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蔭涼寺のギンモクセイ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月22日(金)06時52分22秒
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  ギンモクセイの古木が存在すると聞き及んだ。ギンモクセイやキンモクセイの樹木はそう大木とはならない。従って古木とは言っても巨大な幹周りという訳にもいかないだろうが、訪ねてみることとした。場所は和泉市の尾井町、というより自衛隊の演習場の近くと言ったほうが解りやすいだろう。演習場だから隊員の方々の演習風景など覗けるかと期待したが甘かった。とてつもない広さのようで、だだっ広い原野しか望めなかった。ギンモクセイが所在するのは蔭涼寺(いんりょうじ)という禅宗のお寺さん、具体的には曹洞宗に所属されるようだ。霊園が有名なようで、手広くアピールされてる模様。訪ねると演習場の原野が広がる一角の、旧村といった雰囲気の集落の丘の上にあった。駐車場も整備されており、訪問は楽なようだ。

山門前に車を止め、境内へと入る。正面に本堂が見え、その前にこんもりと繁っているのが件のギンモクセイのようだ。画像でもお解りのように、半球状に綺麗に刈り込まれ、枝葉が茂っているので内部は皆目見えない。従って幹周りを推測する事が出来ず、解説板も無いので想像するしか無い。樹高は7~8メートル位だろうか。樹齢は凡そ350年位だそうな。伸ばした枝葉が大きくて、半球の直径はかなりの大きさと為る模様。しかも左右二カ所も存在するのだ。ご丁寧に奥まった位置にはキンモクセイまであるようだ。金、銀の二種類が揃って古木となってる所も少ないだろう。当然ながら大阪府の天然記念物となってる模様。お寺自体は1661年の江戸時代初期に創設されたようだ。年数的に見て、ギンモクセイも創設時に植栽された樹木なんだろう。キンモクセイは後日の植栽のようだ。

訪問したのは9月の初旬、従ってまだ開花はしていない。あと半月もした10月中旬位には、臭い豊かなギンモクセイとキンモクセイが咲き誇る事だろう。もう少し後に訪問すれば良かったのだが、スケジュールの都合もありまして。他にも巨木に類するものが無いか捜しましたが、大きめなのはモクセイのみのようでした。樹木は多いのですが、他は小径木のようです。蔭涼寺の場所がわかりにくいのですが、自衛隊の演習場をメルクマールとして、地元の方に聞きながら走るか、ナビを設置されてれば尾井町337番地の住所で案内してくれるかと思います。道はしっかりしており、お寺まで安心して走り込めます。
 
 

西教寺のイブキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月20日(水)05時22分40秒
返信・引用
  今回訪ねるのは和泉市の西教寺である。市内には同名のお寺さんがあるようだが、幸2丁目の西教寺が目的地である。此処にイブキの巨木があると聞き及んだ。訪ねると付近は中層ビルの住宅街、どうやら市営住宅か府営住宅の模様だ。住宅街のど真ん中に立地するので、何時もの山間部の寺社と異なり、いかにも街中のお寺さんといった印象だ。いわゆる観光寺院ではないのでオープンにはされて無い模様。信者さん達のみのお寺さんといった印象だ。門扉は閉ざされており施錠もされてる模様。外観をチェックしてると、「イブキ等を見学の方は事前に予約をお願いします・・・・」との張り紙が。知らなかったので予約はしていない。外から拝見するしか無さそうだ。お寺さんの私生活もある、勝手に押しかけられても迷惑でもあろう、やむを得ない事だ。

従って画像も全て外から撮影したものである。幸いにして、イブキの解説板は外からも見えるように設置してあったのでデーターは入手出来た。以下は市教委の解説板に寄るが、イブキの大きさは幹周りが3メートル、樹高が10メートル、樹齢が500年~600年だそうな。お寺の創設が1673年の江戸時代初期と言われているので、イブキの方が古いことになる。寺が出来る前から此の地に生存していたようだ。それにしても泉州方面から紀州北部にかけてはイブキが多い。地域の特性かも知れないが、何か特別な事情でもあるのだろうか。お寺は浄土真宗本願寺派に所属されるようで、画像下段に掲示しておきますが、浄土真宗特有の「太鼓楼」と呼ばれる建物が隅にありました。宗派が浄土真宗というのが一目瞭然ですね。イブキの見学が出来ないのが残念ですが、樹冠は外からも見えます。屋根の上に伸びた樹冠は生き生きとしていて樹勢は元気良さそうです。500~600年ともいわれる樹齢はまだまだ伸びていくでしょう。樹齢1000年クラスを目指して欲しいものです。

