切駅、それと近鉄けいはんな線の新石切駅も利用可能だ。どちらかというと後者の方が少し近いかも。ただ雰囲気的には前者の方が情緒豊かだ。門前町の雰囲気を味わいたいならば石切駅を、時間が無いときは新石切駅を・・・・・との使い分けが便利かも。ともあれお百度参りの方々にはまいった。現代社会とは言え、神々に頼るしか術が無い方々も大勢いらっしゃるようだ。それだけ神社が霊験あらたかなんだろうけど。
 

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