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弥生人の起源

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月28日(水)01時21分44秒
返信・引用
  記憶を喪失した男さん、キシさん、情報ありがとうございます。

弥生人がどこからきたのか?気になるところですね。

また銅鐸との関係もそうです。

以前、こちらで、海進との関係で弥生人について考えたことがありました。

紀元前200年ごろまでには、現在の中国の江南地域の一部が海に沈んでしまい、そこに住んでいたはずの集団が、半島経由で日本に流れ込んだ可能性を考えました。

現在の海水面より7m以上高くなったのではないかと推測しています。

つまり、文化的には江南なのですが、渡来ルートが半島北部を経由している可能性を感じます。

そのなごりが、半島にも見えるのではないでしょうか。

銅鐸そのものは、やはり戦国時代の江南の王族の墓から出てきたものや、北京の近くにあった中山王国の銅鐸のそれに近いでしょう。それらをもたらしたのは、ギリシャ文化とも接していたスキタイ人の一派で、彼らは戦国時代に百越として、多くは華南・江南へ、一部は中山王国や朝鮮半島北部へと移動していったでしょう。
白狄です。

そして、彼らも弥生時代までには、日本へ南西諸島経由と、半島経由とで渡来したはずです。

その名残が銅鐸や、多鈕細紋鏡、銅剣などではないかと思うのですが、ともあれ、その江南の集団を移動せしめた海進の原因を解明しきれてないことがありましたね。

現在推定されている縄文海進のそれより7m以上高かったとみており、それは弥生時代、古墳時代、さらには平安時代まで、その現在より7m以上高い海進状態が続いていたと推定しないと、古墳や遺跡の位置が、現在のようにはるか内陸部にあることが解明できないという問題があります。

その7mの海進の原因ですが、最近思い浮かんでいたのは、月と太陽による海水の干満差が、現在よりもはるかに大きかった可能性を考え始めてます。

つまり、平均海水面は現在と同じであっても、満潮と干潮のときは、現在よりずっと内陸まで海水が入りこんできていた、あるいは遠浅になっていたということです。

だから、はるか内陸に遺跡や古墳をつくらないと、海水に沈んでしまうので、そのような立地になったという見方です。

あくまで、まだ推論の段階ですが、それが実現するためには、現在の月と太陽と地球との角度差が異ならないといけないでしょう。5度の月の偏角を、もっと小さくして、太陽と月とが重なる時期には、はるかに強い重力を生じて、地球の海水面を引き込んでいたという計算結果がでないといけませんね。


以前お話したように、太陽の重力と月のとそれとは1;4ですから、現在の干満差の2mを、7mまで引きのばすには、ややはり月の角度を小さくしないといけないでしょう。

ただ、月の軌道角の変化だけで、そこまでの干満差がでるかどうかは愚問です。

むしろ月の軌道を現在よりさらに楕円軌道にして、地球の位置、つまり中心点を月の軌道に近づける、そういう必要もありそうです。

ただ、実際に月の軌道、つまり長軌道半径が経年変化しているという話は聴いたことがないので、まずその可能性があるかどうかも考える必要があるでしょう。

仮に変化していったとすれば、現在は楕円軌道から正円軌道へ回帰する都城にあるということになるでしょうから、月はある意味遠ざかっている必要があるでしょう。

月の軌道についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/月の軌道#.E5.9C.B0.E7.90.83.E3.81.A8.E6.9C.88.E3.81.AE.E8.B7.9D.E9.9B.A2


ただ、もっともヒッパルコスの時代には、月の位置観測はなされていたでしょうし、変化があれば気付きそうなものですね。

月と地球の距離について、彼は現在より2万6000km短い距離を導きだしたというのも興味深いですね。

当時はもっと月が地球に近かったとしたら。

36万キロではなく33万キロくらいだったとして、
重力者はそうすると10%ことなりますよね。

でも10%では、先の2mが7mになるような干満差がしょうじるかな。

話は戻って、現在よりはるかに遠浅まで海水が引くとすると、界がよく採れたでしょうね。
そうすると縄文貝塚のようなものもできてくるかもしれません。

それが、弥生時代には採りづらくなり半減する、そんなデータはないでしょうか。

山幸神話の潮が満つる玉なんていうのも、そういう干満差をもとに考えるとどうなるでしょうね。

いろいろ証拠があるかもしれません。この辺もう少し考えてみましょう。
 
 

3, 4, 5, 6, 7

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 6月25日(日)19時39分45秒
返信・引用
  History of trigonometry - Wikipedia (三角法の歴史) http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/mathematics/trigonometry.htm
プトレマイオスは「太陽の黄経から、太陽の赤緯と赤経」を求めるために 球面三角法を使用していますが、現代の三角法では直接これが可能ではないかと思い、 確かめたものが訳注 2 です。
訳注 3, 4, 5, 6, 7 はティコ・ブラーエが「天文学の観測装置」(あるいは「天体機器」) の中で、始終言及している三角法の利用がどのようなものかを確認するために実際に 計算したものです。現代ではティコ・ブラーエの時代になかったベクトルや線形代数が あり、内容的にはそれほど高度なものではなく、理系の大学 1 年生の知識で事足ります。 但し、関数電卓を使用しなければ三角関数の数表が必要となり、 少し面倒な計算となります。 ティコ・ブラーエの「天文学の観測装置」に関しては、 ティコ・ブラーエの観測装置で紹介しています。
訳注 3 の内容は訳注 2 の内容の拡張となっています。 これはプトレマイオスの時代から、ティコ・ブラーエの時代までに 三角法が飛躍的に進展したことを意味しています。 内積も線形代数も必要となりますが、三角法のみに限定すれば 「飛躍的に進展した三角法」とは現代の高校で学ぶ三角法のことです。
訳注 4 の内容から日の出、日の入りの方向がわかります。 「カッツ、数学の歴史」によればプトレマイオスはアルマゲストの中で、球面三角法を利用して 日の出、日の入りの方向を決め、日照時間を決めているそうですから、 訳注 4 の計算もプトレマイオスには、あるていど可能であったことがわかります。

三角関数が面白くなる4000年の歴史旅行 三角比が三角関数に変身する ...http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46369
三角関数から見えてくる数学誕生物語
?天文学と測地学?→?角度(60進法)?→?平面三角法誕生?→?惑星の運動と地図?→?球面三角法?→?三角比の数表精度向上?→?ネイピアの対数と対数表誕生?→?小数点誕生?→??常用対数誕生?→?ケプラー惑星の運動法則?→?ニュートンとライプニッツの微分積分学誕生?→?双曲線の面積?→?オイラーによる自然対数とネイピア数?→?指数表記?→?関数概念誕生?→?三角関数誕生
奇跡の単位「角度」
?現代から過去を振り返ることで見えてくるのが単位の不思議です。現代において科学ともの作りがここまで発達している理由の1つが、長さの単位が「メートル」にほぼ世界統一されていることです。
?フランス革命の時代、ヨーロッパにはなんと40万種類もの長さの単位があったといわれています。これを見かねたフランスが国家の威信をかけて取り組んだプロジェクトが「子午線測量」です。世界統一単位を夢見たフランスはこの難事業を成功させ「メートル」が誕生しました。

ルーツ
... 倭人(O1b2)は オーストロアジア語族(O1b1)と姉妹関係であり、日本語とオーストロアジア系カンボジア 語の語彙類似性が高いと...
ハプログループO1b (Y染色体)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97O1b_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
O1b系統からは、日本や朝鮮、満州で多く見られるO1b2系統の他に、東南アジアやインドの一部(特にオーストロアジア語族)で多く見られるO1b1系統にそれぞれ分類される。O1b1、O1b2がいずれも中国国内で多少確認されているほか、東南アジアおよびインド東部に多いO1b1と日本列島や朝鮮半島に多いO1b2の分布の中間に中国が位置していることから、O1b系統がもともと中国で発生し、そのサブグループたちが中国から拡散したという仮説を中国の学者が2011年に発表された論文の中で唱えている[3]。
O1b系統について、崎谷満は長江文明の担い手だとしている。O1b2系統が移動を開始したのは約2800年前で、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、日本列島、山東省、朝鮮半島へ渡ったと崎谷満は主張している[4]。このO1b2系統は倭人、弥生人に関連すると考えられる。
倭人(O1b2)はオーストロアジア語族(O1b1)と姉妹関係であり、日本語とオーストロアジア系カンボジア語の語彙類似性が高いとするデータ[5][6]とも符合する。また大野晋が唱える日本語タミル語起源説についても、タミル語の基層言語にオーストロアジア語族ムンダ語派が存在しており、O1b系統の集団が持っていた同源語彙が日本語や朝鮮語(O1b2)とタミル語(O1b1)に引き継がれたと考えられる。
なお、日本にもO1b1が1~4%観察されている[7]。

Y染色体で探る日本人の起源http://digx.hatenablog.com/entry/j-origin3
データの解説
?「全体」は単純合計による比率で、「人口比換算」は日本の2010年国勢調査を参照した地方別男の人口比に従った比重をもって日本全体の割合を算出したもの。日本全体の状況を出すには人口比換算するのが正しいが、サンプルの少ない地方の誤差が拡大されるという注意点がある。
?アイヌを個別に調査したデータは北海道にも全国にも含まず別枠とした。ただサンプル(20)も人口も少ないため全体の統計に含めてもそれほど数値に変化はない。
また、北海道全体のデータにも存在比率なりのアイヌの子孫(自覚の有無に関わらず)がちゃんと含まれていて、それが北海道のDの多さに結びついているのだと考えられる。*2
?場所の偏りとサンプル数に注意。四国は徳島だけ重点的で九州は全体データでも南九州があまり入っていない。東北と中国地方は(この両地域でユニークな数値は出ているものの)場所の偏り*3以前にサンプルが少なく、それほど信頼性の高いデータではないのが本当に惜しい。
?実は地形的にも離れた南北両端を除けば、全般的に地方による差が少ない。特にDの数値の地方差の少なさは面白い。またC系統など少数派も意外と全国に満遍なくいるらしい*4こともわかる。(イギリスとかの移住の傾向*5がはっきり見えるデータと比べると、本当に差がない)
特に少数派の場合、特定の一族や集団の動向の影響が強く出て、特定の場所に集中していたり、ちょっとした偶然だけでどこかの地域集団からいなくなったり、むしろたくさんいる人々より存在は偏りやすいはずなのだ。(※現在のデータにあまり入っていない地域に集中がある可能性はまだ否定できない)
?後から移住してきた系統であるOは合計すると確かに半数を超える。もちろんOには下位分類が、O2系統の下も含めて大量にあり、その構成がアジアの各国でまちまちである。参考として付けた韓国のデータ(このデータはwikipediaにない)と比較してみていただきたい。
?特にO1b2-47zはOでも日本に多く韓国に少ないという特徴を持つために注目されたラベルである。この47zは面白いことに、わずかな差だが関西など中央(つまりヤマト政権の中心地)も少ないというドーナツ化の傾向を示す。つまりこれは47zが九州に多いというデータではなく、実は東に進むと(もちろん北海道は別だが)比率は増えていたのだ。
なおO1b2*(x47z)も、47z以外のありとあらゆるO1b2系統すべてであるため、必ずしも韓国に同じ系統がいるとは限らないことに注意。また境目としても47zが一番良いとは限らない。
?こちらにも書いておく。Nは多少数え漏れがあってその他に含まれているようだ。詳しい事情はデータの注記に記す。
ちなみに日本の場合、その他にはQが含まれている場合が一番多い。また今回の分類の場合、稀にいるD1bでないDもその他に入る。あとは沖縄だとRが出たり、他のアルファベットもたまに見かける。

彼ら初期弥生人(O1b2系統)は、長江文明にルーツを持ち、黄河文明に駆逐されて、 江南から山東や日本列島へと移動した人々と考えられています。主に九州や本州西部 に移住し、稲作と金属器を日本に持ち込みました。
日本人のルーツを考える http://ameblo.jp/sofianobara/entry-12156539882.html
日本人のY染色体の遺伝子配列(ハプログループ)には、世界中でも日本にしか見られない配列が、三種類もあるということに注目したいと思います。
一つは前述のD1b(35~40%)であり、もう一つはC1a1(2.3~4.5%)、それからO1b2a1a(22~25%)があります。さらに、この三種類のハプログループは、遡れば、出アフリカを果たした三つの系統、CとDEとFに、それぞれ繋がります。
このように、出アフリカを果たした全系統に渡って、三種類ともが、国内にほぼ均等に存在する地域は、世界でも珍しいのです。しかも、それぞれのハプログループが、その地域だけにしか現存していないとなると、そんな希少な地域や国は他に見当たりません。
こうした日本人固有の世界に類のない独特の父系DNA組成は、現在のアイヌ人・琉球人に繋がる古モンゴロイド種の縄文人と、紀元前5世紀以降に中国大陸から渡ってきた新モンゴロイド種の弥生人との間での、平和的な共生と強制的でない緩やかな混血によって生まれました。
縄文人が、今日のアイヌ・沖縄の人々との関係が深いことは、すでに1980年代からの研究で、M7aという母系遺伝子の配列(ミトコンドリアDNAハプログループ/mtDNA)が、日本人(7%)の中でもアイヌ(16%)と沖縄(23%)に特に多く、縄文人の骨からも複数検出されていることから、以前から注目されていました。M7aは、25000年ほど前に、M7から分岐した母系グループで、現在、日本にもっとも多く、特に沖縄とアイヌに多い母系遺伝子です。他では、朝鮮半島で3%ほど見られます。このM7aを持つ人々は、南方から来たのではないか、という説が、定説でした。つまり、この説によれば、縄文人は南から来たということになります。
その後、1990年代以降、DNA解析技術の急速な進歩によって、父系遺伝子の配列が明らかになってきました。そして、前述のように、日本人にしか見られない特殊な父系の遺伝子組成の存在が、注目されています。
この縄文人DNA(ハプログループD1b)は、日本人全体の35~40%(本土では東北・関東で高く、九州北部・四国・中国で低い)、沖縄では45~56%(中でも本島北部と宮古島は特に高い/石垣・八重山諸島では4%しかない)、アイヌ人では88%が保有しています。
ところが、その他の民族では、朝鮮民族でわずかに4.0%、ミクロネシアで5.9%いるだけで、台湾にも中国にも満州にもモンゴルにもチベットにも東南アジア諸国にも一切保有者がいないのです。日本の周辺諸国でさえ、このDNA配列を共有する民族は、ほぼ皆無ということです。
ただ、チベットには、親戚筋に当たるハプログループD1aを持つ人が48%います。そして、日本とチベット以外に、D系統のY染色体配列を10%以上保有する民族・地域は、現在、地球上にほぼ存在しません。
このD系統の遺伝子は、北方系古モンゴロイドの遺伝子と考えられており、日本列島は、チベットとともに、古モンゴロイドの血統を受け継ぐ希少な地域なのです。古モンゴロイドは、およそ6万年前に、アフリカ北東部で黒人種(E系統)と分化した最も古い黄色人種の種族で、後に、2.5万年前に、北東アジアで極北遺伝子Nと分岐したO系統の新モンゴロイドが大陸に分布した後も、険しいチベット高原と海を隔てた日本列島にだけ残ったものと思われます。ただ、もっとも近い親戚関係にあるチベット人(D1a)と日本人(D1b)も、4万年前に分岐したと考えられています。その後、3.5万年前のマンモスハンターとして、D1b種族は氷河を越えて、当時は大陸と地続きだった日本列島に、北方からやってきたのかもしれません。少なくとも、D1bが、南方系(スンダランド由来)という確たる証拠はないのです。
ですから、日本人は、朝鮮人とも中国人ともモンゴル人とも異なる、固有の遺伝配列を持つ、北方系ないしは南方系の古代人種の末裔なのです。また、日本人全体の中でも、原日本人である縄文人の遺伝子(D1b)を最も多く持つのがアイヌ人(88%)であり、そのアイヌ人に一番近いのが、本土の和人ではなくて、距離の遠く離れた沖縄の宮古島であるということです。
特に、血液中で白血球が抗体を作ってきた歴史を辿ることによって、人種間の混交の仕方を血液型から判別できるGm遺伝子配列を見ると、アイヌ人と宮古人との近似性が非常に高いようです。実際、宮古島は、沖縄本島とも石垣島(八重山諸島)とも、言葉も容貌も異なります。彫りの深い顔立ちは、アイヌと宮古に共通する北方系の特徴です。私見ですが、宮古とアイヌは、伝統的な民謡や舞踊にも、どこか共鳴するものを感じます。
宮古島には山がなく、水源に乏しいので、沖縄本島や石垣島と異なり、寒冷な蝦夷地(アイヌの土地)と同様に稲作が不可能でした。それゆえ、大陸から渡ってきた弥生人(新モンゴロイド)が定住することがなく、混血がすすまなかったのでしょう。そのため、アイヌと宮古だけに、色濃く縄文の血統と文化が保全されたものと思われます。

古モンゴロイドの一派である縄文人(後期旧石器時代人)は、第三氷河期の終わりにあたる1.6万年前、太平洋の水位の上昇によって、それまでユーラシア大陸と地続きだった日本列島が、日本海を挟んで大陸から分離して以来、およそ1.3万年(BC16000年~BC1000年)に渡って独自の新石器文化を築いていきます。北は北海道から南は沖縄まで、一つの閉ざされた生活圏・文化圏が形成されたのです。
縄文文化は、根菜・雑穀の単純農耕除き、ほとんど農耕がない採集狩猟の生活でありながら、一年を通じて定住するという、世界でも珍しいタイプの生活・文化圏です。青森県の三内丸山遺跡のように、縄文中期(BC3000年頃/5000年前)に、およそ1500年間にわたって、最盛期には500人の定住者がいたと推測されている遺跡もあります。
そして、この時期に、大陸にはまったく存在しない縄文特有のもう一つの父系遺伝子型(C1a1:4.2万年前に発生?)がすでに存在したと考えられます。ちなみに、このC1a1は、現在、日本人に2.3~4.5%ほど存在し、日本以外の地域ではまったく見られません。
沖縄(6.6%)に多く、アイヌ(0%)にいないため、東南アジア由来の南方系海洋縄文人の血統とも考えられています。しかし、沖縄以上に、むしろ青森(7.7%)や徳島(10%)にも多いので、南方系と断言はできません。また、このC1a1の親戚のC1a2は、現代でもヨーロッパに極めて少数存在し、同時にスペインの7000年前の人骨から発見されています。そこから、C1aは、6万年前に出アフリカを果たした、もっとも初期のクロマニヨン人の血統ではないか、とも言われているのです。
その後、およそ5万年前に、C1a1は東に、C1a2は西へ分かれたのです。ただし、C1a1が、どうやって日本にたどり着いたのか、その経路は完全に闇に閉ざされています。北方からという説もあれば、南方からという説もあります。
ただ、遠い親戚であるC1b2は、海洋狩猟民で、5万年前に、すでにオーストラリアに到達しています。ですから、C1a1の日本への経路も、南からだろうという意見が強いのです。とは言え、遠い親戚ですから、決定的な根拠にはなりません。ともかく、経路はどうあれ、このC1a1は、D1bが日本に到達するよりはるか以前、4.5万年前に日本列島にたどり着いた、最古の日本人かもしれないと言われています。
さらに、2万年前には、北方からC2系統の北方遊牧民が多少入ってきたようです。こちらは、現在、モンゴル人に55%、朝鮮人で10%、日本人では6%が保有し、アイヌでは12%と多く、沖縄では0%です。この分布が、C2が北方から来たとされる根拠です。
現在、日本人のY染色体ハプログループの割合は、O系統(弥生系)が50%、D系統が40%、C系統が8.3%です。O系統は弥生人ですから、縄文人のY染色体は、D1bが主流で、それに、すでに日本列島にいたC1a1、さらに北方からC2が流入して、多少混ざったものだったと考えられます。特にD1bとC1a1は、どちらも非常に古いY染色体の遺伝子配列で、しかも、日本以外では、ほとんど見られないものです。
さて、その後、長江文明の衰退と春秋戦国時代(BC770年~)の戦乱によって、中国南方系の人々(初期弥生人/新モンゴロイド/O1b系統)が、紀元前10世紀ぐらいからポツリポツリと日本列島に渡ってくるようになりました。彼ら、初期弥生人が保有していた父系遺伝子配列が、O1b2と考えられています。この遺伝子の一つに、日本にしか存在しない派生遺伝子O1b2a1aがあります。
彼ら初期弥生人(O1b2系統)は、長江文明にルーツを持ち、黄河文明に駆逐されて、江南から山東や日本列島へと移動した人々と考えられています。主に九州や本州西部に移住し、稲作と金属器を日本に持ち込みました。大陸からきた弥生人は比較的少数で、平野部分や盆地に定住し、土着の縄文人の方は、主に海岸や山地で生活していたので、当時は、ある程度の住み分けと交流、および共生が可能だったようです。
ちなみに、この〝弥生遺伝子〟の主流であるO1b2a1aは、4000年ほど前に長江流域で発生したO1b2を祖型とし、日本で派生したものです。現在、日本の全国平均で25%を占めますが、沖縄では11%、アイヌでは0%です。その他の国では、インドネシアで8%、朝鮮で4%、ベトナムで3%ほど見られますが、ほかではほとんど見られません。中国本土でも、O1b2は、戦闘的な漢民族(O2)によって駆逐され、今では影も形もないのです。D1b、C1a1と並んで、このO1b2a1aもまた、日本人固有の遺伝子と言ってよいと思います。ちなみに朝鮮半島南部には、弟筋のO1b2a1bが、33%存在します。おそらく、日本から渡ったO1b2a1が、半島で変異したのでしょう。つまり、稲作文化は、順番としては日本列島から朝鮮半島に渡ったようにも見えるのです。

