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法道寺のイヌマキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 1月18日(木)08時16分19秒
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  泉北ニュータウンをうろつき回っているが、今回はイヌマキを訪ねようかと思う。旧村と新興地の分類でいけば旧村に該当するだろう。住所が〇〇台では無く字名なのだ。堺市南区鉢ヶ峰寺がその該当地、と言っても大半が公園墓地や山林或いは田畑の集落だ。公園墓地の向かい側に存在するのが「法道寺」である。7世紀頃に開かれた高野山真言宗のお寺さんで、かなり規模は大きい。近くに民家は少ないのだが、檀家さんは広い範囲から集めておられるのだろうか。一見したところ、観光寺院的な雰囲気があったので入山料が必要かと準備したがフリーで入れた。石段を登って山門を潜ると広い境内が広がっており、中央部に本堂と思しき建物と多宝塔が聳えていた。樹林は少なく、該当樹木と思えるのが直ぐに見つかった。本堂の右手裏側だ。画像のように1本がスクッと伸びてるので直ぐに判明する。根本付近に解説用の石柱が建っており、イヌマキとの表示があった。

石柱によればイヌマキの大きさは幹周りが2.9メートル、樹高が12メートルだそうな。イヌマキは常緑針葉樹で高木になりやすく、15メートルから20メートル位が一般的だとか。お寺さんのイヌマキは少し小さめ、森の中では無いので栄養分が不足気味なのかな。ともあれ四方から撮影してみた。常緑樹にしては緑のインパクトが少なく、ひょとしたらだが老木かな・・・・・との印象も受ける。イヌマキはマキ科マキ属に所属しマツの葉に似た細長い葉を付ける。もう少し緑色の樹影があっても良さそうなんだが。樹齢は例によって例の如く、不明なようです。通常、寺社では樹林帯が多いのですが、此処のお寺さんはだたっぴろい境内が広がるのみで、樹木の姿は少ないようです。お寺さんの方針かとは思いますが、少々残念な気持ち。やはり寺社は鎮守の森と言いますか、鬱蒼たる樹林帯に囲まれていて欲しいものです。

山門の向かい側が公園墓地だと記しましたが、以前は近隣全体が照葉樹林の広がる山間地帯だったのでしょう。周囲の森に囲まれたお寺、わざわざ境内を樹林で彩る必要性が無かったのかも知れませんね。開基は上述したように7世紀中頃、法道仙人が開いたと伝えられています。高野山真言宗は確か空海によって開かれたもの、彼が活躍したのは8世紀から9世紀にかけてです。時間軸が合いませんが、後の時代に高野山真言宗に所属されるようになったのでしょうか。小さな疑問が生じました。それにしても静かな環境、周囲が墓地と山林とあれば音の出るものが無いですよね。修行の場としては最適なのかも知れません。
 
 

森の中には豊かな恵みが

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 1月16日(火)06時47分3秒
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  森の作業に従事するようになってかれこれ20年程になりますか。仲間達とのお付き合いも随分な時間となりました。途中、入れ替わりもありまししたが、現在残ってるメンバーはほぼ初期からの仲間、変わらぬ同志でもあります。作業自体は草刈りや剪定を中心とした森の管理ですが、森の中で遊ばせてもらっている・・・・・・というのが実態でしょうか。森の中の果樹園であった模様ですが、荒れ果てて山主さんもお手上げの状態だったのを不思議な縁で与るようになった次第。以来、数十年の時間が経過しました。先輩方が続けた管理作業、現在の仲間達は二代目となります。月に数回の作業ですが、「継続とは力なり」、との箴言を実感として受け止めています。1回あたりの作業は微々たるものでも、続けると見違えるように変化するんですね。雪景色の金剛山を望みながらの作業は、まさに極楽・・・・・そんな思いで受け止めています。恐らく皆も同じ心境なんでしょう。

