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マルコ・ポーロの東方見聞録

 投稿者:アストライアの会  投稿日:2017年 3月22日(水)12時07分19秒
返信・引用
  ベネチアから遥か元の都へ
マルコ・ポーロはローマ教皇と元帝国の皇帝の間を取り持つべく、故郷ベネチアより遥か未知の東方の地、ユーラシア世界へ旅立った。1271年の事とされる。それは駱駝(らくだ)の
隊列で雪のパミール高原を超え、熱砂と砂嵐のゴビ砂漠を渡り、戦乱や盗賊に悩まされながら、4年の歳月をかけて元のクビライ・ハーン待つ上都(じょうと)(元の夏の都)へ至る苦難の旅でもあっ
た。マルコとその一行はクビライにエルサレムから持参した聖なる油と教皇からの親書を渡し、その役目を果たした。
クビライはマルコの有能ぶりを認め、色目人(しきもくじん)として高位の役人に取り立て厚い信頼を置いた。こうしてマルコは中国本土はもとより雲南などの周辺地方に至る様々な土地に赴いて見聞を広める事になる。
クビライの許で既に17年の歳月が流れていた。ハーンはポーロ一家を手放したくなかったので、マルコらが望んでも帰国の許しを出さなかったのである。しかしついに元の同族国である西のイルハン国の皇帝に元の姫君を嫁がせる大命が下り、帰国の途に就く事が出来た。それはボルネオ、スマトラ、インドなどを過ぎて行く海路の旅であり、陸路の旅に劣らず危険なものであった…。

「世界古代文明の謎を探る」(9)マルコポーロの東方見聞録
主 催 アストライアの会  協 力 日本セカンドライフ協会
ゲスト 竹田多麻子横浜ユーラシア文化館学芸員
日 時 平成29年6月27日(火)午後2時から5時
会 場 豊島区生活産業プラザ601号室(池袋駅東口より8分)
費 用 お茶代込み参加費二千円
連絡先 TEL049(258)3218 松原まで
備 考 後半はゲストを交えたお茶会です。

http://www.gilishya-shinwa.com

 
 

マヤの蛇神ククルカン

 投稿者:アストライアの会  投稿日:2017年 3月 5日(日)14時54分23秒
返信・引用
  マヤの蛇神ククルカン
伝説によれば12~13世紀頃、マヤ人の中に一人の外国人が現れたらしい。この人物をマヤ人は「ククルカン」と呼んだ。「羽の生えたヘビ」という意味である。ククルカンは
マヤの都チチェン・イッツァの支配者となり、中米のユカタン半島で一番勢力のある酋長となった。誰もがこの人物を神として崇め、神殿はククルカンに捧げられ、羽のあるヘビが石に彫られた。ヘビの体はガラガラヘビに型どられ、うろこの代わりに聖なる鳥「ケツァール」の羽が付けられた。しかし彼は権力の絶頂にありながら、現れた時と同様にふいにまた姿を消してしまったという。
チチェン・イッツァの代表的建築物であるエル・カスティーヨ、一年に二度春分と秋分の日に太陽が西に傾くと、このピラミッドの影がヘビの胴体となって浮かび上がり、石の頭
像と合体し、巨大なヘビが姿を現す。降臨したククルカンは更にその先にある聖なる泉セノーテの水を飲むとも言われている。
マヤ文明は実に謎と驚異に満ちている。白人渡来伝説しかり、アトランティス大陸説、驚くべき正確のマヤ暦、石に彫られた4万種のマヤ文字は果たして何を語るのか。
この超絶した文明の一端を、世界的研究の現在進行形として改めて把握して行きたい。

「世界古代文明の謎を探る」(6)マヤの蛇神ククルカン
主 催 アストライアの会  協 力 日本セカンドライフ協会
ゲスト 横山玲子さん 東海大学教授 著書「マヤの時間」他
日 時 平成29年3月18日(土)午後2時から5時
会 場 千早地域文化創造館第3会議室(地下鉄千川駅3番出口)
費 用 お茶代込み参加費二千円
備 考 画像を見ながらお話し。後半はゲストを交えたお茶会です。
連絡先 TEL049(258)3218 松原まで

http://www.gilishya-shinwa.com

 