西教寺は和泉市の中心部にありますが、交通手段はJR阪和線が一番近いようです。北信太駅から大凡1キロ位、徒歩だと15分位でしょうか。子狸は車で訪問したのですが、街中とあってか駐車スペースはありません。付近には民営の駐車場も無く、路駐しか方法が無いのでご注意下さい。
 

松尾寺のヤマモモ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月18日(月)06時48分21秒
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  松尾寺といえば舞鶴市にある西国33箇寺の一つを想像されるかも知れない。今回の松尾寺は舞鶴市では無く和泉市の山間部にある松尾寺である。近くにアメリカ産の巨大スーパーやショッピングモールが出来ているので、地域をご存じの方も多いかも知れない。本欄をよくお訪ねの方は、昨年だったか「松尾寺のクスノキ」として1回紹介しているので、或いはご記憶かも。和泉市の山間部である松尾寺町に存在するのだが、宗派が天台宗というだけあってある種の山寺でもある。一時は城と寺とを兼務していた時代もあったようだ。門前に車を止め、石段を登って山門から登るのが正式な参拝路のようだが、左手にある山道を登ってみた。上部に駐車場があるのでは・・・・・と想像したのだ。案の定で本堂近くに第3駐車場というのがあって何台も駐車可能なようだ。結果的にはこの場所で完了だったのだが、境内を彼方此方とヤマモモを捜しまくった。

第3駐車場から少し下った位置にあるのが本堂(画像上段)、何でも織田信長の高野山攻めの折に兵火に遭い灰燼と化してしまったようだ。その後、豊臣秀頼の指令で大阪市内の天王寺にある「四天王寺」から建物を移築したのが現在の本堂のようだ。従って本堂自体は400年以上の歴史を有する事となる。本堂、山門、参拝路と捜し回ったが所在が掴めず、そのうち境内図に行き当たった。図面で確認すると、何と駐車した第3駐車場に存在するではないか。しかも車のすぐ前に。あわてて駐車場へと戻ったのは言うまでも無い。結果的には車のすぐ前に肝心のヤマモモも解説板もあったのだが、駐車時には全く気付かなかったのだ。

以下は解説板によるが、本地のヤマモモは大きさが幹周りが2.5メートル、樹高が15メートル、樹齢が200年~250年だそうな。ヤマモモは本州以南の暖地に生息するようで、雌雄異株の樹は6月~7月頃暗赤色の実を付けるようだ。訪問時が9月の初旬だったので雌樹であったとしても収穫は不能だろう。無論、勝手に採取など出来るわけでも無いのだが。画像(中段・下段)を載せておきますが、なかなか立派な樹木です。本欄ではいつか五條市(奈良県)のヤマモモを紹介しましたが、負けずとも劣らぬような巨木かと思われます。ヤマモモの実は生食以外にもシロップ漬けやジャム或いは果実酒として利用されるようです。幼少時には山や川で育ちましたが、残念ながらヤマモモに遭遇して生食した経験はありません。椎ノ実やクリなどは多かったのですが。最後になりましたが、松尾寺の開基は西暦672年だそうで、例によって役行者の開基と伝えられています。役行者は飛鳥時代から奈良時代の呪術者だから、伝承が事実なら1300年前後の歴史を有するお寺と言うことになりましょう。
 

美多彌神社のシリブカガシ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月16日(土)07時41分8秒
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  今回の目的は何時もの巨木では無い。サイズ的には通常の樹木なんだが。珍しい樹種が群落していると聞き及び訪ねた次第。場所は泉北ニュータウンの光明池駅にほど近い場所、鴨谷台1丁の美多彌(みたみ)神社である。車に乗られる方なら、運転免許試験場の近くと言ったら解りやすいだろうか。住所のとおりで谷筋では無く丘陵部の丘の上である。元々が高台の山中にあったものと思われる。歴史は相当古いようだが、織田信長の兵火で焼失したのを楠木一族の和田某という人物が再建したそうな。主たるご祭神は天児屋根命(アメノコヤネノミコト)である。此の神社には何処にでもあるような、巨木が無い。鬱蒼たる森が広がってはいるのだが、大半が幹周り数十センチの枝幹のような樹木ばかりである。樹種的には、カシ、シイ、クスノキ、サカキ・・・・・といったもので照葉樹林の面影を残している。

