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井光神社のスギ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月28日(金)06時44分15秒
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  白川渡から更に数キロ下流へと下る。大滝ダムに掛かった武光橋が目印である。バス停だと武木が最寄りとなるだろうか。橋を渡り支流の井光川に沿って登ること3キロ余り、山の中腹にへばりつくような小さな集落があった。井光(いかり)の集落である。ムラの中央部に鎮座されるのが井光神社、集落の氏神であろう。道路際に車を止めると境内の全容が一望できる。一番奥まった場所に聳えるのが目的とするスギのようだ。隣に見える青々とした樹木はトチの木であろうか。ひっそりと静まりかえって人影は見られない。集落全体も無人であるかのような雰囲気だ。住人の方々は仕事に山中へとお出かけであろうか。多分、大多数の方が山仕事で生計を立てておられるかと思うのだが。伝承によると、集落はかって木地師の里として栄えたそうな。木製の家具や日用品を作るのを生業とした専門家集団である。聞いた話では全国の山々の8合目以上は、木地師だと伐採自由の特権があったとか。

さて肝心のスギの木だが、奥まった位置にありしかも社殿の裏手にあたるので接近は困難なようだ。境内からの撮影で済ませておこう。結構高そうな樹高だが社殿が邪魔をして目測できない。帰宅してネット情報を探してみたら、幹周り6メートル位、樹高が30メートル位、樹齢が推定で300年位との記述が見つかった。数値を借用しておこう。隣のトチの木も樹高は同程度だが幹周りは少し小さめだ、4メートル位だろうか。井光の里は、かって神武天皇が熊野から八咫烏に導かれて山越えし吉野にはいった時に最初に地元人と出会った場所のようだ。井永鹿(いひか)と名乗り、吉野の神であると告げたそうな。恐らく吉野国の祖とされる人物であろう。伝承が事実なら2000年以上も昔から此の地には人々が住み着いていた事となる。

訪問はしなかったが、集落から更に奥へと進むと、「奥の宮」や「井永鹿の井戸」或いは「御船の滝」といった史跡が残っており、伝承を裏付けているようだ。現代人の我々から見ると、山奥の辺鄙な座所で生活が大変そう・・・・・・といった判断をしがちだが、古代人の方々にとっては暮らしやすい楽天地だったのかも知れない。当時は尾根伝いに道路というかルートが開けていたかと思うのだが、細道(獣道?)を辿りながら縦横無尽に山々を駆け巡って生活しておられたのだろう。人々は「山の民」と「里の民」それに「海の民」、生活様式によって3種類に大別されたようだが、吉野の人々は当然に山の民。山の自然を活用しながら暮らしを営んで来られたのだろう。そして南朝という吉野王朝をすら築き挙げたのだ。
 
 

枌尾十二社のスギ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月26日(水)06時26分18秒
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  神之谷から国道169号線を2~3キロ下ったあたり、白川渡という小さな集落がある。集落があるので最寄りのバス停があるのかと思ったが、見かけた範囲では不明だった。目的とする枌尾(そぎお)の集落は吉野川を渡り、支流沿いに数キロ登った山腹にある。車を走らせて程なく集落に到着、戸数20戸程度の小さな集落だ。人影は無く、10歳位の少女が犬と戯れる程度、神社の位置を聞くと、村中の道をかなり登った上の方との説明があった。信じて林道を登るのだが、道は次第に険しくなり落石も多々見られるようになってきた。最初はハンドルさばきで落石を避けていたが、数量が増し危険と判断する。乗用車タイプの車では床下が15センチ程度しか無い。少し大きめの落石に乗り上げると、オイルバンやマフラー等を破損する可能性が高い。やむなくユータンした。少女の勘違いだろう。道中に神社らしき建物があったのを思い出し、そこまでバックする事に。