トロヤの木馬

 投稿者:アストライアの会  投稿日:2017年 1月 9日(月)12時08分29秒
返信・引用
  トロヤの木馬 その詩と真実
ギリシャ軍はトロヤの都を攻めあぐね、既に10年の月日が流れていた。ついに策略を巡らして巨大な木馬を作り、その中にギリシャ兵を隠して撤退したふりをして引き上げた。
戦利品として市門の中に運ぼうとする市民たちをトロヤ方のラオコーンはいさめ、木馬に槍を投げつけると、なんと海から大洋の神ポセイドンが放った2匹の大蛇が現れ、彼と二人の息子を絞め殺してしまう。予言の能力を持つカッサンドラもまた木馬がトロヤの破滅につながると必死に抗議したが、誰も信じようとはしな
かった。彼女の予言は正しくとも、太陽神アポロンにより誰も信じないよう運命づけられていたのである。
古代ギリシャの一大叙事詩、吟遊詩人ホメロスの「イリアス」はオリュンポスの神々が人間の運命に深く関わり、神、半神、妖精、それらと関わりのある英雄たちが合い交わる複雑にして壮大、想像力豊かな物語を提供している。
しかし長らく絵空事と見做されていたこの叙事詩が史実に基づいたものである事を信じ、最初に世に知らしめたのがかのシュリーマンであった。そしてトロヤの都の有った小アジアのヒッサリークの丘を発掘、それは果たして真のトロヤであったのか…。

世界古代文明の謎を探るシリーズ(5)「トロヤの木馬」
主 催 アストライアの会
協 力 日本セカンドライフ協会
講 師 長田年弘筑波大学教授
期 日 平成29年2月18日(土)午後2~5時
会 場 豊島区千早地域文化創造館第3会議室
費 用 お茶代込み参加費二千円
連絡先 松原和雄 TEL049-258-3218




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古代エジプト太陽の船

 投稿者:アストライアの会  投稿日:2016年12月10日(土)14時22分40秒
返信・引用
  古代エジプト・太陽の船
太陽の船はエジプト・ギザの大ピラミッド付近で発見された2隻(せき)の船で、約4,500年前に古代エジプト・古王国時代のファラオだったクフ王のために造られたとされる。
                古代エジプト人は、毎日変わることなく繰り返される太陽の運行を永遠の秩序ととらえ、太陽神ラーとして信仰していた。そしてこの太陽神は太陽の船で昼は天空を航行し、夜は冥界を移動すると考えられていた。太陽神ラーと同一化されたファラオはこの船に乗り、永遠に航行を続けると考えられ、その様
(第1太陽の船・復元写真)
子は王墓内の壁画などにも頻繁に描かれた。
古代エジプトの人々は太陽神に同行し、毎日天
空と地下の世界を船で巡る来世を思い浮かべた。
この永遠の航行に参加する事は、永遠の生命を
得る一つの方法と考え、王のように太陽の船の
乗組員になる事を願い、自分たちの墓にも船の
絵を描いたのである。
第一の船はすでに復元され、第2の船は日本人      (太陽の船・壁画)
が発見し、現在吉村作治氏が所長を務める早稲田大学の「太陽の船復元研究所」を中心に、復元・研究が進められている。
現地ルポも含めて、古代エジプトの世界観を皆様と共に考えたいと思います。

「世界古代文明の謎を探る」(4)古代エジプト・太陽の船
主催 アストライアの会  協力 日本セカンドライフ協会
ゲスト 黒河内宏昌早稲田大学教授、同研究所研究員
日 時 平成29年1月4日(水)午後2時から5時
会 場 生活産業プラザ会議室601(池袋東口より7分)
費 用 お茶代込み参加費二千円
連絡先 TEL049(258)3218 松原まで
備 考 後半はゲストを交えたお茶会です。

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万里の長城の不思議

 投稿者:アストライアの会  投稿日:2016年11月18日(金)15時46分7秒
返信・引用
  万里の長城の不思議
~日中双方の視点から~
漢詩「万里の長城に登る」康 有為(清末の詩人・思想家)
「~東のかた碧海(へきかい)に窮(きわ)まり 群(ぐん)山(ざん)立ち、西のかた黄河を帯(お)びて 落日明るし。まさに却(しりぞ)く勿(なか)れ 胡(こ)の功績を論ずるを、英雄の造事(ぞうじ) 人をして驚かしむ。」
雄大な長城の姿と遥かな四方の景色が目に浮かぶようです。康有為はこの詩の最後に「このような雄大なものを作った英雄たちこそ、誠に人を驚かさずにいないのだ。」
と結んでいます。長城はご存じのよう宇宙から観る事が出来る古代最大の地上建造物です。秦の始皇帝から始まって、おもに明代に大改築されて、現在の姿になっています。
長城は何のために建設されたのか。匈奴(きょうど)を始めとする北方騎馬民族から中華を守るためだったとしたら、果たして長城はどれ程の効果
が有ったのでしょうか。実際、明帝国は内部
からの手引きにより後金(後の清)に滅ぼさ
れてしまいます。
そもそもこの地黄土高原は半砂漠化した大地
ではありませんでした。長城のレンガを焼く
ために大量の木が切られて行きました…。

