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私説公開

 投稿者:石垣眞人  投稿日:2008年10月18日(土)15時01分11秒
  「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。
 
 

農民を餓死させるか、労働者を餓死させるか?

 投稿者:TAMO2  投稿日:2006年 5月20日(土)21時06分56秒
  レーニンは前者を選んだ。

------
「包囲された要塞にいたわれわれは」とのちにレーニンは言っている。「軍隊の戦闘力を維持し、工業を完全に崩壊させないためだけに、割当徴発制を実施する以外には、すなわち農民からありさえすればいっさいの余剰をとりあげ、ときには余剰だけでなく、農民にある程度必要な分さえとりあげる以外には、持ちこたえることができなかった」(全集、第三二巻、三〇八ページ)。
 

このような排中律はどれだけ妥当か?

 投稿者:TAMO2  投稿日:2006年 2月 2日(木)22時02分50秒
  「ブルジョア・イデオロギーか、それとも社会主義的イデオロギーか、問題は #もっぱらこのように# 提起されている。ここには中間はない。……だから、 #いやしくも# 社会主義的イデオロギーを軽視すること、 #いやしくもそれからはなれること# は、とりもなおさず、ブルジョア・イデオロギーをつよめることを意味する」(なにをなすべきか?)  

レーニンの宗教観のためのメモ

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 7月12日(火)16時23分29秒
  文学の父」といわれるようになるA.M.ゴールキー(1868-1936)も一時はそうであっ
た.レーニンは「ア・エム・ゴーリキーへ」の手紙(1913年)で,「求神主義が創神主義
や,建神主義や,造神主義などとちがうのは,黄色い悪魔が青い悪魔とちがっているとい
うのと,すこしもかわりません.……(あらゆる神は腐敗です――たとえそれがどんなに
きれいで,理想的な神であろうと,求められる神でなく創られる神であろうと,同じこと
です)……」((35) pp.118‐119)

「神の観念を擁護したり是認したりすることは,たとえもっとも洗練された,もっとも
善意のそれであろうとも,すべて反動を是認することです.」((35) p.124)
 

すえいどんはいいですな

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 7月 2日(土)10時29分53秒
  革命にとっての一回限りの好機  投稿者: すえいどん  投稿日: 6月30日(木)10時48分42秒
>「四月テーゼ」(1917年)でレーニンが、その刹那の瞬き―、革命にとっての一回限りの好機を掴み取ったとき・・・・

かって「3巻選集」やルカーチ「レーニン論」を感銘をもって読んだ者として、その決断をたたえるという気持ちはわかります。そして、後に、以下のようなシニカルな解明に出会ったときのショックも思い起こします。

「偉大なる革命は、勝利を収めたただ一つの党が範を示した通り、都市の労働者階級の蜂起でなければならなかった。そこで、ロシアの十月革命は何を教えたのか。取るに足らないボルシェビキがどうして権力を奪取できたのか。自信と信念、大胆さと迅速さがなにものにも勝る力であると告げられた。・・すべては革命が自ら湧き出る事を明らかにしたのだが、革命を不可避たらしめたのは革命指導者が決定的瞬間をみきわめて号令をかけたからだと教えられた。こうしてロシア革命の指導者たちは、すべての要素を測り、数学的な正確さで計算して、革命を成功させたのだと自ら信じるようになり、実際には断固とした行動に出ようとする衝動と、ためらいと動揺のなかでさいころを振ったという事実にベールをかけてしまった。このあと彼らは、実際的な分析を行ったような錯覚にはまり込み、同じ目がでるものと決めてさいころを振るようになった。かれらは、世界革命が数日内ではないにしても、数週間の内に起きると信じたのだし・・何度もドイツにおける革命の行動計画を立て、蜂起の日までを定め、同じ失敗を繰り返すことになった。そしてかれらが信じたさいころの目がでなかったあとになって、革命の客観的条件が欠けていたとか、いや、革命の高潮はありながら革命的な党が欠けていたのだという論議となった。この責任のなすりあいと人身御供の追及が、さいころを振るにあたって、情勢の分析よりも、仲間内の顔色をうかがうことがはるかに重要な意味をもつことになった理由であった。モスクワが中国の党に命じた蜂起の一部始終もこのような具合のものであった。」(鳥居民「周恩来と毛沢東」草思社1975年刊81頁以下)
 

あ、これはいい!

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 6月24日(金)20時22分9秒
編集済
  たくさんだ!
わたしたちは 信じないぞ、
縁のない はなしは!

------
チェーカーの 野蛮さを
べちゃくっている

しろい
くずども〔54〕の かおに
つば はきかけよう!
 

やりきれぬ・・・・

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 6月24日(金)20時17分22秒
  「叙事詩 ウラジーミル イリーチ レーニン」(マヤコフスキー)より

------
一個人!
それは だれに 必要なんだ?!

個人の こえは
ひよこの ぴーぴーより かすか、

だれが ききつけよう?
つまだけさ!

(中略)
党 ――
これは
一つの 烈風、

ひくい、かすかな こえを
かためあげた 烈風。
(中略)
党と レーニンは
ふたごの きょうだい。

ははである 歴史には
どちらが より だいじなのか?