白川渡と枌尾の両集落の丁度中間位に肝心の十二社はありました。付近は水遊びの適地となってる模様で、他府県ナンバーの車が何台も道路際に止まっていました。道は狭いのに危ないこと、往路は枌尾の事しか関心が無かったのであまり注目しませんでしたが、駐車場の設置が必要ですね。十二社は道路際、川沿いに鎮座されてました。解説板等も無く、ネット情報も探しましたが、由緒などは皆目不明です。小さな集落で管理される地元の神社なんでしょう。多分、外部の人間が訪ねる事もほぼ無いかと推測されます。社殿の両サイドと裏側にスギの巨木が聳えていました。さすがに奥吉野、スギの立地に適した環境条件なんでしょう。代表的な巨木は社殿の左手、ザクッと目測すれば、幹周りが6メートル位、樹高が40メートル位、樹齢は残念ながら不明なようです。2番目の巨木が右手の方、少し小ぶりで幹周り5メートル位でしょうか。樹高は同程度です。

奥吉野に何時頃から人々が住み着いたのか不明ですが、南北朝の時代は主たる舞台ですし、天皇家を受け入れるだけの人口と経済力とを備えていたのでしょう。現在は林業が主体のようですが、当時、どのようにして財を築いていたのか不思議ですね。南朝の拠点は杣人の山小屋では無かったはずです。懐具合の憶測はともかくとして、現在の奥吉野はひっそりと静まりかえった小さな集落が多いようです。路線バスもありますが、頻度は少なめなようで、生活条件はかなり厳しいかと思われます。子どもらはスクールバスかと思いますが、高校以上は多分下宿なんでしょう。山腹の集落は見通しが良く、環境的には申し分の無い条件ですが、暮らしていくのは大変そうです。村の神社やお寺さんの管理も、なかなか手が回りかねるのでは無いでしょうか。せめて木材の販売価格がそれなりの水準ならと願いますが・・・・・・。
 

金剛寺のケヤキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月24日(月)06時19分41秒
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  和歌山方面を巡っていたが、一転して山中に分け入ろうかと思う。近畿の屋根といえば、秘境ムードが漂う奥吉野であろう。一般的に「吉野」と言えば千本ザクラで有名な金峯山寺周辺を指すのだろう。奥吉野だから更にその奥となれば、大台ヶ原周辺となる。行政区では川上村がまさに奥吉野ではあるまいか。標高が1000メートルを超えるような急峻な山腹にへばりつくような山岳集落である。ここ数十年、ダム建設で村もかなり変貌したかと思うが、往事を偲ばせる雰囲気は今なお集落の其処彼処に残っている。奥の方から数カ所の寺社仏閣を訪ねてみようと思う。まずは神之谷(こうのたに)集落の金剛寺、電車は無いのでバス停の北和田口が最寄りとなる。大迫ダムの少し手前だ。吉野川を渡り、林道を登ること1キロ余り、ヒノキ林の中に金剛寺と書かれた小さな標識を見つけた。林道は狭く駐車は困難だが、かろうじて小さな隙間を見つけ止め置いた。徒歩での接近だ。結果的には寺まで車で進行出来たのだが、不案内の地は用心するに限る。

門前に巨木が聳えていた。若いカップルが絵を描かれていたが、誰であってもその巨大さに惹かれるのだろう。尋ねると地元に昔から存在しているケヤキだとか。ゴツゴツした風貌、巨大な幹、見事な枝振り・・・・・・樹齢数百年を十分に予想させる。ネット情報によると、大きさは幹周りが6.5メートル、樹高が30メートル、樹齢が800年だそうな。さすがに1世紀近くも生存されると老衰が進行するようで、幹の彼方此方に空洞化や破損が見られた。余命は厳しいかも知れないが、末永く生き残って欲しいものと願う。