目的とする樹種はシリブカガシ、近畿以西の低山に生育する樹種で京都の保津峡が北限だそうな。標高500メートル位が上限なようで、ニュータウンなどは打って付けの環境だったのだろう。神社境内ではシリブカガシが100本程まとまっているようで、かような群落は国内でも珍しいとか。灰褐色の樹皮が特徴だが、ドングリで見分ける方が早いかも。他のカシ類同様にドングリが実るのだが、底が凹んでいるのが一番の特徴だそうな。訪問したのは8月の下旬、時期的にはまだ早いようで捜してはみたがドングリは見当たらなかった。境内の社叢林(画像中段)を撮しておきますが、似たような樹種が多くシリブカガシを特定するには至りませんでした。シリブカガシの群落は珍しいと書きましたが、当然ながら大阪府の天然記念物となってるようです。

神社から東の方角を眺めると、地元の名峰金剛山(画像下段)が望まれます。堺市内でありながら、それだけ高台でもあるわけです。往事にはこの界隈から岩湧山を越えて金剛山までカシやシイ或いはクリなどが鬱蒼と繁りまくっていたのでしょう。森の住人であったご先祖達が狩猟採取の生活を行いながら、樹林帯の中を走り回っていたのでは・・・・・・そんな想像をすると楽しく為ってきますね。現在は森が開発されニュータウンとなって往事の面影は無くなりましたが、ニュータウン各地の神社を訪ねると社叢林から往事の姿を窺えます。鎮守の森として残された空間は自然林の貴重な森、森の生態的にも大切に残しておかねば為らないでしょう。
 

栗の実争奪戦

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月14日(木)07時44分23秒
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  秋となりました。どんな表現をするかは人様によりけりですが、一般的には食欲の秋・果物の秋と言っても良いのではなかろうか。言葉の如く美味しい果物が沢山収穫出来るのだ。我々の森の果樹園も少なからざる恩恵に被る事となる。肥料分が少なく、手入れも行き届かぬ森なので、大きな期待は禁物なのだが。最初のご褒美はクリであろう。既に色づいて落下したものもあるようだ。早生・中生・晩生、と3種類に分かれるのが一般的だが、森の果樹園も同様と見え早稲種のクリは収穫可能なようだ。ただやっかいな事に、森の中はイノシシ達の住処でもある。作業中にも平然と横切って行くような連中、人間様に遠慮などしていない。当然の如く森の中を闊歩しているのだ。しかもクリは大好物ときている。

かくして争奪戦というか攻防戦が始まるのであった。栗の実は熟したら落下する。それをイノシシ達は拾って食しているので、要は落下を食い止めれば済むこと。かくしてネットの活用を、という事になりました。クリの樹の下にネットを張り巡らして落下する栗の実を一網打尽とする作戦です。シシ達は木登りは苦手、一定の高さで張り巡らしたら栗の実は連中に収奪されないはず。ネットは廃業したゴルフ練習場から戴いたものが沢山あります。木の枝と竹の支柱を利用してネットを張ってる姿をご覧あれ。なかなか手慣れたものでしょう・・・・・・毎年の作業ですから。1日がかりでかなりの面積を張りました。かくしてクリは人間様のもの・・・・・のはずです。しかしながら連中もアホではありません。昨年など支柱に体当たりしてネットを傾け、ネット上に貯まった栗の実を落として食していました。なかなかの知恵者です。

元々、森の先住民は彼等、ここは俺らの縄張りだと主張するのも理解できない事ではありません。後から来た人間が森を開拓し果樹園としたのは紛れもない事実、先住者が憤慨するのも当然でしょう。何か、縄文人と弥生人との軋轢を想像させますね。列島の先住民であった縄文人は蔑視され殺戮されていったのでしょう。共存生活は難しいでしょうが、大和民族は人口減少の時代、そのうち主客転倒が始まるでしょう。現に限界集落等では柵を作って集落住民が立て籠もって暮らしております。果樹園一帯もそうなる宿命かも知れませんね。山里の森が元の山地へと回帰していく・・・・・・そんな時代が到来しているのかも知れません。栗の実も、遠からず連中へと譲り渡す時が来るかも。
 