わたしたちは
「レーニン」と いえば
党を おもい、

「党」と いえば
レーニンを おもうのだ。
-------
これは、個人を否定しながら、結局はレーニンという個人に帰着する ことなんじゃないか。

やりきれない。
 

農業共同化の問題について

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 1月11日(火)22時14分20秒
  毛沢東をマルクス主義者というかどうか、現在各方面で議論されていますけど。転載。

『われわれは大衆を信ずるべきであり、党を信ずるべきであって、これは二つの根本的な原理で
ある。もしもこの二つの原理に疑いをもつなら、なにごともなしとげることはできない。』
 

お久しぶりです&反論

 投稿者:TAMO2@パソコンちょっとマシに  投稿日:2004年12月 2日(木)00時11分7秒
  思考のクセというものは、容易に変更できないようです。ご指摘ありがとうございます。
さて、その上で反論いたします。

まず、レーニン再掲。
--------
実際に、社会現象のいかなる #研究# も、社会科学の #方法# のいかなる解明も、これらの
概念の助けによってあたえられることは #できない# 。
--------
これにあえて小生がルビ(" $" "$ ")を振るとすれば、こうでしょうか。

>実際に、社会現象の $いかなる$ #研究# も、(中略)これら(生物学、エネルギー論)の
>概念の助けによってあたえられることは #できない# 。

「いかなる」と来れば、あれもそれも、空想的なのも具体的なのも、全てそのように読めます
けど。そして、小生はそのように読みました。それにより、アナロジー一般の否定と読んだわ
けです。

-----
後段について。
>生物学の概念 $一般$ を社会科学の領域にもちこむことは#空文句# である、という点にある。

2NOさんは「一般」という言葉を、敷衍の問題として捉えていると、小生への反論から読み
取りました。敷衍してはいけないものまで敷衍し、全体化することの危険。そのような危険が
あることは認識しています。ダーウィン理論における譬えは適切ですね。その意味において、
同意します。

一方、小生が上の文章で捉えた「一般」は、「全体のうちの、あれやこれやのどの部分も」と
言う意味です。アナロジーを感じるなら、それを当てはめ、試行(思考)し、妥当かどうかを
検証するのは、科学の方法では一般的です。「どの部分も」ダメなら、アナロジー全体の否定
という上段の話と整合性があるのではないでしょうか。

------
拉致問題、北朝鮮問題、アフガン問題については、こちらにも申し上げたいことはありますが、
具体的検証資料がないので止めておきます。
 

捕逸

 投稿者:2NO  投稿日:2004年11月22日(月)19時09分54秒
   自己レスです。

>TAMO2さん特有の独断論(思い込みによる論断と思い込みの固定化)

 TAMO2さんの論理パターンを見ると
1) レーニンは“アナロジー一般が良くない”などとは言っていないのにかかわらず、
アナロジーの問題だとされる。
2) その解釈を固定化させた上で、「断じてない!」などなどの強烈な非難発言を始
める。

 このパターン、まいどのことなんですね。旧撫左翼書込保存館なんて、そのオンパレー
ドでしたし。拉致問題を通じたマスコミ統制を心配する発言が拉致被害者家族への非難と
解釈されたり、自分の戦争体験を伝え子孫を「このような」悲惨な体験にあわせたくない
という発言が、過去の戦争と何から何まで同じになるという主張と解釈されたり。ていう
か、旧撫左翼書込保存館の存在そのものが<決め付け-非難>だったんじゃないかと思っ
てますが。
 わたし自身も相当被害に合いました。他の人への「理解」を求めたのに「同意」を要求
したと決め付けられたり、アフガンの親ソ派政権がやったのはブルジョア近代化にすぎな
いと突き放した上で他の政権はそれさえやらなかったという発言が、日本のアジア侵略へ
の弁護と同様の擁護論に化けさせられたり。

>概念をつねに具体的実在と対応させながら使う

 これは「対応関係を常に明示しながら」とまでは求めるものではありません。きっちり
検証しながら、ということです。

 

独断的解釈ですね

 投稿者:2NO  投稿日:2004年11月22日(月)18時39分6秒
   2NOといいます。このBBSの趣旨にはこれっぽちも賛同していませんが、あい変わらずTAMO2さん特有の独断論(思い込みによる論断と思い込みの固定化)が続いているよう
なので一言。

>これではアナロジーで論じることは出来ない。たとえ反動的な結論のためではあっても、
>進化論でもって社会を論じることは「出来なかった」のか?
・・・(中略)
>マルクスは、ランゲの「具体的分析のなさ」を批判しているのであって、アナロジーを行
>なうことを批判しているのでは断じてない!