、「日本人(日本民族)とは何か?」を考える上で、アイヌ人と沖縄人は、決して除外すべき異民族ではないということです。それどころか、アイヌと沖縄(特に宮古島)にこそ、日本人のルーツがあると言っても過言ではないのです。ですから、2008年に国連が、沖縄を日本の中の少数民族地域と勧告したことは、明らかに誤りです。アイヌ人のY染色体ハプログループは、縄文系(D1a)88%、縄文系北方遊牧民(C2)12%で、圧倒的に縄文人です。沖縄人の場合も、縄文系(D1a・C1a1)61%、弥生系(O1b2・O2)39%で、縄文系が濃厚です。
ですから、ここ千数百年の歴史の歩みの中で、不幸にも一時的に、はぐれてしまったことがあったとは言っても、1万年の日本民族の血脈の中では、アイヌ人も沖縄人も、同じ一つの日本民族であることに違いはないのです。
そう考えると、沖縄の古神道や精霊信仰(アニミズム)や先祖崇拝には、仏教や儒教を受容する以前の日本人の信仰心のあり方が、色濃く反映されており、沖縄人の精神世界には、縄文人の〝心〟が宿っているように思われるのです。アイヌの人々の心のあり方についても、同様のことが感じられます。
伝統的な土着の精神文化に支えられた個人の内面は、世界と運命への信頼に基づく静かで安定した安らぎの中にあります。彼らの心は、疑いとざわめきの中で生きる現代人の心とは対極にあるものです。なぜなら、そのような土着の精神文化を否定し、侮蔑し、消し去ろうとするところから、近代の教育はスタートしたからです。現代文明自体が、固有の精神文化を解体する装置として機能しているのです。そのため、高い教育を受けた者ほど、そのような土着の精神文化を卑下する文明の罠に深く囚われています。
〝現代人の心の再生〟をテーマとする時、わたしたちは、このことをよくよく考えてみなければなりません。
繰り返しますが、日本人の遺伝子の半分は、ユーラシア大陸で最古の遺伝子(C1a1・D1b)であり、残りの半分は最も新しい種類の遺伝子(O1b2・O2)なのです。このようなバランスを持つ地域は、地球上でも本当に稀です。
そのせいか、この国には、最も古いものが、最も新しいものと無理なく自然に共存するという、世界に類のない特性が、至る所で見られます。融和と共生の精神が息づいています。世界の絶滅危惧種であるD系統ハプログループが、この国にこれほど多く生き残っていることの意味を、深く考えてみてください。
この国に深く根付いているポリシーは、「決して敵を滅ぼさない」「根絶やしにしない」ということです。「敵を滅ぼす者は、自らも滅ぼされる。」わたしたちの祖先は、その真理を歴史からも学び、その知恵を「平家物語」「太平記」のようなカタチでも語り継いできました。
たとえ、歴史上、不幸な時期がいくつかあったとしても、そのことをもって、この国の本質を見誤ってはなりません。先の大戦の不幸は、日本人の心に、いまだ大きな影を投げかけてはいますが、それでもあえて言わせていただきたいのです。「歴史の真実をみつめましょう」と。
「平和を尊び、神と人を信頼する人々が、絶えることなく数万年を生きてきた国。」それが、私たちの住む国、日本です。
 

弥生人は呉ではなく朝鮮北部から来た

 投稿者:記憶喪失した男  投稿日:2017年 6月24日(土)13時40分47秒
返信・引用
  飛ばし記事です。

ソースは「有名人のハプログループ」です。

遺伝解析の結果、弥生人は、中国の呉からではなく、朝鮮半島の北部から来たことが判明しました。

弥生人とされるY染色体ハプロO1b2は、日本と朝鮮半島とその北部の中国北東部にしかほとんどおらず、
呉から弥生人が来たとか、徐福が弥生人を連れてきたとかいう説は否定されています。

弥生人が渡来したとすれば、2800年前頃、朝鮮北部からやってきたということになる。

弥生人は、中国の春秋戦国時代にはまったく関係ない朝鮮北部から日本へ来た。

O1b2の流入と稲の流入に因果関係はないというのが結論だろう。
あれは、みかんみたいに誰かが中国奥地へ取りに行ったんだろう?
縄文人を中心に考えれば、朝鮮半島から弥生人がやってきたので、
中国大陸の存在を知ったということがあるかもしれない。
新大陸発見だね。そして、稲を取りに行ったと。

土師器、鉄製農具、養蚕は、卑弥呼の朝貢でやってきた秦氏たちが三世紀に伝えて、古墳時代が始まった。
 

銅鐸の破壊

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月21日(水)23時19分9秒
返信・引用
  キシさん、情報ありがとうございます。
ご指摘の銅鐸の破壊の件は問題ですね。

通信道具なら、埋めることはあっても破壊はしないでしょう。

敵方がみつけて、それを破壊したのか、あるいは呪術帝な意味で葉愛したのか。

一族でその破壊した鏡の一部を分有するとかいう話は聴いたことありますね。

あとは落下して落ちて割れたとか、圧力で割れたとか、そういう可能性も排除しないといけませんね。


いや、通信なり測量道具で敵側にもちいられたくない場合も破壊して逃げるかもしれません・・。

埋められた状況をよく観察して推理していくしかないですね。

銅鏡の場合は、測量道具としての側面を考えてきたことがありますが、測量を終えた後に再利用したのかどうかも課題です。そのまま必要なくなれば、古墳などの埋葬してしまった可能性もあるでしょう。

個人的には測量用の銅鏡とは別に、宝物・・などとしての銅鏡との種別があったと思います。
鏡にも種類があるのは、現代でもそうですね。
銅鐸にも用い方に相違があったかもしれません。

その辺の相違をまたどう区別していくかが課題です。
 

正五角形の祭壇

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 6月19日(月)03時07分27秒
返信・引用
  >五角形 禹' .四角と円 の意味. 伏羲のサシガネと女のコンパスは、それぞれ四角と円を描く ...
古墳の位置は、等角螺旋(「の」の字の形)で 広がった!

五角形や六角形は大地測量と小地測量での誤差の修正が し易いと考えます。http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/3013/?fontsize=3&reverse=0&TEACUPRBBS=cb3fe78bdb8d26fb2219b7fb1daadac4
横メルカトル図法https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%AB%E6%A8%AA%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AB%E5%9B%B3%E6%B3%95
横メルカトル図法では通常のメルカトル図法で歪みの大きくなる高緯度地方を比較的正確に表せるが、逆に基準経度から東西に離れた地点での歪みが大きくなる。そこで南緯80度から北緯84度までの間を西経180度から東向きに6度ずつ1から60のゾーンに分割して、各ゾーンの範囲をそれぞれの中央経度を基準子午線とした横メルカトル図法で投影し、60枚の地図を使って両極を除く全地球を描く。(正確には地球が扁球により近いことを考慮したガウス・クリューゲル図法を用い、両極部分はユニバーサル極心平射図法を用いる。)
ただし、基準子午線上の縮尺を 1 とした場合、他の部分の局所的縮尺が 1 よりも大きくなり(赤道上で基準経度から3度離れると1.00137)、全体として見ても縮尺が 1 よりも大きくなる(赤道上の基準経度-3度から+3度まで、6度の長さは1.00046倍になる)。これを調整するため、中央子午線上での縮尺係数を0.9996にして、投影範囲全体の平面距離について、その相対誤差の絶対値を4/10,000以内に収める。
このように分割して地球全体を描けば、それぞれのゾーンの地図は基準子午線から3度以内に収まっており、比較的小さな歪みで済むので、中縮尺でも実用上大きな問題は起きない。
実際には適当な縮尺にして四角い地図に切り分けるが、同じゾーン内でつなぎ合わせれば一枚の平面地図として扱うことができる。ゾーンが異なる場合は平面としてつなぎ合わせることができず、地球の丸みを復元することになる。
なお、「ユニバーサル横メルカトル図法」と呼ぶ場合、6度ごとの基準子午線の取り方と 0.9996 の係数で標準化されたものを指す。

測地座標の変換http://w01.tp1.jp/~a540015671/page02.html
地球楕円体(GRS80)にその平均半径より4/10,000だけ短い半径の横円筒を、経度6度ごとのゾーン(中央経線はその真中)にかぶせて切り開く投影である。西経180度~174度(ゾーン1)から出発し、地球の全周を60等分する。擬東距=+500km、擬北距=0kmとするが、南半球では擬東距=+500km、擬北距=+10,000kmとする。投影原点の縮尺係数m0=0.9996である。

日本では、地形図や地勢図に多面体図法を用いていたが、昭和40年から25,000分の1地形図整備に合わせてUTMに順次切り替えた。日本では、51帯~56帯(中央経線は東経123度、129度、135度、141度、147度、153度)を使用している。他の国と比べると、位置指定やメッシュの手段としてのUTM直交座標系はあまり浸透していない。アメリカ軍との共同運用が多い防衛省・自衛隊を除けば[7]、1万分の1以上の地形図に日本独自の平面直角座標系の方眼が入っているが、他は経緯度線が見られる程度である。
153度
?153:(三角数かつ5!+4!+3!+2!+1!の特殊数、全ての数の1/3の代表)、(9×17)、神の子たち、神の民の象徴数
ゲマトリア数秘術の数字の意味http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/human/post_99.html

五角形は三角形三つでできているので、内角の和は180 ×3=540 そしてひとつの角は540÷5=108 よってのDの角は108度。 Cは45度。 108+ 45=153 三角形の内角の和は180度。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1499661984?__ysp=MTUz5bqmICDkupTop5LlvaI%3D

円周率πが無理数であることの証明https://www.youtube.com/watch?v=IiCfNTaMsog

円周率を効率的に求める上で代表的な公式である arctan 型公式について,その 仕. 組みなどを解説し .... 153. = 571. 153. となることがわかりますhttp://cm.hit-u.ac.jp/~kobayashi/topics/arctan.pdf#search=%27153+++%E5%86%86%E5%91%A8%E7%8E%87%27

正96角形 5角形の画像https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E6%AD%A396%E8%A7%92%E5%BD%A2++%EF%BC%95%E8%A7%92%E5%BD%A2

古墳造形実験.wmv ・・・http://pentacross.seesaa.net/index-45.html

大湯環状列石の謎①内帯五角形,☆<ペンタクロス>とは、五本の直線をクロスさせて 造った五芒星図形のことですhttp://pentacross.seesaa.net/article/391806483.html

後円部の頂上に は石造りの正五角形の祭壇が あります。
古墳の形、全種類 http://ameblo.jp/feijoahills/entry-10539693372.html

古代ギリシャ時代から始まって 19 世紀 までの間、作図可能だと考えられていた「正素数角形」は、「正三角形」と「正五角形」の たった 2 つでした。http://tsujimotter.hatenablog.com/entry/heptadecagon

徳島にはこのような五角形の囲みの祭壇が2000基以上もあると言われています。
五角形の祭壇は卑弥呼の墓の根拠とされています。http://bqspot.com/shikoku/tokushima/569
古代阿波研究会の『邪馬壱国は阿波だった』にはちょっと面白い説が書かれていました。阿波邪馬台国では、通信のシステムに銅鏡を使っていたというのです。瀬戸内海一帯の山に通信台を作って各所に銅鏡を設置し、通信内容をリレーのように太陽光の反射を通信台から通信台へと送っていたんですって。

不思議なことに 剣山の西方には高知の杖立山が、その東方には徳島の杖立山が並んでいるのです。http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=241

亀(六角形)と鶴(五角形)の合体 童謡かごめかごめの意味http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4394
かごめの歌・5http://blog.livedoor.jp/hensyokuka-mayson/archives/cat_50031782.html
亀(六角形)と鶴(五角形)の合体なので鶴と亀ともとれます

5と6…10進法の2つの要 http://metatron.la.coocan.jp/zone-62/numb011.htm
2つの「数の正3角形」の中心の数は、「テトラクティス」が5、「プラトンのラムダ」が6である。5と6は10進法の表裏の要である。1桁の自然数では自明の1以外では5と6だけが何回累乗しても1の位が変化しない。なお黄金比と円周率自体の間には6φ2≒5πという関係がある。つまりφとπは5芒星と6芒星のみならず5と6の関係もあるということだ。

図左はこの6:5の関係を1つの円を6分割と5分割にした関係で示したものだ。もし円周をπに対応させてラジアンで表したものと考えると、5/2周分を1周に(つまり900度分を360度に)圧縮して表してあることになるが、単なる円グラフの均等分割として見ても構わない。その右の図はπとφ2には関係なく、単なる正5角形と正6角形を完全に重ねたものと、ベシカパイシス状に重ねたものだ。

この5π≒6φ2がどれだけ近似しているかを見てみよう。5πと6φ2の差異を24/100000に丸めて考えてみると、角度にして0.0864度となる(※1)。円周360度に対して1/12度ほどのずれなので、図ではほぼ表現不可能な差異である。なおこの6φ2と5πの差0.0864と1日の秒数86400秒は、86.4×10-3と86.4×103と表すと対称的に見えるが、これは12-60進法の計時法と角度と10進法の綾である。

なおこの5π≒6φ2という式は1≒5π/6φ2もしくは分母分子を入れ替えて1≒6φ2/5πと書き表すことができる。普段は差異がほんのわずかなので等号で表わしたりもするが、ここで改めてその差異を確認してみよう。下に示したどちらの式も小数点以下8桁までに丸めると1±0.00001532となる。1を地球の1年365.242191日に対応させると誤差は8.057535分…つまり約8分ということになる。
   1≒6φ2/5π=1+0.0000153211811294438540391539833…
   1≒5π/6φ2=1-0.0000153209463944490701852055693…

8分は1日(24時間×60分=1440分)の1/180である。太陽が地平線に頭出してから完全に離れるまでの時間はほぼぴったり2分だ。つまりこの誤差は地球の1年と、地上から見て太陽円盤が天空を4個分移動するだけの時間に相当するということになる。なお5π≒6φ2という式は5≒6φ2/π、6≒5π/φ2、π≒6/5φ2、φ2≒5/6π、1≒6φ2/5πなどと様々に変形ができる

5と6のセットは様々なジャンルの様々なスケールで機能する。正5角形もしくは5芒星はどこまでも展開していき、正6角形もしくは6芒星は結晶化して満たす。5はホロニックかつフラクタルに増殖する力を持ち、6は世界を充填して維持安定させる力を持つ。バッキーボールやフラードームも3角形6枚の正6角形構造だけでは成立せず、必ず3角形5枚の正5角形が正12面体の頂点の位置に入る。

5≒6φ2/π 、π≒6/5φ2、6/5≒π/φ2
6≒5π/φ2 、φ2≒5/6π、5/6≒φ2/π
12≒10π/φ2、1/12≒φ2/10π、1/6≒φ2/5π
10≒12φ2/π、1/10≒π/12φ2、1/5≒π/6φ2

正6角形側にできる新しい 角度は6度で360度の1/60であり、正5角形側に出来る角度は12度で同じく1/30で ある。

日本列島は龍の形に似ているコンセプト:龍は六芒星; 鳩山という鳥は、亀井という カゴメ籠目から、いついつ出やる。 ... 鶴と亀は五芒星と六芒星を意味し、アメリカ、中国 、ロシアが世界を統べる(支配する)という意味かもしれない。
童謡かごめかごめの意味http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/star56.htm

外角の和が4∠R(360度) より、 正5角形の外角は72度よって、正5角形の内角は108度。 この対角が、図の ... この星 の形は、36度、72度、108度のみしかでてきません。
星形の角度は(正星形)なんですかhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1446579329
星のとがったところは、36度、その外側は、360度ー36度=324度
中央の正五角形のひとつの内角は、108度。それと対頂角になってるので、もうひとつの赤矢印は108度。

360 度の1/10である36度は黄金分割比を生む基本の角度である。 ところでこの36度は DNA塩基の2重螺旋構造の、基本的ねじれのピッチ角でもある。
泰山. 36.25 117.1http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2565
ピュタゴラスの直角3角形から360度を10分割する36度が生じ、5重対称性の立体の系である正12面体及び正20面体、そして黄金分割比が出現する。 ... 5芒星を構成する角度は1周360度を10とした時の1,2,3...すなわち36度、72度
http://metalogue.jugem.jp/?page=2&month=200706
6芒星原理と5芒星原理の組み合わせでもあるバッキーボール(切頭20面体)は点60、面32、線90からなる立体で、面角度は108度と120度であり、2面角は138度11分と142度37分である。バックミンスター・フラーレンもしくはC60は真っ黒な鉛筆の芯(黒鉛)やダイアモンドと同じ炭素の分子である。3次元空間では最も対称性が高く、そのために形が球に近い。純球を1とすると、球形度は1.0345である。

120度や90度のような360度を割り切れる角度に近いと、2周 目に、前の葉と重なってしまう
全ての植物をフィボナッチの呪いから救い出すhttp://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/fibonacchi.html
黄金比の長方形から、正方形を取り除くと、残った長方形も黄金比の長方形になり、これは際限なく繰り返すことができる。
古代ギリシャ時代の数学者(ユークリッドとか)は、この性質が、非常に気に入っていたらしい。
神秘の比率というわけで、いろいろな自然の造形や生物のプロポーションが、黄金比であるとの主張が無数にある。
たとえば、人の顔の縦横比はこの比率が「一番美しい」とか。「黄金比」なる名前もそこから来ている。

「黄金角=重ならない」

カゴメ」の謎は、解けた!http://blog.livedoor.jp/kaientaip/archives/51698362.html
主に5~6次元世界(霊界)を表しています。
白色のセフィラであるケテル(王冠)を中心とした三角形をアツイルト界と呼び、主に9~10次元世界(神界)を表しています。

生命の樹 三角比の画像http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%A8%B9++%E4%B8%89%E8%A7%92%E6%AF%94

曲がっている空間でのピタゴラスの定理http://d.hatena.ne.jp/ryamada/20160927/1474942767
普通の(ユークリッド幾何的な)ピタゴラスの定理と言えば、直交座標系(デカルト座標系)を取って、直角三角形の斜辺の長さの2乗が残りの2辺の長さの2乗の和に等しい、という話
2次元平面に長方形を置いて、その対角線を引くと、二つの合同な直角三角形が斜辺を共有して向き合っている図になる
3角形は2次元平面上に置けるが、3次元空間に置いてもよい

「世界地図のメルカトル図法で0度と東経 135度は平行なのに地球儀では極部で交わる」 これは“ユークリッド平面”(メルカトル 図法)と非ユークリッド幾何学の“球面幾何学”(地球儀)の違いによる ...
曲面と非ユークリッド幾何学 その1 http://ameblo.jp/spacetimec511/entry-11926149772.html
また、別の幾何学で“双曲幾何学”という幾何学があり、一葉双曲面 x^2/a^2+y^2/b^2-z^2/c^2=1 (a,b,c∈Re) の表面で考えます。この曲面上では平行な線が無数にあります(平行の定義は「線と線の間が常に一定」ではなく「線と線を無限に伸ばしても交わることがない」であることに注意)。また、双曲面上に描かれた任意の3角形の内角の和は必ず180度未満になります。しかし、双曲面の曲率に対して十分に小さい3角形の内角の和≒180度となります。

地理学者ゲラルドゥス・ メルカトルが発表した世界地図に使われたことから有名になった地図投影法。
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-date-201208.html
c. 2200 B.C.
魔方陣
Magic Squares
縦・横のどの列を合計しても、同じ数になるように、違った数を四角に並べた図形。ピックオーバーは、中国古代の伝説的な帝である禹が治水事業をしたとき,洛水から現れた亀の背にあらわれた洛書数を魔方陣の最古のものとしている。

c. 440 B.C.
ヒポクラテスの月形求積法
Quadrature of the Lune
厳密に証明された最初の曲線図形の求積(積分)。キオスのヒポクラテス(医者のヒポクラテスとは別人)は円積問題(定規とコンパスで与えられた円と同じ面積の正方形をつくる。1882年に実現不可能だと証明)を解く前段として、月形(二つの円弧で囲まれた領域)の求積を行った。この人はエウクレイデス(ユークリッド)の原論の元になった著作の作者と伝えられる。

c. 350 B.C.
プラトンの立体
Platonic Solids
すべての面が同一の正多角形で構成されてあり、かつすべての頂点において接する面の数が等しい凸多面体のこと。正多面体regular polyhedronともいう。は正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五種類しか存在しない。

日本の古神道の数霊盤に、九次魔方陣(81の数霊盤)と言うのがあります。 ... 舟塚山 古墳から離れた周辺の前方後円墳間の描く 角度が126度 108度 72度 54度 36度 18 度 ピタリ一致しているのです。 ...
古墳の位置は、等角螺旋(「の」の字の形)で 広がった!http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4289
星形の角度
五角形 禹' .四角と円の意味.
「道」、「無為自然」 神を意味する言葉、「YA」http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2024
ヒント ☆?
360度÷5 =72度(☆)
陰陽五行思想 - Wikipedia
十二支にも五行が配されている。 その前提として、四季に対応する五行は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水である。 ... 一方、「五行思想」は夏の創始者「禹」が発案したものであり、万物は「木火土金水」という五つの要素により成り立つとするものである。 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3

五角形の1辺の長さをaとすると,面積は. となる。 ... 正五角形の1辺の長さをaとすると,面積は. となる。 この0.578を五角の法とよぶ (算元記) ...
http://www3.ocn.ne.jp/~kokoten/yougo-ka.pdf#search='五角形 禹'

.四角と円の意味. 伏羲のサシガネと女のコンパスは、それぞれ四角と円を描く道具でした。 ... さて、陰陽五行思想の五行相生説・五行相剋説が、五角形ないしそれから導かれる星マークに良く合致するのは、偶然の一致のためではなく、
http://www.nase.co.jp/kodaishi/doc/08.htm

三身之綱(エジプトひも) ... 〔中〕 そこにまた、長さ大6尺の紐を20本連結した「エジプトひも」を張り巡らす。 ...
http://www3.synapse.ne.jp/kintaro/

360度÷6 =60度(△▽=?)