西方寺のイヌマキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月12日(火)07時12分12秒
返信・引用 編集済
  南区泉田中の集落、こちらもどうやら旧村のようだ。まずもって地形的に丘陵地帯の谷間の位置に存する。民家も農家風の作りが多いようで、秋祭りの準備作業中と思える風景もあった。思うにニュータウンは元々が山間部の丘陵地帯で、谷筋に人々が住み着き農耕で生活を営んで来た、そして山地であった丘の上が住宅街として開発された・・・・・・・そんなイメージがあるのだが、大凡当たっているのではなかろうか。先の桜井神社があった片蔵地区と同じ谷筋なのが泉田中の集落である。当然ながら似たような生活形態かと思う。さて、この泉田中の集落にあるのが「西方寺」、住所で捜し回ったものの見つからない。地元の方を見つけ、聞き込んでようやく判明。泉田中会館という地区の集会所の裏手にあるそうだ。訪ねると農村の民家風で、何処から見てもお寺には見えない。初期の寺はこんな作りだったのかと感じながら、境内(庭先?)に入り込んだ。

玄関先と思える場所に聳えていたのが、目的とするイヌマキだった。石柱が立っており簡単な説明が為されている。数値もあって、幹周りが2.4メートル、樹高が12メートルと記してあった。樹齢は不明なようだ。イヌマキの幹周りだが、目測すると2.4メートルどころか1メートル以上も大きいような気がする。幹周り4メートル弱と踏んだが、目の錯覚であろうか。ともあれ樹木はこれ1本のようで、お寺さんとしては少々寂しい。外観的にもお寺とは見えず、どう見ても農村の民家風だ。捜し回った時も、門や鐘楼がある普通の寺風景をイメージしてたので発見出来なかったのだろう。若しも訪問されるなら、寺よりも上述の泉田中会館という地区の集会所を目標とされた方が良い。街道筋なので駐車場所に難儀されるかも知れませんが。画像上段に写ってる建物が件の泉田中会館です。

それにしてもニュータウンは面白い風景だ。谷筋は旧村の農家風の民家群で、丘の上は近代的な住宅街・・・・・上述したように丘陵地帯の谷筋で農耕を営んできた地域を後の時代に開発し、山間部であった丘の上を住宅街としたからだろう。従って谷筋に添って走ってると伝統的な風景に出くわす場合もある。訪問したのは8月の下旬であったが、彼方此方で祭りの準備が行われていた、地車を出して整備中の集落が多かったのだ。恐らく秋祭りの準備であろう。秋祭りはいわば収穫祭、米の収穫を神々に感謝する祭りでもある。当然ながら農耕生活が前庭となるので、谷筋の集落でないと見られぬ現象だ。丘の上の住人の方々は指を咥えて眺めるしか無いのであろう。
 

桜井神社のエノキとモミの木

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月10日(日)07時25分52秒
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  ニュータウンの中の旧村地域・・・・そんな印象であろうか。街並みがどことなく何時も訪ねる山村風景とよく似た景観を持っている。地形的にも丘陵の谷間といった感じなので、恐らくは山間部の小川の周辺で農耕をやってこられた地域ではあるまいか。南区片蔵という集落である。若松台と原山台との間と表現したらいいだろうか。此処にあるのが桜井神社、エノキとモミの木の巨木があると聞き及んだ。どうやら神社を中心とした集落のようで、幸いな事に門前に数台分の駐車スペースがある。いわば玄関前だが止めさせてもらって中へとはいる。そう大きくは無い神社だが清掃が行き届き、何とも清浄な雰囲気だ。正面奥に拝殿(画像上段)があり、その後ろに森が広がっている。本殿横に大きめの樹木が聳えているので、これが目的とするエノキのようだ。モミの木は、と捜したら拝殿右手の建物の前に聳えていた。此方は石柱の解説があったから間違いなさそうだ。

巨木と言ってもクスノキのような5~10メートルもあるような巨木では無い。見た感じ、幹周りが2メートル位、樹高が20メートル位、樹齢は例によって解らず・・・・・といった案配であろうか。諸外国ではいざ知らず、我が国ではエノキもモミの木も2メートル前後あれば巨木の分類に該当するのだろう。樹種によりけりだ。とりわけエノキの樹木は青葉が生き生きとしており、初夏のような雰囲気を漂わせている。樹齢が不明だが、生命力旺盛で樹勢が勢い良さそうだ。まだまだ大きくなっていきそうで、将来が楽しみでもある。存在する場所が神社の境内というのも好都合だろう。何らかの事情で伐採される可能性も低そうだ。