 TAMO2さんは、レーニンの論点をアナロジーの否定だと決め付けた上で、マルクスの論
では「断じてない!」と断じています。
 どこを読めばこう解釈できるのでしょうか? レーニンが批判しているのは、「生物学
の概念#一般#(TAMO2さんの文章では強調表示が抜けています)を社会科学の領域にもち
こむこと」、言い換えれば、生物学の概念を一般的にすべて、検証もなしに、社会科学に
直輸入させることとしか読めないのですが?
 というか、本書のこの節(6章2節)全体を読めば、とりわけボグダーノフからの引用
を軸に読んでもらえば明らかだと思うのですが。この節では「社会的形態は生物学的適応
という広範な#類#に属する」(国民文庫P.195)以下、社会科学の生物学への解消ないし
生物学から社会科学への機械的あてはめ論者として、ボクダーノフを描いており、単なる
アナロジーというようなかーいらしいものではありませんよ。

 アナロジー一般ならば、マルクス主義者は必ずしも否定しないし、レーニンも各所で行っ
ています。どういう場合でかというと、ある分野(たとえば社会科学)で扱う対象と他の分
野(たとえば生物学)で扱う対象とに共通性があるときです。
 たとえば進化論で言うと、生物進化ということは、発展変化するという点で、その限りに
おいて、人類社会の歴史と共通しています。それゆえ、マルクスもダーウィンを高く評価し
ました。
 しかしたとえば、生物学は適応淘汰という法則を教えているからこの概念を人類社会にも
適用しましょ、とはならない。生物界は“生き残りやすく変異した遺伝子が子孫に伝わる”
という法則で動いているのに対し、人類はここ数万年を見ても生物学的にはほとんど変わっ
てないにもかかわらず、生活様式が大きく変わり続けており、別の法則によって動いている
からです。
 つまり問題は、アナロジーかどうかではなく、ものの客観的具体的あり方を検証した上で
概念を使うか、検証抜きの言葉の独り歩きをやらかすか、にあるのですね。こうして見れば
レーニンの論は「具体的分析のなさ」を批判するマルクスの論とぴたりと一致するわけで
す。
 ついでに言うと、概念をつねに具体的実在と対応させながら使う、けっして一人歩きをさ
せない、と言うことは唯物論者にとってめちゃ重要なことです。というかそれを貫かないと
認識が実在の反映だと認めたことにはならない。この節でレーニンがボグダーノフを強く批
判した理由もこの重要性にあると思うし、このことは本書全体のテーマともかかわってきま
す。これを理解されていたのなら・・・。


 

晒しage

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年10月30日(土)21時56分7秒
  『唯物論と経験批判論2』の事項注より。こりゃ、マルクス主義は他の世界観に「勝利」できないわなw。
-----
〔10〕 仏教(その伝説上の創始者ゴータマ・ブッダ《覚者》 の名にちなんでブッディズムとよばれる)――一 リスト教やイスラム教とならんで、現代の最も広く流布している宗教の一つである。インドで初期国家形成の出現期であった紀元前六世紀に生まれた。その当時支配的な宗教であったバラモン教に比べて民主的な教えであった。すなわち仏教は、社会のカーストへの区分に人々の平等の思想を対置した。しかしこの平等も、「救い」を達成する可能性は万人にとって一様であるという意味のものにすぎなかった。原始仏教には、自然発生的な弁証法や世界を過程の総体とみなす考えが固有のものとして属していた。その後、不可知論、厭世観、能動的な活動の拒否、悪にたいして暴力をもってむくいないという教えというような仏教の諸側面が主として発展した。自然発生的な弁証法は相対主義へ、「瞬間性の理論」へと転化した。この理論によれば、物がその物として存在するのは、時間の「不可分の一瞬間」のあいだだけという。
 仏教のさまざまの流派は、セイロン、ビルマ、中国、日本、およびその他の東方の国々で広く普及した。一九世紀に仏教は西ヨーロッパとアメリカ合衆国の一連の哲学者たち(A・ショー ペンハウアー、E・ハルトマン、H・ベルグソン、その他)に影響をあたえた。
 

これは独断だ!

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年10月17日(日)13時16分14秒
  ボグダーノフはけっしてマルクス主義の研究に従事せず、この研究によってすでに以前に獲得さ
れた結果を生物学とエネルギー論の用語の衣装に着かえさせることに従事している。この試みの
すべては初めから終りまでなんの役にもたたない、というのは、「淘汰」、エネルギーの「同化
と異化」、エネルギー論的バランス等々の概念の適用は社会科学の領域に適用する場合には、
#空文句# であるから。実際に、社会現象のいかなる #研究# も、社会科学の #方法# のいか
なる解明も、これらの概念の助けによってあたえられることは #できない# 。
--------
これではアナロジーで論じることは出来ない。たとえ反動的な結論のためではあっても、進化論
でもって社会を論じることは「出来なかった」のか?