森の中で暮らし、木の実の採取や動物の狩猟を行っていたご先祖達の遺伝子が、今も体内に残っているのでしょう。街の中よりも森の中に親近感を覚えるのは、致し方無いかと思っています。今月の定例作業日は14日(日)、小正月の1日前です。若干早いですが、トンド焼きを行う事としました。これもご先祖達が残してくれた伝統行事、元旦に天から舞い降りて来られた歳神様を天へと送り出す行事ですね。元旦の早朝、家々に設けられた門松を目標に歳神様は天から舞い降りて来られるようです。そして餅やお節をいただきながら2週間ほど家庭内でゆったりと過ごされ、小正月の早朝トンド焼きの上昇気流に乗って天へとお帰りになられるとか。幼少時の記憶が蘇りますが、スギの柱を中心にワラや竹或いは筵に刈り取った枯れ草等で円錐形の形を作り、トンドの神殿(?)としました。焼け落ちた残り火で焼いた餅を戴くと1年間無病息災との言い伝え、真剣に信じていたものでした。森の中では其処まで出来ませんが気持ちは同じ、持ってきた注連飾りを投入します。

儀式の後は例によっての収穫作業、本来は剪定作業を中心とすべきなんですが、まあ正月のこと大目に見てもらいましょう。八朔が見事に収穫期を迎えています。本数も多く、収穫した八朔がコンテナに満載、運搬するのが大変です、他にキウイや柚子或いはレモン等も。程度が良ければ自然食品のお店へと搬送するのですが、少ないようですね。素人集団の事、中々プロ農家のようには参らぬようです。しかしながら自宅で戴くには充分過ぎる状態、有り難く持ち帰る事としました。温州ミカンであれば野鳥達も賞味の模様ですが、八朔や甘夏或いはボンタンといった柑橘類は難しいでしょう。柿などは結構な量を残し柿としましたが、柑橘類は全部を収穫してもよさげですね。かくして森の生活を1日堪能、つらつら思うにボランティアて何なのかな・・・と。
森への貢献どころか、森のなかで遊ばせてもらい、健康な肉体を頂戴し、仲間達との団欒でボケは予防され、帰路にはお土産まで持たせてもらう。こんな楽しい生活を送ってても良いのかと。
 

宝光庵のヤマモモ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 1月14日(日)06時59分32秒
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  泉北ニュータウンには面白い特徴がある。デコボコした丘陵地帯だが、谷間筋の川沿いに旧村地帯が、丘陵部に新興住宅地帯が広がっているのだ、住所を見ると一目瞭然かも知れない。新興地が堺市南区〇〇台・・・・となるのに対し、旧村地帯は堺市南区△△・・・・と字名が入ってくることだ。ごく希に例外地があって、丘陵部に旧村が展開する場合もあり得る。今回訪ねる「畑」の集落はそうした事例だろう。坂道を登った丘の上、路線バスの畑バス停を中心に、農家風住宅が点在している。此の地に「宝光庵」という高野山真言宗のお寺さんがあり、ヤマモモの巨木があると聞き及んだ。バス停から少し登り細い路地を右折したあたりが目的地のようだ。果樹園の一角に車を止め、少し歩くとコンクリートで舗装された広場に出た。周囲は椎の木に囲まれた森の中だ。どうやら宝光庵のようだが、お寺の施設は皆目無い。奥の方に小さなお堂が存在するのみである。

推察するに、此処に宝光庵というお寺さんが存在したが、何らかの事情で存続が危ぶまれ、結果、消滅したのではなかろうか。コンクリート製の広場となってる区画が恐らくお寺の施設が存在した場所であろう。かろうじて残ったのが画像のお堂のみという結末だったのでは。ネットでも情報を探してみたが、お寺の住所と名称ぐらいしかヒットしなかった。広場を通り抜けお堂へと近づく場所にヤマモモは存在した。灰白色の特徴ある樹皮だ。どうやら2本存在するようで、左手の椎林にあるのが幹周り2メートル位、お堂の前にあるのが幹周り2.5メートル位だ。樹冠が良く解らないが、樹高は大凡12メートルから15メートル位だろうか。お堂前の大きい方を目的としよう。一般にヤマモモは高木になりやすいようだが、此処のはそう高くは無い。周囲が椎の木の樹林帯で、日光を充分には受益出来なかったからでは・・・・と推測している。