中世の地図...TO図(キリスト教中心世界を表す:地球平盤説の復活) ...
地球平盤説
中心の世界観・・・聖書に書かれていることが正しい→平盤説の復活

世界観の変遷
2、地球円盤説. ・インド・中国の世界観 :天を支える巨人。 亀・象が支える天空など ... 教中心の世界観・・・聖書に書かれていることが正しい平盤説の復活 ... 布切れに 図を描きキリスト教世界を人々に知らしめる役割を担っていた。 ...
http://www.tennoji-h.oku.ed.jp/tennoji/syakai/Tiri/tenkoHP1/03map-history.html

甲府盆地東部の一宮町と勝沼町の境界5万2千㎡に、5遺跡が連なり、縄文時代を中心 にして、先土器時代から平安時代までの複合遺跡です。http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/1682&reverse=1&fontsize=3?TEACUPRBBS=ef0abfeb70b25b0ddfb7c633c2260c52
30の遺跡が54度(108度の1/2角)で結ばれていました。!

108と天文学http://www.sitarama.info/blog/?eid=719
108は、天文学的に見ると、太陽と地球、地球と月を結びつける重要な数となります。太陽と地球の平均距離は、太陽の直径のおよそ107.5倍、そして、太陽の直径は、地球の直径のおよそ109.5倍となっています。また地球と月の距離は、月の直径のおよそ110.6倍となっています。地球の空では、太陽と月がおよそ同じ大きさに見えるのは、地球と太陽、地球と月の距離と直径の比がおよそ同じ大きさであることに起因します。広大な宇宙において、人間の宿る地球と、万物に恵みをもたらす太陽、そして生命のサイクルと関連の深い月の間に、このような関係があることは、とても興味深いことです。真理の探求者は、内なる神性を外部に投映し、自己(地球)から108のステップを経て、太陽や月に象徴される悟りの境地に到達できる、と考えたかもしれません。

地球の自転軸は、コマの首振り運動のような回転をしているために、春分点・秋分点が黄道に沿って少しずつ西向きに移動しています[5]。この割合は、およそ72年で1°と言われています。自転軸が一周するには72年×360°=25,920年かかる計算になりますが、これは108の240倍となります。占星術では、黄道を12の星座に分け、それぞれの星座を2,160年(=25,920÷12星座)かけて移動すると考えますが、2,160年は108の20倍にあたります。

108と陰陽五行説
幾何学的に見ると、108は正五角形の内角となります。そして正五角形は黄金比と深い関係があります。

0ではない最初の偶数と奇数に、それぞれの数をその分だけ掛け合わせると108になります。すなわち22 × 33 = 108、あるいは108 = 2 × 2 × 3 × 3 × 3 = 108です。
古代中国の陰陽思想では、偶数と奇数は、陰と陽に例えることができます。すなわち108は、女性と男性、吸気と呼気、空間と時間、精神と肉体などに例えられる陰陽思想に結びつき、上に述べた正五角形すなわち五行思想とあわせると、陰陽五行説と深い関わりがあります。

108が単なる自然数ではなく、人間の内宇宙と外宇宙を結びつける特別な数であると知ることができます。

回転角が108°の等角らせんに近似できることがわかる 。http://www7b.biglobe.ne.jp/~math-tota/suA/tokaku.htm

円周率を考えると三角比が何なのかよく分かる http://press.share-wis.com/pai-and-trigonometric-ratio
円周と直径の比は、大きな円であろうが、小さな円であろうが同じです。
図形の大きさに関わらずに保存される性質というものは何も円周率に限ったものではありません。
そして、その代表格ともいえるのが三角比です。
直角三角形の辺の比は、角が45°の直角三角形であれば、一辺が1kmある巨大な三角形でも、一辺5cmの手のひらサイズの三角形でも、斜辺と他の辺の比は、√2対1になります。

日本でもあの巨大な前方後円墳や法隆寺、東大寺に三角比が使われていたのかもしれ ない。 .http://vcrmnfeconi-wawabubu.blog.jp/archives/1046248476.html
円周率は無理数だから分数では表せない。
でも大工さんは有理数に近似して使ってたんだ。
「22割る7」の歴史はたいそう古く、中国は秦の時代にさかのぼるらしいのね。

古代エジプトで用いていたというπの代用の数比22/7の値は次の 通りになる。
02-05:πの代用値22/7について http://metatron.la.coocan.jp/zone-62/numb205.htm
(d)(8×9×10×11)×2/(1×2×3×4×5×6×7)
     =15840/5040=3.142857143
  (e)22/7=3.142857143

エジプトの3角形とも言われる、辺長比が3:4:5の直角3角形を念頭に、3,4,5という連続数3数を考えてみよう。3+4+5=12であり、3×4×5=60である。これはまさにシュメール、バビロニア、エジプトの12-60の数の論理に対応する数値である。ところでこの3つの数の和12と積60を掛け合わせた数もまた720となっている。そして6の階乗(6!=1×2×3×4×5×6)もまた720である。(そして720は8×9×10でもあり、もちろん360×2でスピン1/2でもある。)
  (f)3+4+5=12
  (g)3×4×5=60
  (h)(3+4+5)+(3×4×5)=72
  (i)(3+4+5)×(3×4×5)=720
  (j)6!=1×2×3×4×5×6=720
  (k)8×9×10=720

7!(=1×2×3×4×5×6×7)を6!(=1×2×3×4×5×6)で割ると7となり、また11!/7!(=8×9×10×11)を8×9×10で割ると11となる。ここで後者を2倍して7/22とすると最初に上げた古代エシジプトのπの代用値が出てくる。これを文章表現すれば「8から11までの積の2倍を、1から7までの積で割ると22/7というπの代用の数値となる。」となるが、実は下記のことと同値である。
  (l)(8×9×10×11)×2/(1×2×3×4×5×6×7)
     =(720×22)/(720×7)=22/7
  (m)11!=1×2×3×4×5×6×7×8×9×10×11
     =720×7×720×11=(720)2×77=39916800

七進法万歳http://onisci.com/777.html
地球上で本当に大きな円を書いて、その円周と「地表に沿った」直径を比べると、その比はπになっていないが、そういうことである。ただ、この場合も、本当は球である地球上に住みながら我々が平面というものを想像できるのと同様、この世界においても純粋数学においてユークリッド空間を空想することはでき、そこでの円周率はやっぱり3.1415等、ということになるだろう。困っているのは、我々の世界だけではないのだ。
 しかしそうでもない。考えてみると、円周率が3.14159等なのは、我々が十進法を使っているからであって、他の基数を持つ記数法を使えば、この印象はまったく変わるはずである。他の世界どころか、我々は文化的歴史的な都合でたまたま十進法を使っているだけで、もう一度歴史のサイコロを振りなおせば八進法や一二進法が勝利を収めていても不思議はなかったのだ(特に人間の手指の数が今と違っていた場合など)。円周率を他の記数法で書くとどうなるのか、やってみた。
10進法:3.14159265
9進法:3.12418812
8進法:3.11037552
7進法:3.06636514
6進法:3.05033005
5進法:3.03232214
4進法:3.02100333
3進法:10.01021101
2進法:11.00100100
 小数点以下8桁まで書いた(次の桁は四捨五入せず切り捨てた)ものだが、こういう書きかたをすると、基数が小さくなるにつれ、だんだん残差が多くなる。2進法の場合はこれだけ桁数を使ってやっと「3.140625」で、十進法の3.14程度の精度である。そういうものだろう。いちおう、基数が大きくなるほうもやってみると、

11進法:3.16150702
12進法:3.18480949
13進法:3.1AC10490
14進法:3.1DA75CDA
15進法:3.21CD1DC4
16進法:3.243F6A88
17進法:3.26EAF579
18進法:3.29FDEH0G
19進法:3.2D239829
20進法:3.2GCEG9GB
 このようになる。さて、これをざっと見たところ、2桁でうまく切れそうな、3.509に似た数字の並びは見当たらない。強いて言えば8進法の「3.11037」の小数点以下2位を切り捨てて「3.1」とするくらいで、あとは15進法の「3.21CD1」を「3.2」として使うくらいだろうか。残念、というところだが、ここでよく考えてみると「小数点以下2位で切り捨てやすい数字」ではなく「小数点以下2位で切り上げやすい数字」を探してもいいはずである。仮に十進法で円周率が3.191だったら、3.2で計算すればいい、と考えることができる。そういうことである。
 その観点で探してみると、いいのがある。それは7進法の「3.06636」で、一見、ぴったりでもなんでもない数字に見えるが、実は7進法では使える数字は6までしかなく、「6」の次の数字は「10」である。だからこの、小数点以下2位からの「66」は、十進法的な感覚では99と書いてあるようなものなのだ。つまり、7進法では円周率はほぼ「3.1」である。小数点以下2位を切り上げてもそうなるし、小数点以下3位を切り上げても、結果は「3.10」であって筆算での計算上は「3.1」と同じである。
 7進法の「3.1」は、これがなかなかよいπの近似値である。真の円周率からのズレは0.04パーセントだが、これは十進法における3.14とπとの差0.05パーセントよりも、さらによい近似になっている。2桁でこれを達成しているというのがなかなかすごいが、上で書いたように、小数点以下3桁目を切り上げても「3.1」になる、という事情があるからだろう。これなら、どんな教育者も「3.1」で計算せよと教えて、何の疑問も持たないはずだ。
 余談だが、上は結局「三と七分の一」が円周率をよく近似している、ということであり、この分数を使った計算は、ときとして3.14を使って計算するよりも楽だ、ということは覚えておいてもよい。たとえば、直径12センチの円の円周を求める計算で、円周率として3.14を使うと、12×3.14という計算を行う必要がある。これは暗算ではちょっと無理かもしれない。しかし3.14のかわりに、3と1/7を使うと、行うべき計算は(12×3+12/7)となる。つまり36+1+5/7であり、37+5/7センチ、ということになる。5/7を計算する必要がある場合は3.14を掛けるのとあまり手間が変わらなくなるが、実際に紐を切ったりする作業が次に控えているなら、十分な答えである。37センチと、あと1センチを7つに割ったらだいたいここが5つめ、と思うところにハサミを入れればいいからだ。
 というふうに便利な7進法だが、もちろん問題は、今われわれは十進法を使っているのであり、また小学生に7進法を教えるわけにはいかない、ということである。問題というか、それが致命的だとも思うが、まあ、最初考えるほど、7進法は悪いものではない。「

円はすぐさま三角関数と結びついて、円周率と同じように、半径=円弧のなす角度を1 ラジアンで表すようになり、360度=2πで等価になった。 ... 年)が記す書によると、伝承 として「9単位の直径の円の面積は、一辺8単位の正方形に等しいという作図からπ= 3.16049を得たという。
60進法http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1743
1) 円周率πの狩人達の記録(年代、人名、方法、πの範囲または小数点以下の有効桁数)
① 紀元前5世紀  ギリシャ アルキメデス  内接・外接正多角形漸化式 96角形で 223/71<π<22/7 3.14084<π<3.14286 2桁
② 1世紀 ローマ ウィトルウィウス(建築家)  π=25/9=3.125 1桁
③ 2世紀 プトレマイオス π=377/120=3.1417 3桁
④ 2世紀 後漢 張衡 外接正方形 π=√10=3.162 1桁
⑤ 3世紀 魏 劉微 正多角形3072角 π=3.1416 3桁
⑥ 5世紀 隋 祖沖之 内接24576角形 3.1415926<π<3.1415927 6桁
⑦ 6世紀 インド アリアバータ 内接384角形 √9.8684=3.1414 3桁

中国の暦、暦と季節のずれを検出するために二十四節気が考案された。

フェルマーの螺旋
Fermat's Spiral http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-619.html
極座標でr=±a√θ(r^2=a^2θ)で表される曲線。原点で滑らかに繋がる2本のらせんからなる。

球の平面図の一点から正面図の一点を作図するhttp://www.k3.dion.ne.jp/~edo-cad/kyuu_no_heimenzu_kara_shoumenzu_wo_sakuzu.html

球面と螺旋の交点座標値http://eisaijuku.join-us.jp/kyuumen-rasen-kouten-zahyouchi.html

球面座標による地図(正距接円筒図法) u t. 球面から北極と南極を除いた部分 ? -π ≦ t < π, - π. 2. <u< π. 2. (1 対 1). 地図 (map) とは,球面(地表)の一部分から平面の 一部分の上への 1 対 1 の写像 (map,対応. のこと) である.地図には歪みがある.
球面の幾何と世界地図1http://sci-tech.ksc.kwansei.ac.jp/~shimeno/math/map_handout.pdf#search='%E8%9E%BA%E6%97%8B++%E7%90%83%E9%9D%A2%E5%BA%A7%E6%A8%99++%E5%9C%B0%E5%9B%B3'
大圏航路(大円)
球を球の中心を通る平面で切った切り口にできる円を大円という.球面上の2 点を通る大円の短い方の弧が最短経路を与える(大圏航路).

エ畝(せ)!? 正五角形の作図法 「正5角形は36(弥勒)度だらけ」 ...
300歩四方
 加茂岩倉遺跡の同笵銅鐸・・・ 18度 36度 72度 108度?http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/3188&&fontsize=3&&fontsize=3&&fontsize=5/?&reverse=1&TEACUPRBBS=764e453eecafb517922f5d25fb744a75
縄文中期の環状列石、後期末から晩期にかけて石川県を中心に起こる巨木のウッド・ サークル、これらも縄文時代の特徴でしょう。 ...... このコンセプトは太陽の道(レイライン)と呼ばれるもので、特定の季節の太陽の日の出・日の入の方位に沿って古代の重要 地点が並ぶというものです。 ...... をデラヴィ氏は人工物であろうと主張していますが、3 千600年は春夏秋の巡りで、36+36+36=108で、72で台殻を作り秋の36で実魂 を完成 ...
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/j-keijiban18.htm

舟塚山古墳から離れた周辺の前方後円墳間の描く 角度が126度 108度 72度 54度 36度 18度 ピタリ一致しているのです。http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3632
舟塚山古墳群 測量台説 公認なるか?☆(9度のズレ) ⇒http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/2016

360度÷5 =72度(☆)http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2024
陰陽五行思想 - Wikipedia
十二支にも五行が配されている。 その前提として、四季に対応する五行は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水である。 ... 一方、「五行思想」は夏の創始者「禹」が発案したものであり、万物は「木火土金水」という五つの要素により成り立つとするものである。 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3

五角形の1辺の長さをaとすると,面積は. となる。 ... 正五角形の1辺の長さをaとすると,面積は. となる。 この0.578を五角の法とよぶ (算元記) ...
http://www3.ocn.ne.jp/~kokoten/yougo-ka.pdf#search='五角形 禹'

.四角と円の意味. 伏羲のサシガネと女のコンパスは、それぞれ四角と円を描く道具でした。 ... さて、陰陽五行思想の五行相生説・五行相剋説が、五角形ないしそれから導かれる星マークに良く合致するのは、偶然の一致のためではなく、
http://www.nase.co.jp/kodaishi/doc/08.htm

三身之綱(エジプトひも) ... 〔中〕 そこにまた、長さ大6尺の紐を20本連結した「エジプトひも」を張り巡らす。 ...
http://www3.synapse.ne.jp/kintaro/

12個(こ)の結(むす)び目をつけたひもを使って古代エジプトの人たちは 直角三角形を作り、それを上手に変形(へんけい)させて正方形にするなどして、土地を 碁盤(ごばん)の目のように区画していたんだよ。
図形は洪水から生まれたってほんと?https://www.chuden.co.jp/kids/denkipaper/2007/631/issue03.html
 

銅鐸 「睪エキ」 <次々とつらなる>睪(並べて選ぶ) 幸の神、「尺」「睪」

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 6月19日(月)01時21分28秒
返信・引用
   諏訪大社の社伝には、 「鉄鐸は往古、神使の巡回に使用された宝鐸である。」と伝えられており、諏訪大社上社で今でも行われている、大御立座神事のことではないかと思う。
 この神事では、神使いが神器(御杖と御宝)を持って諏訪大社周辺の御左口社を巡回するのである。
銅鐸は何に使われたか?http://www2.plala.or.jp/cygnus/s3.html
通説では、巨大古墳文化の始まりとともに、銅鐸は消滅しているという。

旧河内湖   銅鐸測量から鏡測量の時代   石人・石狗http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2292
銅鐸は破壊されて埋蹟,銅鏡が発掘

古代日本にだけ出土する遺物として有名な銅鐸について、型持ち穴が二至の太陽の日の出線の向きを示しているのではと指摘した方もあったようです。もし、この型持ち穴が二至の太陽の日の出線ならば、緯度によって日の出の方位角が変るため、大和地方(北緯34度30分前後)と九州北部(北緯33度30分前後)とでは、その方位角に一度近くの差があり、同じ銅鐸で大和と九州北部の日の出線を測るとすれば、あくまでも簡易観測器の域しか出ず、地域ごとに型持ち穴の位置を変えた鋳型を作り替えねばなりません。
(P26ー27)http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/index98-8.html
勿論、当時の人達が地球が丸いと知っていたとは、さすがに考え難い。よって「銅鐸は簡易観測器でしかなかった」としてすませることもできる。しかしそれは後世の我々が「地球が丸い」という事実を知っているからである。もしそれを知らずに、二至の太陽の日の出線の方位角がどの場所でも一定だと考えていたとしたらどうなるのか。そして、太陽を基準にして三角測量を用いた山当て法により地図を作っていたならばどうなるのか。

古代日本にだけ出土する遺物として有名な銅鐸について、型持ち穴が二至の太陽の日の出線の向きを示しているのではと指摘した方もあったようです。もし、この型持ち穴が二至の太陽の日の出線ならば、緯度によって日の出の方位角が変るため、大和地方(北緯34度30分前後)と九州北部(北緯33度30分前後)とでは、その方位角に一度近くの差があり、同じ銅鐸で大和と九州北部の日の出線を測るとすれば、あくまでも簡易観測器の域しか出ず、地域ごとに型持ち穴の位置を変えた鋳型を作り替えねばなりません。
(P26ー27)
勿論、当時の人達が地球が丸いと知っていたとは、さすがに考え難い。よって「銅鐸は簡易観測器でしかなかった」としてすませることもできる。しかしそれは後世の我々が「地球が丸い」という事実を知っているからである。もしそれを知らずに、二至の太陽の日の出線の方位角がどの場所でも一定だと考えていたとしたらどうなるのか。そして、太陽を基準にして三角測量を用いた山当て法により地図を作っていたならばどうなるのか。

しかしその間違いは、太陽を基準にして三角測量を用いた山当て法により地図を作った者達がいたためと考えればつじつまが合う。さらにそれは「魏志倭人伝」が作成される以前であったことは確かである。つまり、卑弥呼以前にこのような地図を作れた者達がいたと考えるべきであろう。

報 告 編 - 札幌学院大学
(Adobe PDF) - htmlで見るhttp://jinbunweb.sgu.ac.jp/~siberia/pdf/2004/2004_02houkoku.pdf#search='%E9%8A%85%E9%8F%A1+%E7%B0%A1%E6%98%93%E6%B8%AC%E9%87%8F'
郭では「縄張り図」という簡易測量図を作成することにより、多数ある城郭の資料化に 成功してい. る。そこで、今回の ...... 和国黒竜江省・吉林省でもそれぞれ銅鏡・銅風鈴の 出土が報告されており、軍事的要衝として大規模. な徙民・土地開発が ...