若い日の小生が、何に怒っていたか、だんだん思い出してきた。

そのあと、レーニンはマルクスの言葉を引用しているが、その結論はかなり酷い。マルクスは、
ランゲの「具体的分析のなさ」を批判しているのであって、アナロジーを行なうことを批判して
いるのでは断じてない! 方程式が同型ならば、あらゆる森羅万象が同じ方程式名で呼ばれる。
(Laplace equationとか、拡散方程式とか)
-----------
 マルクスは、一八七〇年六月二七日に、クーゲルマンにあててこう書いている、「ランゲ氏は
(『労働問題……』の第二版で)僕をひどくほめそやしているが、そのねらいは自分自身に重み
をつけようというのだ。すなわち、ランゲ氏は一大発見をしたわけだ。全歴史をただ一つの大き
な自然法則に包摂することができる、というのだ。この自然法則は《Struggle for life》つま
り生存競争という #空文句# (ダーウィンの表現もこんなふうにつかわれるとたんなる空文句に
なってしまう)であり、この空文句の内容はマルサスの人口法則あるいはむしろ過剰人口法則で
ある。したがって、《Struggle for life》 が、特定の社会形態において歴史的にどのように
現われるかを分析するかわりに、具体的な闘争をすべて《Struggle for life》という空文句に
置き換え、さらにこの空文句をマルサスの『人口幻想』に置き換えようとするものにほかならな
い。これは――気どり屋で、物知りぶり、うぬぼれの強いほか者や知的怠け者にとっては、非常
に深遠な方法と見えるにちがいない〔32〕」。
 ランゲにたいする批判の基礎は、マルクスにあっては、ランゲがとくにマルサス主義〔33〕を
社会学におしこんでいることにではなく、生物学の概念一般を社会科学の領域にもちこむことは
#空文句# である、という点にある。このようなもちこみが「よい」目的でくわだてられようと、
あやまった社会学的結論を補強する目的でくわだてられようと、このことによって空文句が空文
句でなくなりはしない。そして、ボグダーノブの「社会的エネルギー論」、その社会的淘汰の説
のマルクス主義への併合も、まさにこのような空文句である。
 

……過ぎない……のか?

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年10月17日(日)12時55分26秒
   唯物論一般は人類の意識、感覚、経験等々から独立した客観的に実在的な存在(物質)を認め
る。史的唯物論は人類の社会的意識から独立した社会的存在を認める。意識は、どちらの場合で
も、存在の反映、せいぜい近似的にただしい(適応的な、理想的に正確な)その反映にすぎない。
(「唯物論と経験批判論」第6章)
 

あっちからコピー

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年10月16日(土)10時38分46秒
  レーニン×マッハ 投稿者:TAMO2  投稿日:10月16日(土)10時30分42秒

「唯経」にご関心のある、臨夏さんにリンク先紹介。
いやあ、思い出して検索したら、一発で見つかってハッピー。

------
「中核vs革マル」:27000冊も売れているそうですね。埴谷雄高の「内ゲバの論理」はどんな
もんなんだろう。「排除の構造」(今村仁司)も気になる。

なんで、あんなこと(某先輩が殺されたこと)になるんだろう、と思い、読んだ本の数々。結局、
結論はなかったけど。
------
ちょっとちゃうけど。ある文芸評論家の宮本百合子評。「百合子さんは、生命の先端だけを描き
ました」。いわゆるプロレタリア文学の「欠落」をうまく表現している。武田麟太郎を読まねば!
------
平野謙の文章が「内ゲバの論理」で紹介されていたので、コピペ。

「マルクス主義芸術運動全体につらなる一病根を確認せずにはいられなかったのだ。ほとんど不感症
に固着した一種の人間蔑視を! ……(中略)……疑うものは小林多喜二の遺作『党生活者』に描
かれた「笠原」という女性の取扱いかたをみよ。目的のために手段をえらばぬ人間蔑視が「伊藤」
という女性とのみよがしな対比のもとに、運動の名において平然と肯定されている。……(中略)
……だが、そのような人間蔑視の風潮は小林個人の罪ではない。それは当時のマルクス主義芸術
運動全体の責任にかかわるものだ。」

若い日の小生は『そして今でも!』と鉛筆で記しています。
編集済
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card37323.html

 

(´w`;)

 投稿者:弱い犬@内職中  投稿日:2004年 9月22日(水)16時15分14秒
  >今、ここでは
時勢というか状況を踏まえろ、って事でやんすね。忘れると極左極左~(w

>まんまの天才
そー言う本があるですか、
次の知ったかぶりに使おッと...φ(・∀・)メモメモ (ぉ

>悪意ある深読み
うヒョヒョヒョヒョっ なんか楽しそうで すげぃ ええですね♪

>ある意味権威主義
 先の発言の意図は、昔なら左翼に流れていた人材が市民運動にとどまるって程度の
ニュアンスでやんす。。。是々非々に、今ここで、行動を吟味し振舞う結果が
どこぞのセクトと一致することもあるかもしれませんが、たとえば
自分はアナキストだ、と名乗り自負した時点でアナキストとしての権威を評価し、
その権威に追随する事を示すようにも思われますです(汗
 つーか、こう言うと党首の権威に追随する事になるのかもしれませんが、
マオイストでアナキストっつーcomboは 現時点では 限りなく正解に近いように思います、えへへ。

 ちなみに共産板2chでの印象では クロポトキンを持ち出したりしてた人のお陰で
アナキスト単体では十分に権威主義者っぽく思えてしまいましたですYO(汗
 

レーニンのための定冠詞

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年 9月21日(火)22時01分58秒
  「今、ここでは」ですね。これを忘れてレーニンを読むと、エライことになるw。
レーニンは、ある状況において、ある側面を捨象することの天才でした。

なお、天才は欠如の表れ、というのは マンマの本「天才」(岩波)にありましたね。
----
>読書とは著者に思考を任せる行為であり
だから、「弄くり、揉め」なのです。日本では、儒教的に本の内容を受容する作風が濃い
ですが、作風としてベストなのはローザ・ルクセンブルグが資本論に対して行なったよう
な、悪意ある深読みではないかと。

-----
>左翼なんて程度の差こそあれある意味権威主義者
どうだろ?アナキストの多くは当てはまらないのでは?
 