ヤマモモは雌雄異株のようだが、此処のがどちらであるかは不明だ。花期若しくは果実期であれば判別するかと思うのだが。若しも雌樹であれば6月~7月頃に赤くて直径1センチ位の実を付ける。生食でもいけるがジャムや果実酒に利用する事例が多いようだ。ヤマモモの樹は五條市の西吉野や和泉の松尾寺に訪ねた事があるが、何れも上記期間外で雌雄の別も実も確認出来なかった。樹木自体は広範囲に存在するようで、一説では関東からインド方面にまで生息地は広がるようだ。コウヤマキとは違って国際色豊かな樹木なんだろう。余談となるが、宝光庵のように寺院が廃れたり住職が不存在の寺が結構増えているようだ。危機感を覚えたとある宗派では、リタイア組をスカウトし、第二の人生を僧侶で・・・・・と中高年組の養成に励んでいる模様。ある意味
若い青年達よりも活動期間は短いだろうが、人生経験豊富なだけに有意義な活躍を期待できるかも知れない。僧職の世界にも、まさか移民の導入をと叫ぶ議員の方々もおられないかとは思うのだが。
 

流谷八幡神社のクスノキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 1月12日(金)07時16分5秒
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  八幡神社は岩湧山(898m)の中腹にある。和歌山との県境付近だから、かなり山深いといえば深い。最寄りは南海高野線の天見駅で、駅舎から山道を登ること20分位だろうか。車だとR371を走り、出合の辻交差点で右折して程なくである。昨夜来の雪で現地は白銀の世界へと変わっていた。ノーマルタイヤなので用心しながらソロソロと登っていく。門前には5~6台分のスペースがあるので、平常時(ほとんど参拝者無し)なら駐車の心配は無い。長靴に履き替え撮影に入るが、凍てつくような寒さで手がかじかんでしまう。八幡神社は今月6日が勧請縄掛けの神事であった。撮影に出向こうと構えていたのだが、急な所用がはいり不可となってしまった。既に縄は川に掛けられ神事は無事に終了していたようだ。次に狙うのは7月12日の湯立神事である。

画像上段は現地の流谷集落を撮影したものだが、すっぽりと雪に埋まっていた。同じ南河内とは言え、此の地は別格のようだ。橋を渡った対岸が神社なのだが、目的とするクスノキは正面入り口に聳えている。途中、4メートル位の高さで数本の枝幹に別れており、大きさの判断が難しいが胸高では5メートル位ありそうだ。樹高は凡そ20メートル位だろうか。八幡神社はイチョウの巨木で有名で、大半の方がイチョウ目的で来訪される。他にクスノキとスギの巨木があるのだが、あまり注目されないようだ。樹齢は残念ながら不明な模様。神社は1039年(平安朝末期)に京都の石清水八幡宮から勧請されたもので、どちらが先か不明だが中世の頃は流谷集落は石清水八幡宮の荘園となっていたようだ。

上述の縄掛け神事だが彼方此方に見られるようだ。昨年は明日香村の稲淵に見学に行った。縄を川に掛ける行事で、1日掛かりの作業であり震えながら
撮影していたのを記憶している。南河内でも各所で行われていたが、現存してるのは八幡神社位だろうか。集落の川に縄で編んだロープを渡し、「結界」を作って下流域からの疫病の侵入を防ぎ五穀豊穣を願った神事の模様。明日香村の神事が奇祭と言われるのは、縄の中心部に、稲淵集落では男性器をそして栢森集落では女性器を模した物を設置するからだろう。無論、疫病の侵入防止の狙いはあるが、他に子孫繁栄を願った先人達の思いの現れではなかろうか。無論、八幡神社ではそうした物は無く、ロープのみである。ワラ製なので老朽化・切断が早いかと思うが、関心をお持ちであれば早めの見学を。尚、余談ながらロープを巻き付けてあるのが件のスギの巨木です。
 