ここで注目すべきは拝殿のようで、大阪府教委の解説板が設置してあった。以下は解説板によるものだが、拝殿は「割拝殿」と呼ばれる独特な形式のようで、中央部に土間を作り両サイドから部屋と屋根を付けるような構造の建築様式だそうな。拝殿自体は鎌倉時代前期の建築のようだが、建築様式自体は奈良時代から続く我が国最古の神社建築様式だとか。彼方此方の神社を訪ね歩いているが、建築様式にまで注目した事はなかった。天照大御神を始祖とする神道の世界、詳しくは解らないが立ち入ってみると深い世界が広がっているようだ。奈良時代以前の建築様式は不明だが、ひょっとしたら巨木・巨岩・鋭峰等への信仰へと繋がっているのかも知れませんね。それにしても歴史の古い宗教だ。
 

多治速比売神社のアラカシ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月 8日(金)07時36分18秒
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  泉北ニュータウンが開発されたのは何時の頃だろうか。既に半世紀ほどの時間が経過してるような気がするのだが、定かで無い。現状をみても元々は豊かな照葉樹林帯であった事が想像つく。豊かな緑の森は今も彼方此方に面影が残っているのだ。ニュータウンでは住宅街が広がっているが、商業地区とも言えるのが泉ヶ丘地区である。著名なデパートも存在する。最寄りは泉北高速鉄道の泉ヶ丘駅、ここから北西に1.5キロ程の場所に鎮座されるのが多治速比売神社である。此の神社にアラカシの巨木が存在すると聞き及んだ。当地からでもそう遠くないので、気軽に車を走らせる。1時間もかからないのではなかろうか。巨大な森の中に神社はあった。神社の周囲は公園として整備されてるようで、堺市民の憩いの場ともなってるようだ。無論、駐車場も設置されている。

盆踊りの直前なのか櫓が組んであった。踊りが出来るほどの宏大な境内である。聞くところに寄れば、神社は西暦580年頃の開創のようで,付近の公園全体も元々は境内であったようだ。思うに照葉樹林が広がる丘陵地帯で山間部に神社だけがひっそりと存在して来たのではなかろうか。戦後、昭和の30年代か40年代位に人口増加を憂慮して開発されたのだろう。さて肝心のアラカシなんだが、境内を探し回ったら鳥居を潜った左手の小さな社殿の前に石柱が立っており、目的とするアラカシのようだ。樹木を見て愕然とする、数メートルの巨木と想像してたのに、細い枝幹(画像中段)のような幹が数本伸びているだけ。だが石柱には確かにアラカシと彫り込んであり、幹周り4.4メートル、樹高が12メートルとの記載が。想像すると、数値の巨木が存在したが何らかの事情で倒壊し、萌芽更新的な形で枝幹が伸びて来たのではなかろうか。画像下段をご覧戴きたいが、元々は4.4メートルの幹周りがあったような形状をしている。

幹周り数メートルの巨木がスックと天に伸びている・・・・・・そんな姿を想像してただけに少々残念ではあるが致し方無い。生老病死は世の習い、何時しか倒れる事もありうる話である。それにしても世代交代した幹が伸びてるようだから一安心ではある。何時の日か、再び幹周り数メートルのアラカシの巨木が聳え立つであろう。ちなみに神社の所在は堺市南区宮原台、上述したように泉北高速の泉ヶ丘駅が最寄りとなります。
 

岩室観音院のコウヤマキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月 6日(水)07時13分24秒
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  正式には岩室山極楽寺観音院というのが名称だそうな。通常は、岩室観音院で通してしまうのだが。大阪狭山市に「亀の甲」という著名な交差点がある。ここから泉北ニュータウンの泉ヶ丘方面へと坂道を登ったあたりが所在地だ。大きなホームセンターがあるから目印とされるのがいいだろう。路線バスはあったかどうか不明なので車訪問が便利だろうと思う。お寺の前に少しスペースがあって1~2台位は駐車可能なようだ。無論、境内へと入らせてもらえば10台位は充分可能な空間がある。此処は高野山真言宗に所属されるようで、伝承では行基菩薩が開創に関わっているとか。それだけ歴史が古いのだろう。高野山真言宗だから、という訳でもなかろうが、コウヤマキの巨木が存在するというのが入手した情報だ。