付加価値の否定

 投稿者:弱い犬@内職中  投稿日:2004年 9月21日(火)14時44分28秒
   …とかいうと経済論議のようにも見えますが
実はレーニンを論じたいわけで。変な話題から始めますが、
何かを出来る…ようになる…には、才能が備わるからだ、という観念もあって、いわば、
人間が素材、+才能で人材、 人間+才能=人材 みたいなメンタルモデルがあると思うです。
これは、才能に欠ける、みたいな言い方にも現れています。
価値が付加されている、って感じでやんす。

 しかし、唯物論者に言わせれば作業の習熟とは 実は不要な神経網の切除に他ならない。
素人が巧く操作できないのは不必要な神経まで発火する事の副作用であり、
習熟ってのは 別の見方をすれば 可能性の損失でもあるわけでやんす。

 で、すごい人は出来るのに、普通の人間には出来ない事を、普通側が 不足(や欠損)していると
思いがちだけれども、実は常人の地平にあるシガラミみたいなものが不可能を齎していると考え、
すごい人(出来る人) を再評価すると、超人側が(常識やセンスを)欠損しているんじゃないのか?と。

 で、前置きが長くなりましたが、不可知論が観念論だ、という観念論を、
臆面もなく駆使できてしまう彼は、物凄く優秀で切れ者ではあったことは否めませんが、
その有能さ相応に(こんな言い方はきつすぎるやもしれませんが、ある意味)
壊れていた ってことなのかもしれませんですね…(汗

>思考を好まず
 おいらが積読を恥じないのは、ショーペンハウアーで理論武装(思考委任)しているからであり、
彼曰く、読書とは著者に思考を任せる行為であり、本を読むことは危険だ、と(著書で主張する、とw)。
 読書とは、それは雪山で足跡を辿るような作業だ、と彼は言いますが(←幸か不幸か彼も文才はたいしたことが無いw)今日的に表現するなら、数学の例題集の字面を追ったところで、未知の問題を解けるか否か?でせうか。つーか、きょうび、左翼なんて程度の差こそあれある意味権威主義者しか目指しはしないような…(汗

以上、我ながら論旨から外れた内容の薄い脊髄反射レスですんません(汗
 

「唯経」関連で

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年 9月21日(火)08時01分58秒
  バークリ僧正のお言葉。気になるのでアップ。

「人間は科学の原理を他者から学ぶ。いかなる学習者も程度の差こそあれ、権威に従うことを
嫌がるものだ。特に若い学習者はその傾向が強い。しかし、彼らは原理を自らじっくり思考
することを好まず、人の言うままに信じる傾向がある。だから、過去に繰り返し真実と認め
られてきたことが彼らにとっては当たり前になり、やがてはそれが彼らの考えの拠り所となって
しまうのだ」
--------
ML主義のドグマ化を支えたものを考えるに、有用なご意見。
 

哲学メモ

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年 9月20日(月)09時48分18秒
  不可知論者:おずおずと臆病な唯物論者(エンゲルス)
不可知論者:観念論の一つ(レーニン)

引用は正確ではないが、このような意味で論じているエンゲルスとレーニンの差異については、
エンゲルス~レーニンのスキームが脳内に色濃くある小生にとっては、追求すべき課題である。
 

3

 投稿者:ヨボセヨ  投稿日:2004年 8月24日(火)02時12分43秒
  >ITと金融については、アメリカの意図した通りなのかどうか、正直わかりません。

アメリカの国家戦略であったクリントン政権の当時の資料を分析してみてください。

>というのは、アメリカが弱くなると困るのは、日本の輸出産業であり、日本の政府
>は基本的に彼らの利益を擁護しているからです。

アメリカを弱体化させたのは日本資本・とくに自動車・電気資本です。
輸出が主要だからこそ最大の消費市場アメリカへ日本資本は輸出しまくった。その結果がバブル経済と、アメリカ資本の斜陽化でした。
しかし日本資本は輸出しなかせらでないと資本蓄積はままらないまでに、日本国内では資本が設備過剰になってしまっていということです。いいかえると国内の独占化・過剰生産力の処理は、対外的輸出攻勢しかないのです。しかしアメリカはそこで侵食されるのです。そこが帝国主義の矛盾のひとつだということです。それは米国債をうったら、米国は崩壊し日本資本も崩壊する。しかし米国債が死の苦悶になっているということです。


>銀行は、世界的なマネーゲームよ
>りは、これらの企業と持ち株関係で結びつくことによって利益を上げてきました。

資本は利潤をあげればよいのですが、日本の場合国家が金融資本を国内的に保護を徹底させることで、外資の参加をふせいだわけですが、アメリカは金融自由化を圧力とかけることで、それが苦しくなってきたということのようです。