陶荒田神社のクロガネモチ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 1月10日(水)07時21分58秒
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  陶荒田(すえあらた)神社は堺市中区上之にある。交通機関だと泉北高速の泉ヶ丘駅あたりが最寄りだろうか。北東の方角に1.5キロ位かと思う。バスは見あたらないようで徒歩か車利用でしょう。現地の旧住所は泉北郡陶器村、意味深な名称ですね。想像されるように古代社会に於いては陶器の生産が行われた模様で、西暦400年頃かと思います。須恵器と呼ばれる高温で焼く陶器のようで、温度を上げるため窯を用いたのでしょう。生産技術を持った渡来人の居住区だったかと思われます。定着の理由は必要となる粘土や薪の材料が充分に確保出来たからではないでしょうか。神社は集落の中心部にあり、近隣住民の氏神となってるようです。車利用者が多いのか、駐車場は充分過ぎるほど確保されており、訪問には車利用が便利かと思います。ご祭神は八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)他3柱を祀ってあり、陶器の守護神として著名なようです。

神社の背後にはそう広くは無いが社叢林が控えており、各種の樹木が育っています。目的とするクロガネモチを捜しましたが、中々解らず境内や外周を何度も回りました。ようやく見つけた場所はトイレの左側背後、1本だけ聳えていました。ザクッと目測すれば幹周りが2.5メートル位、樹高が14メートル位でしょうか。ご多分にもれず樹齢は不明なようです。クロガネモチは名称通りモチノキ科の所属で雌雄異株のようですね。樹皮が平滑でツルツルしているのが特徴でしょうか。日光を好むようで、何処も日当たりの良い場所に存在するようです。又、雌樹には赤い6ミリ位の球形の実が付いて、秋から冬にかけ綺麗な景観を展開してくれます。神社のクロガネモチには赤い実は見られず、どうやら雄樹のようですね。残念です。色物が少ない冬場には貴重な樹種、余計な話ですが苗木も雌樹の方が高いようですね。

樹高は14メートル位と書きましたが、相対に高木にはならないようで、平均が10メートル前後だとか。此の神社のクロガネモチは平均より少し高めのようです。やはり境内での所在が成長に影響してるのでしょうか。他にもクスノキやアラカシ等の樹種が見られました。状況からみて、どうやら植樹では無く自然林が境内ということでうまく生き残ったように見受けられます。泉北ニュータウンは元々が豊かな森で、照葉樹林が広がっていたと思われます。高度成長期に地方からの労働力を受け入れるため丘陵地を開発したのでしょう。幸いにして神社仏閣の森は開発を免れ、在来の樹種が生き残ったものと思われます。現在は住宅街が広がり、生存には厳しい環境かと思われますが、せめて寺社の社叢林だけでも生き残って欲しいですね。
 

極楽寺観音院のコウヤマキ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 1月 8日(月)08時30分32秒
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  極楽寺は堺市の南区にある。と言っても大阪狭山市の亀の甲交差点から少し坂道を登り、泉北ニュータウンにはいった境界線上位だ。中世から近世にかけて栄えた寺院のようだが、豊臣秀吉の紀州攻めで兵火に焼かれ大半の堂塔伽藍は焼失、現在は塔頭の一つである「観音院」が残るのみである。従って地域の名称を取り、岩室観音院と呼ばれる事もある。河内長野市の金剛寺と連携を図られた模様で、金剛寺の北大門との位置づけも可能なようだ。観音院前から金剛寺までを「天野街道」と呼び、参詣ルートだった模様だが現在はハイキングコースとなっている。泉北高速泉ヶ丘駅から路線バスがあるが、車が便利だろう。境内には数台分の駐車場もある。宗派は高野山真言宗で、ご本尊は十一面観音立像の模様、創建は行基の開基と伝えられているが、正確な年代は不明なようだ。尚、ご本尊は秘仏扱いの模様で、年に1回8月10日の祭日にのみご開帳のようだ。