本城址の発掘調査は、シャフクーノフ氏、ニキーチン氏による試掘調査以外行なわれていない。
ニキーチン氏によると、渤海~女真(金・東夏)期に属する資料が得られており、城址の年代も当該期と考えられている。

外城は方形を意図しながらも地形に制約され不等辺五角形を呈し、全体として東に60 度振れており、その外周は1750mである。

小山峰こそが太祖陵であるとの教示を得た。即ち、石人・石狗が麓に発見され(祖陵よりの帰途、本年12 月に開館予定の遼上京博物館で実見する機会が得られた)、祭祀遺跡に対面する位置にあり、温泉の湧き出る一山峰が人工的に一部築成された太祖の陵墓だと理解するものである。

銅鐸は国土地理測量機(2015年読売新聞)
銅鐸は測量の道具だったhttp://blog.goo.ne.jp/kagome1248/m/201508
上森が教えられ、解明してきたことの多くは、今の時点では、日本の常識とは異なる異説で、首を傾げる人も多いかもしれない。しかし、銅鐸は測量の道具だった、とする上森の意見は、一級建築士として自分の事務所を構えていた上森ならではの観察眼と知識に基づくものだけに、万人に受け入れられる説得力がある
銅鐸は、紀元前2世紀から、紀元2世紀に至る弥生時代の約400年間、日本列島で使われていたが、その後姿を消した、謎の青銅器である。
上森は、銅鐸と一緒にしばしば出土する銅鏡も、測量現場で分度器や水平器として利用されていた、と考えている。また、銅鏡は光通信の道具でもあったのかもしれない。

○―○―○の形に次々と並べて
睪 エキ・タク・ト  罒部
「睪エキ」 <次々とつらなる> と 「駅エキ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/37590ce207da2135d7b32a7b20dc9484
解字 「罒(め)+幸(手かせ。手かせをした罪人)」の会意。手かせをはめた罪人を、数珠つなぎにして歩かせ、目で見て面通しをするさま。○―○―○の形に次々と並べて、その中から選びだす意[学研漢和]。なお[字統]は、獣の死体が風雨にさらされて分解する状態で、目の部分があたま、幸の部分が肢体とする。いずれの解釈をとっても、睪を音符に含む字は、「次々とつらなる」「並べた中から選び出す」イメージを持つ。(漢字を記憶するためには学研漢和のほうが覚えやすい)。新字体の音符になるとき「尺」が用いられる。これは釋シャクに発音が同じ尺をあて釈シャクと略したのが、他の字にも準用された。
イメージ 「次々とつらなる」(駅・沢・釈・懌・鐸・繹)
      「並べた中から選び出す」(択・訳)
音の変化  エキ:駅・懌・繹  シャク:釈  タク:沢・鐸・択  ヤク:訳

鐸 タク  金部
解字 「金(金属)+睪(つらなる)」の会意形声。もと、並べ吊るして使う鈴に似た楽器。のち、一つ一つの鈴を言うようになった。
意味 (1)祭礼の大鈴。「銅鐸ドウタク」(青銅製の釣鐘形の楽器。古代、西日本で祭器として使われた) (2)大きな鈴。鈴。「金鐸キンタク」(舌が金属でできた鈴)「木鐸ボクタク」(舌が木でできた鈴。法令を人民に示すとき鳴らした。②世の人を教え導く人)
繹 エキ  糸部
解字 「糸(いと)+睪(次々とつらなる)」の会意形声。糸がもつれずに次々と引き出されること。
意味 (1)引く。糸を引き出す。ぬく。 (2)つらなる。つらなりつづく。「絡繹ラクエキ」(絶え間なく続くこと)「繹騒エキソウ」(さわぎが続く)(3)のべる。陳述する。「演繹エンエキ」(①一つの事柄から他の事柄に押し広めて述べる。② deduction(推論の結果)の訳語。前提を認めるなら結論も認めざるをえないもの。数学における証明などをいう)
睪(つらなる)

【羅】の ... 連なる。

繹は糸をたぐって尋ね求めるをいう意味 羅  罒(=网。あみ)維 糸 隹・・・進む測量士。http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3553

あみ。目のつらなるあみ。 鳥をあみで捕らえる。 つらなる。あみの目のようにならべる。また、ならぶ。 うすもの。目のすいたうすい絹織物。うすぎぬ。

メッシュ横断測量はどのようなときに行うか
「メッシュ測量」(20m間隔のタテヨコ格子状の横断測量)http://jsce.jp/pro/node/3726

三角形のメッシュを生成するために三角測量によって測量される。

及川氏は、1キロメートル四方のメッシュを考え、遺跡があると期待される度合い の高いメッシュがどのように分布しているかを表にした。
邪馬台国の位置http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku233.htm
高槻市
「柏原市大県郡条里遺跡―縄紋時代の河川」. 島崎久恵氏(公益財団 法人 大阪府 ... 久宝寺遺跡(八尾市)、成合1号墳(高槻市). http://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/attach/hodo-15163_5.pdf#search='%E9%AB%98%E6%A7%BB%E5%B8%82+%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E5%B8%82%E5%A4%A7%E7%9C%8C+%E5%8F%A4%E4%BB%A3'
柏原市大県

「昔、禹、九牧の金を收め、鼎を?山の下に鑄る。山林川澤に入るも、螭魅?蜽、能く之れに逢ふもの莫し。以って天の休(さいは)ひに協承す」と、禹が九鼎を鋳た説話が載っている。ただ青銅の鼎が作られるようになったのは殷代に入ってからで、夏の時代に金属の鼎は無かった。また当と通じて、まさに、あたる、貞と通じて、正しい、という意味がある。http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%BC%8E
貞と通じて、正しい、という意味

真」 解字:眞の俗字「眞」 解字:会意。 .... 貞」=「ト」 +「貝」=(占いの)棒+賢い男=>占いをする賢い男=>禁欲者/身を堅く保つもの= >操を守る=>ただしい「貞」=「ト」+「貝」=(占いの)棒+賢い ...http://shoukei.blog65.fc2.com/blog-entry-62.html
「具」=「目」+「具-目」:=・・・>各所に配置された男=>要所にいる男=>要所にあるもの=>そなわるもの
要所にあるもの
「眞」 解字:会意。意符のヒ(人を逆さまにした形)と、音符の??(首を逆さまにした形)とから成る。人が逆さまにひっくり返る意。借りて、「まこと」の意に用いる。
人を逆さまにした形
匕はさじ 辛は、針の象形 散蓮華(ちりれんげ)は中国や 東南アジアで一般に用いられる陶製スプーン(匙)の日本 での呼び名。蓮の花( .... ヒの 下は首を逆さにした形。 「真っ逆さにひっくり返る意」 従って「真」は真実の本当の意味 ではない。 逆】予想する。(解字)形声。しんにょうと、それ以外の部分とから成る。後者 は、ギャクという音を表す音符で、人のさかさまの形にかたどる。http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3097
眞(まこと) とらえる
「眞」上のヒを匙(さじ)+鼎(三本足の金属製の大きな容れもの) の 省略した ... 漢字の起源」(加藤常賢)では「眞の・ヒ」は人が逆さまになる形。 http://blog.livedoor.jp/yuikoubou/archives/51707582.html
人が逆さまになる形
逆さまにぶら下げている形
県の旧字は縣で、実は、木の枝に紐で人の首を逆さまにぶら下げている形なのです。http://chaichan.lolipop.jp/src/kanjikigen.htm
口という漢字は、人の口の象形ということになっていますが、甲骨文字や金文では、その使用例が見当たらず、サイという神への祝詞(ノリト)を入れる器の形の象形であると解することで、字形の意味が理解できるとのことです。
サイという神への祝詞(ノリト)を入れる器の形
禹の父【鯀】コンの甕棺(酒甕に逆さに生贄 ・・http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1072
俾弥呼は「 甕」を「依代(よりしろ)」として神に仕える巫女であった。http://adat.blog3.fc2.com/?mode=m&no=1722
甕 [国]みか(甕)。
「 亠(やね)+?(向いあう)+隹( ... 意味 (1)かめ(甕)。もたい(甕)。液体をいれる容器。 「甕天オウテン」(かめの中の天地。狭い世間)②[国]みか(甕)。http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/d2607071ed95c973f1021c068cc31a13
「雍州ヨウシュウ」とは、山城の国(京都)の別称。「雍州府志ヨウシュウフシ」(山城国の地誌)
イメージ  「とりを大事にまもる」(雍・擁)、「だきかかえる(擁)」(甕)
音の変化  ヨウ:雍・擁  オウ:甕

行政区画の名、(懸と通じて )懸ける、ぶら下げる、掲げ示す、かけ離れる、という意味がある。 http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9C%8C
系+?の会意。?は首を逆さにした字で、首をぶら下げて懸ける意。〔説文〕に「系の?を持するに從ふ」とある。行政区画の意味は、西周のころから用例が見え古くからある。どうしてその意味を持つようになったかはよく分かっていない。王に懸かる土地の意味とする説などがある。
ぶら下げ
つり下げる・引き掛ける・ひき掛ける・引っかける・ 吊るす・吊す・引掛ける・ぶら下げる. 境界内で自由に動くまたは作動する, 戯れる・ ...
掛けるの類語、関連語、連想される言葉http://renso-ruigo.com/word/%E6%8E%9B%E3%81%91%E3%82%8B
境界内で自由に動くまたは作動する
戯れる・演ずる・架ける・努める・遊ぶ・勤める・弾く・演じる・曳く・引く・為る・務める・牽く

「 繫(か)くるなり」とある。 ... 縣は、旧字体で人名用漢字である。
日本でも、古くに行政区画として県(あがた)が使われた。

志幾大縣のあった大阪府柏原市大県には式内社の鐸比古鐸比売神社があり、鐸石別命を祀る、大縣と鐸、鐸石別命は関係深いのかも知れない。そして鉄鐸を意味すると説明して あるが、『古語拾遺』の成立した平安期には銅鐸についての記憶はまったく失われていた 。http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/hudesi.html

「鐸」という神名から銅鐸との 関わりを指摘する声もあるが、銅鐸は出土していない。http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Photo/node/PhotoEntryFront/user_id/8213/file_id/206515
高尾山山頂一帯は弥生後期の土器・石器の遺物散布地であり、高尾山山頂遺跡として知られる。高地性集落だったのではないかと考えられている。山頂から南方の尾根で弥生前期~中期の多紐細文鏡が出土している。また、高尾山の山腹には十数基の群集墳の存在が確認されている。

なぜ「鐸」の文字が使われて居るか?
本来の鐘としての銅鐸ではなく銅鐸を祭る当時の信仰的な何かでしょうかね。

振鐸 銅鐸 土圭http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/357
「繹〔たづ〕ぬるなり。理〔おさ〕むるなり」と訓む字 です。 振鐸しながら「明頭来也明頭打、暗頭来也暗頭打、四面八方来旋風打、虚空来也 連 ...
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2963

維・惟 シュウ:讐 シン:進 タイ: 堆・碓 ダツ:奪 チ:稚 ツイ:椎 フン:奮 ユイ:唯 ラ:羅 と り 維 イ・つなぐ 糸部 解字 「糸( ひも)+隹(とり)」 の 会意形声。金文は、隹の足にフックのようなものを ...http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3030
網羅モウラ」(網は魚をとるあみ、羅は鳥あみ。もらすことなく、すべて収め入れること)

三   星(点)   堆  ∴http://www.weblio.jp/content/%E9%90%B8

さなき 【▼鐸】
「たく(鐸)」に同じ。
「鉄(くろがね)の―を作らしむ/古語拾遺」

たく 1 【▼鐸】
(1)中国古代の鈴の一種。銅または青銅製の扁平な釣り鐘形で、中に舌があり、上方の細長い柄を持って振り鳴らす。舌が木製のものを木鐸(ぼくたく)、金属製のものを金鐸という。ぬて。ぬりて。さなき。鐸鈴。

【彡尋ジン】は神氣のあるところをたずねる意である。
また尋繹の繹は糸をたぐって尋ね求めるをいう意味
【彡尋ジン】は、「 繹〔たづ〕ぬるなり。理〔おさ〕むるなり」と訓む字です。 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/akasakahiro/59635241.html
もともとの右左の字は、最初は「口」「工」をつけずに、又〔手の形〕だけの字だったそうです。
「工」については「巧飾なり。人の規矩〔きく〕あるに象る。巫と同意なり」と『説文解字』5上にあります。
規矩〔きく〕とは、コンパスと定規のことです。


「尺」の会意文字はその旧字とされる「睪」で置き換え られています。 「弋-丶」:=「十」の ...
幸の神、「尺」「睪」  上下に位置する人 と人との心が和合・・・緯度により変化?羅針盤http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1170

幸とは、もと 刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。

解字 「罒(=网。あみ)+言(神に誓っていう)」の会意。言(神に誓う言葉)が罒(網を かぶせられる)て無効になること。ののしる意となる。 意味 ののしる(詈る)。きびしく非難 する。「詈言リゲン」(ののしる言葉) 罰 バツ・バチ 罒部 解字 「罒(=网。http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/120d19d0b50460824a658c283bc2a005

网(罒)」「皿」以外の「目」の展開は以下の項に続けます。 「目」 部首解説:これを部首 にして、目の状態・作用などに関す意を表す文字ができている。この部首から後に「見」 の部首が分かれて独立した。 字義:め 解字:象形。目の形にかたどり、それを縦に書い た ...http://shoukei.blog65.fc2.com/page-52.html
夾・・・「爻」
「夾」=「大」+「入」+「入」:=はさむ=>はさむ=>はさむところ=>わき
「夾」 解字:形声。意符の大(ひと)と、音符の从(二人の人)とから成る。一人の人を二人の人が両側から守るさまにより、「はさむ」意、ひいて、助ける意に用いる。
「陝」 解字:形声。意符の阜(おか・やま)と、音符の(きりわける意)とから成る。昔、周公と邵公が分けて治めた土地の名。
「陜」 解字:形声。意符の阜(おか、やま)と、音符の夾(はさまれる意)とから成る。丘や山に両側から挟まれている狭い土地、谷間の意。

狩をする意 「めぐる」、めぐらす意
「繚」  解字:形声。意符の糸(いと)と、音符の(まとう、まつわる意)とから成る。糸が「まとう」、「まつわる」意。ひいて、「めぐる」、めぐらす意に用いる。
「獠」  解字:形声。意符の犬(けもの)と、音符の(狩をする意)とから成る。犬を使って狩をする意、ひいて、かりの意に用いる。

刈 刈・狩狩り(刈り)・・・ 測量 計り・秤 禾(目印)+平(等しい) 禾(目印) 「棱」=「木」+「 夌」 :=木+際立った もの=>木の角=>かどhttp://8906.teacup.com/toraijin/bbs/ 227 人類が東へ東へと進んだ遊牧騎馬民族の息の長い歴史を彷彿と ...
道標(みちしるべ)http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3033
刈・狩狩り(刈り)・・・ 測量 計り・秤 禾(目印)+平(等しい) 禾(目印) 「棱」=「木」+「夌」 :=木+際立った もの=>木の角=>かどhttp://8906.teacup.com/toraijin/bbs/227 人類が東へ東へと進んだ遊牧騎馬民族の息の長い歴史を彷彿と ...http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1825
「爻」
×印を二つあわせて、交差することを示したもの。 意 味, (1)まじわる(まじは る)。 ×形にクロスする。《類義語》⇒交。 ... 解 説, 「交」の字をもっと抽象的な記号で表した のが「爻」である。この字は×印を二つ合わせて、交叉することを示した指事文字である。http://1st.geocities.jp/ica7ea/kanji/jigi/007-010.html
「交」の字をもっと抽象的な記号で表したのが「爻」である。この字は×印を二つ合わせて、交叉することを示した指事文字である。
示した指事文字
「示」
祭卓(神を祭るときに使う机)の形。http://ryakukanji.web.fc2.com/u/7/9/793a.html

「几」 几とは (キとは) [単語記事] - ニコニコ大百科意味: 机、肘掛け、 神への供え物の台、神の依代という意味がある。 ... 杭」に渡る意味があることから、川を 渡る最初の工夫 は、太い杭(くい)を飛び飛びに川底に差し立てて、その上を渡ったと 推測できます。杭の 上に ... 充-儿」:=胎児、に関しての形は、下に示す辞書の解字で 、「逆さまに生まれ出る胎児」の象形に捕らえています。http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1753
机 台
亢」
亢」 =「亠」+「几」:=隠れる+指揮する女=>隠れた指揮者=>影の指揮者=>反抗 するもの=>さからう 同じ逆らう ... 杭」に渡る意味があることから、川を渡る最初の工夫 は、太い杭(くい)を飛び飛びに川底に差し立てて、その上を渡ったと推測できます。杭の 上に ...http://shoukei.blog65.fc2.com/blog-entry-54.html
 「充-儿」の形は辞書にありませんから、「ム」から始めます。・・・

杭」 解字:形声。意符の木(き)と、音符の亢(渡る意=航)と から成る。わたる意に用いる 。 「航」 解字:形声。意符の舟(ふね) ...http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/3095
杭」 解字:形声。意符の木(き)と、音符の亢(渡る意=航)とから成る。わたる意に用いる 。 「航」 解字:形声。意符の舟(ふね)と、音符の亢(よこにする意=横)とから成る。舟を 横に二艘並べる意。二艘の舟を横の並べてその上に板をわたし人馬を渡したことから、 ...亢(渡る意=航)とから成る。わたる意に用いる 。 「航」 解字:形声。意符の舟(ふね)と、音符の亢(よこにする意=横)とから成る。

舟は盤。盤中の水で止(あし)を洗って、刀で爪を剪り揃えるのである。前は趾指の爪を 切る意の字であるが、前後の意から前進、また往昔などの意となる。 ..... みる」とよむ字 に、見・省・看・相・視(視)・診・察・睹・監・覧(覽)・瞻・観(觀)などの字があり、それぞれ の見方がある。 .... 口」は、従来は『説文解字』で「人所以言食也(人の言食する所以なり )」と言っているように〔くち〕と解釈されているが、これではうまく説明できない文字も多く、 ...
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/sio/colum02.html

「杭」 解字:形声。 意符の木(き)と、音符の亢(渡る意=航)とから成る。 わたる意に用いる。 ...
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2615
亢宿  おとめ座
亢池 うしかい座

左右」という漢字ですがhttp://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2009/04/post-1cc3.html
左」の「工」は呪具であり、「右」の「口」は祝告を収める器だとされています。そして、右手に器(口)を持って、左手に工を持って、なんらかの作法を行ない、神意を尋ねたのです。
「工」も「口」もありますね。で、神に「尋ねる」となるわけです。
たずねる【尋ねる/訊ねる】とは。意味や解説。[動ナ下一][文]たづ・ぬ[ナ下二]1 所在 のわからないものなどをさがし求める。「家出した子を―・ねる」「生き別れの母を―・ねる 」2 物事のおおもとなどを明らかにしようと調べたり考えたりする。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/136622/m0u/

「その堅魚を上げて舎を作れるは誰が家ぞ」 とのりたまえへば、答へて白ししく、「志幾の大縣主の家ぞ」とまをしき。ここに天皇詔りた まひしく、「奴や、己が家を天皇の御舎に似せて造れり。」http://homepage1.nifty.com/o-mino/page813.html
堅魚は堅魚木のことで、鰹木と書いて「かつおぎ」といいます。神社の本殿などの棟木の上に横に数本並べたものを言います。斜めに交差したものは千木といいます。日下の直越
は日下は地名。直越は真っ直ぐ超える道です。峠を越えるときは、殆ど曲がりくねりながら越えますが、真っ直ぐに越える道は「暗がり峠」しかありません。このころは、「暗がり峠」という名前がなかったのでしょう。ただ、この峠をくだりますと、平岡神社のところに下りてきまして、志紀郡大縣村ではありませんから、ただ、真っ直ぐに越える道の意味かもしれません。「稽首」は「首を地につくまで体を屈する・ひれふして」。「大縣主」は「大和朝廷の縣の支配者」

「堅魚木を上げて屋根を作っている家」は天皇にしか許されていないことが判ります。それを堂々と作っていたのは、志幾の大縣主であることが判りました。そこで、天皇は直ぐにその家を焼いてしまおうと思われたことが書いてあります。志幾の大縣主は、志幾の縣主すなわち、県知事ぐらいのくせに、天皇気取りでいたことが判ります。
昔の中国人の宇宙観の中に、中国は天地中央の国に位置して、天地の中心は、中原地区に属する鄭州の登封辺りに あり、中国の早期の王朝の所在地と文明の発祥地となりました。 今回、認められた古代建築群の中に、前漢時代に作られた少室闕、啓母闕は、中国において一番古い国家レベルの祭 祀用礼制建築の手本で、中岳廟と太室闕は、中国古代礼制建築物の代表的な傑作で、周公測景台と観星台は、中国 において一番古い天文台であり、少林寺は、周知のように中国武術の発祥地のひとつで、など、中国の各歴史時期の文化 発展を表しました。 関係ツアー: http://www.dokomochina.com/renqikosu/xazz.html http://www.dokomochina.com/renqikosu/ryumon.html

堅魚木の数は10本つまり偶数本である。 千 木が水平ということは「陰」、また堅魚木が偶数というのも「陰」であり、 つまり内宮は「陰 」の館なのである。「女陰」つまり、 .... もうすぐ「夏至」だ。夏至は「陽」 ...http://isezuishou.jp/nsmp/mailmag-034.html?%3CBASE_QUERY%3E
「夏至」
【観星台】 登封市より東南13km告成鎮周公廟にあり、現存 する最古の天文台とされる。 高さ12m。夏至の日照時間や北極星の高さなどを観測。http://www.g-tabi.com/guide/henan/tiandi.php
小室闕・启母闕は中国最古の祈祷のための建物であるり、周公測景台・観星台は中国最古の天文台とされる。
天文台
周公測景台と観星台」のうち、「周公測景台」は現存する中国最古の天文学施設であり、 「観星台」は、中国最古の天文台です。「周公測景 ... 周公は、この測景台を使って様々 な試みを行い、「夏至・冬至」「春分・秋分」という概念を築き上げましたhttp://www.中国世界遺産.jp/pages/central/dengfeng.html
天地之中歴史建築群」は、漢代から清代に亘って建てられた建築群で、実に2000年の歴史を誇ります。何故これだけ長きに亘り、中国の人々が河南省一帯に重要な建築物を造ってきたかというと、中国には古くから「天地の中心は中原(現在の河南省周辺)にあり」という伝統的な考え方があったからです。それは、中国独自の宇宙観や占星術から得た価値観に基づくもので、「天地之中」といわれています。歴代の中国統治者は、中原という場所に特別な意味を込めて、国の統治や宗教思想に欠かせない建造物を残していったのでしょう。中原とは、いつの時代にも中国人にとっては特別な場所だったのです。ですから、「天地之中歴史建築群」の史跡を辿ることで、古代・中世の中国統治者が国にかけた思いを、深く知ることができるでしょう
五台山は、山西省の東北部に位置する頂部が平坦な五つの峰、東台望海峰、西台挂月峰、南台錦綉峰、北台葉頭峰、中台翠岩峰からなる中国仏教の聖地です。
普賢菩薩のある四川省の峨眉山、地蔵菩薩のある安徽省の九華山、観音菩薩のある浙江省の普陀山と並ぶ、中国四大仏教名山の一つに数えられています。
多数の山岳寺院が建つ五台山は、中国の仏教建築と自然との調和がとれた独特の文化的景観を醸し出しています。
英語表記:Mount Wutai
日本語訳:五台山
所在地:山西省五台県:N39 1 50 E113 33 48(緯度 経度)http://wd-heritage.meriun.com/asia/china/china-heritage-entry14.html