金剛寺は南朝の拠点の一つだった模様で、南朝最後の皇子である、自天王と忠義王を祀ってあり、寺自体が南朝の菩提所となっているようです。南北朝については触れないが、天皇家の皇位継承をめぐる内ゲバと理解して戴ければと思う。楠公さんが活躍した前後でもある。画像は金剛寺へ下る細道までの林道と件のケヤキです。画像で見る限り樹齢800年とも見えませんが、現場に出向いて対面すると圧倒されます。一寸訪問するには足の便が悪く、マイカー頼りとなりますが、是非に直接訪問される事をお勧めします。山岳集落を垣間見るだけで無く、中世の歴史を彷彿とさせるような雰囲気が今なお漂っています。歴史好きで無くとも訪問するだけの値打ちは秘めているかと思えますね。村の人口も減り続け、集落を訪ねても人影を見かける事も少ないですが、山の民との会話の端々も楽しみかも。
 

下三毛集落のクロガネモチ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月22日(土)08時08分13秒
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  JR和歌山線紀伊小倉駅が最寄りとなる。駅舎から南東の方角に1キロ程度進んだ山里に下三毛という集落が存在する。結構大きめな集落のようで、民家の塊ごとに更に小さな集落へと細分化されるようだ。細分化された集落に地名があるのかどうかは不明だが、とりあえず集落名の下三毛で通しておこう。この下三毛集落のとある個人宅にクロガネモチの巨木があると聞き、訪ねた次第。他の地域でも一緒だが、個人宅の巨木は訪問しづらい。まずもって接近出来ないのと、大半が屋敷内なので遠目に部分的にしか覗けないのだ。画像も遠方から撮影できれば御の字、細部は不明となりがちだ。樹木の大きさである、幹周りや樹高或いは樹齢などは大半が不明なままである。接近出来れば目測で大凡の数値でも掴めるのだが。

下三毛集落は清らかな水路が流れ、まるで山陰の津和野の街を思い出させるような雰囲気、どうやら田圃を主体とする農村集落のようだ。南部から集落へとはいったのだが、集落の入り口付近に目的とするクロガネモチは聳えていた。幸いにして屋敷内ではなく、法面と思える斜面に聳えるのだが、周囲が竹林なのだ。簡単に表現すると竹林の中にクロガネモチが1本聳えている・・・・・・といった状況。従って樹木があるのは解るが、幹や枝振りなどは覗けない。目測も不能なので帰宅してネットで探し回ってみたら、幹周り4メートル位、樹高が16メートル位、との情報があった。もう少し樹高があるような気もしたが、ネット情報に合わせておこうかと思う。一般的には樹高10メートル位が最大のようで、ここのは大きめな個体のようだ。

クロガネモチという樹種は子狸には珍しいものだが、公園樹や街路樹としてよく植栽されてるようだ。近くでは御坊市が「市の木」として指定されてるようで、馴染み深い樹種なのかも知れない。少し調べてみたら、伝承として「苦労せずしてお金持ち」という意味合いからネーミングされたとかされなかったとか。ご先祖達も語呂合わせがお好きだったのだろう。冬場に5~6ミリ程度の赤い実を付けるようで色味の少ない冬場には貴重な存在だろう。植生地は本州から沖縄或いはインドネシア付近まで広がるようで、南方系の樹木なのかも知れない。訪問にはもう少し時間が必要かと思っていたが、割と短時間で終了した。時間的に余裕があるので、集落の入り口付近にあった理髪店に立ち寄っていこうかと思う。暑いから短髪にして、すっきりした気分でのんびりと24号線を走りましょうか。
 

ラスカル君囚われの身へ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月20日(木)06時31分34秒
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  農作業をやっていると害獣や害鳥の類いは日常茶飯事の事である。地域によって異なるだろうが、被害に悩まされることしばし、対応策に苦慮されているのでは・・・・・・・とご同輩を気の毒にも思う。なあに、当方もしかりで、日々対応策に追われております。当地の大型獣はイノシシ、幸いにして熊や鹿は出ません。小型になりますと、アライグマや野ウサギ等がメインでしょうか。猿は見かけた事はありますが、今のところ被害例は無いようです。鳥類はムクドリとヒヨドリが最多でしょう。鳥類はまだ良い方です、大半はネットでカバーできますので。当地で持てあますのがアライグマ、そう彼のアイドルでもあったラスカル君です。狸と良く似た風貌ですが、大きな相違点は木登り名人である事と凶暴な事でしょうか。狸は化かし専門(?)で少々愛嬌があるのに、アライグマは鋭い爪で刃向かって来ます。その特性を生かし、ネットや柵なども平気で乗り越えて果菜類に迫ります。スイカやウリなどは鋭い爪で穴を開け、器用に中の甘味な部分を取り出すのが得意技・・・・・・被害例も多いです。