極楽寺はコジイの森としても著名な所で、いわゆる椎の木が無数に残っている。かって縄文の昔、ご先祖達が食料として活用していたものと思われるが、結構香ばしい木の実だ。生食でも可能で、子狸が幼少時にはガキ大将を筆頭に登ってシイの実を取りまくっていた。コジイの森を取り上げても良いのだが、此処はコウヤマキにしておこう。本堂の後ろに1本控えており、結構な大きさとなっている。ザクッと目測すれば、大きさは幹周りが2メートル弱位、樹高が13メートル位ありそうだ。樹齢は例によって不明な模様。コウヤマキは我が国と韓国済州島にのみ存在する固有種のようで、高野山に多いのはご存じのとおり。幹周りが2メートル近くというのは、樹種としては巨木に相当するのではなかろうか、相対に小径木が多いようだ。

浄土宗系では仏前花として菊を用いる事が多いが、真言宗ではコウヤマキの小枝を用いる事例が多いようだ。真言宗はご存じのように弘法大師が高野山で開設されたもの、標高1000メートル前後では草花も育ちにくいだろう。近隣の集落から献納があったとしても1年中の確保は困難で、近辺に多いコウヤマキの小枝を活用したのではなかろうか。コウヤマキは常緑樹で、松の葉に似た葉形は青々として瑞々しい。日持ちもするので仏前花として代用されたのではと推測している。現在でも奥の院付近を訪ねると、沢山のコウヤマキの小枝が販売されている。どうやら伝統は継承されているようだ。高野山は堂塔伽藍が建設されて1200年余り、法灯は脈々として継続されている。弘法大師は今もご存命との信仰から、毎日食事も供えられている模様だ。信仰の力とはかくも強大なものなんだろうか。コウヤマキもまだまだ活躍の余地が残っているようだ。
 

観心寺のスギ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 1月 6日(土)07時18分4秒
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  お正月も過ぎました。今年も樹木訪問の小さな旅を継続したいと思います。訪問するにはまず地元から・・・・・が流儀でしょうね。という事で、河内長野市の「観心寺」を訪ねます。南河内でも名だたる古刹で、楠公さんの学問所として知られるお寺さんです。利便性のいいお寺さんで、南海・近鉄の河内長野駅がスタート地点、金剛山行きの路線バスに乗車、10分ほどで到着します。観心寺バス停で下車するとお寺は目の前、5分ほどの徒歩です。お寺はイベントの開催時は入山料不要・駐車料必要、通常時は入山料必要・駐車料不要、のシステムの模様です。訪問したのが年末だったので入山料300円を支払って境内へ。山門を潜ると真正面に金堂の屋根が見えます。此処が訪問ポイントです。

実は観心寺は以前に桧皮剥ぎの実演で訪問した事があり、スギの大木が多いのに気付いていました。作業風景を拝見しましたが、小さな1メートル弱の2本の棒とロープのみで自在に大木に上り下り、桧皮を剥いでいく光景には驚愕させられました。まさに忍者・・・・といった技術ですね。今回、注目したのは金堂前に聳えるスギの大木、かなりの巨木のようです。どうやら御神木の模様で、玉垣で囲ってあります。ザクッと目測すれば、幹周りが4メートル位、樹高が30メートル位ありそうです。樹齢は不明ですが数百年は経過してるでしょう。金剛山頂に国見城址がありますが、曲輪の端に同等サイズのスギが何本か聳えています。城もお寺も楠公さん縁の地、ひょっとしたらですが存命時頃の植樹かも知れませんね。

スギはすっきりとした表情をしており、手入れが行き届いているようです。高さ10メートル位までは小枝もなく、大きな幹がスックと伸びています。御神木だから伐採する事は無いと思いますが、何かの事情で伐木せざるを得ない時は、寺社の用材として新たな活躍をしてくれるでしょう。金堂の背後には裏山が控えており、立ち入ることは出来ませんがこの山にもスギ等がまだまだありそうです。現場は後村上天皇の御陵ともなっており、金堂付近から眺めるのみで想像を逞しくしておきましょう。巨木からは離れますが、観心寺は梅の名所でもあります。もう暫くすると梅花の鑑賞が可能になるかと思われます。山間部で冷え込みはきついですが、楠公さんを偲びながら梅花訪問も楽しいかと。体が冷え込んだら、門前の茶店で温かい甘酒なども・・・・・・。
 