>そのような日本国は、アメリカのためじゃなく、

もちろん自国帝国主義の利益が国益なのですね。
>日本の輸出産業およびその意向を
>一番受けた指導部のために、円高是正=ドル買い支え=米国債購入を続けてきてい
>ます。

日本帝国主義が借金大国であるのに、米国債をかうのは、アメリカ経済が崩壊したらそく日本経済もアメリカへの輸出過多でもっていることが崩壊すなわち日本資本も破産してしまうという危機感でしかないでしょぅ。もうひとついうと、日本の軍事力がアメリカなみではないという切迫からでしょう。すなわち敗戦帝国主義が規定しているのです。

>そろそろ、パンクかも知れません。ドイツは、一ヤンペしたがっているよう
>で、それがEUに力を入れた理由かも知れません。

それは第二次大戦の現代的回帰でしょうね。
私はカウツキー主義ではないのでそう思います。


>もし、日本とアメリカが対抗的になるには、日本の指導部がアメリカへの輸出で外
>貨獲得をするという構造を見切る時であると思います。

おそらく石原のような主張が政府の見解としてだされるときでしょうね。

しかしひのときが、日米戦争のきっかけになるといえるでしょう。

>確かに、おっしゃるとおり
>今はかなり無茶やってますしね・・・。その時、そういう構造に警鐘を鳴らしてい
>る日本共産党は指導部に召されるのでしょうか(笑)。

帝国主義の矛盾は帝国主義戦争でしか解決できないということでしょぅ。
日本共産党は大衆からも離反し、かつ、「革命綱領」をなくしてしまいました。
それは帝国主義とは戦えないということのあらわれでしょう。

>また、あなたの枠組みには、中国・インドや、アジア諸国の隆盛が評価の外にある
>と思います。

ニーズは通貨危機や民主化運動で、外資はぼろもうけできなくなりました。
民族資本も危機的でしょう。

次に中国は、バブル崩壊をうむほかないでしょう。

インドは、国内がばらばらになりかねないように分断化がすすんでいる。

そういう見解は、独占資本や金融資本の雇われの学者とかがよくしていますね。



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わすれてました

 投稿者:ヨボセヨ  投稿日:2004年 8月24日(火)01時54分29秒
  >ただ、今度のイラク戦争については、モロ石油があるし、教育水準の高い大衆=大量消費>社会
>を形成し得る民衆もいるし、


私は今回の情勢が実は、アメリカバブル崩壊とドル防衛からやられていると思っています。つまり現代帝国主義は石油文明であるが、その根幹はアメリカの軍事力つまりアメリカが世界支配することなのですよという主張だということでしょう。
むしろ没落してきたアメリカ経済の挽回はアメリカ経済のバブル崩壊で、戦争という暴力手段で図られてきたということです。
教育水準が雨の華ではそうとう分解過程にあるのを、愛国者法などでかきけしたいのではないでしょか?失業のなかから線祖うとファシズムがでてきたようなものでしょうか。
大量消費つまり過剰消費は、実はクレジット社会たという政府も大衆も借金ずけというものでしかないといえます。たとえばわが日本では、欧米の高級ブランドが、日本の高校生の間で流行するという現象もしかりです。

>フランス・ロシアとの対抗上、帝国主義間争闘戦という側面は否定
>出来ませんが、それが主要な側面かどうかは、よくわかっていません。

ドイツ(およびフランス・ロシア)と対抗するのは、ユーロ圏たたきでしょう。
フセインはドルからユーロに決済をかえていこうとした矢先だったし、
フランス・ドイツ資本市場にアメリカが戦争をけしかけて剥奪するものに近いから
ドイツ・フランスは帝国主義者も反対したわけです。
現在進行でいうと、アメリカは泥沼の戦争をしつつ、アメリカ系資本がイラク上陸を展開していこうとしています。
 

2

 投稿者:ヨボセヨ  投稿日:2004年 8月24日(火)01時45分49秒
  >ベトナムについては、ディエンビエンフーの敗北を機にフランスの撤退、アメリカの介入>が
>あるわけですが、これを帝国主義の「植民地獲得戦争」と捉えるのはかなり無理があるよ>うに
>感じます。]

国際帝国主義ということでしょう。ベトナム戦争でも朝鮮戦争でも、中国やラオスに米軍は介入しようとしたわけですからね。

>勿論、帝国主義による「共産ドミノ理論」に基づいた、介入であることには間違い
>ありませんが、当の代理戦争相手=ソ連が帝国主義でなければ、この理論は成り立ちませ>ん。

スターリンと米国は合意していたが、毛の革命そのものが予想外であり、それをつぶしたかった、つぶさねばならなかったというのが新植民地主義体制と戦後帝国主義でしょう。


(毛主席がソ連を社会「帝国主義」と言ったのは、レーニン的な意味での「帝国主義」ではな
く、寧ろ日本共産党流の「覇権主義」のことかと、とボケてみる。)

そもそも、毛理論は正鵠でもなく、一国社会主義理論の中国版でしかなく、そもそもスターリンの予想を超えたつまり認知されないで革命を成功させ追認させたといえるのですら、ソ連スターリン体制とはうまくいくばすがないのです。