元々は我が国に存在しなかった動物、人間のゆがんだペット愛が大きな被害をもたらしたものです。各地でも苦戦されてるようで、当地でも役場が中心となって対応策を講じています。取扱が容易で割と役に立つのが箱罠、これを大量に準備して農作業に従事する人々へと貸し出してくれます。有り難い配慮です。我々の農園でもスイカ名人の長老が主担となって毎年借り受け、農園に設置します。今年も設置したと思ったら、最初のドジ君が箱の中に。小型ですし凶暴性が薄いので春先に生まれた子どもでしょう。世間ずれしていないので、美味しい餌(鳥の唐揚げ)にまんまとおびき寄せられた模様です。可哀想ではありますが、罪は罪、相応の処罰は受けねばなりません。詳細は省きますが、役場へと引き取られていきました。

箱罠を仕掛けた場所はスイカ畑の隣、夏場はスイカやウリが狙われる事例が多いので、設置したら案の定でした。恐らく他にも両親や他の兄弟達が潜んでいるのでしょう。一家全員を一網打尽にしないと、それこそネズミ算式に増えていきます。繁殖力も強く、感染症の雑菌も持ってるとか聞きますので、油断は禁物です。最近は民家の床下や屋根裏に潜む事例も多いようですね。アライグマとの別離の前にツーショットで記念写真を撮っておきました。さて次なるラスカル君は何時箱罠の中へ。
 

歓喜寺のビャクシン

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月18日(火)06時22分11秒
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  和歌山ICの少し東側に和歌山線千旦(せんだ)駅という小さな駅舎がある。ここが最寄りとなるのだが、現場は更に南東に1キロ以上の禰宜という集落だ。この集落の城ヶ峯(250メートル)という山の山裾に歓喜寺はある。奥まった位置もさることながら道中の道が細く、小型車でギリギリ位の幅員だ。慣れていないと段差のある田圃へと転落する可能性が高い。集落の近くに車を止め、徒歩で訪問される方が安全かも知れない。寺は臨済宗に所属されるようだが、禅宗寺院らしく山中の修行寺といった印象だ。無論、近くに集落もあるので通常に寺院としての営みがメインではあるようだが。前面に大きな墓地があり。門の代わりにクスノキの巨木が聳えていたが、訪問の目的はビャクシンである。どうやら寺の裏手のようで、門の左手のほうから庭先を裏に回らせてもらう。観光的に或いは歴史的に著名なお寺さんらしく、市教委の解説板が何枚も設置されていた。

解説板に基づくと、ビャクシンの大きさは幹周りが4メートル位、樹高が15メートル位、樹齢は推定で300年位だそうな。ビャクシンはイブキとも呼ばれ、ねじれが酷い特徴がある。庭木としてもよく植栽されているが、剪定が難しく素人向きではないだろう。子狸が以前住んでいた家も生け垣がイブキだったが、剪定作業に苦労させられた。壁面を均一に刈り取るのが非常に困難なのだ。あえてイブキを選択するなら、手入れはプロにお願いした方が良さそうだ。ところで寺のビャクシンだが、画像ではわかりにくいが、此処のもねじれが酷い。幹が脈打ってまるで大蛇のような印象、好んで植栽するような樹木では無いような気がするのだが。和歌山ではビャクシンは好まれるのか、結構彼方此方で見かけるようだ。