北緯39度線(ほくい39どせん)は、地球の赤道面より北に地理緯度にして39度の角度を 成す緯線http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%B7%AF39%E5%BA%A6%E7%B7%9A
「土地が肥沃で快適に暮らせる場所は、北緯30~40度の間」
「太陽の道(レイ・ライン)」の真相…日神信仰を支える技術http://toya-manabu.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-9fe8.html
長谷寺、三輪山、桧原神社(ひばらじんじゃ)、国津神社、箸墓(はしはか)、二上山などが同一線上に並び、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命、倭姫命(やまとひめのみこと)といった女性祭祀者のイメージも共通する。すなわち太陽神の祭祀に深いかかわりをもった古代の「聖線」である。これが「太陽の道」と名付けられた由縁である。
 そしてこれらはすべて、北緯34度32分の東西に走る一直線のライン上にある。
西安市つまりかつての長安の都もある。西安市は、北緯33゚39'~34゚44'にあるので、ほぼ同じライン上である。
 しかし何度も言うが、これは地理風水の常識である。古くから言われているように、「土地が肥沃で快適に暮らせる場所は、北緯30~40度の間」ということになっている。
太陽を拝するのであればその中心線の35度あたりになるのは当然で(つまり夏と冬の中間点・春分秋分点)、そこが畿内のように山岳地帯でなければ、街造りも当然この一帯になるだろう。東漢氏は、それを熟知していたからこそ、それまで未開の辺境であった飛鳥の地を自分たちの拠点として選んだ。飛鳥がそれまで手付かずであったことは、彼らにはむしろ驚きであったのではないか。
 ちなみに近代都市はもう少し北寄りの緯度ラインに集中している。ロンドン、パリベルリン、モスクワは50度付近なので海流のサポートがあるとは言ってもかなり寒い。北京、ニューヨークは、日本でいえば青森辺りの緯度になる。近代文明は、より勤勉であるべく、快適さを犠牲にする宿命なのかもしれない。
 「太陽の道」が示すものは「古代から人類は、より快適な場所の見出し方を知っていた」という厳然たる事実である。それに比すれば、現代人はむしろ「分からなくなっている」のかもしれない。自然を見なくなったこととも関係があるだろう。
 私たち現代に生きる者は、古風な羅盤や魯班尺に頼らずとも、PCソフトやGPS(衛星波羅針盤)で簡単に線が引けてしまう。そのため、「古代においてはそれは不可能であったろう」との推測をしがちである。しかし決してそんなことはない。
 聖地を知る能力、聖地を見出す技術は、現代人よりはるかに長けていたことは、全国各地の神社、すなわち古社・延喜式内社の存在地点が証明している。(中略)「太陽の道」はオカルトでもなんでもなく、きわめて科学的な、しかも初歩的な天文地理技術の一つの成果である。
 太陽信仰は、星の信仰の中では最も基本的なもので、その証である太陽の道は、最も素朴な信仰の形である。周知のように「星の信仰」は他にもあって、北極星や北斗七星(北辰信仰・妙見信仰)、天(あま)の河(七夕信仰)などが日本では代表的なものだが、当然のことにこれらにまつわる地理は各地にあって、それぞれに天文と直接間接に関わる理由がある。
 太陽の道で重要なことは、ラインそのものの存在ではない。なによりもラインを正確に見出す技術と、聖地のポイントを定めることにある。他のどこでもなく、大神神社も箸墓もそこにある。そしてその理由こそが陰陽道である。飛鳥に蟠踞する東漢氏が深く関わっていたことは当然である。
(『ツクヨミ・秘された神』河出書房新社 より)

女王卑弥呼の女王国の北限が北緯39度 であるから、倭国と重ならない領域が存在する。
◎ 後漢時の倭国は北緯30度以北と北緯37.5度未満の域内にあった。
◎ 魏時の卑弥呼の女王国は北緯26度以北と北緯39度未満の域にあった。http://ameblo.jp/tsukioto2011/entry-11628504407.html
レバノンという場所はもともと、フェニキア人という人たちがいたところのようで、この「フェニキア」という言葉と、米国の「フェニックス」という地名が関係しているのだそう。
米国のフェニックスも 33度線上にあります。

縣 鯀
左右」という漢字ですがhttp://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2009/04/post-1cc3.html
左」の「工」は呪具であり、「右」の「口」は祝告を収める器だとされています。そして、右手に器(口)を持って、左手に工を持って、なんらかの作法を行ない、神意を尋ねたのです。
「工」も「口」もありますね。で、神に「尋ねる」となるわけです。
たずねる【尋ねる/訊ねる】とは。意味や解説。[動ナ下一][文]たづ・ぬ[ナ下二]1 所在 のわからないものなどをさがし求める。「家出した子を―・ねる」「生き別れの母を―・ねる 」2 物事のおおもとなどを明らかにしようと調べたり考えたりする。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/136622/m0u/
「口」
>口という漢字は、人の口の象形ということになっていますが、甲骨文字や金文では、その使用例が見当たらず、サイという神への祝詞(ノリト)を入れる器の形の象形であると解することで、字形の意味が理解できるとのことです。
>サイという神への祝詞(ノリト)を入れる器の形の象形
「口」は 禹の父「魚+系」の姓「口」で酒の甕をも表わしていること述べました。
太一神を奉祭する http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3015
爻・・・网(罒)
円(圓)  爻がみな変わる一対の卦?
円図正対輪 注:{乾・坤}、{復・?}のような各位置の陰陽爻がみな変わる一対の卦の ことは、「正対」という。http://blogs.yahoo.co.jp/iizukakouu/9049445.html
古墳のふん(賁)
山火賁(さんかひ)
賁 離下艮上(りか ごんじょう)
八卦の離(り)の上に、艮(ごん)を重ねた形。
止まる
賁とは飾るという意。夕陽が山裾を照らしている様子
上卦艮を山とし、下卦離を火とすれば、山の下に火がある様子。
山の下に火があれば、その火は必ず山を照らし、草木は飾りのように輝く。
例えば夕陽が山裾を照らしている様子である。
だから賁と名付けられた。
また、八卦の離は陰を陽で包んだ形であって、艮は陰の上を陽で覆っている形である。
陰陽を美醜で対比すると、陰=醜、陽=美、となる。
したがって、離、艮、ともに陽の美しさをもって陰の醜さを包み覆っていることになる。
飾るといのは、まさにそういうことである。
だから賁と名付けられた。
また、来往生卦法によると、もとは山天大畜から来たとする。
一陰柔の爻が山天大畜の外からやって来て、内卦の二に麗(つ)いて離明の主爻となったのが、この山火賁である。

解字. 眞(シン)(=真)は「人+音符鼎(テイ)・(テン) 」からなり、穴の中に人を生きうめにしてつめること。 填(テン)(つめる)の原字。http://www.mapbinder.com/Map/World/China/Information/Kanwa/Kanwa-Chi.htm

>「只」 解字:指示。口(くち)に八(言葉が終わり、語気が分散して消えてゆくことをあらわす)
口」は鼎=鯀=起点 | 世界史掲示板(荊の紀氏) - TeaCup
2013年10月22日 - 舜が堯の職を代行するにおよび、鯀を殺し、鯀の子の禹を用いて治水の仕事を継続させ ました。禹は多くの人力を組織して、13 .... 寸の距離を表しているという。 私的に【甘】 カンは、禹の父【鯀】コンの甕棺(酒甕に逆さに生贄・・・甘い香りがした。
白川静によれば「口」は鼎を上から見た形で口の丸い鼎をあらわしている。円(圓) が丸をあらわすのはそのためだ。http://tonan.seesaa.net/archives/20080314-1.html
壹( イツ)(=壱)は「くびれた壺(ツボ)に物を詰めたさま+音符吉(=詰。つめる)」の 会意兼形声 ...http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/980
鯀の用語解説 - 鯀とも書く。中国の神話にみえる洪水神。顓頊( せんぎよく)ののちとされるが,顓頊は〈死して蘇(よみがえ)る〉神,すなわち洪水神で, 魚形の神であったらしい。http://kotobank.jp/word/%E9%AF%80
蘇(よみがえ)る〉神
鯀 【こん】
古代中国の洪水神。尭(ぎょう)の命で治水に着手,上帝の息壌(ふえる土)を盗み洪水を防ごうとしたが9年で失敗,羽山で誅殺(ちゅうさつ)された。死体は3年腐らず,刀で腹をさくと禹(う)が生まれた。

甘は、口の中に含むことをあらわす会意文字で、拑(カン・封じこむ)と同系。 敢は、古くは「手+手+/印(払いのける)+音符甘(カン)」で、封じこまれた状態を、思い切って手で払いのけること。 ...
http://blog.goo.ne.jp/kanjikazoku/m/200809
封じこまれた状態

封・・・瓶棺(甘・カン)
「寸」(距離)と「圭」(盛り上げた土)との合わせ字
手から一寸離れた脈打つところ(寸口)を指すことで寸の距離を表しているという。

私的に【甘】カンは、禹の父【鯀】コンの甕棺(酒甕に逆さに生贄・・・甘い香りがした。 ...
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/1986

田+壽」ウネ(禹ね?)の甲骨文字に「己」に「口」が配置された形が曲がりくねった黄河に配置された「酉」(酒の甕の目標物) ... 以前お話したと思いますが、「口」は禹の父「魚+系」の姓「口」で酒の甕をも表わしていること述べました。
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/1947

招揺が酉を指し、日没には牽牛星が南中し、日の出には觜山雋星が南中する。 ... 四岳の一同、鯀を推挙する。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/yao2.htm
招揺(北斗七星の七星で六星、七星を結ぶ線)が卯を指し、日没には弧星(輿鬼の南の星)が南中し、日の出には建星が南中する。位では東方。・・・天子は青衣を着て蒼龍の馬に乗り蒼玉を佩び青旗をたてる。・・・よき日をえらんで、民に土地神を祭らせる。・・・この日は日中と夜間の長さが等しく、雷が鳴りはじめ、冬ごもりの動物がみな活発に動き出す。雷の鳴る三日前に鐸を振って民衆に命じて曰・・・。」

甕星 |
... でいると見なければならない。 【甘】カン 棺桶 口私的に【甘】カンは、禹の父【鯀】コン の甕棺(酒甕に逆さに生贄・・・甘い香りがした 。 .... こん せいしゅ)⇒ リキュール魂 (こん )⇒ 霊魂 Soul (Navy) ⇒ soul ? 鯀 (こん)【古代中国人】 Whales ...http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/563
胞衣壺(えなつぼ)は、胞衣(人間の胎盤)を埋納する際に納める容器(壺)。生まれた 子供の健やかな成長や立身出世を祈い家の間口や土間に埋納する習俗において用い られ、胎盤とともに銭貨を埋納する場合もある。 日本では縄文時代中期の埋甕に遡り、 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%9E%E8%A1%A3%E5%A3%BA

図星(ずぼし=思う壺)、急所、勘所などを「つぼ」といい ます。矢を射るときの狙いどころ ... 口頸がさほどつぼまっていないのは「甕」(かめ)と いいます。 『説文解字』には、「昆吾、圜器なり。象形。大に従う。その蓋に ...
http://shimo.exblog.jp/4432297/
「別世界」のことを「壺中天(こちゆうてん)」ともいいますが、その言葉の起こりにまつわる話です。「壺中の天」は、俗世間とは異なった別天地、別世界のこと。「壺の中の世界」の意で、転じて、酒を飲んでこの世の憂さを忘れる楽しみをいう言葉になりました。

壼 甕 尊{さけつぼ} 口鯀・甕棺(後の 台・銅鐸・古墳 社) | 古代史 ...
鯀(禹の父)は口(酒甕)に入れられ川(氵さんずい)のわき〔肉月+去〕に埋〔土+里〕められ 醗酵 口甘(リキュル酒) ... http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/1244 漢字は 禹の 足跡から作ら恵ました。 http://help.yahoo.co.jp/group/toraijinkenkyuu/ ...
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2185
中国の説話に登場する仙人で「壺公」(ココウ)という人です。彼は仙人ではありましたが、天界で罪を犯した罰として、俗界に落とされていたのです。
三苗、鯀
共工為何而狂?共工與驩兜、三苗、鯀並稱"四兇" 的堯臣,被堯流放于幽州。 ... 壺公評論寫于09-07

酒の甕に逆さに入れられ生贄となった夏王禹の父(鯀コン魚+系であだ名: 口)の形で祖先の「霊」として禹が「ヒ:斎」する文字と考えます。 .
http://kamnavi.jp/log/ktba0502.htm

恨みを後世にまでも遺したその時の遺言に「苦しみごとを祈願する者には、凡ゆる人の 味方になるから、巳れの屍を逆さに埋葬せよ」と言い遺して逝ったが、逆さに埋葬する こともできず、普通にして霊を弔った。ところが「何故逆さに埋めなかっ ...
http://www.st.rim.or.jp/~success/kurikoma5.html

ターラー(多羅)は「明けの明星」 摩多羅鬼神 羅 あみ 三角網・・・測地罔両(もうりょう). ... http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/3509
三角網(さんかくもう)http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E6%B8%AC%E9%87%8F
角形を利用して距離を測定するのは古代に遡る。紀元前6世紀の古代ギリシアの哲学者タレスは、ピラミッドの影の長さを測り、また同時刻における自分自身の影の長さを測って、自分の身長との比から相似な三角形を使ってピラミッドの高さを測定していた[1]。また崖の上から沖に見える船までの距離を、横方向にある既知の滝までの見通し水平距離を測り、これを崖全体の高さまで拡大することにより測定していた[2]。こうした方法は古代エジプト人にも知られていた。これより1000年ほど古いリンド数学パピルスに出てくる問題57番では、傾きを距離と高さの比で定義しており、今日の勾配の逆数に当たる。傾きと角度は、後のアラブのアリダードの前身である、ギリシア人がディオプトラ(英語版)と呼ぶ測定棒で測った。この器具を使って離れたところから距離を測定する方法についてのこの時代の詳細な説明は、アレクサンドリアのヘロンによる「ディオプトラ」にあり、これはアラブでは翻訳されて残ったが、ヨーロッパにおいては失われてしまった。中国では、裴秀が正確な地図作りの6原則の5番目として「直角と鋭角を測る」を挙げており、これは正確に距離を測るために必要なことであった[3]。また劉徽は、到達することのできない場所までの高さを求める方法として、上述したような計算方法を示していた[4][5]。

羅針儀海図http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E7%BE%85%E9%87%9D%E5%84%80%E6%B5%B7%E5%9B%B3
羅 あみ
羅(ラ,うすもの,あみ,つらねる,つら)https://mnamae.jp/c/7f85.html?ln=6cbc7530
,つらねる
連ねる線
小規模な測量を三角. 形の網の目のように連ねていく ことになる・ 現在では. こうして作られた第ー図のような三角網もしくは測地. 網がわが国 での位置を決める基本となっている〟
測地衛星の開発について*https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsass1969/26/298/26_298_586/_pdf
連なる
数珠は<星>宿が連なる様を現す、と禅竹は言う。
摩多羅神 芸能の来訪神http://ameblo.jp/taishi6764/entry-12022621010.html
秦河勝の直系、世阿弥の聟である金春(こんぱる)禅竹の「明宿集」は、
「翁面」を「宿神」として信仰する能楽一座の信仰告白の書とされる。
翁の本地仏として、大日、阿弥陀、釈迦牟尼の三仏を挙げている。
「猿楽に出てくる<翁>は「宿神(しゅくじん)」である。
「翁舞」では<日><月>を現す御立烏帽子を付け、手にした数珠は<星>宿が連なる様を現す、と禅竹は言う。
その「翁舞」を始原とする猿楽は「王位を守り、国土を利し、人民を助けたまふ」神聖な遊学遊舞である」「百億の日月、山河大地、森羅万象、草木瓦石に至まで」すべては「翁」の分身であると書く。

また大荒大明神が、宿神(技芸の守護神)、石神(いしがみ・しゃくじん)、セックスをシンボルにした障の神(さえのかみ)、さらには境界神(地蔵菩薩)と本性を描く。

楽法寺は、筑波山の北に連なる加波山を中心とする山塊の最北端、雨引山の中腹に する位置する古刹で、坂東観音霊場第二十四番
楽法寺 聖観音立像(茨城県真壁郡大和村) http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/raisan/ibuki/rakuhoji.html
楽法寺の摩多羅鬼神祭は、三百年以上の歴史を持つ関東でも珍しい厄除けの奇祭である。??
 文明 4年(1472)、楽法寺は戦火により本堂などを焼失したが、その時どこからともなく摩多羅鬼神が現れ、自ら馬にまたがって大勢の鬼たちを指揮し、七日七夜にして立派な本堂を再建したと言い伝えられており、摩多羅鬼神の恩に報いるため、鬼面をつけ、鬼太鼓にあわせて鬼踊りを踊るという祭りを行うようになったという。
 この摩多羅鬼神祭は、京都太秦の広隆寺の摩多羅祭(牛祭り)と共に、日本二大鬼祭といわれ、広隆寺では摩多羅神が牛に乗って練り歩くのに対し、楽法寺の摩多羅神は、言い伝え通り馬に乗って現れるのが面白い。

石神
いまだにこの巨石が造られた理由や時期は明らかになっていませんが太古の祭祀場、 鳥居の原型、埋納経の標石など諸説が .... つまり海人族がいた古代日本にとって、石神 信仰は神と人をつなぐ重要なインターフェースだったともいえます…
出雲路・幸神社(いずもじ・さいのかみやしろ)http://www.geocities.jp/sjtsunoda/kisai/sainokami/sainokami.html
古代からの皆様方はこの石から亀頭を連想し、陰陽石の「陽石」、そして縁結びの神として信仰の対象としたのでしょう(するってぇと、さっきのまあるい石は、陰石!?)。
本殿の右裏手の結界の中に鎮座する陽石が実質的な愛法神の御神体である。
狂言の「石神」には、夫と離縁したい妻がこの石神で占いをする場面がある。
これは、相談をもちかけられた仲人が「出雲路の夜叉神を引いてあなたの心を決めなさい」と勧めたためだ。
夜叉神は石神(しゃくじん)が訛ったという説もあるが、東寺の夜叉神の例を思いあわせれば納得される名だ。
願いをかけながら石神を持ち上げてみて、上がればよし、上がらぬときは不成就というのが「夜叉神を引く」占いの方法である。
これには裏があって、離縁したくない夫は先回りして夜叉神に化け、何とか妻を思いとどまらせようとするのだ。
いざ占おうとするとき妻が歌う、
「わが恋は遂 ぎよずやらう、末遂ぎよずやらう、上がれ 上がれ、上が上がらしめの石神」
という謡から推測すると、恋の行方を占うために石神を待ち上げてみる、というのが本来のあり方のようである。
結局夫の企みは失敗し、妻が「やるまい ぞ」と追いかけて終わりになるが、不思議なのはこの妻が、「私は神子の子孫だから神に御苦労をかけたお詫びに神楽を舞って帰りましょう」という狂言のせりふである。
神子とは巫女と同義だから、道祖神の前で法楽の舞を舞う妻の姿に、愛法神を祀る伊賀専女のような巫女の古代的イメージを重ねあわせてみるのもいいかもしれない。
-『京都魔界めぐり』より-

石神 いしがみhttps://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E7%A5%9E-30477
奇石・霊石などを神体または神の依代(よりしろ)として祭った民間信仰の神。しゃくじん。しゃくじ。

神霊が降臨する石(磐座・磐境(いわくら・いわさか))や,超自然力をもつという石の信仰は古く,自然石を神体とする神社は多い。また陽物に類する石を〈しゃくじん〉〈さごし〉などと呼び,安産,性病の治癒,雨乞(あまごい)などを祈願する例も各地にみられる。

磐境神社「自然石の石を積んだ祭壇(神殿 ) ...http://ameblo.jp/hex-6/theme-10067595968.html
磐境神社は、日本の神社の概念を離れた古代の祭壇で、訪れた駐日イスラエル大使エリ・エリヤフ・コーヘンが、「自然石の石を積んだ祭壇(神殿)は、こことイスラエルにしかない」と驚嘆している