 >パパブッシュの湾岸戦争もまた、国連を口実に行なっており、帝間争奪戦、という類の>もの
>に見えないのですが、いかがでしょうか。

国連を口実にいけたのはソ連が延命していたころであるし、事情が違う。
帝国主義の侵略戦争であるのは否定できませんね。そもそもフセインは、イラン戦争の頓挫と石油価格でのイラク有利のためにはじめたものであり、そもそもイラク圏の領土であったのを、酋長クラスがアメリカ帝国主義のバックをうけていた体制にすぎないのが事実のよう。むしろアメリカはフセインという人物のおかげて、イランを封じ込め、あるいは湾岸戦争をおこなうことができたといえます。

>勿論、西側諸国#にも#圧倒的軍事力を見せつけ、
>自らのヘゲモニーを強固にするという意味合いはあるでしょうけど。(アフガン戦争も同>類の
>ように思えます。)

賛成。付け加えると、ソ連の完敗を準備し、かつ日本帝国主義の追撃をかわしたといえます。軍事展開できない日本帝国主義は、経済失態していくのはだいたいこのころでしたね、
だから、トヨタ会長らは日本の軍事化を提言しているということですね。

 ただ、今度のイラク戦争については、モロ石油があるし、教育水準の高い大衆=大量消費社会
を形成し得る民衆もいるし、フランス・ロシアとの対抗上、帝国主義間争闘戦という側面は否定
出来ませんが、それが主要な側面かどうかは、よくわかっていません。
 

西側の枠組みについて

 投稿者:ヨボセヨ  投稿日:2004年 8月24日(火)01時28分38秒
  どうもです。
>TAMO2の考えと突っ込み:
 >国内モデルを前提とするケインズ的政策で、どのように固定化されたのかの説明が必要
>であると思います。
国際貿易や関税などをとりきめた、IMF・GATT体制がケインズ政策の根幹でしょう。

>小生が思うに、戦後体制でイメージするものは東西冷戦であり、分断
>された世界です。よって、「ケインズ的政策」と「固定化」のつながりが見えません。

むしろ、大西洋憲章やヤルタ会談での米ソ合意が戦後体制であったが、中国・朝鮮でスターリンの予想を超えて革命政権ができたことから米ソは「冷戦」ということにもつながったわけですが、重要なのはソ連スターリン政権が、祖国防衛主義でしかなかったということです。分断の象徴は、ドイツ帝国主義の分割と、朝鮮民族解放闘争の分断ですね。
そもそも帝国主義と世界革命を裏切った米ソそのものに起因すると思います。

ソ連の崩壊は、戦後体制の崩壊と、一国で社会主義は可能という路線が破綻したことだといえます。


>次に、植民地支配についてですが、マーシャルプランによって西欧の戦後復興は行なわれ
>たわけですが、このような状況では植民地獲得は問題になりません。

マーシャルの意見間は革命予防のために戦争被害をアメリカ帝国主義が保障するということです。しかもアメリカの過剰資本処理として貸付金やドルがばら撒かれたということです。
問題はドイツや日本がアメリカの予想を超えて急成長してしまいアメリカ資本をおびやかしたということなのです。
それはレーニん不均等発展論を参考にしています。

>そして、植民地の直
>接的支配はコストがかかりすぎる、という大変正直な考えが支配的となり、

私かいうのは、帝国主義同士が戦争をしなくてはならなくなったということです。
さらに民族解放闘争がやられることがにがおもまなつたわけです。
それはアルジェリア闘争やベトナム戦争で帝国主義者らは思い知らされますね。

>旧植民地につ
>いては形式の独立を与えるという間接統治に変わったのではないでしょうか(典型的な例
>はフィリピンですね。

傀儡政権をパックで支えながら、基地は固定化していたわけですが、ソ連や民族解放運動の巻き返しに譲歩したものでしかなく、帝国主義は変化した、改良されたということではないといえますよ。

>同時に、形式的独立は他国の進出をも大きく容認することになりま
>す)。新植民地と言われる国々をどう捉えるかは、課題として残りますね。

傀儡政権が例ですね。
新植民地主義が支配的になった要素は、民族解放運動がそれだけ帝国主義をおいこんだということでしょう。



 >次に、独占資本についてです。小生の記憶が正しければ、日本のみならず、西欧の国の
>独占資本は分散・解体されていたはずです。但し、その後アメリカの都合により独占資本
>は一定復活します。よって、「独占化」はおっしゃるとおり制限されていたと思われます。
(続)

まず第二次大戦で、米国以外の資本設備は破壊されてしまっていたので独占資本事態が
なくなったといえます。
ただ、帝国主義論いわく自由競争は、独占化をもたらすといえますし、不均等発展で
第二次大戦前の資本設備は破壊されたのちに、アメリカ式の技術が投資され設備されて再生産されていくのですから、アメリカ以上に生長するわけです。
しかも安価な労働力ということにもよって。

アメリカは日本と西ドイツをソ連の防波堤にする必要から、金融資本の自立化を積極的に牽引したといえる。またアメリカ金融資本の過剰資本を日本や西ドイツの成長でやわらげていったということでしょう。
しかし不均等発展という帝国主義の法則によってアメリカ市場に日本やドイツ製品は侵食してしまったということが、アメリカの経済的没落と挽回策のグローバル、そして戦争ということを生み出すのです。
 