寺では何かの集会が持たれている模様で、中から賑やかな話し声が聞こえる。檀家の法要なのか寺の行事なのか不明だが、此処のお寺さんは地域との結びつきが緊密なようだ。山間部の集落を訪ねると、僧職の方が不在とか、寺があっても荒廃してるようなケースが結構多い。少子高齢化の波は山間部ほど強烈なようで、檀家も減り続け、場合によっては宗教心の希薄化もあってか寺の維持も困難なようだ。そのうち集落そのものが消滅する地域もあるだろうから、お寺の経営どころの騒ぎでは無いだろう。夕張市のような困難な歩みが全国で発生するのだろう。若い方々は早めに結婚して沢山子どもさんを産んで欲しいものだが・・・・・・・・・。非正規化や外国人導入で給与水準を引き下げ続けてるのは一体全体誰なんだ・・・・・・・・そんなボヤキが聞こえそうな気もしますが。
 

永山集落のアラカシ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月16日(日)05時32分56秒
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  和歌山電鉄貴志川線と言えば、超有名なのでご存じの方も多いだろう。某大手私鉄が赤字を持てあまし手放した路線だ。経営を引き受けた岡山のバス会社が見事に立て直し、観光路線として訪日客まで招き寄せ、黒字化を果たした伝説は余りにも有名だろう。路線の終点が貴志駅、そう彼の有名なネコの駅長さんの駅だ。今回はネコの話では無い。路線の丁度中間付近に山東駅という小さな駅が存在する。その山東駅の南側に広がるこじんまりとした集落が目的とする永山集落、ここに県の天然記念物となっているアラカシの巨木が存在すると聞き及んだのだ。何でも幹周りが5メートル位、樹高が10メートル位の短足気味の樫の木のようだ。アラカシと言うか樫の木全般に言えることだが、照葉樹林の根幹を為すような樹木だろう。かって此の地付近は鬱蒼たるカシの木に囲まれ、鈴なりのドングリや用材としての幹枝類をご先祖達は重宝していたのではなかろうか。

和歌山市から県道13号を走り抜け、駅の少し東側から集落へと入り込む。適当な位置で路駐し、集落の合間を探し回るが皆目わからない。数名の地域の方に訪ねるがご存じないようだ。確かに樫の木などに興味を持つ方は少ないだろう。たまたま農作業から帰宅中の若い娘さんに出会い、ダメ元で訪ねたらご存じだった。天然記念物の樫の木ですよね・・・・・・と言って所在地までのルートを教えてもらったのだが、訪問しても巨木は無い。3メートル位の樫の木はあるのだが、幹周り数十センチの小枝のような樹木だ。小さな祠とお地蔵様が鎮座されており、場所的には間違いなさそうな雰囲気だ。思いあまって燐家の御当主に尋ねてみたら、樫の木の所有者の方のようで、数年前に台風で倒木寸前になりかかり、危険だから伐採したとの事。よくよく見れば樫の木の枝葉に隠れていたが、市教委の掲示板が設置してあった。

残念な訪問結果ではあったが、萌芽更新だろうか、二世のアラカシが元気よく育っている。樹高が3メートル位だから、恐らく2年位の期間であろう。樫の木は成長が早い。我が家の庭にも1本あるが、枝切りしても1年で1メートル以上も枝が伸びるのだ。現場は住宅の合間にある路地の脇、樫の木にとっては良き環境とは言い難いが、何分元気のある樹木のこと、少々環境が思わしくなくとも成長を続けてくれるだろう。二世が巨木と呼ばれるには相応の年数が必要だろうが、子狸の対面は恐らく不可能であろう、持ち時間が許されそうにも無い。興味を持たれるような若い世代が出現してくれるかどうか、極めて低い確率かとは思うが、期待を込めて待ち望んでおこう。
 