大和朝廷系、神獣「鹿」の神社 VS 鹿を生贄にする諏訪大社他(中国・西域系)
太古から両極端の神社が存在する。
一方は鹿を敬い、神獣とする神社系統
もう一方は、鹿を含めて生贄を捧げる神社系統である
古代は政祭一致の権力体制が主であったと思われるだけに異様である
生贄そのものは、太古の事情として
1.権力者が死亡した場合、冥界でも、不自由なく暮らせるように、従者や一族の一部、奴隷、家畜を生贄にした
2.風水害が多い日本では、水の神が人の命を求めているとして、鎮める為に人柱を供した
3.神への供物(水神に関わらず)
4.見張り役として、犬を生贄にした。「家」という漢字の成り立ちは、ウ冠に犬である。
 家や城を守るために犬を生贄にした
........................................................などがある。
犬を生贄
「犬小屋」星座のルーツは古代メソポタミアの時代に遡ることができるといわれてい ます。http://business4.plala.or.jp/kodomo/kodai7.htm
黄道12星座のおとめ座を構成する星々の中には、現在のおとめ座のイメージにはそぐわない星名がいくつかあります。β星のザビジャと、η星のザニジャーはいずれも語源はアラビア語の「犬小屋・かど」という言葉です。またアラビアではε・δ・γ・η・βを繋いで描く曲線を“吠える動物の区域”という意味の“ザウイアト・アル・アウワム”と名づけていました。
古代メソポタミアではしし座は大きな犬という意味のウル・グラと呼ばれていました。それが時代が進むにつれてウル・ア(しし)とかわっていったようです。それに対しておとめ座はα星のスピカのあたりに麦の穂だけがあったようで、しし座に近い領域は、ウル・グラのすみかとされていたようです。やがておとめ座領域全体に麦の穂を持つ乙女の姿が描かれるようになったのですが、犬小屋のイメージは残って、星の名前にその名残をとどめています。

オリオンの犬、おとめ座になったエリゴネの犬
星、星座の神話 http://www.jiten.info/dic/hosi.html
シリウス
シリウスSiriusはラテン語で意味は「光輝くもの」「焼き焦がすもの」。
シリウス Sirius 天狼星http://www.jiten.info/dic/world/sirius.html

天狼星信仰之謎. 人類に平和をもたらす真実、その鍵は日本に 隠され ... すなわち「ターラー」とは、救いと明け方の明星の意味を併せ持った境界神で あるといわれています。
「他拉」と「ターラー(タラ)」 http://blogs.yahoo.co.jp/sinagawa50/13342888.html
三星他拉遺跡にも「三星」という地名が残っていて、四川省の三星堆遺跡と同じように「シリウス信仰」の名残として残されていると思われます。
チベット人は昔も今も「魚」を聖なる神と見なしているので、魚肉は絶対に口にはしません。
「(川を)横切る、運ぶ、超越する」の意味、また「解放する」、「逃れる」の意味を持つ、ラテン語のter-minus(境界標、制限、終局、限界、の意)に相当する言葉であります。
境界標
神域の境界
自然に存在する依り代としての岩や山( 霊峰富士山)・海や川などは、神の宿る場所でもあるが、常世と現世との端境であり、神 籬の籬は垣という意味で境であり、磐座は磐境ともいい、神域の境界を示すものである。

古神道の始まりといわれる神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)信仰の森林や山・岩などの 巨木や巨石は、神の依り代と同時に、籬は垣(かき)の意味で磐座は磐境(いわさかい) ともいい、常世と現世の端境を表す神域でもある。
神道https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%B8%96
神道では「現世」と書いて古語としては「うつしよ」と読み、この世や人の生きる現実世界を意味する。それに対峙して、常世(とこよ)いわゆる天国や桃源郷や理想郷としての神の国があり、常夜(とこよ)と言われるいわゆる地獄としての死者の国や黄泉の国と捉えている世界観がある。

集落につながる道の辻に置かれる石造の祠や道祖神や地蔵なども、厄除けや祈願祈念の信仰の対象だけでなく、現世と常世の端境にある結界を意味するといわれる。現世における昼と夜の端境である夕刻も常夜との端境であるとも考えられ、この時分を「逢魔時(おうまがとき)」といって、現世に存在しないものと出遭う時刻であると考えられている。

シリウス信仰隠蔽の謎http://blogs.yahoo.co.jp/sgz02406/631205.html
太古の人類にはシリウス信仰というものがあったようだ。
シリウスの冬至における位置は、真南より約20度東に寄った場所。真反対の方向は真北より20度西寄りになる。この二つを結ぶ線が「聖方位」と言われているらしい。驚くことに古い文明の遺跡や都市がこの聖方位を向いているという。例えば、シュメールのジクラット神殿やバビロンの神殿、ティオワカンの太陽の神殿、他にもペルシャや中国の古い遺跡にもその特徴が見られるという。
世界中のピラミット遺跡の信仰の対象は、太陽であったと言われていた。エジプトでは太陽神「ラー」が信仰されていたとされるが、実は太陽神は、わかりやすく大衆のために、後に造られたものであって、それ以前は全て「シリウス信仰」であったという説がある。
紀元前3000年~2000年にかけてメソポタミヤやエジプトにおいては、シリウス信仰から太陽信仰への大掛かりなシフトが行われた形跡があるらしいのです。なぜ、その信仰の対象を転換しなければならないような理由があったのでしょうか?それが大いなる謎です。
エジプト語でいわれる「イシス神」のイシスはシリウスをさすのだという。そしてイシスはシュメール語ではイナンナ、メソポタミアではイシュタ、アッカド語ではイシュタルと呼ばれ、性愛、戦い、豊穣の女神とされている「イシュタル」をさす言葉でもあるそうだ。この性愛、豊穣の女神と呼ばれる神には人類にとっての大いなる謎が隠されているような気がしてなりません。
そのイシュタルには背中に翼があり、体にはウロコがあったので、「翼を持つ女神」とも呼ばれ龍蛇神でもあったという。これが東洋の龍、西洋のドラゴンの原型であるともいわれている。
「龍」について調べていたら興味深いものがあった、それは日本語における漢字表記の「カゴ」である。竹かんむりに龍という字を当ててカゴって今まで不思議だと思っていたのですが、画像にあるように、竹で編んだカゴの目は六芒星です。これに気づいてふと思ったことがある。童謡として歌われている「かごめかごめ」は宗教的に何かを暗示して謡い次がれているのではないかな。

日本においてもシリウス信仰の隠蔽が行われているのだという。聖徳太子と斑鳩京の謎とシリウス信仰は何やら関係があるらしい。
 

銅鐸埋納仮説

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月16日(金)01時07分14秒
返信・引用
  銅鐸の件について、その埋納年代が紀元前4~2世紀とされた件について、さらに考えています。

戦国時代の江南から、渡ってきた集団が、それを特定の位置に埋めたわけですが、以前お話したように銅鐸はもともと楽器であり、音階の揃えてまとめてセットとなって存在していたものです。

その音階の組み合わせで、祭祀なり、音声通信を行った可能性を推定したわけですが、
ともあれ、単体では埋められないだろうと言えるでしょう。

そのある特定の支配領域、つまり方格区割りの4隅に、銅鐸を配置して、そこで音を鳴らして、音声通信を計ったのではないかと思う訳です。

それでなぜ埋められないといけなかったのかですが、埋葬の遺物とは異なり、音声通信機器の場合、それが敵側にもちいられるとまずいでしょう。

偽の音声信号を発して混乱をきたすといったことも予想できます。

緊急通信用に隠しておく必要があったのでしょうか。

しかし緊急時に、埋めてあると、かえって掘り起こすのに時間がかかって間に合いませんね。

そうすると、やはり平常時は木に吊るしてあったのでしょうか。

毎日、鳴らしていた可能性すらありますね。

鳴らした回数分すり減るでしょうから、そのすり減り分を推定できれば、その銅鐸がどのくらいの間、何回、鳴らされたかがわかるかもしれません。

あとは、盗みの防止ですね。いつの時代も墓泥棒なりがいて、銅鐸をそのまま盗んでしまわると困るでしょう。

見張りをつけないといけないわけですが、そこまで労力をかけたくないものの、その数が各地に多い場合、埋めるなり、古墳に保管するとかいうことも予想できます。古墳の一部が武器庫になっておるのも、武器を運ぶ手間が省けるわけです。最前線の場所に武器を埋めておくわけです。

同様に銅鐸も、身内だけにわかるようにして、浅い場所で、すぐ掘り起こせるように埋める可能性があるでしょう。


そのすぐに用いれるようにした工夫の痕跡がみつかれば、この証明は終わりです。


それで、支配領域が変化した場合ですね。

その場合、元の支配領域にあって埋めた銅鐸は、その後も埋められたままになるでしょう。
的に見つからないかぎり、埋まったままのはずです。

最初に埋められた年代と、最後に掘り出された年代、その辺の土質の相違なども成分分析するといいかもしれませんね。

それを統計化していけば、銅鐸文化圏がどういうふうに浩ガッって、変遷していったかも明らかにできるでしょう。

事案のかかる作業ですが、銅鐸埋納に関する理論づくりからはじめていきたいところです。
 

肉を盛る祭礼

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 6月13日(火)21時36分26秒
返信・引用
  >「宀(やね)+且(肉をつみかさねる)」の会意。建物で肉を盛る祭礼を行なう形。
「且ソ」 <つみ重なる> と 「祖ソ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/c88299a95bede2f727289ef45bfa39e9

鴨羽盛 六社由美著『神、人を喰う』に、「諏訪大社御頭祭の供物の展示」とある“鹿頭”に 並んで、「香取神宮大嘗祭」で行われる「鴨羽盛」 ...
鴨羽盛・・・諏訪 VS  鴨羽盛・・・香取 鹿島・・・ナフタリ族http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/2847/?dmy=1456363090&fontsize=5&TEACUPRBBS=3d14eccc2eb74b0d6e11380205b77015
大饗祭は、11月30日午後6時より斎行されます。 ... 巻行器(まきほかい)という真薦( まこも)で編んだ器にご飯を盛ったものや、鴨が羽を広げた様を模した鴨の羽盛・鮭の身 を高く盛りつけた鮭の鳥羽盛など、他の神社でも普段見ることのない神饌が多く、これら  ...http://www.katori-jingu.or.jp/siki_winter.htm
鴨羽盛・舞鶴の捌き の画像http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/GALLERY/show_image.html?id=53335540&no=2

柿本、榎、橘、櫟井、葉栗、椋、菌田などの 植物、和邇、鴨、蝮などの動物を、トーテムとしていると思われる姓氏が多い。柿本 人麻呂 ...http://japanese.hix05.com/Minakata/minakata116.totemism.html

下鴨神社正禰宜惣官鴨祐兼(すけかね)が、長男の祐頼(すけより)を推してきたの です。理由には、官位(鴨長明より若いながらも祐頼の方が官位が上)、日頃の社への 貢献度(祐頼の方が鴨長明より社への奉公の実績がはるかに勝っている)、下鴨神社の  ...http://hannari-tabi.seesaa.net/article/279455526.html

賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神であり、各地の加茂神社(賀茂神社・鴨神社)で祀 られる。 記紀神話には登場しない。神名の「ワケ」は「分ける」の意であり、「雷を別ける ほどの力を持つ神」という意味であり、「雷神」ではない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%88%A5%E9%9B%B7%E5%91%BD

賀茂神は出雲神ではない可能性も捨てがたい。http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37697609.html
 賀茂御祖神社
   茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじん
  じゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在
  は神社本庁の別表神社。
   ユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
  【祭神】
    ・東殿:玉依姫命 (たまよりひめのみこと) - 賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)の母
    ・西殿:賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) - 玉依姫命の父

 賀茂氏
   賀茂氏(かもうじ、かもし)は日本の氏族である。加茂、鴨、加毛とも書く。
  【天神系(賀茂県主)】
   八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族。代々賀茂神社
  に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡を支配した。子孫は上賀茂・下鴨の両神社の祠官家となった。ま
  た、賀茂県主は同じ山城国を本拠とする秦氏との関係が深い。
   氏人には鴨長明(下鴨社家)、賀茂真淵(上賀茂社家)がいる。
  [出自に関する諸説]
   山城国葛野の賀茂県主は、大和国葛城の地祇系賀茂氏が山城に進出したものとする説がある。『山
  城国風土記』逸文では、賀茂県主の祖の賀茂建角身命は神武天皇の先導をした後、大和の葛城を通っ
  て山城国へ至ったとしている。しかし、『鴨氏始祖伝』では鴨氏には複数あり、葛城と葛野の賀茂氏
  は別の氏族であるとしている。また、『出雲風土記』では意宇郡舎人郷 賀茂神戸とあり、また現在
  の島根県安来市には賀茂神社があり、祖神である一言主の同一神、言代主の活躍地である東部出雲に
  属することから、ここを本貫とする説もある。
  【地祇系(三輪氏族)】
   大物主(三輪明神)の子である大田田根子の孫大鴨積を始祖とする、三輪氏族に属する地祇系氏族。
  大和国葛上郡鴨(現在の奈良県御所市)を本拠地とする。姓は君のち朝臣。
   大鴨積は鴨の地に事代主を祀った神社を建てたことから、賀茂君の姓を賜与された。なお、現在鴨
  の地にある高鴨神社の祭神である事代主や味鋤高彦根神(賀茂大御神)は賀茂氏が祀っていた神であ
  ると考えられている。

 問題は、賀茂建角身命がどういう神であるかである。
賀茂建角身命は天神系氏族であって、神武天皇の先導をした八咫烏だと言うことになる。そうなると、出雲神とは別だと言うことになる。

「古事記」では、阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)と言う神が居る。大国主命と多紀理毘売命との間に生まれた神で、「古事記」には、
  ・此の阿遅鉏高日子根神は、今、迦毛大御神と謂ふぞ。
と明記している。そうであれば、賀茂神は間違いなく出雲神と言うことになる。

御頭祭の神饌「白鷺と白兎」《諏訪神社上社の神事》http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sinji/sinsen.htm
鴨羽盛
 六社由美著『神、人を喰う』に、「諏訪大社御頭祭の供物の展示」とある“鹿頭”に並んで、「香取神宮大嘗祭」で行われる「鴨羽盛」の写真が載っていました。カモの内臓を取り分けた後、硬直した筋肉や骨を強引に曲げて「飛ぶ姿」に仕立てて神饌にするという説明があります。
 現在も神事の一つとして(参列者の前で)神職が“加工”するとありますから、“鹿の頭で名を馳せた”かつての諏訪神社上社も真っ青というところでしょうか
古式の神饌
 明治8年頃に編纂された『諏訪神社祭典古式』の「三月酉日」に、「神供」として以下の神饌が書き出してありました。よく読んで下さい。
熨(のし)餅四つ 干鹿 白兎 白鷺 荒布(あらめ) 干鹿以下の四種は檜葉にて籠を作り之に入れ四方臺に盛る 御饌 玄米を以て炊き大組足臺に高く盛る 赤魚二つざし三十二串 菱餅二つざし拾弐串 柿 串柿廿四串 赤魚以下の串物は御饌の高盛に挿し立 (後略)

御頭郷の文書ですが、この時代でも「ウサギとシラサギ」は必須のようです。因みに、現在の御頭祭では鹿肉とキジを献饌し、キジは神事後に放鳥します。
キジ(鳥)の賀茂
桃太郎 (伊都氏)の鬼退治をキジ(鳥)の賀茂、猿の伊勢、犬に相当するなんらかの氏族(犬飼 ? .... 朝鮮で迫害されていた秦氏を日本に連れて来たのは鴨氏です。http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1381709294/
猿の伊勢
猿田彦の奥さん の猿女こそ、秦氏の生業である神楽の祖とされている人なのです。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10113440475
神奈川県の秦野市は平塚と大磯の間を流れる金目川沿いに移動してきた秦氏が拠点を構えたところです。
ユダヤ教では山は神様の降り立ち宿る神聖な場所でこれをお参りする目的で神社が作られていました。
古代イスラエルにはこうした有名な山がいくつかありましたが、その中でも重要なものがモリヤでした。
日本に渡来した初期の弥生人と呼ばれている種族らは、旧約聖書による信仰を長い間保っていました(現在の神道)。
現代でも諏訪湖の諏訪神社では対岸にある守屋山を拝み、旧約聖書にのっとったお祭りを行なっています。
秦野市は丹沢の大山のふもとにある市ですが「大山(おおやま)」は偉大なる山という意味です。
伊勢神宮は正式には「神宮」です。これと同じで名前の無い「山」です。
これは山(縄文時代はアンヌプリ)は神様が降り立ち宿る神聖なものであったため「偉大なる山」と呼んでいたためです。
アンヌプリはアプリと転化し、現在は「あぶり神社」と呼ばれる山頂の神社に名前を残しています。
関東平野南部の平塚、相模原、横浜西部などから見ると、相模湾に向かって切り立ったその姿が一段と目だって見えます。

秦野市に隣接する伊勢原市から平塚市、海老名、茅ヶ崎市には重要な古墳や史跡が点在します。

宇佐八幡宮神託事件は、伊勢神宮よりはるかに宇佐八幡の神様が崇められていたかが、この図形からも知りえることができます。http://saisentannomizude-zennojyunkanwo.blogzine.jp/kagomekagome/2013/03/
さぁ、この日本には、モーセの男女の生命の樹や、イエス・キリストの生命の樹、平安京遷都の生命の樹、空海様の生命の樹など、見事に三角法を駆使して重要なポイントの位置決めがなされています。

淡路島の巨大な勾玉の山から熊山遺跡を通って、安来市の造山古墳 まで一直線で、その手前に、重大な歴史を秘める青垣山がありますが、なんと、この青垣山と、卑弥呼の墓である婀月山と、勾玉の山とを結んだ三角形が30° 105° 45°と、奇麗な三角形を描きます。
そして・・熊山遺跡の謎と言いますか、重要にして重大な意味が浮かび上がりました。
日本三奇の一つに上げられる謎の巨石の、石の宝殿(生石神社おうしこじんじゃ)と、熊山遺跡と淡路島の勾玉の山が 1:1:√2 の奇麗な直角二等辺三角形を描きます。
そして何と、石の宝殿と熊山遺跡と婀月山の3点が、2:1:√3 の奇麗なピタゴラスの三角形を描きます。
熊山遺跡と石の宝殿の巨石は、女王卑弥呼の墓をキッチリと教えてくれるベンチマークポイントでした。
又、その熊山遺跡には、宗像大社から厳島神社が見事に一直線になります。
全ては、地図上に二種類の三角定規を使って位置決めされています。

日本の国土には、霊ラインが緻密にひかれています。そのライン上に神社やお寺が規則正しく三角法で造られています。

食膳をつかさどる者を、古語で「かしわで」(膳夫)といったことにも関連がある。食器として神事に使用されてから、柏木を尊重するようになり、「かしは木はもりの神」(『狭衣物語』『枕草子』)として神聖視された。その後、製陶の技術が進んでも古儀にならい、祭事の神饌を盛るのに用いられたため、瑞祥・信仰的意義から、神職の家が柏葉を家紋とするようになった。伊勢神宮の久志本氏、熱田神宮の千秋氏、宗像神社の宗像氏、吉田神道のト部氏、備前吉備津宮の大守氏などは、いずれも柏紋を用いた。

イスラエルの大使が指摘した紋章はどうかな」 「ああ神社の紋章だね」 「そう、それそれ」 「柏紋だね」 「メノーラに見えなくもない、3つのメノーラが集まっている」http://blog.goo.ne.jp/nippon888/e/52ecd0d7e5e2d80eb8599f8593f18209
 「イスラエルの大使が指摘した紋章はどうかな」
 「ああ神社の紋章だね」
 「そう、それそれ」
 「柏紋だね」
 「メノーラに見えなくもない、3つのメノーラが集まっている」

トヨ「豊」 の旧字は「豐」の字です。 これだと「豆」の高杯〔 .... 天皇を意味する「ミカド(帝)、 ミコト」は 、ヘブル語で「ミガドル、マークート」王国や王の意味に なります。http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1901
豈にただ経津主神のみますらをにして、吾はますらをにあらずや」. と駄々をこねたため、 一緒に遣わしたと書かれています。この経津主神は現在千葉県の香取神宮に祀られて おり、武甕槌と対を成して関東における国家鎮護の社となっています。http://homepage3.nifty.com/sanyodo/kashima.htm

豈 とは - コトバンクhttp://kotobank.jp/word/%E8%B1%88
1 あとに推量を表す語を伴って、反語表現を作る。どうして…か。「価なき宝といふとも一坏(ひとつき)の濁れる酒に―まさめやも」〈万・三四五〉
2 あとに打消しの語を伴って、強い否定の気持ちを表す。決して…ない。「夏蚕(なつむし)の(ひむし)の衣二重着て隠み宿(やだ)りは―良くもあらず」〈仁徳紀・歌謡〉

「豆」 部首解説:これを部首にして高杯(たかつき)種類・状態に関する文字ができている。また、のちに「まめ」の意に借用されるようになってからは、豆の種類・製品などに関する文字ができている。
    字義:たかつき(食物を盛った木製の祭器)。まめ。
    解字:象形。盛り物をもった高杯の形にかたどる。脚が高くたっている器、「たかつき」の意。

「豊」=「曲」+「豆」:=上にたくさん曲がって伸びるもの+まめ=>豆の芽=>心豊かになるもの=>心ゆたか=>ゆたか(再掲:第10回参照)

「豈」(ガイ)=「山」+「豆」:=火山+丸いもの=>火山弾=>噴出すもの(火山の大きな丸い岩)=>積もるもの=>積み重なるもの=>(短期に)繰り返すもの=>無意味に繰り返すこと=>どうして(あに)
「剴」=「豈」+「刂」:=火山の石+かたな=>花崗岩の研磨棒=>みがく棒=>みがく
「磑」=「石」+「豈」:=いし+火山の石=>加工した石=>うす(火山岩の一種の花崗岩で造る)
「凱」=「豈」+「几」:=繰り返すもの+指揮官=>指揮官の繰り返すもの=>勝ち鬨=>喜びの雄叫び=>よろこぶ=>たのしむ
「塏」=「土」+「豈」:=つち+積み重なる=>積み重なった土地=>たかだい
「鎧」=「金」+「豈」:=かね+積み重なるもの=>積み重なる金属=>よろい
「」=「忄」+「豈」:=こころ+丸い石=>丸く大きな心=>たのしいこころ=>たのしむ
「皚」=「白」+「豈」:=清い水+積み重なる=>滝の水=>白く清い
「隑」=「阝」+「豈」:=単なる寄せ集め+火山の石=>積み重なった石=>(自然の)石段=>はしご