迎春

 投稿者:森の子狸  投稿日:2018年 1月 4日(木)07時56分44秒
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  新年おめでとうございます。お正月は如何お過ごしでしょうか。幸いにして当地は薄日ながら晴れ間が覗く天候で、寒さはあれど平穏です。雪国の方々は対応策に追われてるかと思いますが、積雪のないのが有り難いですね。車もスタッドレスの購入無しで過ごせます。三が日、子狸は近くのお寺さんへの初詣以外は予定も入れず、のんびりと過ごしました。お隣の狂犬みたいな御仁が、何時発射ボタンに手を触れるか気がかりでしたが、三が日は無事でした。今年は戌年、伝承によると戌年は波乱の年、動乱の年とも言われております。平穏無事な暮らしを希望しますが、人間様はそんなに高等な生物でも無さそうです。何時何時、不測の要因で「動乱」へと転ぶかも解りませんね。平和教の信者の方々は、今でも平和や憲法といった念仏で生命や財産を護れると考えておられるのでしょうか。妄想のまま冥土の世界へと旅立たれる・・・・・・そうで無い事を願っておりますが。

さて、昨年は晩秋から年末にかけてイチョウの探索に走り回りましたが、新年はイチョウ以外にもシフトしたいと思ってます。寒さが苦手な子狸、しかも日中は短く夕暮れは早いです。遠出は出来ないでしょう。南河内から簡単に出向ける近場がメインとなりそうですが、ボチボチと訪問を継続します。巨木がメインですが、小径木でも希少な樹種など、訪ねたい対象物が種々あります。少しづつご紹介を続けたいですね。お暇がありましたらお付き合い下さい。

普段は人通りが少ない寺社ですが、さすがに正月です。都心部並の人出でした。結婚式は教会で、初詣は神社で、葬式はお寺さんに・・・・・・何とも奇妙な習俗かも知れませんが、この日本人の持つ柔軟さ(人によっては無節操とも)が何とも好きですね。一神教特有の傲慢さと排外主義は鼻に付きます。ドイツに代表されるように、欧米社会の根本原理はどうやら臨界点を迎えたようにも見受けられます。21世紀から22世紀にかけて、意外と日本人の持つこうした柔軟さが世界を救うのでは・・・・・・そんな妄想を描くことも可能かと。おっとと、とんだ初夢でしたかも。
 

西本願寺堺別院のイチョウ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年12月30日(土)07時31分48秒
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  本年最後は近場の堺に参りましょう。堺市堺区の神明町に所在する西本願寺の堺別院を訪ねます。「別院」と特別な名称がついていますが、本山と同格扱いされるような別の地域に設置された特別な寺院のようです。会社組織で言うと、地方支店の中核を為す拠点となる支店・・・・・といった組織でしょうか。当然ながら僧職の方々なども本山からの派遣組の模様で、地域の布教拠点として活動されてるのでしょう。当地からだと南海電車の堺東駅が最寄りとなります。駅から北西の方角に1キロ余り、徒歩だと15分前後でしょうか。大阪市内からだとチンチン電車の阪堺線が便利です。神明町駅で下車されると目の前、数分の距離でしょう。近辺は寺町と言っても過言ではないくらい、お寺さんが密集した街並みです。大小様々な寺院が林立しており、捜すのも一苦労といった趣ですが、際立つような寺院が眼に入ります。

西本願寺堺別院は堺市内で最も大きな木造建築物のようで、明治初期の堺県設置時は県庁舎をも兼ねていたそうです。正門の画像を張っておきますが、実に堂々とした門でまるで城郭のようですね。地域は行政の中心地だったようで、江戸時代には徳川幕府(直轄地)の奉行所も設置されてたようです。さて肝心のイチョウですが、正門を潜った境内の左手に聳えていました。何かのイベントがあるのかテントが設置してあり少々興ざめ、画像の写りが良くありません。過去に訪問した折には、まさに境内に聳え立つといった雰囲気だったのですが。紅葉(黄葉)も既に終了しており、イチョウの樹は丸裸でした。訪問したのが今月下旬の係りだったのでやむを得ないのでしょう。落葉の姿も見られず、樹木は冬場の姿、少々寒々とした光景でした。掲示してあった解説板によると、イチョウの大きさは幹周りが3.7メートル、樹高が20メートル、樹齢は不明なようです。別院の創設者が足利義氏(室町幕府)の息子さんだそうだから、当時からあったのかも知れませんね。