光福寺のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月14日(金)07時51分21秒
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  和歌山の南部市街地である。JR紀勢線の宮前駅が最寄りであろうか。駅前から北西の方角に1キロ弱位、静かな住宅街の一角に光福寺はあった。車での訪問だったのだが、「正直進入出来ない」、というのが実感。電車で訪問される事をお勧めしたい。道は細めの生活道路、進入困難か進入出来ても駐車は不可能、近辺に民営駐車場も無い。従って大凡の位置感覚をつかんだ後、大通りへとバックしてコンビニさんの駐車場を拝借するか路駐するしか無さそうだ。子狸の場合、とあるご婦人のご厚意に甘え、30分程度との条件付きで軒先に止めさせてもらった。徒歩で接近したのだが、お寺は細道をはいった奥手、とてもじゃないが車での接近は不可能だ。真言宗に属されるお寺さんのようだが、一見したとところ、こじんまりした民家といった印象。沢山の信者さんが参拝したり集合したりは困難な模様だ。

肝心のクスノキは本堂の右手に聳えていた。敷地的にも余裕が無いみたいで、かなり窮屈な印象。にもかかわらず樹勢は元気良くて青々とした枝葉を勢いよく広げていた。ザクッとした目測では幹周りが6メートル位、樹高が20メートル位ありそうな気配だ。寺の掲示板等も無く樹齢は不明な模様。敷地的にもう少し余裕があって自由に生存できたら、もっともっと大きな巨木へと成長しているだろう。隣も別のお寺さんなのだが、此方の方が大きくて最初の印象では隣の寺の境内に植生してるものと思われた。名称が違うので不思議に思い、近隣の住人の方に訪ねると、裏手に回ったら光福寺はありますよと教示してもらった。路地もろに路地をはいった奥まった位置に光福寺はありました。諸般の事情があったのかと思われるが、相当窮屈なお寺さんです。クスノキにも気の毒なんだが、樹齢数百年と推測されるクスノキ、相当な昔から狭い領域に甘んじて生き残って来たのでしょう。

和歌山県下でも彼方此方のクスノキを訪ねてきましたが、一番窮屈な思いをしているクスノキのようです。状況から見て環境が改善される可能性は少ないでしょう。現在の生息条件で生き延びていくしか無さそうですが、是非生き延びて天寿を全うして欲しいものと願っています。
 

刺田比古神社のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月12日(水)08時48分18秒
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  和歌山城の南側に大通りを挟んで静かな住宅街が広がっている。近くに吉宗公誕生地という旧跡があるから、おそらく徳川公治世の折には城内だったかと思われる。奥まった一角にひっそりと鎮座されるのが刺田比古(さすたひこ)神社、珍しい名称だがどんな由来で刺田比古となったのか、調べた範囲では不明だった。何か古人の氏名のような気もするが、どうなんだろう。神社の掲示によると、主たるご祭神は道臣命(ミチオミノミコト)と大伴佐氏比古命(オオトモノサデヒコノミコト)の二柱のようだ。前者は神武天皇の東征に従った武将で、後者は古代豪族の大伴氏の始祖であるとか。同じように天皇家に従い、百済救済の遠征に功績のあった将軍のようだ。その武功で此の地を賜った模様で、大伴氏発祥の地とも言われている。城内と思える位置からもわかるように、刺田比古神社は和歌山城の氏神となっている。彼の吉宗公も参拝された模様だ。

ナビの誘導で神社前へと到着したのだが、静かな住宅街、しかも道路は細めで駐車は困難だ。付近には民営の駐車場も無い。やむを得ないので不謹慎とは思ったが、神社の境内へと突っ込んだ。しばらくのご辛抱をと、心中謝って拝殿へと向かう。神職不在の神社が多いのだが、刺田比古神社は常駐のようで、お守り等の販売も巫女さんでは無く神職の方が為さっていた。挨拶を交わし撮影にはいる。目的とするクスノキは拝殿の左側に民家を背にして聳えていた。
ザクッと目測すれば、幹周りが大凡5メートル位、樹高は20メートル位だろうか。樹齢は残念ながら不明である。神社の由緒が正しいとすれば、2000年前後の歴史を有するかと思えるが、樹齢はそこまであるまい。せいぜい数百年かと思われる。当然ながら御神木のようで注連縄を巻いて接近出来ないように区分されていた。地域の方々であろうか、数組の参拝者がおられたが拝殿と共にクスノキにも参拝されていた。地域の方々にとっては霊性のある樹木なんだろう。彼の吉宗公も参拝されていた可能性はあり得るかも。