豈はたかつきに盛った美味しい食べ物の意
「凱」 解字:形声。豈はたかつきに盛った美味しい食べ物の意で、ひいて「たのしむ」意に用いられたが、のち、「あに」という副詞に専用されるようになったので、意符の几(楽器を載せる台)と、音符の豈(たのしむ意)とをあわせ、戦勝の音楽、ひいて、楽しむ意に用いる。
「塏」 解字:形声。意符の土(土地)と、音符の豈(かわく意=晞)とから成る。高く乾いている土地の意。

「隑」 解字:形声。意符の阜(おか)と、音符の豈(はしごの意=階)とから成る。はしごを昇る、つまだつ意。

はしご
豈(はしごの意=階)
阜(おか)

ヤコブの梯子(ヤコブのはしご)は、. 旧約聖書の創世記28章12節でヤコブが夢に見た 、天使が上り下りしている、天から地まで至る梯子、あるいは階段。 上記に因んだ、惑星 などの表面から静止軌道以上まで伸びた(概念上の)エレベータの愛称。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E6%A2%AF%E5%AD%90
雲の切れ目
八雲立つ厚い雲の切れ目から差し込む光がとても幻想的です

、「ヤクモ」とも呼ばれた理由はおそらく、 立ち上がることを意味する (koom、クム)が、「ツメ」の類似語として差し替えられたから ...http://www.naritacity.com/journal/japan/journal_japan_080615.asp
「ヤツメ」がその後、「ヤクモ」とも呼ばれた理由はおそらく、立ち上がることを意味する(koom、クム)が、「ツメ」の類似語として差し替えられたからではないでしょうか。神が段々と大きく見えてくるということは、神が立ち上がり、その姿を見せることでもあります。そして「ヤツメ」の後には「サス」という言葉が続きます。これは「ツァツ」と発音し(tsats、サ(ツァ)ツ)という「現れる」を意味するヘブライ語がそのルーツです。これで文脈の流れが見えてきました。「ヤツメサス」の意味はヘブライ語で、神が段々と大きく見え、人の前に現れることを意味します。これは正に岩戸の神話に記されているアマテラスのことではないでしょうか。つまり、アマテラスが岩から少しずつ出現することを「ヤツメサス」と言い、そして岩間から現れて立ち上がる姿を「ヤクモタツ」と歌うようになったのです。
イヅモ)は「最先端」を意味するのです。つまりイズモとは、神が常に一番先頭となって民を導いたことを指し、神は雲の形をもって出現したので、出雲と書き記したのです。そして神によって導かれた地にも、いつしか出雲という地名があてがわれたと考えられます。

「出雲」はヘブライ語で「先頭」を意味することから、群集の最先端を神が導く姿が「 出雲」と表現されたのでしょう。そしていつしか、民が導かれた約束の新天地も、「出雲」 の国と呼ばれるようになったのです。 「八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」も、 ...http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=109

渡来人研究会 ご意見総覧10
... ソウル平壌間の緯度差にあるとすると、レイライン ... 阜県位山、徳島県剣山、奈良県三輪山など)。 レイライン 完結近し ... 「出雲系ライン」 ・主に海上から陸上の目印を定め測量 (北極星を北の基準としたらしく北が約33度 東にずれる。 ...
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/keijiban10.htm
 

封禅   或(境界を区切る)

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 6月13日(火)21時26分56秒
返信・引用
  封禅(ほうぜん)は帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が太平であることを感謝する儀式である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E7%A6%85
始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられている。その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。始皇帝以後では、前漢の武帝や北宋の真宗など十数人が、この儀式を行ったと伝えられている。
天に対して感謝する「封」の儀式
地に感謝する「禅」
.(『史記正義』には、泰山の頂に土を築いて壇を作り天を祭り、天の功に報いるのが封で、その泰山の下にある小山の地を平らにして、地の功に報いるのが禅だ、とある。)」
泰山(山東省泰安市)のふもとには、岱廟(=東岳廟)という道観(道教寺院)がある。そこでは、北宋・真宗の「大宋東岳天斉仁聖帝碑」を始めとし、徽宗の「宣和重修東岳廟碑」、李斯碑など、様々な封禅関係の遺物を観ることが出来る。
また、禅が行われた場所には主な所として、梁父山・社首山(=蒿里山)が挙げられる。1931年(民国20年)、軍閥の馬鴻逵がここにあった道観を破壊したとき、唐宋代の禅に用いられた玉函=(禅地玉冊と玉嵌片)が見つかった。玉函は、鴻逵と共にアメリカへ渡った後、彼の没後の1970年、夫人が台湾の故宮博物院へ寄贈し、それが今日展示されている。

緯度,經度, 36.3, 117.1.
國家公園網http://www.gjgy.com/taishan_trad.html

36=666
登山口から6660段の階段に沿って点在している・・・666?
山東省 泰安市泰山区:N36 16 0.012 E117 5 60
山東省泰安市泰山区 N36 12 42.7 E117 07 12.3

N30
中国の世界遺産(複合遺産):黄山
安徽省黄山市:N30 10 0.012 E118 10 59.988

本地は弥勒菩薩。 ... 泰山王は元々は十二天・焔摩天の眷属とされ、「太山府君」 もしくは中国の泰山信仰と結びついて「泰山府君」とも呼ばれていた。陰陽道の主祭神 ... 観音菩薩を本地とする裁判官で、内に慈悲の心を持ちながらもその形相は恐ろしい という。
十王とは、仏教や道教などにおいて死者の魂を裁く十人の裁判官のこと。http://dic.pixiv.net/a/%E5%8D%81%E7%8E%8B
日本において、死後に何度も故人の追善供養を行うのは、その都度十王に対して嘆願を行って死者の罪を軽減させるためである。閻魔王以外の知名度が低いため、「十王信仰=閻魔信仰」とされる場合もある。
元々はインド発祥の仏教の他界観を起源とし、それが中国に伝来した際に道教などと習合して行き、晩唐の頃に『十王信仰』として成立したとされる。その後平安時代に日本に伝わり、これにより今まで漠然としていた死後の世界という概念が、より具体的になったと言う。鎌倉時代には十王はそれぞれ相対する十の仏の化身であるとする「本地垂迹」という考えが生まれた。さらに江戸時代になると十王を基盤とした十三仏信仰なるものが生まれている。
ただし十王信仰は元々の仏教にはなかった考えであるためその捉え方は宗派によって異なり、死者は十王に裁かれるのではなく、十仏もしくは十三仏のもとで徳を積むべく修行すると捉える宗派もある。そもそも十王による裁きという考えを教義に採用していない宗派もある。また、中国において「十王」とはあくまで役職であり、任期を終えると交代が行われるとも考えられている。

封=圭+寸

「圭ケイ」 <すっきりとかたちがよい>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/1a660000c8239e82ee68e0313906d764
角だつ
畦 ケイ・あぜ  田部
解字 「田(耕地)+圭(かどだつ)」の会意形声。耕地を区切る角立ったあぜ。
意味 (1)あぜ(畦)。耕地のくぎり。「畦道あぜみち」 (2)うね(畦)。作物を植えたり種をまくため、土を平行に盛り上げたところ。
街 ガイ・カイ・まち  行部
解字 「行(通じている)+圭(=畦ケイ。区切りの道)」の会意形声。街は、土地を区画する道が縦横に通じているまち(街)。
意味 まち(街)。まちすじ。まちなか。ちまた。「街頭ガイトウ」「街道カイドウ」「街路ガイロ」「花街カガイ・はなまち」

「土圭」は中国周代の方角や日 影を測る磁針のことで、平安時代以前に日本に伝えられ、機械時計の無かった時代は、 「日時計」の意味として「土圭」が用いられていた。
時計(とけい) - 語源由来辞典http://gogen-allguide.com/to/tokei.html

「人の手へだつること一寸、動脈これを寸口といふ」という
寸(すん)は、尺貫法における長さの単位https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%B8
日本書紀巻第廿四には長さ4寸余りの常世神という虫が登場する。この虫はアゲハチョウの幼虫と考えられており、寸法は親指の幅4つ分としてつじつまが合う。
平安時代には「す」と書かれることもある。古代の文献では訓で「き」と呼ぶこともある。
「す」「き」
和訓「スキ」とし、「刃魚・床據」の二反、更に「亦鉏と作すhttp://8906.teacup.com/toraijin/bbs/51
田器
「亦鉏と作す。田器也」http://club.ap.teacup.com/hagi/246.html
「住持とおぼしき僧、手づから堂のまへを鋤す」
「亦エキ」 <同じものが両方にある> と 「夜ヤ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/5481e8bcac629ea517eff26960f5741b
亦(同じものがもう一つある)
夜(エキ=亦。両わき)

スキの象形
助 ジョ・たすける・たすかる・すけ  力部
解字 「力(スキ)+且(かさねる)」 の会意形声。力リョクは農具のスキの象形。助は、スキを足で踏みこんで土を掘りおこし重ねること。スキで耕作するが原義。スキで耕作するとき複数の人が並んで作業する習俗(耦耕グウコウ)があり、こうすると互いに連携して仕事がはかどるため、たすける意となった。なお、スキを三つならべた形は劦キョウで協(力をあわせる)の原字であり、似たような意味をもつ。
「且ソ」 <つみ重なる> と 「祖ソ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/c88299a95bede2f727289ef45bfa39e9
甲骨文字は、祖先をまつる祭礼に肉をのせた供物台を供えたので、祖先の意味で使われた。のち、示(祭壇)をつけた祖が作られた。祖は、「ネ(示;祭壇)+且(肉をのせた供物台)」 の会意形声。肉をのせた供物台を祭壇に置き、先祖を祀ること。
且(年をつみかさねる)
且(回数をかさねる)
査[?] サ・しらべる  木部
解字 篆文に見えず、新しい字である。当初、?と書かれ木のサンザシ(山査子)を表した。のち査に変化したが、現在、繁体字・簡体字とも?で表示される。のち、調べる意に当てられるようになり、この意が主流となった。
宜 ギ・よろしい・むべ   宀部
解字 「宀(やね)+且(肉をつみかさねる)」の会意。建物で肉を盛る祭礼を行なう形。

几  机の形の象形
且」 解字:象形。土塀を作るときに、土石を三段だけ積み上げた形にかたどる。もと、 土石を積み重ねて造った墓の意。積み重ねる意から、ひいて、その上にの意に用いる。 「殂」 解字:形声。意符の歹(死)と音符の且(ゆく意)とから成る。「しぬ」 ...
「且」と「其-ハ」の解読http://shoukei.blog65.fc2.com/blog-entry-82.html
「且」=「目」+(融合)+「一」:=統領+地面=>地にかえる統領=>故人の墓標=>墓標=>亡骸の上にあるもの=>上にあるもの=>~のうえに

「薦(すす)むるなり。几に从(したが)ひて足に二橫有り、一は其の下の地なり」とあり、机の形の象形で、薦める意味だとする。他にまな板の象形で俎の元となった字であり、そこに物を載せることから薦める意味が生まれたという説、ちんちん説(郭沫若)がある(甲骨文や金文はTENGAに似ている)。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%94

「几(風の略体) +止(とまる)」 の会意。風が止まること。
「止シ」<あしのかたち・あしの動作> と 「歯シ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/7ead51fd564f294f42dd13d6532c988c
 正セイ・ただしい(一+止の会意)・武ブ(止+戈の会意)・歩ホ・あるく(止+止の会意)・
  歳サイ・とし(止を含む会意)・歴レキ・へる(止を含む会意)・此シ・これ(止+ヒの会意)・
  歪ワイ・ゆがむ(正+音符「不フ」)がある。このうち、歪以外はすべて音符となる。

渋[澁] ジュウ・しぶ・しぶい・しぶる  氵部
解字 旧字は、「氵(みず)+歮(とまる足三つ)」 の会意。止まる意の足三つをおき、水がうまく流れずとどまる意。新字体は、旧字の澁⇒渋に変化した。

「卦カ」 <うらなう> と 「封ホウ」 <ほうじる>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/37c02bdf5abc736939b85cbdb1225c08
解字 「卜(うらない)+圭(=挂。ひっかける)」の会意形声。卜(うらない)の筮竹ゼイチク(竹の細い棒)50本を手指でひっかけ、占うことを思い浮かべながら何本か取り出すこと。とりだした本数から8本ずつ取ってゆき、最後に残った8本以下の数で卦カ(うらかた。占いの結果)が出る。(挂ケイは下の<参照>に解字あり)
意味 うらかた(占形)。占いのしるし。易で吉凶を判断するもととなるもの。「卦兆カチョウ」(占いに現れた兆し)「八卦ハッケ」(占いの結果が現れる8つの形。転じて、占い)「卦体ケタイ」(うらないの結果)「卦体ケッタイ」(奇妙な。変な。関西でもちいる方言)
イメージ 「うらないの結果」(卦・罫)
      「うらないの動作」(掛)

罫 ケイ・カイ  罒部
解字 「罒(=网モウ。あみの目)+卦(うらないの結果)」の会意形声。占いの結果を網目状のマスに記すこと。転じて、網目状の碁盤などの縦横の線や、ノートの線をいう。
意味 (1)すじめ。わく。格子状の線。将棋や囲碁の盤にある線。 (2)[国]文字をまっすぐ書くために引いた線。「罫線ケイセン」(文字の行間などに引く線)「罫紙ケイシ」(線をひいた紙)

封の中の「圭」は、玉圭ギョクケイの圭ケイと同じ形だが、異なる字である。
意味 Ⅰ:ホウの発音。①ほうずる(封ずる)。諸侯に領地を与えてその支配者にすること。「封建ホウケン」(君主が封土を分け、諸侯を建てて領地を治めさせること)「封建制度ホウケンセイド」(天子の下に諸侯が封土を領有し、諸侯が全権をもつ国家制度。⇔郡県制度(全国に郡県を置き、中央政府が地方官を派遣して治める中央集権的な国家制度)「封域ホウイキ」(領地の境。また、領地)「封君ホウクン」(諸侯)Ⅱ:フウの音。②ふうじる(封じる)。とじる。とじこめる。「封鎖フウサ」「封書フウショ」「封印フウイン」

單(二又の武器)
禅=ネ+単
ネ(示;祭壇)

「単 タン」 <二又の武器> と 「戦セン」 「獣ジュウ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/b12e35b671ba74d6a9449c972a4db894
解字 甲骨文の初形は、二又になったY形の棒の先に矢じりなど尖ったものを装着した武器と思われる。のち二又の付け根に一や□、日などの付いた形に発展したが、これらは付け根を補強するかたちが発達したものと考えられる。(Yに口や日がついた形から盾とする見方もあり、私も以前この見解を取っていたが今回改めた)。単の音符のなかで、甲骨文からあるのは獣だけである。獣の甲骨文は「単(二又の武器)+犬」で、二又の武器を用い犬とともに狩りをするかたち。この字は狩シュの甲骨文字と同じでシュの発音で狩りを、ジュウの発音で狩りで獲たケモノを表している。
 しかし、単は甲骨文字で武器の意でなく、地名や施設名で使われているという[甲骨文字小字典]。のち、この武器は一人がひとつ持つことから、ひとつ・ひとりとなったと思われ、さらに一つのまとまり、ただ・たんに等の意味にひろがった。字形は篆文・旧字で單となり、新字体で使われるとき、單⇒単に変化する。
意味 (1)ひとつ。ひとり。「単独タンドク」「単身タンシン」(2)ひとまとまり。「単位タンイ」(3)たんに。ただ。混じりけがない。「単調タンチョウ」「簡単カンタン」(4)ひとえの着物(=襌)。「単衣タンイ・ひとえぎぬ」(5)うすいもの。かきつけ。カード。「名単メイタン」(名刺)「伝単デンタン」(宣伝ビラ)
イメージ 「ひとつ」 (単・襌・嬋・?)
      「二又の武器」 (獣・戦)
      「同音代替」 (禅・?・弾・憚)
      「その他」 (騨)

二又の武器
獣 ジュウ・シュ・けもの  犬部
解字 甲骨文から金文まで、「單(二又の武器)+犬(いぬ)」 の会意。二又の武器をもち猟犬をつれて狩をすること。もと、狩りをする意で狩の原字(音符「守シュ」を参照)。篆文から単の下に口がついた形になり、旧字で単の下部の一が上下に分離した獸になり、新字体で獣となった。意味は狩りで獲たケモノの意。下部についた口の意味は分からないが、覚え方として、 「單(二又の武器)+口(かこい)+犬(いぬ)」 で、二又を持ち犬とともに囲いに獲物を追いこんで捕まえたけもの、と解字すると覚えやすい。狩猟の意は同音代替字の狩シュが受け持ち、発音はシュ。ケモノの意はジュウの発音を用いる。
意味 (1)けもの(獣)。けだもの(獣)。しし(獣)。「猛獣モウジュウ」「野獣ヤジュウ」「怪獣カイジュウ」(2)狩りをする。
戦 セン・いくさ・たたかう  戈部
解字 金文から現われる字。旧字までは戰で 「戈(ほこ)+單(二又の武器)」 の会意。戈(ほこ)を持った者と、單(二又の武器)を持った者が戦うこと。新字体で、戰⇒戦に変化した。
意味 (1)たたかう(戦う)。いくさ(戦)。試合。「戦争センソウ」「観戦カンセン」(2)おののく(戦く)。おそれる。ふるえる。「戦慄センリツ」(戦も慄も、おののく意)

禅[禪] ゼン・ゆずる  ネ部
解字 旧字は禪で 「示(祭壇)+單(タン)」 の形声。タンは壇タン・ダン(一段と高い平らな台)に通じ、平らな祭壇を設けて天地の神をまつる儀式。古代中国で即位した天子が聖山で行なった祭祀。即位した天子が行うので、前の天子が位を「ゆずる」意ともなる。のち、仏教の禅宗の意味が加わった。発音は、タン⇒ゼンに変化。
意味 (1)まつる。「封禅ホウゼン」(天子が天地の神に即位を知らせ、天下太平を感謝する儀式)(2)ゆずる(禅る)。天子が位をゆずる。「禅位ゼンイ」(位をゆずる)「禅譲ゼンジョウ」(天子がその地位を子に世襲させず徳のある者に譲ること)(3)仏教の禅宗のこと。座禅により悟りをひらき人生の真の意義を悟ろうとする仏教の宗派。「禅寺ぜんでら」(禅宗の寺院)(4)[仏]精神を統一して真理を悟ること。「坐禅ザゼン」「禅定ゼンジョウ」(精神を統一して真理を考えること)

單(二又の武器)

「或ワク」 <城壁都市を武器で守る>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/ea529ff8d519a11536fe971b0170a07e
解字 「口(城壁)+戈(ほこ)+防御線」 の会意。口は城壁に囲まれた城郭で、その外側に防御線を敷き、戈(武器)で守ること。金文第一字は、口(城壁)の周りに四本の線が描かれており、武器(戈の略体)で守る軍事境界線を表している。防御線は金文第二字で二つ付いているが、篆文以降、一つになった。これは城壁都市を周辺の境界線で軍隊が守る意で、古代の國(国)を表しており國の原字。
 意味は古代の国を表したが、のち域と國の字に分かれると本来の意味を失い、或は「ある」「あるいは」の意味に仮借カシャ(当て字)された。
意味 (1)ある(或る)。「或る日」「或る人」(2)あるいは(或いは)
イメージ  「城壁都市を武器で守る」(或・国)
       「境界を区切る」(域・惑・馘・閾)
       「その他」 (摑)
国[國] コク・くに  囗部
解字 旧字は國で、「囗(大きなかこい)+或(城壁都市を武器で守る)」の会意で、武器で守られた城壁都市(小さなくに)をいくつも含んだ大きな國の意。古代の小さなくにが、統合されて大きな國が成立した。新字体は或ワクを玉に置き換えた。玉が入った国は、玉座に座る皇帝が治める国の意。
意味 (1)くに(国)。一つの政府に属する社会。「国民コクミン」「国家コッカ」 (2)日本。「国学コクガク」「国字コクジ」 (3)昔の行政区画の一つ「国司コクシ」「国府コクフ」

境界を区切る
域 イキ・さかい  土部
解字 「土(土地)+或(境界を区切る)」 の会意形声。境界を区切った土地。
意味 (1)さかい(域)。土地の区切り。「区域クイキ」「域内イキナイ」「地域チイキ」 (2)くに。国土。「領域リョウイキ」「異域イイキ」(異国) (3)限られた範囲。「声域セイイキ」「聖域セイイキ」
惑 ワク・まどう  心部
解字 「心(こころ)+或(境界を区切る)」 の会意形声。境界を狭く限定され、自由にやろうとしていた心がとまどうこと。
意味 (1)まどう(惑う)。まどわす(惑わす)。とまどう。「迷惑メイワク」「幻惑ゲンワク」「不惑フワク」 (2)うたがう。「疑惑ギワク」
馘 カク・くびきる  首部
解字 「首(かしら)+或(境界を区切る)」 の会意形声。首(かしら・あたま)を境界で区切ること。すなわち、頭からはみ出ている耳を切ること。のち、首(かしら)全体を切る意となった。
意味 (1)耳を切る。敵を殺した証拠に耳を切ること。「馘耳カクジ」(耳を切る) (2)くびきる(馘る)。首を切る。「馘首カクシュ」(首を切る。解雇する)
閾 イキ・ヨク・しきみ  門部
解字 「門(もん)+或(枠を区切る)」 の会意形声。門で区切られ、外と内を分ける境の横木をいう。
意味 (1)しきみ(閾)。しきい(閾)。「行くに閾(しきい)を履(ふ)まず[論語]」 (2)くぎる。くぎり。「識閾シキイキ」(意識が生じるのと消えるのとの境界)「閾値イキチ」(境目となる値)