イチョウの樹木を彼方此方に訪ねてきましたが、今回の記事を持って終了したいと思います。季節柄、これからの訪問は丸裸のイチョウを見るだけで、絵になりにくいかと思いますので。また来年、紅葉の時期に訪ねてみようかと予定しております。個人的には好きな樹種でもあります。まだまだ訪問できていないイチョウが種々存在するかと思いますので、捜しておきます。寒波もきつくなって来たようです。風邪などめされませんように、お気を付けてお過ごし下さい。年末とあってか喪中の連絡も何枚か到着しております。知人の何名かは既に鬼籍の世界へと旅立った模様で、寂寥感ひとしおの年末となりました。許された持ち時間、どれほどか解りませんが有意義に活用したいものですね。どちら様もお元気で、平穏で健やかなお正月をお迎え下さい。新年は4日(木)から再開させていただきます。
 

矢作神社のイチョウ

 投稿者:森の子狸  投稿日:2017年12月28日(木)07時20分55秒
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  矢作神社は八尾市の所在、最寄り駅はJRの大和路線八尾駅である。駅舎から東北の方角に1キロ余り、徒歩だと15分前後であろうか。住宅街の中を縫うように歩き、旧八尾街道の道筋にある神社へと到着した。昨年も何度か訪問し、要領は解っているつもりだ。鳥居を潜り長い参道を経て境内へとはいる。再び鳥居があって、潜った左手に聳えるのが件のイチョウの樹。さぞや黄色の葉が満載かと想像していたら、落葉どころか幹や枝はかなり剪定され丸裸となっていた。何とも無残な姿だが、それなりの訳があったのだろう。画像でもお解りのように、紅葉なぞ及びもつかない姿だ。訪問したのが今月の中旬、時期的にも遅いのは遅いのだろう。

イチョウの大きさはザクッと目測して、幹周りが4メートル位、樹高が15メートル位、樹齢は記述があって凡そ600年位だそうな。他にもクスノキなどの巨木があるが割愛しておこう。近辺は古代社会の大豪族である物部氏の根拠地だった模様だ。物部氏の支族である矢作連(やはぎのむらじ)が文字通り弓の矢を作っていたようだ。元々、物部氏自体が大和王朝において軍事や刑罰を担当してたようで、矢作連はその中でも武器製造の担当だった模様。近辺で製造に適した竹等が産出したのかも知れない。物部氏は大伴氏と二分するような大勢力だったが、新興勢力の蘇我氏と仏教導入(蘇我氏=導入派、物部氏=排斥派)で対立し、やがて物部守屋の頃に衰退していったようだ。上述したように、鳥居前を八尾街道が通っているから、昔から交通の要衝でもあったのだろう。以前は大和川が近辺を流れていたようだから、川沿いの道筋だったかも知れない。

イチョウはどうやら雌樹のようで、古木に時折見られる「乳根」が此処でも発生していた。数は多くは無いが見事な乳根だ。妊婦や産婦の方が信仰されるのは何処も同じかと思うが、訪問日には寒い故か参拝者の姿は無かった。彼方此方イチョウの樹を巡っているが、乳根が発生するメカニズムが良く解らない。雌樹で生じるのは納得ができるが、全ての雌樹でも無いのだ。しかも若い樹齢では発生しない模様、いわゆるお婆さんになって乳が張ってくるとの奇妙な現象、何とも不思議な樹木世界だ。掲示された解説板によると、このイチョウが市立文化会館の緞帳の図柄として表現されてる模様、八尾市民にとっても自慢となるイチョウなんだろう。樹齢600年というのは老齢の域に達するかと思うが、末永く生き残って欲しいものである。
 

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