境内へとはいると本堂の裏手に高木が見える。どうやら目的とするコウヤマキのようだ。何枚か撮影した後、境内の更に裏手へと回って見る。土塀が続く静かな散歩道といった風情で趣きのある路地が続いている。京都や奈良の寺院街を歩いてるような雰囲気だ。岩室観音院を訪ねられたら、是非裏手に回ってみて欲しいと思う。肝心のコウヤマキだが高木になりやすい樹種のようだ。大きさは幹周り1メートルともなれば巨木だとか。ザクッと目測すれば、此処のコウヤマキは幹周りが2メートル位、樹高が15メートル位ありそうだ。樹齢は例によって不明な模様。樹冠の方に枝葉が集中した独特な形状をしている。此処のコウヤマキの特徴なのか、全般に同様な形状なのか、何とも不思議な形だ。高野山に登られたらご存じかと思うが、コウヤマキは真言宗の仏前用として活用される樹種で、奥の院界隈では彼方此方で販売されている。

現場を訪問してわかったのだが、岩室観音院はコウヤマキ以外にも「コジイの森」として著名なそうだ。コジイはブナの仲間と書くより単純に椎の木と書いた方が解りやすいかと思う。子狸が幼少期の頃はガキ大将の指揮の下、椎の木に登って木の実を取りおやつとするのが日常だった。神社の巨木などによく登ったのだが、怪我をしなかったのが不思議な位。ガキ大将の指導がよろしかったのだろう。コジイの森は堺市の指定保存樹林となってるようで、昔はこの一帯全般がコジイの樹林帯だったのだろう。狩猟採取の生活を送っていたご先祖達も椎の実を食していたのかも知れませんね。
 

信達神社のオカダマノキとナギ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年 9月 4日(月)06時58分22秒
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  当地から大阪南部へとズズーと下った位置にあるのが泉南市、しかも和歌山県境とくればかなりの山中である。峠を越えたら岩出市だと言ったら大凡の位置を掴めて戴けるだろうか。最寄りはJR阪和線の和泉鳥取駅になるかと思う。此処から東へ3キロ余り入った山間部の小さな集落、信達金熊寺(しんだちきんゆうじ)が目的地だ。地名の通り「信達金熊寺」というお寺さんがメルクマールとなる。お隣が信達神社だが、大半のお客さんはお寺の方に流れるようで、神社を詣でる方は少ない。お盆の時期と言う季節性もあったのかも知れない。門前は空き地となっており10台近くは止めれそうな雰囲気、これは有り難かった。

神社の境内にオカダマノキとナギが存在する・・・・というのが入手した情報。ナギは既に2~3回紹介してるが、オカダマノキは初めての登場かと思う。子狸にとっても聞いた事の無い樹種だ。遭遇した経験が無いもんだから、解説板や注連縄を頼りに捜す。ナギも数回見てるはずなんだが、樹皮や葉では判断がつきにくい。境内を何回もうろついてようやく捜し当てたのが掲示した画像だ。拝殿の東側の広場にあったのが、どうやら目的とするオカダマノキのようだ。資料によると大きさは幹周りが3メートル位、樹高が18メートル位、樹齢は残念ながら不明なようだ。画像中段がそれである。細い注連縄が張ってあったから間違いないかと思う。ちなみに伝承によるとオカダマノキとは、「招霊(おがたま)の木」がなまった模様で、元々は神事に使う玉串として活用された樹種のようだ。続いてナギの木だが、これは(画像下段)鳥居近くの参道筋にあった。大きさは幹周りが2メートルから3メートル位、樹高が20メートル位だ。樹齢が不明なのは上記同様である。ナギは府下最大の樹木とも言われてるようだ。いずれも大阪府の天然記念物となってる模様。

神社は役小角が創設にかかわってるようで、相当古い歴史を持つようだ。元々が信達金熊寺の鎮守社だったようで、明治初期の神仏分離により信達金熊寺から独立した神社となったとか。古くは金熊大権現とも呼ばれ、信達荘13ヶ村の産土神であったようだ。現在の社殿は江戸時代初期の建築のようで、これですら既に400年前後の歴史を持つ。
 

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