弋の字は木の杭を意味する。枝のある立てた木ぐい に物を掛けた形に象る。今はもっぱら「杙」と書かれる。
弋部(よくぶ)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8B%E9%83%A8

「弋ヨク」 <いぐるみ・くい> と 「式シキ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/1491d18da03e686c5454278547f7c7ca
解字 甲骨文はクイの象形であり杙くいの原字。原義での用例はなく、地名またはその長として用いられている[甲骨文字辞典]。弋は甲骨文から戈カ(ほこ)の字と似た形であり、現代字も戈からノを取ったかたちだが、戈との関連はないようだ。この字は、のち「いぐるみ」の意に仮借カシャ(当て字)された。「いぐるみ」とは、参考甲骨文字・雉チ(きじ)の矢の部分に紐がまきついている形が示しているように、紐をつけた矢のこと。弓でこの矢を鳥に向かって射て、矢の紐を鳥にからませて獲る猟に用いられた。この猟を描いた弋射図をみると、射手が鳥の群れに向かって弋矢ヨクヤを射て紐を鳥にからめる様子が描かれている。紐の末端にまるい重りのようなものが見え、紐が鳥に触れると重りが反動で鳥に巻きついたと思われる。
意味 (1)いぐるみ(弋)。鳥をとるために弋矢に紐をつないだもの。また、それで鳥を射る方法。「弋射ヨクシャ」「遊弋ユウヨク」(①いぐるみで鳥をとる遊猟。②艦船が海上を往復して警戒する) (2)とる。狩りをする。「弋猟ヨクリョウ」(狩りをする。弋は鳥の狩り、猟は獣の狩り) (3)くい。地中に打ち込むくい。
イメージ  「仮借(いぐるみ)」 (弋)
       「くい」 (杙)
       「同体異字」 (鳶)
音の変化 ヨク:弋・杙  エン:鳶

式 シキ・ショク  弋部
解字 「工(工具)+弋」 の会意。弋ヨクは、杙(くい)。式は、工具を用いてクイを順番に設置して式場を整えること。ある一定の順序で行なって完成させることをいい、型やきまりにはめる意となる。
意味 (1)のり。きまり。やりかた。「形式ケイシキ」「様式ヨウシキ」 (2)儀式。一定の作法で行う行事。「「式典シキテン」「卒業式」 (3)敬礼する。 (4)計算の順序や方法を示したもの。「数式スウシキ」
イメージ  「だんどり・順序」 (式・試・拭・弑)
音の変化  シキ:式  シ:試・弑  ショク:拭

杙・・・ク イ系統のことばは、堆積やかたまり、つまり、「まるい、 めぐる、とり巻く」などの意味をあらわす。
2羽の鷲と呼び、 これに、はく ... 隹→崔(サイ )=高山を意味する 「雁」→「鴈(かり・ガン)」 =厂+イ(人)+鳥 「弋(くい・ヨク・イキ)」=( 杙=杭)・(いぐるみ=糸、紐、縄をつけた鳥 狩猟用の矢)・(黒色・奪う)」 .
なぜ「碓」と彼らのことを呼んだのか?http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2147
碓=石+隹
>いしがみ ← (「石神」は、中国で「ユダヤの神」とされている。「十部族」出身者か)http://www.sun-inet.or.jp/usr/hiro7733/public_html/word/word_NAGYOU_LABEL.html

>隹の原字はタイという音をあらわすとともに、塊の原字でもあって、ク イ ということばをあらわす。後者のク イ系統のことばは、堆積やかたまり、つまり、「まるい、 めぐる、とり巻く」などの意味をあらわす。たとえば、帷(まわりをとり巻く幕) 匯(うずまき)  ...

>碓(タイ)
邪靡堆 泰畤さかい http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/3046
土を盛った状態・・・古墳 胎 タイ 台   ク イ 区異・・・境杭?
隹の字に「土」をつけると、堆積(たいせき)の堆の字となる。ずんぐりと土を盛った状態を表し、下太りにしまった土盛りのことである。
このように、およそ「隹」を含む字はすべて、ずんぐりして、小太りにしまった形をしているという意味を含んでいる。

碓(土盛)=石(神)+隹

雖=口虫集=蛹(繭)を外から見ても、何が出て くるか解らない=推測はできるが確実な結果は解らない、ということです。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1117096571
中に 何が 解らない
盆地の中に都がある
>これが「碓(ウス)」の部分を示すとすれば、つまり奈良のような盆地とか、阿蘇山 カルデラのような山に囲まれた盆地の中に都があるという意味で解釈できるかもしれ ません。 ....

>碓の由来ですが、まず大碓と小碓は、つまり、先日お話したように「大彦」とその息子「武ヌテ河別」の関係で、さらにいえば「大帯彦(景行天皇)」と息子「倭武」の関係になります。しばしば親子ではなく兄弟ともみなされます。
>したがって、大碓の大は「大彦」の「大」に由来するものでしょう。その息子だから「小」碓になった。
アルタイル ポラリス子の星
和名 北極星の呼び名が一般的に使われますが、これは中国名です。和名は子の星(ねのほし)です。http://homepage2.nifty.com/turupura/guide/star/porarisu.html
二重星
 北極星を天体望遠鏡でのぞいてみると、18.3秒(1秒=3600分の1度)離れたところに9等星の青白い色をした小さな星がくっつていることがわかります。この伴星は、偶然同じ方向にあるだけの星と思われていました。しかし伴星のポラリスBは、主星のポラリスAから2700天文単位も離れたところを回っている実視連星であることが判明しています。
 またこれとは別に、北極星には30年周期で周りを回っている伴星のポラリスP(またはポラリスa、またはポラリスAbともいう)があり、分光連星となっています。両者の距離は20天文単位と近すぎて、ハッブル望遠鏡のような特殊な望遠鏡でないと、伴星を直接観測することはできません。

【彦】・・・アルタイル   と線対称の位置からほど近いところに現在の北極星であるこぐま座のα星ポラリスを見つけることができる。
【子彦】・・・こぐま座のα星   ポラリス

私的解字 【彦】〔文(神との契約)+厂(古文字での差し金・定規)+彡(須・・・恵比須・胡人) 〕 ひこ 卑胡 ・・・ユダヤ・胡人http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/1869
《解字》 会意兼形成。 彦は「文(もよう)+彡(もよう)+(音符) ...
漢字のつくりとへんは - Yahoo!知恵袋
偏(へん)は「彦(ゲン)」、旁(つくり)は「頁(ケツ)」です。 ... 音を中心に表すのが「彦」で、「ゲンガン」と音が変わって日本で使われています。 ... 《解字》 会意兼形成。 彦は「文(もよう)+彡(もよう)+(音符) ...

胡人   入彦
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにゑのすめらみこと) 崇神天皇(しうじんてんわう) ... 綰が(漢に)反(そむ)き、匈奴に入るに及び、燕人、衛滿は亡命し、胡服(胡人の服装)為し、東に水を度(わた)り、準に詣で降し、準を説きて西界に居すを求む。 ...
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/shoki13.htm

胡人とは、中国において、西域の人々を指した言葉である。 ... そして、ユダヤ人であったイエス・キリストは、自らを子羊になぞらえた。 秦氏にとって、羊 ...
http://www.kitombo.com/mikami/0324.html
秦氏のルーツは遠く西アジア。パレスチナ地方に住んでいた人々である。当然ながら、彼らの祖先は遊牧を生業とし、羊を飼っていた。
 しかも、秦氏はユダヤ人原始キリスト教徒であった。ユダヤ人にとって、羊は大事な家畜である。祭りのときに、羊をほふり、神に捧げたことは有名だ。ユダヤ人のメシア、ダビデは羊飼いである。そして、ユダヤ人であったイエス・キリストは、自らを子羊になぞらえた。秦氏にとって、羊はイエス・キリストのシンボルでもあったのだ。

、ひこぼし(わし座のアルタイル)、
古代アラビアでは、わし座 (アルタイルの含まれる星座)とこと座 のことを、アル・ナスライン(Al Nasrain)2羽の鷲と呼び、 これに、はくちょう座 を加えて、3羽の大きな鳥が砂漠の夜空に舞う様子を想像していました。 ...
http://yumis.net/space/star/k_image/st-alu.htm
こと座べガの方は「α,ζ,ε」3星を合わせて∧・・・〔∧+乂=【文】〕・・・文命〔A(神)+叩(ぬかづく)〕=禹 の別名

(古代バビロニアでも、アルタイルを山羊座を代表する星としていたらしい。)
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%8F%E3%81%97%E5%BA%A7
ギリシャ神話によると、わし座はゼウスが敵を倒す雷の矢を運ぶ使者だといわれています。また、ゼウスの化身としてトロイの美少年ガニメデをさらってオリンポスへ連れてくるなど、いくつかの逸話も残しています。
中国の神話では、アルタイルは「牽牛(彦星)」と呼ばれ牛飼いでしたが、天上の織り姫(こと座の1等星ベガ)と道ならぬ恋に落ちたことから天帝の怒りに触れ、天の川で分かたれてしまいました。会えるのは7月7日の年に1度だけで、その日は天の川にかささぎの橋(白鳥座)がかかると言われています。

わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ
【夏の大三角】こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブを結んでできる 大きな三角形。夏の大三角形とも。 ... ベガとデネブを結ぶ線を軸としてアルタイルと線 対称の位置のすぐ近くにこぐま座のα星ポラリス(北極星)が見つかる。 https://twitter.com/starseiza_bot/statuses/102444959168348160

六十干支・十二支・十干・再考(1)
時計・時間の問題→干支・天文・星座宮・星宿・暦 埃及(エジプト)神話 希臘(ギリシャ) 神話→星座物語→星占術 ..... 隹→崔(サイ)=高山を意味する 「雁」→「鴈(かり・ガン)」 =厂+イ(人)+鳥 「弋(くい・ヨク・イキ)」=(杙=杭)・(いぐるみ=糸、紐、縄をつけた鳥 狩猟用の矢)・(黒色・奪う)」 ...... 御鬘の珠、左の御手の珠、右の御手の珠から生まれ た五兄弟」は 「小熊座の小七星の北極星(ポラリス)を含む柄にあたる五星」か、 ... ここ には鳥追いの「大鷹(帝+鳥)」という人物も登場するが「アルタイル(飛ぶ鷲)大鷲座」で ある。http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/tenmon60/tenmon1.html
、「現存・古事記」であるが、「倭建」が姨(おば)の「倭比売」から貰ったのは「懐(ふところ)に納めれる剣」であった。一般的には「懐剣」と言われるものである。侍の大小二刀の腰の帯に指す脇差であるならば「短剣」か「小刀」である。

ここに挙げた「イ)ロ)ハ)ニ)ホ)」の説明箇所に点在する「漢字」は、すべて「古事記」と「東洋、西洋天文暦学・天文占星術」と関連しているモノである。しかも、歴史が示す「712年」編纂と言われている「太安萬侶」の「古事記」が、近世、近代、特に幕末に得られた蘭学者の「西洋の知識」が重なっているらしいコトである。
 「双魚(Pisces)・双児(Gemini)」の二文字熟語になったのは、西洋占星術(天文学用語)が中国に伝播された時の「中国の意味翻訳の漢字」であったからだ。天文記号は、「獅子宮・処女宮・天蠍宮(双鋏・双剪)・人馬宮・磨羯宮(双角)」を除いて他は「相似形」になっている。
 ここでは「相似形=ソウジケイ=双字形」である「双魚(Pisces)・双児(Gemini)」を注目したい。エジプト神話では、「ヌート(Nut)」を天空を支える女神、「ゲブ(Geb)」を大地の男神としている。この二神は男女の二卵性双生児で、「双子」である。ドウ言うワケか「ローマ建設神話」でも、「ギリシャ神話」でも、「現存・古事記、日本書紀・ヤマトタケル」でも「双子・双生児」のハナシが重要な物語となっいる。
 異性の双子、同性の双子であるが、ここでは「イセイのフタゴ(ソウセイジ)」、「ドウセイのフタゴ(ソウセイジ)」の「同音文字漢字」が問題である。

「古事記」の「須佐之男の「十拳劔」から生れたのは胸形=宗像の三姉妹」である。「胸」の漢字分解は「月(肉・舟)+匈(勹メ凵)」である。星座では「オリオン座の上下の身体、胸腹と腰両足を分(別)ける三星」である。「天照大神の左の御角髪の八尺の勾璁、左の御角髪の珠、右の御角髪の珠、御鬘の珠、左の御手の珠、右の御手の珠から生まれた五兄弟」は
 「小熊座の小七星の北極星(ポラリス)を含む柄にあたる五星」か、
 多分、
 「ケフェウス座の五角形を形成する五星」である。

「オリオン三星」は住吉の神「表筒男命、中筒男命、底筒男命」ともされている。「筒」とは星のことらしい。多分、「竹(たけ・チク)が同じ訓と音」の漢字である意味だ。英語では「Tristar(三ツ星)→とり・スター→鳥(鶏・禽・酉・取・捕・採)」の「星」である。そして「オリオン=折音・尾理音・織音」である。 「トリ」とは「オリオン」が追いかけている「アトラス」の娘たちの「プレデアス(昴・すばる)」である。
 「鳥(とり・鵠=くくひ)」を追いかけて「阿芸(藝)登比(アギトヒ)」と言葉を吐いたのが「佐波遅比賣・沙本毘賣」と垂仁天皇の息子「唖(おし)の「ホンムチワケ(品牟都和気・本牟智和気)」であった。ここには鳥追いの「大鷹(帝+鳥)」という人物も登場するが「アルタイル(飛ぶ鷲)大鷲座」である。「オリオン」はエジプトでは「隼」の「オシリス」で、Asar(アサル)、Aser(アセル)Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)、Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausareとも。「イシス」との子供の「ホルス」は「オシリス」の現世での分身である。
 そして「ふた語・二語」である。「双」の熟語には「双璧」、「天下無双の剣、槍」がある。

「日本書紀」の「御肇國天皇=崇神天皇」である。「筆によって記録された天皇の肇(はじめ)」と言うことだろうが、「筆の形」は「毛先の付いた竹の棒」で、「木簡・竹簡・紙」に墨汁で記録するモノである。すなわち、「十二支分野」と、その「時節・時刻」を示す「北斗七星の柄杓=大熊座の尻尾」である。

北極星とは七星からなる「小熊座の尻尾の星」である。「一刀=剣=矛」とは「大熊座の北斗七星の柄」でもあり、この北極星を周回する柄のhttp://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/tenmon60/tenmon2.html
 「゜ ̄゜ ̄゜ ̄゜凵゜」の「枡形(升形)一辺の五倍先」が
天体で動じない北極星なのだ。
 そして、「小熊座=小北斗七星(枡形4星=β・γ・η・ζ+柄2星=ε・δ)+北極星(小熊座の尻尾)」は
 中国の天体図
 「紫薇垣」では
 「北極五星=太子(γ)・帝(β)・庶子(ζ)・后宮(δ)・天枢(北極星・ポラリス)」
 の星々となっている。
 この「大熊座の尻尾の星」が「黄昏」に指す方位「十二支=十二辰」の「一支」が月間=月節の始まりとその月の期間であり、そして、その日の時刻は「大熊座の尻尾」が十二支の一支を指し示し、その区間を移動する時間帯が一刻2時間である。
 「辰」は「水星=辰星」の意味も有し、「さそり座首星アンタレス」で、「大火星」でもある。方位は東南東30度区間。朝の7時から9時までの2時間。日月星の総称であり、それらの居場所であり、時間(とき)の総称でもある。その原義は「大きい二枚貝」で、「蜃」が原字である。
 「辰」とは「蜃=二枚貝」が貝殻から足(舌)を出して移動する様子であるらしい。また天の「雷(かみなり)」に関連して天体の「振動・震動)」の意味になった、らしい。

スナワチ、北極星(小熊座の尻尾・ポラリス)を巡る「北斗七星の柄杓=大熊座の尻尾」が示す「八方位(移)」で、北極星を巡る天体、北斗七星の円周位置、移動の事象の象徴意である。「辰」の漢字が「二枚貝の足(舌)」とされるのは「対」である二枚の合わさった貝殻から「足(舌)」を出し、それが「棒状」であり、その動きで移動するからである。巻貝は形が螺旋形で、渦を巻いているものである。田圃の「田螺(たにし・デンルイ)」である。地上で類似するのは、葉っぱの上をゆっくりと移動する「蝸牛(かたつむり・カギュウ)」である。巻貝の大きいものは「法螺貝」と呼ばれ、山伏が「合図の音」を出す楽器で、戦の「合図の音」としても使用された。
 「太秦(タイシン)」とは「うずまさ・うづまさ」と訓読みされている。「太(タイ・タ・ふとい・はなはだしい」は、その意味が「まわりが大きい・肥満」で、それ自体が「うず」と訓読みされている。そして「太刀(たち)」とは刀(かたな)、剣(つるぎ)で、使い手が「武器として振り回すモノ」である。漢和辞典には「阿太(アタイ)」とは「古(いにしえ・コ)の宝剣(ホウケン)」とある。熟語としては「太歳星」、「太乙」、「太子」、「太安万侶」の「太」である。「太=大+ゝ(丶・テン・点)」は「大転(転回・天界)」と言うコトである。
 「熊」の漢字分解が「熊=ム+月+ヒ+ヒ+?(烈火=四星(柄)の光の輝き)」である。類字の「様態・形態・状態・態勢・態度」の「態(さま・タイ)=能(ム月ヒヒ)+心」も同じ意味である。「能力・能率・能弁・能書・才能・効能・能楽」の「能(あたう・よく・ノウ・ドウ・タイ・ダイ・ナイ)」とは「物事の処理能力がよい」であり、「熊」の源字であり、原義が「熊」である。このヵ所辞典には「ム」は「已(イ・以)」とあるが、「ム」は「己・私=禾+ムの原字」である。類字には「巳(み・シ)」がある・・・兎に角、「ム月ヒヒ?」とは「睦月(陰暦孟春・正月元旦=立春=寅月元旦)を比べる四足」であり、「二十八宿・宿曜」の「斗宿」は「丑支(星紀)~→寅支(析木)」に跨って存在している。「星紀」とは「歳星-紀-年」であり、「木星の十二支分野の順施一巡」のことである。「析木」とは「木星の析(折)り返しの十二支分野」である。寅月元旦とは「斗宿の四足目」と言うことか?
 そして、「密教の八大師」とは「宿曜経」を奉じる「龍孟菩薩・龍智菩薩・金剛智三蔵・不空金剛・善無畏三蔵・一行阿闍梨那・恵果阿闍梨・弘法大師(空海)」である・・・「大日如来=毘盧釈那仏」を本尊とする「密教」の「密」とは「日曜日」の「日」で、中央アジアの「ソグド語の七曜日」の「ミル=日曜日=密(蜜)」の音読である。
 古語の「つむ」とは「頭のコト」で、幼児をあやすコトバには「おつむテンテン」がある。そして「つみ(罪)」とは「神の掟を破る・咎(とが・キュウ・キウ・ク)・欠点・批難」のコトであった。「つむ」には「相手を責める」意味もある。古語の「をつ」とは「元に返る・若返る」である。「マナ」とは「酒の肴(さかな)の眞魚(真魚)・眞菜(麻菜)のコト」である。「眞」の漢字分解は「眞=匕+目+∟(乙)+ハ」である。「マナかな」とは「真名仮名・眞字仮名=漢字」である。「マナコ」とは「眼・目」で、「蕁麻(痲)疹=ジンマシン」の「痲(め・マ)」である。そして「愛子(まなこ)」でもある。
 そして「八俣の遠呂智(やまたのおろち)」とは「北斗七星=大熊座形成の七星」と「小熊座形成の北極星を含む七星」の間にある「龍座を形成する十五星」である。大熊座も小熊座も龍座も「ギリシャ神話の星座」である。中国の星座ではない。「八俣」の「俣」の漢字は日本人が創った「国字」である。九州「水俣」の「俣=イ+口+天(一大or二人)」である。
 

Re: 封禪

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2017年 6月13日(火)13時56分14秒
返信・引用
  > No.3919[元記事へ]

山田さんへのお返事です。

正解です、読める人は居りません。読めれば古事記、儒教、仏教の経典の翻訳が可能です。

近いうちに自費出版しますのでお楽しみにして下さい。


> 封禅について、特に始皇帝が執り行ったものですが、周辺のこと調べてみました。
> 始皇帝は、焚書坑儒とかいって当時の古典書や儒者を葬っておいたものだから、封禅の儀の古式も正統なものわからなかったようですね。手持ちの儒者の意見も疑心暗鬼で、結局、自己流で終えたとか。
>
> 封と禅の二つの儀式があるのは、発見。天に対する感謝の封、地に対する感謝の禅。このうち地に対する禅の方が、まったく不確定で自信ないもののようでした。
>
> ・・この時代列島に渡ってきた徐福とかは、始皇帝の国家構造ならしめている宗教理念とかよく見据えていたのでしょうか。
>
> 倭国の王権で、前方後円墳が反復されたのは、封禅の犠と何か関係あるのでしょうか?
>
>
>  拙い解釈で、すみません。
 

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