「世界古代文明の謎を探る」(3)万里の長城の不思議
主催 アストライアの会  協力 日本セカンドライフ協会
ゲスト 海京さん 国際平和研究所代表(中国出身)
日 時 平成28年12月6日(火)午後2時から5時
会 場 南大塚地域文化創造館第2会議室(南口より5分)
費 用 お茶代込み参加費二千円
連絡先 TEL049(258)3218 松原まで
備 考 後半はゲストを交えたお茶会です。

http://www.gilishya-shinwa.com

 

ヴォルテールと18世紀フランス・サロン

 投稿者:アストライアの会  投稿日:2015年 7月29日(水)09時54分35秒
返信・引用
  ヴォルテールと18世紀フランス・サロン
 フランスでのシャルリー・エブドのテロ事件で多くの人の命が奪われてから、私たちは「表現の自由」「人間の尊厳」そして宗教や寛容の精神とは何かを改めて考えるようになり
ました。今をさかのぼること約250年前に、フランスの啓蒙哲学者ヴォルテールは当時の「カラス事件」で、宗教的寛容と社会的正義を身をもって示しました。そしてある書物の出版に絡む問題で「貴方の言っている事に私は不賛成だが、貴方がそれを言う権利については死を賭してもこれを守る。」と言ったとされています。
当時は著名な文学者で社交界と無関係だった人物はほとんどなく、ヴォルテールもメーヌ公爵夫人のサロンなどに出入りし、愛人のシャトレ侯爵夫人の館で暮らしたりもしました。当時のサロンは知とエスプリの楽園と言って良く、
(ヴォルテール)   彼の様な才気煥発な人間には相応しい世界だったのかもしれません。フランス大革命の到来によって、華やかなロココ文化に依拠するサロンは終焉を迎えましたが、ヴォルテールが残した人間的・社会的問いかけは現代の私たちにとって今も重要な課題として残されています。               (松原、記)

「18世紀フランスのサロンシリ-ズ」(Ⅹ回)ヴォルテールの思想・行動と社交界
主 催 アストライアの会  協 力 日本セカンドライフ協会 日仏サロン文化協会
講 師 小林善彦さん 東京大学教養学部名誉教授 日仏会館顧問 元パリ日本館館長
(著書)   「知の革命家ヴォルテール」「フランスの知恵と発想」他多数
演 奏 マエストローラ音楽院受講生さん有志による18世紀古典音楽
日 時 平成27年9月27日(日)午後2時~5時
会 場 豊島区立勤労福祉会館第一会議室 池袋駅西口より消防署先徒歩約10分
費 用 お茶代込参加費二千円(後半の時間はゲストを交えたお茶会です)
連絡先 TEL/FAX 049(258)3218 松原まで

http://www.gilishya-shinwa.com

 

サムライの系図

 投稿者:儀右衛門メール  投稿日:2012年 2月13日(月)19時44分37秒
返信・引用
  源氏、平氏、藤原、橘と姓の原点があるが、サムライの血が濃いのが源氏なのです。『寛政重修諸家譜』によると、徳川家に仕える譜代と譜代に仕える陪臣を問わず清和源氏姓が多い。まさにサムライ日本の源流とも言えるのが清和源氏であるが、現代の民主国家日本では「サムライ日本」と言われるようになり、その民度の高さは、いま世界の注目を浴びている。「死して名を残す」と誇りを大切にするのがサムライです。江戸時代には徳川の家臣・陪臣のみがサムライと言われるのだが、江戸初期に農(百姓)身分になった元サムライの一族も多い。そんな国がいまの日本と考えて間違いがないのです。そしてその生き方はまさに「サムライ」なのです。  

俺の子孫よ・・・

 投稿者:源 経氏  投稿日:2011年11月 9日(水)20時56分6秒
返信・引用
  清和天皇の孫で源氏姓を賜った初代が俺だが、以来膨大な後裔が生まれ、育って頑張っているようだ。田部井姓がその後裔の一族とは驚いた。

今は「系図や血筋」がどうだのなんて自慢にもならないが、清和一族の男なら武士の魂を大切に育み、頑張ってくれよ。
 

はじめまして

 投稿者:儀右衛門  投稿日:2011年 4月12日(火)01時06分44秒
返信・引用
  地方史や家系史・系譜など、歴史好きなあなたの意見交換の場です。興味のある方の参加をお待ちしています。  

掲示板が完成しましたキラキラ

 投稿者:teacup.運営  投稿日:2011年 4月12日(火)00時48分20秒
返信・引用
  ご利用ありがとうございます。

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