ITと金融について

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年 8月23日(月)22時49分48秒
  >さらに、現在の金融グローバル現象は、実はアメリカ国家が国家事業によって
>日本やドイツ資本のアメリカ市場・世界市場の席巻を挽回するためのものであっ
>たという事実にめをむけるべきだといえます。
>
>というのは、ITとは米ソ冷戦から、ソ連との軍拡競争から生まれた軍事技術で
>しかなかったものを民間人にあけわたして、金融の自由化とあいまつて米国資
>本に世界の余剰資金を週中させたということでしょう。
>たいして、吸い上げられる他帝国主義やその他の国は対抗的にならざるをえな
>いということでしょう。
>私はそれが固定的ではなく、必ずアメリカブロック・ユーロブロック・日本円
>ブロックという分裂したブロック経済にいかざるをえず、それが、競争→戦争
>という道にむかうということを想定しているわけです。


ITと金融については、アメリカの意図した通りなのかどうか、正直わかりません。
というのは、アメリカが弱くなると困るのは、日本の輸出産業であり、日本の政府
は基本的に彼らの利益を擁護しているからです。銀行は、世界的なマネーゲームよ
りは、これらの企業と持ち株関係で結びつくことによって利益を上げてきました。

そのような日本国は、アメリカのためじゃなく、日本の輸出産業およびその意向を
一番受けた指導部のために、円高是正=ドル買い支え=米国債購入を続けてきてい
ます。そろそろ、パンクかも知れません。ドイツは、一ヤンペしたがっているよう
で、それがEUに力を入れた理由かも知れません。

もし、日本とアメリカが対抗的になるには、日本の指導部がアメリカへの輸出で外
貨獲得をするという構造を見切る時であると思います。確かに、おっしゃるとおり
今はかなり無茶やってますしね・・・。その時、そういう構造に警鐘を鳴らしてい
る日本共産党は指導部に召されるのでしょうか(笑)。

また、あなたの枠組みには、中国・インドや、アジア諸国の隆盛が評価の外にある
と思います。
 

代理戦争など

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年 8月23日(月)21時53分7秒
   ベトナムについては、ディエンビエンフーの敗北を機にフランスの撤退、アメリカの介入が
あるわけですが、これを帝国主義の「植民地獲得戦争」と捉えるのはかなり無理があるように
感じます。勿論、帝国主義による「共産ドミノ理論」に基づいた、介入であることには間違い
ありませんが、当の代理戦争相手=ソ連が帝国主義でなければ、この理論は成り立ちません。
(毛主席がソ連を社会「帝国主義」と言ったのは、レーニン的な意味での「帝国主義」ではな
く、寧ろ日本共産党流の「覇権主義」のことかと、とボケてみる。)

 パパブッシュの湾岸戦争もまた、国連を口実に行なっており、帝間争奪戦、という類のもの
に見えないのですが、いかがでしょうか。勿論、西側諸国#にも#圧倒的軍事力を見せつけ、
自らのヘゲモニーを強固にするという意味合いはあるでしょうけど。(アフガン戦争も同類の
ように思えます。)

 ただ、今度のイラク戦争については、モロ石油があるし、教育水準の高い大衆=大量消費社会
を形成し得る民衆もいるし、フランス・ロシアとの対抗上、帝国主義間争闘戦という側面は否定
出来ませんが、それが主要な側面かどうかは、よくわかっていません。
 

WW2における西側世界の枠組みについて・他

 投稿者:TAMO2  投稿日:2004年 8月23日(月)21時45分45秒
  ヨボセヨさん:
しかも、その戦後体制はケインズ的政策によって固定化され、植民地獲得や独占化に制限
をしたというだけにすぎない。しかし、「代理戦争」や朝鮮・ベトナム戦争は帝国主義の
植民地獲得戦争という本質に規定されるといえるわけです。

TAMO2の考えと突っ込み:
 国内モデルを前提とするケインズ的政策で、どのように固定化されたのかの説明が必要
であると思います。小生が思うに、戦後体制でイメージするものは東西冷戦であり、分断
された世界です。よって、「ケインズ的政策」と「固定化」のつながりが見えません。

次に、植民地支配についてですが、マーシャルプランによって西欧の戦後復興は行なわれ
たわけですが、このような状況では植民地獲得は問題になりません。そして、植民地の直
接的支配はコストがかかりすぎる、という大変正直な考えが支配的となり、旧植民地につ
いては形式の独立を与えるという間接統治に変わったのではないでしょうか(典型的な例
はフィリピンですね。同時に、形式的独立は他国の進出をも大きく容認することになりま
す)。新植民地と言われる国々をどう捉えるかは、課題として残りますね。

 次に、独占資本についてです。小生の記憶が正しければ、日本のみならず、西欧の国の
独占資本は分散・解体されていたはずです。但し、その後アメリカの都合により独占資本
は一定復活します。よって、「独占化」はおっしゃるとおり制限されていたと思われます。
(続)

http://cgi.members.interq.or.jp/red/rodo/user-cgi-bin/minibbs.cgi

 

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