無理な駐車で車を止めているので、短時間で引き上げる事にしたのだが、ふと気付いたのが史跡の表示。何でも神社一帯が古墳の跡のようで、どうやら古墳の上に神社を構築した模様。上述のようにご祭神は神武天皇随伴の武将・・・・・・古墳が構築された時代は確かずっと後の時代、時代が食い違ってるような気がしないでもないが、古墳を構築した後に神社が建立されたとすれば辻褄は合う。そしてたまたまご祭神が神武天皇に随行した武将だったのだろう。
現行施設が神社と言うこともあってか、発掘作業は進んでいないようだ。どんな物が出現するか楽しみでもあるのだが、発掘は相当困難だろうな。
 

あらかわの桃

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 7月10日(月)06時53分36秒
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  例年今頃になると紀州桃山町を訪ねるようにしている。桃山町は言わずと知れた桃の産地である。関西では超著名な桃の里で、7月前後ともなると街全体が桃の出荷に忙殺される。子狸が訪ねるのは某農事組合法人の直売所、通い続けてかなりの年数となる。桃山町が合併して紀の川市となる以前からだから、10年以上かと思う。京奈和道から24号線それに県道と走る事1時間半位、到着したのが10時過ぎだったかと思う。見慣れた風景である桃箱の山が全く見あたらない。人々の動きも緩慢だ。イヤな予感がして車を止め、販売のお姉さんに尋ねると、桃が無いとの事。何でも今年は発育が悪くて全般に桃の産出量が少ないようだ。それを大勢のお客さんが取り合いしてるものだから、朝の搬入分は既に売り切れ、次は何時入荷するか解らないとの事。実は2週間前、6月の下順に来訪して同じ台詞を聞いているのだ。安全を見計らって2週間空け、再訪したのだが・・・・・・・・・。

とにかく現物が無いのは如何ともし難い。他のお店を訪ねても条件は同じだろう。腹をくくって待つことにした。少しづつ農家の方が搬入されてるので、うまくいけばゲット出来ると踏んだのだ。待つこと1時間あまり、直売所に横付けされた農家の軽トラから、中身も見ずに桃箱を強奪(?)、これを繰り返すこと数回にしてようやく必要量を確保した。ご近所のマダム衆から頼まれてた「お買い得品」は残念ながら入手不可能なようだ。既に100名近くの方が予約待ちしておられ、予約券の発券も不能との事。毎年通っているが初めての現象、こんな事は今まで無かった事だ。果樹栽培はお天道様次第、とは良く言われることだが、これほど響くとは。画像でご紹介しておこう。画像上段は昨日の店頭風景、黄色のエプロン姿は販売のお姉さんがた、手持ち無沙汰で暇そうにしてる姿が伝わってるかと思う。パレットや棚には桃の箱がほとんど無いのがお解りだろう。画像中段と下段は昨年の同じ場所の店頭風景です。あまりの相違に愕然とせざるを得ないのです。

今年は雨の少ない気候でした。台風3号では北九州にひどい暴風雨をもたらしましたが、冬場から春先にかけては雨が少なく、果樹に必要な水分が行き渡らなかった模様ですね。先に収穫した梅も全般に数量が少なめでした。素人目には雨が少なくて糖度が増し、美味しい果樹が出来るのでは・・・・・と考えがちだが、そう甘くは無いようです。人間も同じ事で、必要な時期に必要な栄養素が吸収出来ないと正常な発育が困難なんですね。水分の必要性は説明不用かと思われます。某かの降雨はありましたが、桃の必要量には到達しなかったのでしょう。桃山町の人々も心なしか元気なさげでした。無理もありません、1年の稼ぎがここ1ヶ月前後で決まる訳ですから。お姉さんがたの嬌声が響き渡る事を願っているのですが。
 

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